格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

新藤氏『司法官僚』が示す司法制度改革の原点

2009-11-11 18:41:08 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

新藤氏『司法官僚』が示す司法制度改革の原点
 官僚制批判、地方分権推進について説得力のある主張を展開されてきている政治学者の新藤宗幸氏が

『司法官僚』

司法官僚―裁判所の権力者たち (岩波新書)
著者:新藤 宗幸
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する



と題する著書を出版された。

 私は同書を身柄拘束中に読んだ。私の民事弁護人を担当下さっている梓澤和幸先生がご恵送下さった。梓澤弁護士は東京新聞読書欄に同書の書評も掲載されている。

 私は日本の権力構造が三権分立ではないことを、拙著

『知られざる真実-勾留地にて-』

知られざる真実―勾留地にて―
著者:植草 一秀
販売元:イプシロン出版企画
Amazon.co.jpで詳細を確認する



にも記述した。

 議院内閣制は大統領制と比較して、「権力の抑制=チェックアンドバランス」よりも「権力の創出」の特性を持つ制度である。

 議院内閣制の下での内閣総理大臣は議会多数派勢力から選出される。内閣総理大臣は内閣を編成し、内閣が行政権を担う。他方、議会における決定権は議会多数派が確保する。議会多数派=与党は議会を支配すると同時に、内閣を構成する母体となり、政治的意思決定およびその実行が円滑に促進される。

 これに対して米国の大統領制の下では、大統領が所属する政党が議会で多数派である保証はない。大統領所属政党と議会多数派が異なることも多い。

 米国の大統領制は大統領に強い権限を付与しているが、大統領選と独立に実施される議会選挙によって大統領が所属する政党とは異なる政党が議会多数派を形成する機会を創出することにより、大統領の行政権限を議会がチェックし、けん制する機能が期待されている。

 この意味で日本の議院内閣制には、もとより権力が集中しやすい特性が内包されていると言える。

 このなかで、問題は司法制度である。

 日本国憲法は、裁判官について、

①最高裁長官は内閣が指名し、天皇が任命する(第6条)
②最高裁長官以外の最高裁裁判官は内閣が任命する(第79条)
③下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する

 ことを定めている。

 つまり、内閣が裁判所裁判官の人事について、強い権限を有しているのである。





 私は「小泉政権の五つの大罪」について、上記拙著『知られざる真実-勾留地にて-』にも記述したが、そのひとつに

「権力の濫用」

を掲げた。過去の総理大臣の多くは、三権分立の大原則を踏まえ、憲法に規定された内閣および内閣総理大臣の権限行使に対して、一定の自己抑制を働かせてきた。しかし、この自己抑制を完全に排除した初めての総理大臣が小泉純一郎氏であったと考える。

 政府は政府の保持する強大な許認可権を行使することによって、「第四の権力」と呼ばれるマスメディアを支配してしまうことも不可能ではない。現実に、総務省からの圧力により、NHKを政治的な支配下に置く行動も取られたと考えられる。

 内閣総理大臣はその意思さえ持てば、司法を支配することも不可能ではないのである。日本国憲法が定めた制度設計に「権力の分立」ではなく、「権力の集中」、「独裁」を生み出す要因が内包されている点について、十分な再検討が求められていると考える。

 さて、問題は現在の司法制度である。警察・検察の「裁量行政」の問題も重大である。刑事取調べの適正化、取調べの可視化など検討が求められる課題は枚挙に暇がない。

 同時に、起訴された刑事事件の99%が有罪とされる日本の裁判制度には根本的な問題が存在するとの指摘が強い。被告人が否認しているケースでの有罪率はイギリスなどの場合、50%程度であるとも指摘されているが、日本では99%が有罪の判決を受ける。裁判制度が機能していないと言わざるを得ない。

 問題の本質は日本国憲法第76条第3項に規定された事項がまったく無視されているという現実にある。

 日本国憲法第76条第3項は以下の規定を定める。

「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」

 裁判官は本来、「その良心に従ひ独立してその職権を行ふ」ことを要請される存在である。裁判官は法の番人であって、「憲法及び法律にのみ拘束される」べき存在である。

 裁判官が独立に、その良心に従って憲法や法律を適正に適用して裁判を行えば、多数の悲惨な冤罪判決を生み出すことはないはずである。

 新藤氏は上記著書によって、日本の裁判制度を歪めている元凶を見事に抉(えぐ)り出している。その元凶とは「最高裁判所事務総局」である。

 最高裁は司法修習生時代に裁判所トップエリートを選出し、この一握りのトップエリートに最高裁事務総局の権限を担わせてきているのである。トップエリートは最高裁事務総局と主要各地裁判所判事、法務省官僚を歴任し、日本の裁判所裁判を実質的に支配している。

