フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

小・中学時代の友人たちとの新年会に参加したからでしょうか、昔々を思い出し懐かしんでいました。

2020-01-28 20:56:35 | 日記

予報通り朝から冷たい雨が降っていましたが、幸いなことに雪は積もっていませんでした。夜中に雪になったのかどうかは不明です。

今日は12時半集合で、小・中学時代の仲間との新年会でした。同級生なので、ほぼ同い年のおじいちゃんとおばあちゃんの食事会なのです。独りの食事ではあまり食べられ無くても、友人たちの会食会ですといつも完食出来ます。

 

わたしも娘たちに「食べ残しは禁」と言いながら育てました。最も、夕食は殆ど母子家庭状態でしたので、娘たちの要望の料理を数種類作り、わたしが盛り付けるか、本人が大皿にとるようにしていました。いわゆるバイキングスタイルです。

主食のご飯はぐい飲み入れ、大きなお皿に伏せますと小さなお山が出来ます。そのご飯の上に黒ゴマをチラシお子様ランチのように万国旗を刺していました。

「お山はいくつ?」と聞き要望通りの数を並べ、お山の数だけ旗をさしていました。旗欲しさにお山を増やし、ぐい飲みも娘たちの了解の大きさの物にしていました。

ぐい飲みの大きさも万国旗の種類も、娘たちが決めていました。ただ、食事の前ですから、目が食べたくて多めにお皿に乗せると大変でした。食事を完食しないと、「御馳走さま」は出来ても、デザートは有りません。お腹が一杯なので食事を残したという事で、デザートは不要、と受け止める様にしていました。別腹は無し、と言事です。

 

欲張らずに少なめにお皿に採り、欲しければ追加をすれば良い、という事を知ってほしかったのです。次女は時々失敗をしていました。

当時、食堂にはテレビを置いていませんでしたので、食事が済んだらテレビのある部屋に移動して、そこでデザートを食べながらアニメを見て良いことになっていましたが、次女はアニメを見られないのです。

アニメの時間になっても完食できない次女は、時々、ベソベソしていましたね。可愛そうでも、食事をキチンと食べきる、その習慣は”必須”と思っていました。

 

今では懐かしい良い思い出になっています。次女は小児喘息でしたので、何とか健康な体になって欲しく、食べる事には気を使いました。

喘息には乾布摩擦が良いと聞いていましたので、毎朝、着替える時と、お風呂から出た時の2回、洗いざらしのタオルで乾布摩擦をしていました。次女だけでなく長女も同じようにしていました。

長女はわりに丈夫でしたが、子供の心理としては一緒に乾布摩擦をして欲しいのでは?と思っての事です。その効果が有ったのかどうか分かりませんが、次女は今はとても健康です。

 

子供のころからの友人が20人弱集まり、懐かしい雰囲気の延長なのでしょうか・・・。疲れもあったたのでしょうか、ぼんやり食堂の椅子に寄りかかた昔々の懐かしい思い出に浸っていました。

コメント
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