格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

今度は嫌韓批判で炎上も、ブレない石田純一が安倍政権の圧力を笑い飛ばす

2019-02-13 22:38:10 | 阿修羅


今度は嫌韓批判で炎上も、ブレない石田純一が安倍政権の圧力を笑い飛ばす! 内閣官房から「桜を見る会」に出るな、の電話が
https://lite-ra.com/2019/02/post-4539.html
2019.02.10 嫌韓批判で炎上も…石田純一はブレない リテラ

    
    週刊金曜日(2月1日号)


石田純一がまた、ネトウヨから攻撃を受けて炎上している。原因は、ニュースサイト「デイリー新潮」に掲載された連載コラムで、石田が感情的な嫌韓論に警鐘を鳴らしたことだった。

 石田はまず、元徴用工の問題やレーザー照射の問題について、〈日韓問題はたがいに感情的になっているかぎり解決しない。メディアもことさら嫌悪感情を煽らないでいただきたい〉としたうえで、元徴用工の問題について、「日韓請求権協定で韓国の請求権は放棄されているので、この問題は解決済み」と突き放す日本側の姿勢にこう再考を促した。

〈1965年当時の韓国は朴正煕大統領による軍事政権下で民意が抑えられていた。だから、韓国人の国民感情としては、その時代に解決済みだといわれてもなかなか納得できない。そして強制労働や、劣悪な環境の労働に対する反省や謝罪は、やはりなかった。〉

 また、石田は、安倍政権の韓国への対応と、アメリカやロシアに対する対応の違いについても疑問を呈した。

〈ロシアのプーチン大統領やラブロフ外相から「北方領土はロシア主権下にあると認めることが平和条約交渉の前提だ」なんて言われても言い返せないし、トランプ大統領にねじ込まれるまま何千億円分も武器を買う弱腰の総理が、韓国にだけ強い態度に出るというのは、いかがなものか〉

 何から何まで石田の言う通りだろう。韓国国民の声に耳を傾けることなく、強硬に「この問題は解決済み」との回答を繰り返すだけでは、永遠に徴用工問題は解決されないだろうし、安倍政権がアメリカやロシアに対する隷属的外交とは対照的に、韓国に対してだけは不必要なまでに強く出ているのは、どう考えてもおかしい。その背景には、自分の支持層である右派へのアピールと、統計不正や沖縄サンゴ移植の問題など次々と湧いて出る政権の問題から国民の目を逸らさせ、支持率を上げようという意図があるのは明らかだ。

 ところが、韓国バッシング一色に染まる現在の日本社会では、石田のような理性的な発言はもはやタブーとなりつつあり、彼のコラムは即座に、安倍応援団やネトウヨから総攻撃を受けた。

 たとえば、高須クリニック院長の高須克弥氏は、石田のコラムに対して〈朝鮮半島の国はもともと中国王朝の冊奉国です。DNA が目覚めたのです。理を説いても無駄だと思います。DNA には勝てません〉などとツイッターに投稿した。

「そういうDNAだから理を説いても無駄」とは、医療に従事する者とは思えない差別発言であり、レイシスト丸出しの暴言だが、ネットでは高須院長への批判はあまりなく、冷静な正論を口にした石田だけが炎上している状態なのだ。

 なんとも暗澹とさせられる言論状況だが、しかし、石田純一がこうした攻撃に屈することはないだろう。石田はこれまでも、安保法制反対デモに参加するなど、安倍政権の政策に反対する姿勢を示す度に激しい非難・攻撃を受けてきた。

 たとえば「週刊新潮」(新潮社)2015年10月15日号で、石田は「テレビ番組を3つキャンセルされました。35年の芸能生活で、こんなのは初めてです。CMもひとつなくなったし、広告代理店を通して、厳重注意も2、3社から受けました。“二度と国会議事堂にデモに行くな”“メディアの前で政治的発言をするな”ってね」と語っており、安保法制反対のデモに参加しただけで、芸能生活に大きな支障をきたしたとも証言している。

