観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・17/27
一、丗三の釋の事。三聖六天小王四性四部四姓女童男女八部金剛神也。三の聖とは佛身・声聞身・縁覚身也。初に佛の事両巻の疏に云、先ず佛を明かすは應佛とやせん化佛とやせん、但し聖人物に逗するに具に二義あり。若し一時に忽ちにあるを名けて化と為し、始終に應同するを名けて應と為す。此の文を尋が為に應の義を明かす。機縁の宜しきに随って應化身を現ずること不定なり . . . 本文を読む
宮澤トシは1922年(大正11年)11月27日24歳で逝去しています。
「永訣の朝」(宮沢賢治)
「けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
(あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜のもやうのついた
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「(日本霊異記)卅四、怨病忽ち身に嬰かかり、之に因りて受戒行善して以って現に病を愈すことを得る緣」
「巨勢呰女(こせのあさめ)者,紀伊國名草郡埴生里之女也。以天平寶字五年761辛丑、怨病身に嬰(かか)り,頸に癭肉疽を生じ、大苽の如し。痛苦切るが如くにして歷年不愈。自ら謂へらく、「宿業の招く所ならむ,但だ現報にみには非じ、滅罪し病を差(いや)すよりは,善を行はむには如かじ。」と。剃髮受戒し袈裟を著 . . . 本文を読む
日本紀略 / 応和二年(962)十一月廿七日辛未条
「廿七日辛未 (中略) 今日 綿調布等を以て東西京(の困窮民)に賑給す」
天皇は村上天皇。『後撰和歌集』の編纂、『清涼記』の著者とも、平安文化を開花させ「天暦の治」として後世景仰される。この「天暦の治」もこうした天皇の貧民へ賑給する等の陰徳あって花開いたといえましょう。 . . . 本文を読む
「本朝皇胤紹運録」(第九十九代後亀山天皇)「応永四年(1397)十一月二十七日尊号および兵仗を辞退、その後御出家、法名金剛心」
後亀山天皇は第九十九代・南朝第四代。南朝最後の天皇。後村上天皇(第97代天皇南朝第2代天皇)の皇子。在位1383〜1392。足利義満に応じ、神器を北朝の後小松天皇に伝えて譲位、南北朝合一。 . . . 本文を読む