格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

議員の投票は公開が原則<本澤二郎の「日本の風景」

2019-06-04 15:42:17 | 日本の風景


議員の投票は公開が原則<本澤二郎の「日本の風景」(3334)
<ジョン・スチュワート・ミルの民主主義の原則論>
 この6年間の政治を総括して言えることは、特定秘密保護法が象徴するように秘密主義が横行している。国家主義・全体主義の体質を露呈して、民主主義に抵抗している。そこで改憲軍拡の銅鑼を鳴らすものだから、善良な平和を欲する日本人ジャーナリストは、批判する義務を負ってしまった。しかし、日本人である限り止めることはできない。公開が原則である。議会も司法も行政も公開を当たり前とする社会にすることが不可欠である。
 そんな時に友人が、英国の思想家でリベラリストのジョン・スチュワート・ミルの民主主義論が新聞に出たといって連絡してきた。国民は無知であるため、そこで民主主義を開花させることは不可能だ。どうするか、何事も秘密主義を排して、公開を原則とする社会にするのである。正論である。
<国民すべてに開かれた政治を公約する!>
 一部の人たちをのぞいて国民は、何事にも無知である。ゆえにまともな判断ができない。特に政治がそうである。政治の中身が不透明である。そこから判断が狂い、誤れる世論が形成されることになる。

 国民生活を律する要件は、すべからく政治である。国の行政、地方のそれも、政治の結果としての法律・条令が100%影響してくる。
 その法律が正しいのか間違っているのか、これは行政府と立法府の議論の過程を公開することである。そうしてこそ国民は、事態の中身を判断することができる。特にその法律案に対しての議員の行動は、議会での公開投票によって一目瞭然となる。
 投票行動の公開で、その人物の評価も定まる。選挙の重要な判断ともなる。この部分を蓋しておいては、有権者は選挙で公正な一票を行使できない。民主主義も中身が伴わない。
 まずは議会の投票での公開原則を貫く日本にすることが、民主政治を開花させる決め手なのだ。政党はすべからく、このことを公約すべきで、それのできない政党を排除するしかない。
<議会と言論が衰退する日本では必要不可欠>
 不幸にして、今の日本政治は死んでしまっているかのようだ。国家主義・全体主義の政権によって、言論機関も衰退してしまっている。議会審議も低調である。
 悪政を監視する使命を帯びている議会と言論が死んでしまっている事態は、もはや正常な民主主義は、望むべくもない。悲惨である。この6年は、まさにそうである。
 特に世論操作の最前線に公共放送が死んで、政府の宣伝に徹してしまっている点である。これのマイナス・負の効果は絶大である。

 たとえNHKが死んでしまっていても、国会が公開による投票を行えば、国民の投票は、かなりまともになる。いかがわしい議員を選挙で排除することができる。いわんや、やくざと関係している議員がカジノ法に特化する様子も見えてくるだろう。

 言論と議会、さらには司法までおかしくなっている現代では、議会の隅々まで、公開の太陽で明らかにするルールを構築するのである。ミルの指摘は、当然のこととはいえ、さすがである。
 民主主義を開花するには、国民の資質の向上と、議会の公開による議員資質の公開が不可欠であろう。
<アベの6割支持は秘密主義の成果>
 驚いた世論調査というと、最近は、どこかの民放だったと思うが、官邸から金をもらっているのではないか、と疑惑を持たれるような内閣支持率が飛び出した。なんと6割近い日本人が支持をしたというのだ。

 「行政は無知だから、役人がそばにいないと1日も首相を続けていられない小僧。ただおいしい食事をして首相といられることしか能のないアベ小僧」とは清和会OBのアベをよく知る人物の評価だが、それでも6割の支持率?
 行政のみならず永田町と平河町と信濃町の秘密主義の成果である。
<トランプとの密約・菅の逃亡会見>
 先のトランプとアベのゴルフ場での密会と、二人だけの秘密の首脳会談で、日本は牛肉や農産物で相当な譲歩をしたことを、野党は問題にしているが、それも今の政府にとって当たり前のことである。
 「選挙前は秘密」でおしきるのだという。
 官房長官によると、官邸での首相会見の関係者名簿と議事録は作成していない、と明らかにしたことなどは、日本が民主主義を否定した政府であることを内外に鮮明にしたことになる。
 菅は、不都合な記者の質問も逃げる、それを公然と演じているのだから、国民から悪役と思い込まれてしまった。それでもアベ後継者という?