 裁判員制度が導入され、司法制度改革が進められているとの説明がなされているが、本質的な司法制度改革にはまったく着手すらされていないのが現状である。

 新藤氏の著書は、司法制度改革の本丸がどこに存在するのかを鮮やかに浮かび上がらせている。司法制度改革について、一般国民は本質的に重要な事項を何一つ知らされていない。職業裁判官と検察官がすでにお膳立てを終えた事案について、最終的に量刑を決定する際に一般国民が申し訳程度に関与する制度=裁判員制度は司法制度改革の名称を用いることのできる代物ではない。

 すべての国民が『司法官僚』を読んで、問題の本質のありかを知ることが司法制度改革の第一歩であると考える。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「りそな処理疑惑」解明に関心示す亀井金融相 

2009-11-11 06:17:35 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

「りそな処理疑惑」解明に関心示す亀井金融相
 これまで数多くの優れた論考を発表されてきた高橋清隆氏が、ライブドアパブリックニュースに新しい記事を掲載された。

 11月7日付記事
「りそな銀行破たんでインサイダー疑惑、
 亀井金融相が興味示す
 =PJ出席の「第二記者会見」で」

と題する論考である。

 以下、高橋清隆氏執筆記事を転載させていただく。

「2003年5月17日にりそな銀行が国家救済された際、インサイダー取引があった可能性について10月23日、記者が亀井静香金融・郵政担当相に調査の意志を尋ねた。亀井大臣が興味を示す中、証券取引等監視委員会に参考資料が届き、当局の動向が注目される。」

「りそな銀行救済に伴う株価変動で外資系ファンドが大きな利益を上げたが、政策決定者である当時の竹中金融相らがこの機密情報を私用した可能性を、エコノミストの植草一秀氏が指摘している。「退出すべき企業は大企業も同じ」「大銀行でも破たんがあり得る」との方針を一転させたことで、りそな株は急反発した。」

「金融庁の非クラブ記者を対象にした「第二会見」で、記者がこの問題について調査の意志を尋ねると、亀井大臣は「その関係どうなってるのか、ちょっと聞いておいてください」と答えた。大塚耕平副大臣が証券取引等監視委員会の自主判断を強調するも「事実関係は調べます」と発言し、大臣は監視委員会への情報提供を指示した。」

「この直後、参考資料の提供を申し出ていた記者に大塚副大臣担当の金融庁職員から電話があった。「大臣は関心を示している」としながら、監視委員会にはその旨連絡したが、同委員会の独立性を確保する理由から直接提出してほしいとの内容だった。これを受け、記者は植草氏のネット上の論稿や『りそなの会計士はなぜ死んだのか』山口敦雄(毎日新聞社)などの紹介サイトを、概要文とともに同委員会ホームページ上から送信した。」

「2日、同委員会に調査状況を電話で尋ねると、「お答えできない」としながらも、参考資料のメールが届いたことを認めた。さらに6日、追加で郵送した書籍や雑誌記事などが4日付けで受け取られた配達証明書が来た。同委員会は告発・勧告の処分を行った場合ホームページで公開するが、その他の場合は公表しないとしている。」

「会見でのこの質疑応答は金融庁ホームページに掲載されているほか、ニコニコ動画が配信。30人ほどの記者が出席し、日本証券新聞やジャーナリストの岩上安身氏などが記事化した。投稿サイト「阿修羅」や2ちゃんねるでも増殖し、関心が広がっている。」

「りそな疑惑について調べる者に、不可解なことが相次いで起こってきた。これまで旧朝日監査法人の平田聡会計士、朝日新聞の鈴木啓一記者が死亡したほか、竹中氏が総務相に就いてから批判記事を書いてきた読売新聞の石井誠記者が後ろ手に手錠を掛けられた状態で「自殺」し、植草氏と太田光紀国税調査官が痴漢容疑で逮捕されている。」

