やくざ浜名による「木更津レイプ殺人」<本澤二郎の「日本の風景」(3342)
<現代日本で最も悲劇的な事件が「木更津レイプ殺人事件」>
人生は無情である。たとえそうだとしても、やくざに強姦されて、その後は性奴隷として働かされ、格子無き牢獄から決死で逃げ出そうとした途端「全部ばらしてやるッ」と長時間にわたる脅しの殺人的ドーカツ、遂に耐え切れずに突発性の大動脈りゅう破裂によって非業の死を遂げた木更津市のK・T子さんが、現代日本では、最悪の悲劇ではないだろうか。警察も議会・司法も助けることができなかったやくざ犯罪を、今もこの国の政治も言論界・社会も見向きもしないかのようである。
<注目される千葉県警・千葉県公安委員会>
女性が自立できない日本は、国家としても自立できない日本でもあることが、最近の米大統領の訪問でも証明されたばかりである。男尊女卑のこの悲惨な現実に、ようやく声を上げた強姦被害者が現れた。6月11日に東京駅前など全国的な運動が展開されたと、朝日新聞デジタルが報道した。
比例して「木更津レイプ殺人事件」捜査を、当局が本格化させるのかどうか、千葉県警・千葉県公安委員会の対応が注目されよう。
<なぜ起きたのか、なぜ110番通報できなかったのか>
強姦事件の多くは、強盗など凶悪犯人が、深夜に一人住まいの女性宅に忍び込んで、と想定しがちであるが、現実はそうした事例は少ない。ほとんどは顔見知りの犯行である。性凶悪犯罪の特徴である。
「木更津レイプ殺人事件」もそうだった。やくざ浜名の共犯者・吉田フミエというヘルパーが、散歩中のK・T子さんを捉まえて、JR巌根駅近くのデーサービス「かけはし」に誘いこんで、世紀の重大事件が起きたものである。
K・T子さんと吉田のワルも、やくざも、同じ創価学会員だった。ここに大きな落とし穴が存在した。吉田とのつながりがなければ、悲劇は起きなかった。美人栄養士は、今も元気に生きている。理由は、彼女の健康法は他の誰よりも優れて徹底していたのだから。
彼女は、女性最悪の事件に巻き込まれたものの、そこから決死の逃亡を試みる中で、やくざ浜名の恐怖のドーカツを受けてショック死したものである。
人生無情とは、K・T子さんのための言葉なのか。2014年4月28日、君津中央病院で呼吸が止まった。彼女の信仰は、同じ信仰するやくざ仲間によって封じ込められ、死を宣告された。これほどの人生無情が、ほかにあるだろうか。
創価学会は、この悲劇を傍観者としてやり過ごせるだろうか。公明党も、である。犯人逮捕に協力する倫理的義務を負っている。当然であろう。池田大作氏が健康であれば、適切な対応をしていたであろう。なぜなら彼女は、池田氏を通して、自己の信仰に絶対の自信をみなぎらせていたのだから。
<信仰・介護施設の傘で身を隠して美人栄養士に接近>
何度でも繰り返すべきだろうが、この悲惨すぎる事件は、信仰する世界での性凶悪事件である。やくざ強姦事件である。たとえ木更津市が「やくざの街」として、やくざと関係する議員や市長ばかりだとしても、憲法も国民もこれを容認しない。
近く危険極まりない輸送機・オスプレイが巌根の自衛隊基地に襲来するようだが、その結果、事故で市民が巻き込まれたとしても、K・T子さんのような悲劇は起きない。断言できる。なぜなら、この世で最悪の強姦殺人事件だからである。
犯人は、信仰と介護施設で身を隠して、K・T子さんに接近したものだ。さらに、もう一つが「大工仕事をする浜名」を売り込んできた。
彼女は、この罠にはまった。これまでは近くの親類の伊藤さんが、住宅の手入れをしてくれていた。不運は重なるものだ。当時、伊藤さんは鴨川市の亀田病院に入院していて動けなかった。
玄関の補修工事を浜名に依頼してしまった、まさかの大事件だった。やくざのデーサービスに連れ込んだ吉田の、強い勧めもあった。K・T子さんは、親切で安くしてくれるという浜名を信じ込んで、やくざ強姦魔を自宅に入れてしまった。
<「大工仕事を安くしてやるよ」と騙された美人栄養士の不運>