 国家主義を憲法は否定している。それでも、もう6年も継続する極右内閣である。したがって国民は、民主政治確立のために議会の公開を勝ち取らねばならない。次いで行政の公開、司法の公開、地方の公開へ!
2019年6月4日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)









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経産省・文科省“霞が関連続覚醒剤事件”でテレビがピエール瀧・元KAT-TUN田口報道と違いすぎ! 安倍政権への忖度か

2019-06-04 14:32:05 | 杉並からの情報発信


経産省・文科省“霞が関連続覚醒剤事件”でテレビがピエール瀧・元KAT-TUN田口報道と違いすぎ! 安倍政権への忖度か

2019.05.31 Litera

https://lite-ra.com/2019/05/post-4744.html

経産省に続き文科省でも…(文科省HPより)

またしてもキャリア官僚による薬物事件が起こった。覚醒剤と大麻を所持していた疑いで文部科学省の参事官補佐・福沢光祐容疑者が逮捕された事件だ。
 
事件は深刻なものだ。福沢容疑者は自宅だけでなく職場である文科省の福沢容疑者の机からも覚醒剤や注射器が複数本も見つかった。つまり、福沢容疑者が文科省のなかでも覚醒剤を常用していた可能性が浮上したのだ。キャリア官僚といえば、公人であり、さらに福沢容疑者は初等中等教育局参事官補佐として高校の普通科改革を担当していた要職にある人物。文科省は毎年、高校生に薬物乱用防止のポスターをつくらせているが、その役人が薬物に手を出していたという驚愕の事件だ。
 
この文科省官僚薬物事件ですぐに思い返されるのは、4月末、同じく自宅で覚醒剤を使用した罪などで逮捕、起訴された経済産業省の課長補佐・西田哲也被告の事件だろう。1カ月ほどの短期間に2人ものキャリア官僚が薬物で逮捕される。これは異常事態であり、霞が関を舞台にした“霞が関連続薬物事件”と言ってもいい。

しかも、2つの事件にはいくつもの共通項がある。経産省の西田被告もまた、若手キャリア官僚であり、経産省の机から注射器が発見され、省内のトイレや会議室でも使ったとされている。省庁をまたいで2人のキャリア官僚が経産省、そして文科省という役所のなかで覚醒剤を使用していたということであり、周囲の職員が2人の覚醒剤使用に気がついていた可能性も十分ある。いや、それどころか、霞が関全体に覚醒剤汚染が広がっているのではないかという疑いがもたれてもおかしくない状況だ。

にもかかわらず、連続して起こった霞が関を舞台にした深刻な官僚薬物事件をテレビ各局はストレートニュースや新聞記事紹介などで簡単に報じただけで、ワイドショーでもほとんど扱っていない。田口淳之介・小嶺麗奈の大麻事件やピエール瀧のコカイン事件では、毎日のように大特集を組み、芸能界の薬物蔓延や「六本木ルート」などと盛んに報道を繰り広げていたにもかかわらず、だ。同時期に川崎殺傷事件があったとはいえ、この報道の少なさは異常だ。

さらにおかしいのは、この事件について、テレビが経産省や文科省の対応や責任について触れていないことだ。

世耕弘成経産大臣は5月10日の閣議後会見で事件について問われたが、「誠に遺憾。引き続き捜査に最大限協力し、全容が解明されたら厳正に対処したい」と述べただけ。容疑者が「仕事のストレスから、覚醒剤に手を出した」という供述をしていることについては、「経産省として働き方改革を進め、職員の健康管理に努めている」、省内で覚醒剤を使用していた疑いについても、「捜査内容に関連するのでコメントは控えたい」としか答えなかった。なんとも他人事で無責任丸出しの対応だが、しかし、テレビはワイドショーでもニュース番組でも経産省の責任を厳しく追及するような報道は一切なし。この会見内容そのものを報じるメディアすらほとんどなかった。ピエール瀧のときにメンバーというだけで石野卓球を犯罪者扱いしたのとは、大違いだ。

