今日は後柏原天皇が般若心経を写経された日後柏原天皇は先代後土御門天皇の息。当時、応仁の乱により朝廷の財政は厳しく後土御門帝は譲位もできなかった。後土御門天皇が亡くなると、後柏原天皇が位を嗣ぐ。第104代。即位の礼もしばらくできなかったが帝は朝廷儀式復活に努められた。そして庶民を悪疫の流行から守るため、般若心経を延暦寺と仁和寺に納められました。この 後柏原天皇御宸翰般若心経奥書は国重要文化財です。「 . . . 本文を読む
今日は奈良・談山神社例大祭の日です。神社のホームページには「例大祭の行われる11月17日は御祭神・藤原鎌足公の命日にあたり、談山神社にとって最も意義深い祭です。当日は南都楽所(なんとがくそ)によって、本殿石の間で舞楽が奉納されます。」とあり、「多武峰略記」には談山神社ご祭神について、「右当寺地主者、藤門氏祖大織冠聖霊也、右尊廟本地者浄名大士(維摩居士)是也、浄名本地者金粟如来是也」とあります。ご祭 . . . 本文を読む
第百四代後柏原天皇は疫病平癒の為般若心経を宸筆され国の重要文化財となっています。
応仁の乱により、公卿は地方に離散し、朝廷の財政は窮乏し、天皇の権威も地に落ちた時代だった。後柏原天皇は応仁の乱や疾病に苦しむ民を思い続けられました。仏教に帰依し、大永五年(1525年)の疱瘡大流行時には自ら筆をとって「般若心経」を延暦寺と仁和寺に奉納。詩歌管弦、書道に長けていたといわ . . . 本文を読む
観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・7/27
七、涅槃普門勝劣の事
此の品(普門品)の勝たる事をいはば、昔大唐に岐州といふ國(南北朝時代から唐代にかけて、現在の陝西省宝鶏市一帯に設置されていた)に二人の僧あり。一人は常に涅槃経を信じ読むなり。又一人は普門品を信じて読むなり。此の二人ともに死して焰魔王廳にをもむくなり。而るに閻魔王は銀の高座をかざり上に寶の天蓋をつり、是れは涅槃経を讀みたる僧 . . . 本文を読む
二宮金次郎は安政3年10月20日(1856年11月17日)日光仕法の途中70歳で下野国今市村の報徳役所にて没しています。
金次郎の言葉で最も印象に残るのは「わが道はまず心田の荒蕪を開くのを先務としなければならぬ」(二宮翁夜話)です。
心田という言葉は仏典に多く出てきます。例えば
・「華厳経・入法界品第三十九之十八」「善財、衆生を見るに 心田甚だ荒穢、三毒の刺を除んが為に 專ら . . . 本文を読む
八幡様の名は八正道を示している
「八幡と申す名は、御託宣に「得道より来(このか)た法性を動ぜず、八正道を示して権迹を垂る。皆苦の衆生を解脱するを得たり。故に八幡大菩薩と號す」とあり(「八幡愚童訓巻下仏法事」に「得道より来、法性を動かさず。八正道を示し、権迹を垂る。皆苦の衆生を解脱するを得、故に八幡大菩薩と号く」)。八正とは内典に正見。正思惟。正語。正業。正命。正精進。正定。正慧是を八正道と云ふ( . . . 本文を読む
仏の身はさとりであるから永遠の存在であってこわれることがない。食物によって保たれる肉体ではなく、智慧より成る堅固な身であるから、恐れもなく、病もなく、永遠不変である。だから仏は永遠に滅びない。さとりが滅びない限り滅びることはない。このさとりが智慧の光となって現れ、この光が人を覚らせ、仏の国に生まれさせる。この道理を覚ったものは仏の子となり、仏の教えを受持し、仏の教えを守って後世に伝える。まことに仏 . . . 本文を読む