平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ボディガード その人物造型の見事さ!

2009年12月20日 | 洋画
 ケビン・コスナーの「ボディガード」。
 コスナーが演じる主人公フランク・ファーマーの人物造型が見事なんですよね。

 まず冒頭。ファーマーを雇う時。
 ファーマーは週3千ドルの報酬を要求し、自分の腕を見せつける時にナイフ投げをする。
 ナイフを遠くにある柱を突き刺すのだが、一発目二発目が外れてしまう。
 ここで「大丈夫か」と思わせておいて、三発目四発目が命中して突き刺さる。
 これなんですね、これが見せ方のお手本。
 ここで命中して百発百中だったらあまり面白くない。
 一発目二発目が外れるから、ファーマーが人間らしいし、少し仕事でブランクがあるんだなとわかる。

 そしてボディガードするレイチェル・マロン(ホイットニー・ヒューストン)との出会い。
 レイチェルは人気歌手の傲慢でファーマーのことなど信用していない。ただの金目当ての男だろうと思い、見下している。
 そんなレイチェルに対してファーマーは「理解し合えないようだ。もめないうちに失礼する」と言ってその場を離れる。
 このプロのプライド! 高額収入も簡単に捨てる。
 だが、甘い面、やさしい面も見せる。
 レイチェルの息子がひとりでいるのを見て心動かされるのだ。
 レイチェルが殺されたらこの子はどうなるのだ?という思いがファーマーに仕事を引き受けさせる。
 このプロのプライドと優しさのメリハリ。

 その後もファーマーは様々な顔を見せる。
 庭木を切って視界をよくしたり、防御フェンスを作ったりしてレイチェルの屋敷を完全防備にする。
 運転手には襲われた時の逃走用にドライビングテクニックを教える。
 脅迫状は、かつて勤めていたシークレットサービスに分析させ、人脈の広さを見せる。

 このように様々な角度からでファーマーという人物を描いていく見事さ!
 クラブでレイチェルが歌った時、興奮した観客たちが舞台にあがり大混乱になるシーンがあるが、ファーマーはレイチェルをお姫様だっこして、彼女に迫る観客を蹴り倒していく。
 この行為でレイチェルは彼のことを好きになるのだが、彼女にはファーマーがたくましい王子様や騎士に見えただろう。

 あるいはこんな描写もある。
 レイチェルと映画を見に行って、行った映画が黒澤明の「用心棒」。
 ファーマーはこの映画を62回見ているらしい。
 用心棒とはボディガードですからね。
 こういう洒落、ディティルも見事に人物造型されている。


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名探偵コナン 水平線上の陰謀

2009年12月18日 | コミック・アニメ・特撮
 今回はいろいろな形で観客を裏切ろうとしているんですよね。
 まず物語。
 ラストにひねりがあるものの、冒頭から犯人が登場して犯行の過程が描かれる。
 いわゆるコロンボや古畑任三郎方式。
 <犯人当て>の今までのコナンとは逆。
 つぎに小五郎の活躍。
 何とコナンじゃなくて小五郎が真犯人を見つけてしまった!
 これも今までと違う。

 こんなこともあった。
 今回の一番のクライマックス。
 船倉に閉じこめられた蘭を助けるシーン。
 閉じこめられた蘭を助けたのはコナンではなく小五郎だった。
 これはまずい。
 船倉の扉を開いて手を差し伸べるのはコナン(新一)でなくてはならない。
 実際、物語もそんな前フリをしていた。
 蘭は小学校の隠れんぼで閉じこめられた時、新一が見つけて助けてくれたことを園子に話す。
 園子はこの話を聞いて「あたしを見つけてくれるのは新一くんだけってわけね」と蘭をひやかすわけだが、観客は当然同じことが起きることを期待する。
 しかし、先程述べたように扉を開いて手を差し伸べたのは小五郎。
 助けられて蘭はまず小五郎の姿を見る。
 だがここで最初に見るのはコナン(新一)でなくてはならない。(確かに蘭が船倉にいることを推理して見つけたのはコナンだったが)
 これでは感動が半減だ。
 こんな前フリもしていた。
 船倉に閉じこめられた蘭は気を失う時、こうつぶやく。
 「新一、見つけてくれるよね」
 これに対しコナン(新一)も船の中を走りながら
 「見つけてやる。絶対見つけてやるからな、蘭!」
 と心の中で叫ぶ。
 これだけ振っておいて、最後に手を差し伸べるのが小五郎というのは観客に対する裏切りだ。