石野卓球を批判したくせに、経産省・文科省の責任は追及しないメディア

一方、柴山昌彦文科大臣は5月29日、「再び行政に対する国民の信頼を失う事案を文科省職員が引き起こしたことを、おわび申し上げる」としたうえで、「全職員を対象に、公私を問わない悩みなどの相談を受ける体制の強化を行う」と事件の背景に職場ストレスの存在を明らかにしたが、やはりテレビはこうした事件の背景をスルーしたままだ。

いったいこの不自然さの原因はなんなのか。経産省の場合、本サイトですでに指摘したが、総務省のようにテレビ局の直接的な許認可権を握っているわけではないが、電力会社や自動車業界はじめ、テレビ局の大スポンサーの監督官庁でもある。以前、奥田碩・トヨタ自動車相談役(当時)が自ら座長を務める厚労行政改革の政府懇談会で、マスコミの厚労省批判に対して「何か報復でもしてやろうか」「スポンサーにならないとかね」と、自社の広告引き上げを示唆して恫喝したことがあった。このとき、テレビや新聞が奥田氏を批判するどころか、震え上がって沈黙してしまったのは有名な話だが、マスコミ幹部の間には、経産省についても同様の恐怖がある。

経産省を怒らせたら、スポンサー企業に手を回され、広告引き上げなどの報復を受けかねない──。現実に起こるかどうかは別して、そんな忖度が経産省批判を及び腰にさせているのだ。

しかも、経産省は安倍政権下で以前とは比べ物にならないくらい力をもつようになった省庁だ。側近中の側近である今井尚哉首相秘書官の出身官庁で、さまざまな政策で経産省の意向が最優先され、いまや「経産省が安倍政権をコントロールしている」とまで言われるようになった。

安倍政権への忖度で官僚の不祥事報道までタブー扱いに

文科省は経産省と比べれば、マスコミタブー度は低いかもしれないが、それでもこの報道ぶりを見ていると、現在の安倍政権下においては官僚の不祥事を批判することすらできなくなっているとしか思えない。言っておくが、これは単なる個人の犯罪で済まされるものではなく、経産省・文科省と短期間に連続で発覚し、いずれも職場=庁舎内での使用が疑われており、霞が関全体に広く薬物が蔓延している可能性も十分に考えられる。背景にある官僚の抱える過大なストレスやモラル低下など、官僚組織そのものが検証されるべき事案だろう。にも関わらずこの報道の異常な少なさを見ていると、メディアは少しでも安倍政権のマイナスになりそうなことはできれば触れたくないという忖度・自主規制・思考停止に陥っているとしか思えない。

大手事務所など後ろ盾を持たない芸能人や一般市民に対しては、恋愛スキャンダルやご近所トラブル程度でこれでもかとばかりにバッシングし、一方でキャリア官僚という公人の“連続薬物事件”という重大疑惑は申し訳程度にその事実を報じるだけ。ピエール瀧や田口・小嶺、ASKAの薬物事件でヒステリックに批判するなら、短期間に連続して発覚した連続薬物事件の背景や霞が関での蔓延の実態、その入手ルート、さらには安倍政権下で官僚が置かれたストレスなど検証されるべきことはいくらでもある。

行政を担う霞が関の官僚たちが売人の新たなターゲットになっているのなら、小嶺麗奈の“六本木ルート”なるものなどより、“霞が関ルート”の解明のほうがよほど重要だろうが、そうした報道はまったく見られない。官僚のブラック労働は古くから指摘されたことだが、それに加えここ数年の安倍政権下で官僚がさらなるストレスに晒されているのではないかということも議論すべきだと思うが、そうした話題も一切ない。電気グルーヴの作品の販売停止を声高に正当化しようとがなりたてていたコメンテーター連中は、経産省がかかわる大阪万博や文科省がかかわる東京五輪の返上、文科省検定の教科書の回収などをいつもの調子で叫んでみたらどうなのか。

ここ最近、官僚や元官僚の事件のマスコミの不公平な扱いに「上級国民」という陰謀論めいたスラングが広まっているが、こうした状況を見ていると、安倍政権の息がかかっているかどうかで国民が「上級」と「下級」に選別され、マスコミもそれに準じて報道を制御する。そんな差別的社会が、現実になろうとしているのかもしれない。しかし繰り返すが、“霞が関連続薬物事件”は、霞が関=官僚組織に何が起きているのか、それが検証されるべき重大なものだ。メディアはその重大性を認識するべきだろう。

(伊勢崎馨)








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