 都知事選について会見したあとも、テレビ局は石田が出演するCMを差し替えたり、放送予定の番組を休止させたりと過剰な対応を行い、あげく所属事務所が「11日の会見をもちまして、今後一切、政治に関する発言はできなくなりました」などという信じがたい発表をしたこともあった。

■石田純一「行政の長がマジに怒ってヤジを飛ばす。文化偏差値が非常に低い」

 しかし、あまり知られていないが、石田はこうした不当な攻撃を受けたあとも、ブレることなく発言をし続けてきた。

 昨年10月には日本ペンクラブのシンポジウム「『憲法と表現の自由』の現在と未来」に登壇。「日本国憲法は傑作であり、名作」と称え、「日本国憲法よりも優れた憲法を制定する能力や政治状況がいまの日本の政治家にあるかどうか。僕の答えはNO」と断言した。そして、2012年の自民党改憲草案について「無能力と不見識ぶりに唖然とした」と厳しく批判。基本的人権や表現の自由が失われること、緊急事態条項の危険性、憲法が縛る対象が国家権力から国民に変わってしまっていることなど、自民党改憲草案の問題点を指摘していた。

 最近も「週刊金曜日」(金曜日)2019年2月1日号にも登場。旧友である教員・ライター藤原孝弘氏のインタビューに応じ、安倍政権や忖度するメディアを厳しく批判している。さらに石田は叩かれてもなぜ発言し続けるのか、その真意についてもあらためて語っている。

「行政の長(内閣総理大臣)がマジに怒って、「早く質問しろよ」とかヤジを飛ばしちゃう。文化偏差値というものがあるとすれば、日本は非常に低いんじゃないか」
「あれ(引用者注:福島第一原発事故)を総括しないで原発を再稼働している。ヤバイでしょ」
「安倍さんは原発に反対する小泉元首相に「無責任だ」と言ったけど、どちらが本当に無責任かは一目瞭然」
「今の政治家は旧体制の支配者層の3世4世が多いので、憲法改正もそっちのほうに戻りたいんだな、と思います。自民党は結党以来、自主憲法制定を党是としてきたにもかかわらず、60年かかって出してきた憲法草案は不見識で無教養で、できが悪い。」

■麻生財務相の「ナチスの憲法」発言を正したらディレクターに「困ります」

 石田は、安倍政権を忖度するメディアに対しても厳しい目を向ける。テレビ朝日の早河洋会長は石田が夕方のニュース番組『スーパーJチャンネル』のキャスターを務めていたときの報道局長だったと明かしたうえで、こう疑問を呈した。

「(テレビ朝日会長の)早河さんはいまやよく安倍さんと一緒に食事をされていますね。米国で三大ネットワーク、五大ネットワークのトップが政権トップとご飯を食べていますか。日本は先進国といえるのですかね。」

 安倍首相と会食を重ねているメディアはテレビ朝日に限った話ではない。多くのメディアが政権と癒着するなか、石田自身、テレビ局の忖度と圧力を目の当たりにしたという。麻生太郎副総理兼財務相が「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうか」と発言した問題についてコメントした際の経験をこう語っている。

「番組中で、すっと終わりそうになったから、『すいません、ナチスの憲法というのはないです』『麻生さんは多分誤認されたんじゃないですか』と言ったんです」

 石田は、ナチスは憲法を作ったり改憲したのではなく、全権委任法によってワイマール憲法を骨抜きにしたと解説しようとしたのだという。ところが、歴史的事実を語っただけのこの発言が、問題視された。

「番組終了後に、ディレクターが飛んできて「石田さん、そういう発言は困ります」と言われました。カンカンになって怒ってきたと」

 ちなみに、ここで「カンカンになって怒ってきた」相手について、石田は「わからないけどたぶん麻生事務所か自民党」と答えているが、この一件をきっかけに、「それから在京のテレビ局にはあまり呼ばれなくなった」とも語っている。