「安くするよ」「これは安いよ」という言葉ほど危険な言葉はない。しかし、庶民は、これを好む。年金生活者は余計、この言葉に飛びつく。
介護施設のオーナーで学会員の肩書に心を許してしまって、人生最悪の悲劇を誘い込んでしまった。
K・T子さんは年齢よりも、10歳も15歳も若かった。散歩は毎日欠かすことがなかった。早朝ヨガで体は、綿のように柔らかった。食事はプロである。味噌汁は1日いっぱい、そして玄米食である。野菜・ヨーグルト・バナナも。
合唱団にも入って、肺を強くしていた。大動脈溜など無縁だった。インフルエンザやがんの予防検診なども、これまた徹底して受けていた。
事件は2013年の夏に起きた。
<三本指と入れ墨と凶器に屈した美人栄養士>
この悲惨すぎる事件取材をしていて、一つだけ引っかかったことがある。なぜ警察に駆けこまなかったのか、という疑問である。試みに出会う女性に問いただしてみた。
地元の有名な美人の福祉事業をしている友人にも聞いてみた。「それは無理よ。一人では絶対にできない。もしも、親しい友人が一緒でないと、とても警察には行けない」と打ち明けてくれた。
強姦事件の特殊性なのだ。
しかも、浜名は入れ墨やくざである。指も詰めた三本指でもある。大工道具は、すべてが凶器となる。強姦の七つ道具には、その場面を撮影もするものもある。いまは携帯電話でも、簡単にできる。これこそが女性を永久に性奴隷にするやくざの武器なのだ。
覚せい剤常習者でもあるから、やくざにつかまった女性は、二度と太陽を拝むことなど出来ない。警察に駆けこむ勇気などあろうはずがないのである。覚せい剤の威力さえ知らない女性は多い。
<戦後70年を生きて迎えられなかった創価学会の戦争遺児>
美人薄命という。K・T子さんもこの運命から逃げることができなかった。
彼女の父親は、木更津市の畑沢の出身である。彫刻家を目指していたが、国家神道の罠から逃げ出すことはできなかった。敗戦直前に日本軍の輸送船とともに太平洋に沈んでしまった。その時、娘は母親のおなかにいた。
戦争未亡人は、帰らぬ夫を待ち続けた。岸壁の母を演じた。「もう遅いから、帰ろう」と幼子の手を引くと、娘は「おかあちゃん、まだ帰りたくない。お父ちゃんが帰るまで待とうよ」といって戦争未亡人を泣かせた。
「岸壁の母」をカラオケで聞いたことがあるが、まさかK・T子さんの母親も、その一人だったことを知らなかった。
彼女は、戦後50年に南京と盧溝橋への平和行脚を計画すると、率先して参加してくれた。理由は、父親の最初の兵役の場所が大陸だったためだ。50年ぶりに父との再会を夢見ての、南京・盧溝橋の旅だったのかもしれない。
帰国後に「南京に立つ」という冊子を作製したが、確かめると、彼女はそのことを書いていたのである。
彼女は、戦後70年を生きて迎えることができなかった。
この悲惨極まりない事件を独り占めにすることは、大罪であろう。すでに月刊誌「財界にっぽん」に20回連載した。ネットと雑誌の世界で、この悲劇は公開されている。浜名を極刑にするまで、わがペンが折れることはない。
<隠す逃げる?創価学会公明党>
彼女の次なる悲劇は、彼女が尊敬した池田大作氏が現場から姿を消してしまったことである。同氏の後継者が現れることがあれば、必ずやK・T子さんに両手を合わせるだろう。
事件捜査に協力するはずである。繰り返すが、この悲劇と創価学会公明党は、真正面から向き合う道義的責任を負っている。千葉県警は総力を挙げて、浜名を極刑にする法的義務を負っている。
強姦事件は、TBS山口強姦魔の被害者・伊藤詩織さんの勇気が、日本列島の女性を覚醒・点火している。彼女が幸運なことは、生きていることである。国際社会も認知してくれたことだ。極め付きの男尊女卑の日本・レイプ文化の日本を封じ込める運動の一翼に、泉下のK・T子さんも決起していることを、この機会に報告しようと思う。
2019年6月12日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)