 というわけでクライマックスがイマイチ納得がいかないこの作品。
 ドラマチックになる要素はその他にもいっぱいあったんですけどね。
 たとえば最初の犯人を捕まえてコナンは思う。
 「何だ、この居心地の悪いもやもやした感じは?」
 このもやもや感は、もちろん真犯人がまだいるもやもやだろうが、もうひとつ別の理由がある。
 つまり蘭の危機。
 コナン(新一)は無意識に蘭の危機を感じて、もやもやしているのだ。
 こういう前フリがしてあるのに最後に助けたのが小五郎というのは本当にもったいない。
 ひとつの行為が作品全体を壊してしまうということがあるんですね。


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24 シーズン7 CTU再生

2009年12月17日 | テレビドラマ(海外)
 シーズン7 1話から4話までを見る。
 CTUは解体されていて、ジャックおよびCTUの強引な捜査手法から公聴会に問われているという状況。
 1話から4話はそんなCTUの再生の物語だ。
 かつてのCTUのメンバーが次々と登場してくる。
 以下ネタバレ。

 まず何とトニー・アルメイダ!?
 トニーは生きていた!
 しかもテロリストとして!
 実はこれには<潜入捜査>という裏があるのだが、<潜入捜査>こそジャックがシーズン4でやった捜査手法。

 3話ではブキャナンとクロエが登場。
 国家の後ろ盾もなく、ふたりだけで私設CTU。
 そしてトニーの潜入捜査を陰で指揮していたのは彼らだった。
 この登場の美学!!
 「24」マニアにはたまらない。
 おまけにこの時のジャックに言ったクロエのせりふ。
 「公聴会、テレビで見ました。あなたがあんなふうに問われるなんて。でも見た目にはステキでした」
 いいですね。
 おまけにジャックとクロエの名やりとりが復活!!
 囚われたトニーを逃がすためにFBIの監視システムにクロエがハッキング。
 逃走経路をジャックに教えていくが、FBIの分析官ジャニスがクロエのハッキングに対抗、監視システムが再びFBIに奪われる。
 そこでジャック。
 「クロエ、早く何とかしろ!」
 するとクロエ。
 「わかってます! 今やってます!」
 出ました~!「24」マニアは、このジャックとクロエのやりとりを聞きたいのだ。

 話は少し逸れるが、このクロエとジャニスのハッキング合戦は面白い。
 ジャニスはクロエのハッキングの腕を見て
 「このハッカー、誰だか知らないけどかなり出来る」と感想。
 見事な戦い。
 シーズン7 第3話はクロエファンには必見である。

 このように1話から4話はCTUが復活していく話。
 1話の公聴会でジャックが述べたように「テロリストに対抗するにはテロリストと同じルール(=CTUの過激なやり方)でなくてはダメ」なのだ。法に縛られるFBIのやり方ではダメなのだ。
 そのことをジャックたちの活躍の中で見せていく。
 この1話から4話は「24」マニアにはたまらないエピソードではないだろうか?

※追記
 4話ではこんな描写があった。
 敵のもとに戻ったトニー。
 トニーが裏切っていないかを確認するために、同行してきた「ジャックを殺せ」という敵テロリスト。
 しかし、敵がこう要求してくることは、ジャックもトニーもブキャナンも折り込み済みだった。
 これぞCTU方式!