■「桜を見る会」の招待状が来たのに、内閣官房から電話が来て「ダメ」と

 こういった圧力を受けると普通の人であれば、政権批判からフェードアウトするか、もしくは逆に、政権の恐ろしさに震えて取り込まれることすらある。

 しかし、石田はそうはならなかった。実は、石田純一と安倍首相は共に1954年生まれで同い年(石田は1月生まれで安倍首相は9月生まれなので、学年的には石田のほうが1つ上)。同い年の人同士で集まった「昭和29年会」を通じ親交があり、1993年に安倍首相が最初の衆院選挙に出た際には、請われて自民党山口県連の婦人部が集まっている集会に参加したこともあるという。

 そんな縁もあって、実は石田は今も安倍首相主催の「桜を見る会」にも招待されているのだという。前掲「週刊金曜日」で石田は、桜を見る会をめぐってこんな裏話も語っている。

「実はいまこんなに安倍政権を批判しているけれど「桜を見に来てください」とか安倍さんから招待状が来ます」
「でも、内閣官房から後で電話がきて、ダメ、といわれる。安倍さんには当時から違う意見をはっきりと言ってたからね。雰囲気が悪くなる、とみんなに嫌な顔をされながら。29年会は、いまでもやってるみたいだけれど、俺は呼ばれなくなりました」

 石田は、「戦争は文化ではありません」という名言を残した、安保法制をめぐる国会前デモでのスピーチで「アメリカはもちろんわれわれの友だちで同盟国ではあります。でもやはり間違ってる、違ってる、なんかそういうことは友だちでもちゃんと言えなくちゃおかしいと思います」と語っていた。

 石田はまさに「友だちでもちゃんと言えなくちゃおかしい」を実践していたわけだ。

■ネトウヨに攻撃され、街で保守親父に絡まれた体験を笑い飛ばす石田

 もちろん、石田自身は、こうした政権批判を続けている限り、自分への風当たり、圧力がずっと続くいことはわかっているはずだ。実際、「週刊金曜日」のなかでもこんな経験を明かしていた。

「『週刊新潮』の連載が1年で終わって、いまはウェブのほうで。ネトウヨとかが乗り込んできて喧々諤々となったりしますね」
「ホテルのバーとかでイケてない親父たちにからまれるわけですよ。『石田君、君は間違っているよ。中国に攻められたらどうするんだ』と。『それは個別的自衛権で対処できますよ』って言い返しますが」

 しかし、圧力をかけられ仕事を降ろされ、ネットでネトウヨに攻撃され、街で保守親父に絡まれても、それでも石田はめげることはない。それどころか、いたって前向きだ。

「(都知事選で出馬が取りざたされた時)おまえなんか、2000%当選しないよ、と松本人志さんに言われた。いま、シンプルにできることはないかと考えると、情報の提供、視点の提供かな、と思う」

 飄々としているようにみえる石田だが、戦争のない平和な世界を実現するために、自由で民主的な社会のために、芸能人である自分に何ができるか、どういう場でどういうタイミングで何を発言するべきか、常に真剣に考えている。そのクレバーさと本気、そして覚悟を、メディアも少しは見習ったらどうだろう。 

(編集部)









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『日本は「GDP世界第3位」の経済大国なのに 1人あたりGDP

2019-02-13 22:24:38 | 杉並からの情報発信


デービッド・アトキンソン氏は『日本は「GDP世界第3位」の経済大国なのに 1人あたりGDPは先進国最下位(世界第27位)で生産性は先進国でいちばん低い』と指摘するがその原因は一体何なのか?(No1)

その答えは、この間朗読してきた故石井紘基衆議院議員の著書『日本が自滅する日「官僚経済体制」が国民のお金を食い尽くす!』の中に書かれている!

その答えを簡潔に言えば、日本は政治家と官僚が支配する『官製経済国家』であり『資本主義の仮面をかぶった効率の悪い社会主義国家』であり『国民のカネが政治家と官僚に食い尽くされている』からである。

▲そのことを具体的な記述で見てみよう!