 私は現在、月刊誌『月刊日本』

月刊 日本 2009年 10月号 [雑誌]
販売元:ケイアンドケイプレス
Amazon.co.jpで詳細を確認する



に、12回連載シリーズ記事

「小泉竹中改革の破綻と政治の新潮流」

を執筆している。

 2009年11月号、12月号では、いわゆる「りそな疑惑」について、概要を記述している。「りそな疑惑」については、本ブログにも詳細を記述してきた。

 2003年春の日本の金融危機は人為的に引き起こされたものであった。株価暴落を招いた最大の原因は、竹中金融相(当時)による2002年10月のニューズウィーク誌における

「大銀行が大きすぎるからつぶせないとの政策方針をとらない」

との発言だった。

 竹中氏はプロジェクトチーム(PT)を作り、銀行の自己資本に組み入れることが認められていた「繰延税金資産」計上ルールについて、米国並みにしか計上できないようにルール変更を強行しようとした。竹中氏はいきなり2003年3月期決算からのルール変更を目指した。

 ゲーム中での基本ルール変更とも言える「暴政」に金融界は猛反発した。反発の先頭に立ったのが西川善文三井住友銀行頭取だった。米国では不良資産に対する貸倒れ引当金の無税償却が認められている。日本では無税償却が認められていないため、その代償措置として繰延税金資産の計上ルールが米国よりも緩く設定されていたのである。このような基本すら踏まえていない乱暴なルール変更方針に金融界が反発したのは当然であった。

 結局、竹中金融PTはルール変更を断念した。竹中氏の面子は丸つぶれになった。この面目喪失へのリベンジの標的として選ばれたのがりそな銀行であったと考えられる。

 りそな銀行が標的にされた理由もきわめて低次元のものであったと考えられる。竹中氏-木村剛氏-奥山章雄氏-朝日監査法人などの連携によって、りそな銀行は自己資本不足に追い込まれたものと考えられる。

 りそな銀行処理の最大のポイントは、同銀行が預金保険法102条第1項3号措置でなく第1号措置が適用されたことだ。詳細については拙著

『知られざる真実-勾留地にて-』


知られざる真実―勾留地にて―
著者:植草 一秀
販売元:イプシロン出版企画
Amazon.co.jpで詳細を確認する



をご高覧賜りたいが、第1号措置は「破たん処理」ではなく「公的資金による救済」で、正反対の性格を持つ政策措置である。

 第1号措置を適用するには、りそな銀行の繰延税金資産計上が「3年」でなければならなかった。りそな銀行の繰延税金資産5年計上方針に対して強烈に反対した木村剛氏は、ゼロないし1年計上しかありえないことを強く主張した。木村氏は2003年5月14日付ネット上コラムでこの主張を繰り返した。

 しかし、着地は3年計上だった。3年計上により、りそな銀行は公的資金で救済されたのである。「大銀行破たんも辞さぬ」が「大銀行は税金で救済する」に豹変したのが、2003年5月17日だった。

 驚かされるのは、繰延税金資産計上はゼロか1年しかありえず、それ以外の選択肢を容認するなら、破綻すべきなのは監査法人(新日本監査法人)であると強硬に主張していた木村剛氏が、5月17日以降、その批判を完全に封印し、木村氏としては説明不能であるはずの3年計上を認めた最終決定を徹底擁護し始めたことである。

 竹中氏は監査法人の自主的判断だと主張するが、さまざまな状況証拠は、竹中氏を中心とする関係者が人為的にりそな銀行救済を誘導したとの仮説を裏付けている。

 竹中氏は2003年2月7日の閣議後懇談会で日本株価連動投信(ETF)について、「絶対儲かる」発言を示して問題を引き起こした。この時点で、公的資金によるりそな銀行救済のシナリオは確定していたのだと考えられる。

 株式市場では大銀行破たんを警戒し、株式の投売りが広がった。このなかで暴落株式を悠然と買い集めた人々が存在した。最終的に銀行破たんではなく銀行救済が実施されるなら、株価が猛反発するのは確実だ。この内部情報に基づいて株式買い入れに動いた勢力が存在したと考えられるのである。

 2003年の金融危機に連動して、日本経済は失業、倒産、自殺の灼熱地獄に包まれた。「銀行破たん方針」が示されなければ地獄に直面しなかったはずの多くの同胞が、地獄に送り込まれたのである。

 政権交代が実現したからには、「小泉竹中政治の闇」を徹底的に暴き出さなければならない。「かんぽの宿疑惑」の全容解明、「りそな銀行処理疑惑」の全容解明を避けて通るわけにはいかない。鳩山政権、亀井金融相がなさねばならぬ責務は極めて大きい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする