民の声を聞かない明治政府に対し、決起を考える前原一誠(佐藤隆太)。
そんな熱くなった前原に、滝(檀ふみ)は風呂を勧める。
滝にしてみれば、まあまあ、そんなに熱くならずに、風呂でも入ってゆったりしなさい、というわけだ。
彼女はまさに生活の人。やわらかく日常を生きる人。
美和(井上真央)は、命がけで訴えようとする前原に問いかける。
「それが唯一の道なんでしょうか?」
「力で事を起こせば力で跳ね返される。力では何も動かせない。もし、動かせるものがあるとすれば、それは心なのではないでしょうか?」
うん、美和の言うとおり。
安倍首相にも同じことを言ってほしい。
安倍さん、あなたは軍事が大好きみたいだけど、攻めれば攻め返される。恨みを買い、報復を受ける。
このことをわかってるのかな?
明治政府に関しては、さまざまな評価があるが、国家のために個人が侵害され、犠牲にされた時代だったことは確かだろう。
富国強兵。
その政策のもとに国民は滅私奉公を求められる。
高い税金、過重な労働、徴兵制、士族の権利の剥奪……。
まさに強権政治。
確かに国を強くしていくためには、この方法が一番なんですけどね。
でも、ひずみが出て来る。
今回の前原がそう、次回の萩の乱がそう。
楫取素彦(大沢たかお)が群馬の県庁を高崎から前橋に移したのだって国権の発動で、これは現在の沖縄の辺野古基地建設に似ている。
この時代、全国の至る所で乱が起きたのは、まさに国の強権政治がおこなわれていたから。
今年、ユネスコの世界遺産に登録された明治産業遺産もね、登録自体は喜ばしいことだが、これらの遺産が明治政府の強権政治によって造られたことは忘れてはならない。
安倍首相にとっては、同じ長州出身の政治家たちがやった業績として誇らしいことなんだろうな。
そう言えば、松下村塾もこれに入っていましたよね。
話がすこし逸れましたが、
今回の話を含め、これからの物語は、<明治政府の側に立つか><民衆の側に立つか>で描き方が違ってくると思うんですよね。
では、脚本・小松江里子さんのスタンスはどうか?
基本、民衆の側のようだが、明治政府の強権政治を深く掘り下げて描くことはしないように思える。
つまり、八方美人のどっちつかずの歴史観。
過度に明治政府を悪く描くと、さまざまな所からクレイムや圧力が来そうですしね。
さて、三隅で民と共に暮らした楫取素彦と彼についていった美和。
彼らは基本、民衆の立場なんですけど、群馬では明治政府側の人間。
どう描かれるか楽しみです。
曖昧なきれいごとでお茶を濁してほしくありませんが。
楫取が県庁に入る時の描写、よかったです。
彼の人の良さも出てますし、国の力を笠に着た、強権姿勢でないことも上手く表しています。