衆議院議員石井紘基氏著『日本が自滅する日「官僚経済体制」が国民のお金を食い尽くす!』(PHP2002年1月23日発行)

第一節 日本は官製経済の国だ (P112-121)

①事業、開発のための法律が300 (P112-113)

わが国は“官制経済”の国だ。いや、社会主義経済の国といってもいい。金
を上から下へと流しこみ、途中で政官権力が掬(すく)い上げる“流しそう麺
”式の社会主義的計画経済の性格がきわめて強いのである。

その第一の根拠は、法的な側面である。今日、わが国には「事業」「開発」
「整備」等のための法律が約三〇〇を数えるに至っている。このほとんどは一
九六〇年代以降制定されたかまたは改訂されたものである。わが国の全ての法
律の数が一六〇〇に満たないことを思うと、いかに政治・行政が経済行為に介
入し、実質的に市場を支配しているかがわかる。

しかも、政令、省令、通達などによる事業展開はさらに膨大な量にのぼるば
かりか、それぞれの法令や規則の中に無数の事業が盛り込まれている。今日、
省庁が直接指揮をとる経済プロジェクト、経済関係事業の数がどれほどの量に
なるのかは、ほとんど想像を絶する。個々の事業を紙に書き出しただけでも、
一省庁あたりダンボール何箱という単位の話である。

横浜国立大学の花田頼明名誉教授は、わが国の権力による経済支配の手法に
ついて「日本の場合には許可制や免許制を取り、これらを通じて行政が関連企
業を自分の世界に抱き込んで、一方では命令や行政指導を通じて規制しなが
ら、他方では抱き込んでいる企業や業界を育成し保護していくというやり方を
取っている」と指摘している。彼はこれをアメリカと対比して「アメリカでは
もともと規制はなく自由放任主義的に競争させることから出発しています」、
自由競争の弊害に対しては「独立行政委員会をつくって、そこで審判という方
法で行き過ぎを是正し……抑えていくというやり方をとっている」と説明して
いる (『ジュリスト』一九九四年五月一日号)。

つまり、アメリカでは、まず、市場があって、その上でルールが作られる
が、日本では逆だというのだ。

②GDPに占める公的需要は極端に大きい

・わが国経済の規模を国内総生産(GDP) で見れば五一〇兆円(平成一二年
度=2000年度名目)だが、このうち、一二一兆円は「政府消費支出」および「公的資本形
成」といった、政府による直接の買い物、すなわち「公的需要」 である。こ
れには特殊法人の建設・設備投資以外の支出や公益法人、第三セクターなどの
事業に係る支出は含まれていない。このため、GDPに占める公的需要の全体は
もっと大きいと推定される。

・また、国による歳出は一般会計と特別会計を合わせた純計で約二六〇兆円、
地方公共団体の支出は(国とのやりとりを除いた)純計で九〇兆円である。し
たがって、国と地方を合わせた一般政府の支出は三五〇兆円となる (平成一
二年度=2000年度)。

(注山崎):日本のGDP五一〇兆円(平成一二年度=2000年度名目)に対する一般政府支出三五〇兆円の割合は68.6%となる

・ちなみに国家予算とGDPの関係を国際的に対比してみると、フランスの場
合、国家予算三一兆円に対してGDPが一六三兆円、イギリスは国家予算四五・
六兆円に対してGDPが一六四兆円、ドイツは連邦政府予算四〇兆円に対してGDP
が二四〇兆円(以上、一九九九年)と、いずれも中央政府の予算規模は、GDP
の三〇%以内である。付加価値の規模を示すGDPと政府歳出との関係を国際比
較してみればGDPに対する政府歳出比率の異常な大きさは浮き彫りになる。

・つまりわが国の経済では、政府に関連したおカネにかかわる部分が異常に大
きく、市場経済活動の成果は極めて小さい。

③資本主義の仮面をつけた社会主義

市場経済にとってもう一つ恐ろしいことは、わが国ではGDPに近い額の郵
貯・簡保・年金の積立金が政府資金として運用されており、しかも、この内二
〇〇兆円を超える巨額の資金が債券や株式など有価証券市場に投入されている
ことである。

そもそも資本主義経済の動脈ともいうべき内外の金融市場に対して大量の政
府資金を動員することは、自由・自然な生きた市場を撹乱する。血管に血液型
の異なる血液を輸血注入するに等しい行為である。否、危険な非加熱製剤の輸
血といってもよいであろう。

政府により金融市場に出される資金のうち、国際金融市場に当てられる資金
量はざっと五〇兆円である。内訳は外為特会二八兆円、財政融資資金四〇〇〇
億円、郵貯特会四兆六五〇〇億円、簡保特会四兆一五〇〇億円、年金資金運用
基金一兆二六〇〇億円、簡保事業団(金額非公開だが、郵貯特会から一五兆
円、簡保特会から一〇・五兆円受け入れる預託金の約三分の一と推測)八兆
円、農林中金七兆円(農林中金は現在は特殊法人でないとされているが、法律
により特別に設置された官企業)、その他である。

各国とも一定の外貨準備等により、国際金融市場への調整介入政策をとるこ
とはある。しかし、それは国家的な緊急かつ不測の事態への調整手段ないしは
外交的必要性によるものである。それにしても自由競争と市場経済を前提とし
たルールは守られなければならない。最大の金融大国たるアメリカの場合で
も、政府の外貨準備高はせいぜい七兆円程度(六六二億ドル)に過ぎない。こ
れを見てもわが国は世界に特異な資本主義の仮面を着けた社会主義国(国家資
本主義) であることがわかる。

こうした政府の巨額の(借金)資金による国際証券市場への進出という財
政・金融構造こそ、国内はもとより世界の金融市場を歪め、日本が世界経済の
破壊者となる可能性を高めている。今後、郵貯、年金等の自主運用が進めばま
すます危供される。

④政府系金融はオール民間の1.25倍の規模

わが国経済の異常さを、具体的に金融事業についてみてみよう。

わが国金融事業全体の中で政府系(行政)金融が占める量と割合はどれくら
いだろうか。日銀の資金循環統計をはじめとする公表データで集計すると、民
間の都銀、地銀、第二地銀、信金、信組、その他の貸金業の融資総額は図表2
-1の通り約五二〇兆円である。

これに対して行政による金融事業の規模は融資残高約六五〇兆円、つまり、
民間金融の一・二五倍に達している(図表2-2)。しかも、官は民間金融機関
の運営を細かく干渉する。つまり、わが国の民間銀行は、仕事を取り上げら
れ、規制され、かわりに公的資金という人工呼吸器をあてがわれているのに等
しい。

⑤不動産事業の11%hは官企業が独占

「官」 の進出が「民」を衰退させている例として、さらに不動産・住宅事業
を挙げよう。「官」 の雄であり、規模においては世界一のディベロッパーで
ある都市基盤整備公団の不動産部門の事業費支出は、一兆二三〇〇億円である
 (総資産一七兆五六九〇億円)。そしてこの公団の直接の子会社における不
動産事業の合計は、一八三〇億円である。さらに、各省庁の傘下にある特殊法
人・公益法人、その子会社が土地取得事業などを行っている (平成一二年
度)。

たとえば、(財)民間都市開発推進機構の土地取得事業費は一五〇〇億円、
(財) 日本勤労者住宅協会は六四五億円、(特)地域振興整備公団が三二〇
億円などだ。また、(特)雇用・能力開発機構の住宅事業は三八二億円、地方
住宅供給公社は七一〇〇億円、地方土地公社は一兆一〇〇〇億円、その他運輸
施設整備事業団なども相当額の事業展開を行っている。ちなみに、地方土地公
社は都道府県と指定都市及び市区町村に一五九四社あり、保有土地は金額ベー
スで八兆三〇〇〇億円である。「官」 の企業の場合、性格上 「売り」 
「買い」 「賃貸」 のいずれかに偏る場合があり、正確な数字の計上は困難
であるが、その事業規模は年間およそ三兆五〇〇〇億円と推計される。これに
対して民間不動産会社の (売上げ)事業総額は、「財務金融統計月報」 
(財務省) によると約三二兆三七〇〇億円である。

したがって、全不動産事業の約一一%が行政企業によって占められているこ
とになる。

⑥市場原理が機能しない経済

それにしても、日本はいつからこのような、市場が機能しない国、政と官が
結託して利権をほしいままにして民を圧迫する国になってしまったのだろう
か。来生(きすぎ)新・横浜国立大学教授の『産業経済論』(ぎょうせい、平
成八年)によりつつ、振り返ってみよう。