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ラスト・コーション 愛する一瞬

2009年12月16日 | 洋画
 日本軍占領下の1942年の上海。
 抗日の学生ワン(タン・ウェイ)は、傀儡政権の特務機関のトップであるイー(トニー・レオン)を暗殺する手伝いをするため、イーの愛人になるという物語。

 まず特務機関のイーは<愛を渇望していた>んですね。
 いつ誰が自分を裏切るか、殺しにくるか、わからない状況の中で、人を信じられないイー。
 ピリピリ張りつめて、今にも切れそうな心の糸。
 そんな彼がワンとの行為の時だけ解放される。
 それは過激な愛し方。ベルトで腕を縛り、服を破り……。
 拷問が日常茶飯事の彼にはこういう愛し方しか出来ないのだ。
 あるいはこれは自分を抑圧するものに対する反抗と狂気。
 それは戦場やアウシュビッツ収容所などで、人が残虐な行為に走ってしまうのと似ている。

 一方、愛人を演じるワン。
 彼女は自分の体を<道具>にしている。
 抗日(イーの暗殺)という思想のために、自分の体を使っている。
 それは、ワンが愛人になるために(ワンは人妻という形でイーに近づいたので処女ではおかしいため)、愛していない男に抱かれて処女を喪失した時から始まっている。
 愛のないセックス。
 だが、抱かれていくうちに、イーの心の悲痛、叫びが伝わったのか、ワンは次第にイーを愛するようになっていく。
 道具から愛へ。

 そしてワンがイーを受け入れる瞬間がやって来る。
 それがあのクライマックスの指輪のシーン。
 ワンはこの瞬間、<抗日の闘士>から<女>になったのだ。
 このクライマックスは「戦場のメリークリスマス」のデヴット・ボウイと坂本龍一が抱き合うシーンを思わせますね。
 ワンとイーが本当に愛し合った瞬間。
 時間にしたら「逃げて」のひと言ですから、1秒もない。
 でも人と人が本当に愛し合う時間って、ほんの一瞬のことなのかもしれません。

 ところでラストシーンのイー。
 愛されていると信じていたワンに裏切られた彼の絶望はどの様なものだったろう。
 「逃げて」と言ったワンの言葉の意味を考えられるようになるには時間がかかりそうだ。


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坂の上の雲 第3話「国家鳴動」

2009年12月15日 | 大河ドラマ・時代劇
 今回は父・六十九(伊東四朗)ですね。
 飄々として、「自分に働きがないのはお前たちを大人物にするためだ」とうそぶいている。
 でも息子に問題が起きて、息子も譲らず問題が解決しないとなると、自分が警察署に赴いて解決する。
 こういう人、好きです。
 普通、自分に働きがなくて家族を困窮させていたら、卑屈になったり、酒に走ったりするのだが、そういうジメジメした所が全然ない。
 風の吹くまま、ゴーイング・マイ・ウェイ。
 出来れば僕もこういう年寄りになりたい。

 ところで六十九は司馬遼太郎さんの書く典型的な人物ですね。
 さわやかで、ある意味大人物。
 これが松本清張さんだと「鬼畜」の父親のように貧乏ゆえに犯罪に走ったりする。ジメジメしている。
 作家論で<司馬さんは上から人物を描き>、<清張さんは下から描く>と言われていますが、まさにこれがいい例。
 六十九だって飄々としているようで、心の葛藤はあったと思うんですよ。劣等感とか家族に対する申し訳なさとか。
 でも司馬さんはそれを描かない。
 あくまで上から、さわやかな理想の人物として描く。
 司馬さんの作品が痛快なのはそのため。

 余談だが(←司馬遼太郎っぽい)
 子規の妹・律(菅野美穂)だって二度も出戻りをして相当肩身の狭い女性。
 でも、そのリアリズムを描かない。
 清張さんなら突っこんで描いて社会問題とする所でしょうが、司馬さんは龍馬の乙女姉さんに似た女豪傑として描いている。

 話を六十九に戻すと、六十九が、真之(本木雅弘)と風呂に入って「お前が帰るとにぎやかにあるなぁ」とつぶやくシーンがありますね。
 これが六十九が亡くなる伏線になっている。
 これは司馬さんが絶対に書かない描写。シナリオライターの創作。
 司馬さんはこういう情緒的、感傷的な描写を書かない。
 あくまで客観的理性的に書く。

 そう言えば、もう比較しないつもりでしたがわかりやすいので例にすると、「天地人」ではやたら臨終のシーンが多く、まわりが涙するシーンがありましたね。
 臨終のシーンを入れれば感動的になると思っている。
 これも司馬作品ではないこと。
 今回、六十九の臨終は具体的に描かれず、好古(阿部寛)からの手紙だけで処理されましたが、「坂の上の雲」のシナリオライターさんは、司馬さんの美学をよく理解していると思います。

※追記
 好古のプロポーズの言葉「お椀がもうひとつあってもいい」もシナリオライターの創作でしょうね。
 原作にないこういうお洒落なせりふを書くのがシナリオライターの腕の見せ所です。


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JIN -仁- 第10話 仁先生の恋愛力

2009年12月14日 | 大河ドラマ・時代劇
 今回は最終回を前にしてのネタフリ、謎フリ。
 謎についてはいろいろ考えてみましたが、皆目検討がつきませんね。
 包帯の男は身長180センチなど(第1話で言っていた)からして龍馬?
 では仁(大沢たかお)を江戸時代に導いた包帯の龍馬とこれまで仁に関わってきた龍馬とはどう符合するのか?
 よくわからないので最終回の謎解きを楽しみにして待ちます。

 さて、今回は仁先生。
 仁先生って本当に女心がわかってない。
 まず咲(綾瀬はるか)。
 咲は一番の理解者なのに、仁は咲のことを全然わかっていない。
 鈍いと言えばそれまでだが、自分に思いを寄せているとわかっている女性に「いっしょにいるとホッとしますから、きっといい家庭を作れます」と言ってしまうなんて。
 咲は<いっしょにいるとホッとする>だけの女性なのだ。
 咲に諦めさせるためにこう言ったのかもしれないが、仁の<大人力>ではそこまで意識して言ったとは思えない。
 単に思っていたことを口に出したという感じ。
 咲に持たされた弁当の揚げ出し豆腐を見て「もうこれも食べられないんだな」というせりふも実につれない。
 これを作った咲の気持ちを考えれば、もっと言いようがあるはず。

 次に野風(中谷美紀)。
 彼女に関しても<未来のご先祖様>としてしか見ていない。
 おまけに自分でも言っているように鬼!!
 野風に未来に繋がる子供を産ませるために、乳ガンの治療をしない。
 野風は「仁先生の見立てだから」と信じているのに。
 まあ、ここは次回に関わる部分なのでこれ以上突っこみませんが、咲に関して言えば仁先生、<恋愛力><大人力>がなさ過ぎ!(前回の野風に対しても、火事があったとはいえ、やりようがあったはず)
 そんな仁でも咲と野風が好きになってしまうのは、医者としての姿が格好いいからでしょうね。
 多少恋愛に疎くても、男性がひたむきに仕事に取り組む姿は格好いい。
 ということでしょうか?

 世の女性がこのつれない仁先生をどう見たかはなかなか興味深いところです。

※追記
 こんな仁先生についてうまい言葉が見つからなくて、<つれない>と書きましたが、今、いい言葉が浮かびました。
 <野暮>で<無器用>
 この方が的確な言葉のように思います。 


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クリミナル・マインド 第14話 究極の選択

2009年12月13日 | テレビドラマ(海外)
 AかBか、究極の選択が迫られる時、ドラマになる。
 「クリミナル・マインド」第14話「死刑へのカウントダウン」がそうだった。
 12人の少女を殺害したジェーコブ・ドーズとその妻サラ・ジーン・ドーズ。
 彼らは36時間後に死刑になる。
 だが、主人公ギデオンは妻のサラが殺人に実際に関わっていないことを見抜く。
 サラが電気椅子で死ぬことを受け入れたのは、夫の行為を知りながら止められなかった罪の意識と息子のため。
 息子は身元不明の両親の孤児として引き取られ、今は幸せに暮らしている。チェロで賞ももらったらしい。
 サラの主な罪状は夫と共に実の息子を殺害したことだが、もし息子が生きていれば、サラの死刑は免れる。
 サラを救うためギデオンたちは息子探しを行い、息子を見つけるが、サラは自分を死刑にしてくれと言う。
 その理由は、息子が連続少女殺人犯の子であることがわかれば、今育ててもらっている両親の愛や将来が失われてしまうと考えるからだ。

