観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・14/27
十四、 煩悩即菩提の事。無碍講衆の事。
衆生一心がひがめば煩悩といはれ、此の一心をひるがへして正路に向へば菩提の智恵なり。故に煩悩も菩提も共に一心の功能なり。之に依りて恵心の往生要集には花のたとへ取りて釈せり。一の木に花開く秋は菓をむすぶなり。花と云も菓と云もただ是一本の木の徳義なり。今煩悩、菩提と云ふも此の如く一心が . . . 本文を読む
以下「明治の仏教者」の趣旨によります。「渡辺全愚は明治初期の最も禅僧らしい禅僧といわれた。20歳のころ美濃の国から易学を志して京にのぼる。西本願寺前で伽藍が立派すぎるとして唾棄して立ち去った。比叡山で滝行した時、観世門菩薩の霊夢をみて仏法に志した。美濃の龍福寺万寧和尚下で得度、号を全愚としする。その後久留米梅林寺羅山和尚のもとで印可、伊深の正眼寺で雪潭に参ず。美濃の佐野に栄昌院を建立、その後全生庵 . . . 本文を読む
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満済准后日記 / 永享三年(1431)十一月廿四日条
「廿四日 幕府 不動護摩ヲ三宝院ニ修シテ (三宝院門跡・醍醐寺第座主の満済が)変異ヲ祈禳ス」
天皇は後花園天皇。室町幕府は足利義教。
醍醐三宝院満済は義満・義持・義教が帰依 . . . 本文を読む
・宝亀四年773十一月二十四日は良弁僧正の遷化された日。八十四歳。続日本紀に「宝亀四年十一月甲子。僧正良弁卒。遣使弔之。」良弁は日本華厳宗第二祖。近江または相模の人。金鐘行者。義淵に法相を、新羅僧審祥に華厳を学び、東大寺建立に尽力、初代別当。のち僧正。幼少期鷲にさらわれ義淵拾われたとか様々の伝説に富む。なお東大寺では毎年12月16日に良弁忌を行っている。 . . . 本文を読む
今日は天台大師智顗ご入滅の日です。天台大師智顗は開皇17年(597)11月24日未時天台山西門の石城寺(新昌大仏寺)にて 享年60歳で入滅されています。延暦寺で、天台大師智顗(ちぎ)の忌日(11月24日)を中心として行う法華十講の法会を霜月会といいます。天台大師智顗microについて . . . 本文を読む
天長三年十一月二十四日、大師は東寺の五重塔建立に着手されました。大師53歳の御時です。「東寺の塔を造り奉る材木を曳き運ぶ勧進の表」です。これによると「塔を建て憧を建つるは福徳無尽なり」と仰せられています。いまでもおおくの塔が建立される所以です。東寺は桓武天皇の御願であり、歴代四代を経ても完成せず大師自ら工事現場の総監督としてあたられていました。大塔の完成をするべく諸子百官に力を合わせ、材木を東山よ . . . 本文を読む
密教大辞典に「良恵、1192~1268。東寺長者。一に上乗院大僧正と称し九条摂政関白太政大臣兼実の息なり。承元四年三月二十三日に仁和寺観音院において道法親王に両部大法を受け、上乗院に住す。・・仁治元年六月大僧正、九月東寺長者法務。仁治二年六月請雨のため東寺灌頂院において孔雀経法を修し賞を蒙る・・寛治元年六月再び灌頂院に請雨して賞を賜ひ・・文永五年十一月二十四日寂。壽七十七。・・」 . . . 本文を読む
密教大辞典には「良恵、1192~1268。東寺長者。一に上乗院大僧正と称し九条摂政関白太政大臣兼実の息なり。承元四年三月二十三日に仁和寺観音院において道法親王に両部大法を受け、上乗院に住す。・・仁治元年六月大僧正、九月東寺長者法務。仁治二年六月請雨のため東寺灌頂院において孔雀経法を修し賞を蒙る・・寛治元年六月再び灌頂院に請雨して賞を賜ひ・・文永五年十一月二十四日寂。壽七十七。・・」 . . . 本文を読む