国家と市場、権力と市場の関係について考え抜かれた著書によれば、敗戦か
らの復興過程では、希少な外貨のコントロール権を行政が握り、それを最終的
な担保として強権的な政治主導型の経済運営が行われた。国内的にも、重要な
物資については官僚主導の計画経済が行われた。

高度成長経済も基本的には政官主導による重工業主体の産業政策が追求され
たが、この時代までの政策は今日の直接介入とは異なっていた。権力といえど
も、産業との協力の下に、あくまで産業そのものの発展を目指す「誘導」「育
成」がキーワードだった。

したがって、この過程では政官主導とはいえ、経団連や商工会議所の財界
リーダーたちが日本丸の船頭となっていた。他方では中小企業が活力を発揮し
た。だからこそ「経済は一流」といわれ、市場経済体制が花開くかに見えたの
だ。

戦後経済でもっとも重大な転換期は、その後の一九七〇年代であった。この
時期以降の日本経済について来生氏は「市場を支える勢力が完全に経済運営の
主導権を獲得しっつある時代」とみているが、それは誤りだと私は考えてい
る。市場から後退し、自立的な企業同士の民主的かつ公正な競争による自由経
済体制を築くべき政治・行政権力が、むしろ力を増したのだ。

この時期、政官権力は正面から民に対抗するのではなく、新たな協調を求め
たようにも見える。しかし、実際は、そうしたポーズをとりながらも、一方で
行政指導、経営規制を拡大し、他方で自ら行政企業(官企業) の大群を率い
て市場に侵入していった。それだけでなく権力は、自ら法令にょり産業ごとの
開発プロジェクトを打ち出し、大規模な事業経営を展開した。

こうして、市場は、「政官の行政経済」に侵蝕され、自主性と主体的活力を
殺(そ)がれ、権力に対して完全に敗北した。政治家と官僚が結託した支配
は、一九八〇年代後半以降、どんどん強められていった。そして、ついに、日
本経済は市場原理が機能しないものとなったのである。

資本主義経済で「必然」とされた寡占化、過当競争、失業、恐慌などを克服
するものとして、二〇世紀にケインズ経済学が登場した。不況が深刻な恐慌に
至らないよう、政府や中央銀行が時宜を得た景気対策や金融政策などを発動
し、それによって資本主義経済は息を吹き返した。

政府の経済政策は独占の制限、労働・雇用対策、税政策などにもおよび、そ
れとともに中央銀行による金融政策の重要性も高まった。日本の公共事業政策
が効果を発揮した時期もあった。

主要国首脳会議(G8)や主要七カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)など、政
府の経済政策を国際的に調整するシステムも確立されていった。

しかし、こうした政府による経済政策や国際的相互作用も、それが有数であ
り、意義あるものであるためには、その国の経済が自由競争を原理としたもの
であり、資本主義経済の本質を維持していることが前提条件となる。かりに、
その国が金融においても産業においても、自由競争の要因が薄い国になったと
したら、あるいは、経済活動に拡大再生産の資質が失われた国だったとした
ら、あらゆる経済対策は景気や雇用問題を解決する力を持たない。一九九〇年
代の日本経済が陥ったのは、まさにこうした病弊なのである。政府は公共事業
などで、「史上最大規模」の“景気対策”を重ねる。日銀は金融機関に対して
「借りてくれ」と懇願するようなウルトラ金融緩和政策をとる。しかし、財
政、金融の両面でいくら力んでも、景気はよくならない。その理由は、経済そ
のものの存立基盤が失われているからなのだ。

このように、わが国を非効率な社会主義経済にしてしまった機構面での大き
な要因は、特殊法人や公益法人を中心とする“行政企業群”、略して“官企業
”である。以下、節を改め、特殊法人とはどんな性格のものであるか、主要な
特殊法人は、どんな活動をしているか、そして、公益法人とはどんなものか、
をみてゆくことにしよう。

(No1終わり)




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