 そこで主人公の究極の選択。
 A……サラを救うため、息子が生きていることを明らかにするか?
 B……息子の将来のため、サラの願いを聞き入れて明らかにしないか?結果サラは死刑になってしまうが。

 ネタバレになるのでギデオンがどちらを選んだかは書かないが、こういう究極の選択を迫られるとドラマは断然面白くなる。
 どちらも同じように正解という選択を迫られると、人間ドラマになる。
 ドラマは葛藤なのである。
 それはシリアルキラーを扱ったサスペンスものでも同じ。

 それにしてもアメリカは病んでますね。
 この作品を始め、サスペンス物で扱われるのはみんな猟奇殺人。
 自由の国と言いながら、暮らす人は息苦しくて窒息しそうなのか?
 西洋人という肉食系ゆえなのか?
 シリアルキラーのほとんどは白人だというが、何か理由があるのか?
 社会学的に面白い。

 ラストで崖で懺悔する日本のサスペンス物はまだ平和です。


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ロッキー3 闘う男の言葉

2009年12月11日 | 洋画
 気持ちが落ち込んだ時は「ロッキー」。
 「ロッキー」第一作は初めて見た時は「すごい」と思ったけど、今見るとテンポがあまりよくない。
 だから「ロッキー3」。

 物語は……『連戦連勝、チャンピオンとして一財産を築いたロッキー。
 だが、その結果ハングリー精神(EYE OF THE TIGER)を忘れてしまった。
 そんなロッキーの前に立ち塞がるハングリー精神のかたまりの挑戦者クラバー・ヤング。
 果たしてロッキーは敗北し、EYE OF THE TIGERを取り戻すために、かつてのライバル・アポロと特訓を開始する』というもの。
 EYE OF THE TIGERを取り戻すために下町の薄汚いジムで特訓をするという仕掛けが、なかなかいい。

★劇中にはこんな名セリフがある。
 ラングに負けたロッキーは、再び立ち上がれと促す妻のエイドリアンにこう言う。
 「ボクサーは自分を信じられなくなったらおしまいだ」
 ロッキーは惨めに負けてすっかり自身を失っていたのだ。
 確かにあの過酷な戦いは「自分は強い、すごい」と思い続けていなければ出来ませんよね。
 でも、これはボクサーに限らず、誰にでも当てはまる言葉。
 「自分を信じられなくなったらおしまいだ」
 果たして自分は自分を信じているか。常に問うていきたい事柄です。

 そして、このロッキーの言葉に対するエイドリアンの言葉もなかなか。
 「たとえ負けても、言い訳や恐怖など感じずに生きていける」
 エイドリアンはここで逃げたら、今後は言い訳や生きることへの恐怖を感じる人生を送ることになると言っているのだ。

★試合のシーンでの鼓舞するせりふも、われわれの生活で自分に言い聞かせたい言葉。
 ロッキーはパンチを打たれてこう言う。
 「それだけか、それだけか!」
 「俺が勝つ、俺が勝つ!」
 「それがお前のパンチか。お前のお袋の方が強い」
 「わざと(パンチを)打たれたんだ!これは作戦だ!」
 またアポロはロッキーに言う。
 「君を誇りに思う」
 「今までの努力を思い出せ」
 「君がベストだ」
 「負けるな、やつはただの男だ」
 「忘れるな、EYE OF THE TIGERを!」

 こういう単純明快さも元気をもらえる理由ですね。


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相棒 「消えた乗客」

2009年12月10日 | 推理・サスペンスドラマ
★人は何か喪失感を抱えて生きている。
 「これがあれば幸せになれるのに」「これがあれば満足できるのに」
 それは、お金であったり、地位であったり、恋人であったり。
 今回の犯人の場合は愛する人。
 愛する人が失われてポッカリ空いた穴をを埋めるために復讐を計画した。
 計画、実行している間は少なくとも心の穴は埋められますからね(錯覚ではありますが)。
 また普通の人はその穴を別の愛する人を見つけて埋めるわけですが、犯人がそれを出来なかったのは、その失われた人を心から愛していたからでしょうか。
 心の中の喪失感。
 それが何かを突きつめて、埋めるために何をすべきかを考えて生きていくことは大事ですね。

★さて今回のトリックは<犯人と共犯者が架空の物語を作り上げる>というもの。
 現在の事件で言うと、押尾容疑者の事件が近いですね。
 <被害者の女性からクスリをもらった><被害者の女性を助けようとして心臓マッサージを行った>
 他に目撃者がいないのだからいくらでも物語は作れる。
 まあ、今回の「相棒」の場合は<バスの乗客消失>というショッキングな出来事と掛け合わせて、視聴者の興味をそそる内容になっている。
 ただ話として作りすぎの部分は否めない。
 目的の男を捜すのなら、名前はわかっているわけだし、普通は探偵を使いますよね。
 探偵を使っても見つけられなかったということでしょうが、それにしても<バス乗客拉致>という出来事が大掛かり過ぎる。
 背後に殺害の意思があったとはいえ<バス乗客拉致>の目的は<人捜し>ですからね。
 動機と実際の事件のギャップが大きくて、あまりリアリティを感じない。
 またバス運転手は釈放された男を尾行するわけですが、尾行が失敗するかもしれないし不確定要素が多すぎる。
 ラストのひねりも強引かな。
 あじさいの花束の<from M>。
 花言葉からMがもうひとりのイニシャルMの人物であると分かることはいいが、人間関係の部分が複雑になり過ぎ。

★ところで今回は神戸(及川光博)がチェスの達人であることが判明。
 神戸の人物設定がひとつ加わった。
 「相棒」は複数の作家さんによる競作ですが、こうした設定を統括しているのはプロデューサーさんなのだろうか。
 あと最近気になっているのは、名乗る時、右京さんは警察手帳を出すのに神戸は出さない。名前を名乗るのみ。
 何か意味があるのだろうか?
 古畑任三郎のように警察手帳をなくしているとか。
 もっとも次回予告を見たらしっかり手帳を出していましたが。


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明るい報道番組を見たい

2009年12月09日 | バラエティ・報道
小林麻耶ショック…視聴率低迷TBS報道番組打ち切り(スポーツニッポン) - goo ニュース

 「THE NEWS」、ついに打ちきり。
 TBS編成のセンスの悪さは以前書いたとおりだが、秋からのこの番組の6時40分~8時の時間帯もいかがなものか?
 視聴者は5時からいろいろな局でニュースを見ているのだから、7時からはバラエティに切り替えますよ。
 あるいは7時からはニュースを見る人は安定感のあるNHKのニュースを見ますよ。
 それにこの番組、内容も薄い。
 まず、後藤謙次氏(60)がよくない。
 コメントの内容が全然深くない。
 簡潔を旨としてズバッ!と切っているようだが、言ってることはごく当たり前のことか上っ面の批判。
 小林麻耶さんももったいない。
 なぜ彼女を起用したのかが突きつめられていない。
 ただの司会進行役。彼女しか言えない、彼女なりの視点を入れて報道すれば面白いものになったのに。
 
 ところでこれはすべての報道番組に言えるのですが、楽しい報道番組って出来ないんですかね?
 明るい前向きなニュースだけを伝えるみたいな。
 もちろん現実の問題を報道することは大事だが、批判、悲惨、いい加減ばかりがいっぱいだと、こちらまで気が滅入ってしまう。
 あるいはキャスターの方は批判することが仕事のようだが、「こんな問題もあるけど反面こんなプラスもあります」みたいなコメントは出来ないものか。
 たとえば7.2兆円の補正予算。
 連立政権のゴタゴタのみが報じられているが、この7.2兆円を使うことで、こんなに景気が浮揚効果があり、社会はこんなによくなるみたいなコメントは出来ないものか。
 視聴者が聞いてわくわくするコメントは出来ないものか。

 最近何か疲れています。


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