福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

浄土教と密教(栂尾祥雲)

2014-10-14 | 法話
浄土教と密教(栂尾祥雲)
薬師の浄土とか阿閦の浄土とか、弥勒の浄土とか、いふようにすべての浄土を欣求する宗教が浄土教であるとするとその範囲はきわめて広漠である。しかしいまここで浄土教といふのは、主として、阿弥陀如来の西方極楽浄土に願生せんとする宗教を指し、融通念仏宗や浄土宗や浄土真宗をいふのである。

なぜにこれらの浄土教が他の浄土よりも特に西方極楽浄土を強調するかといふと、この極楽世界の教主たる阿弥陀如来の願力が殊に広大にして摂取の力勝れ五濁悪世に生まれたる末法の衆生にもこの浄土がもっとも親しく、最も往生しやすきがゆえであるといふ。

密教においてもこの西方極楽浄土を説かぬではないが、それは大日如来の蓮華蔵世界の外にあるのではなく、かの「秘蔵記」に「この蓮華世界には最上の妙薬この中にあるが故に、極楽といふ」とあるがごとくに、極楽世界といふも、蓮華世界といふも、異名同体にすぎぬとするのである。西方といひ、十万億土といふも、「五転」(発心、修行、菩提、涅槃、方便を東南西北中央に配すること)のなかの証菩提とか、「四種法」(息災、増益、敬愛、降伏を東南西北に配すること)のなかの敬愛とか、十万億土の功徳に荘厳せらるる国土ちおか、いふことを示す標識にほかならないので、要はこれを観念、もしくは観照の世界としてかの浄土教のごとくに西方十万億土の彼方に実在する世界とせざるところに密教の特質がある。

元来この浄土思想なるものは、小乗仏教にはなく、専ら大乗仏教の中にのみ、発生したものであるが、菩薩が自らの修行によりて、成仏の可能性を信ずるとともに、成仏の暁にはかくかくの理想国家を建設し、其の中に一切衆生を完成せんとする、いはゆる、浄佛国土成就衆生の誓願にもとずき、種々さまざまの仏が種々様々の方角に、種々様々な浄土を建設せんとする思想が、種々様々な経典に説かれているのである。しかも、この理想国家を実現せんとする欲求が熾烈に成ればなるほど、将来に理想国家を建設せんとする思想はここに一転して、種々様々な仏がすでに成道して現に種々の浄土を実現し、各々に一切衆生を引摂しているとの思想になり、一切衆生はここに願生せんとする、いはゆる浄土思想を生起するに至ったのである。

さればこの浄土思想を大別すると、自ら将に浄土を建設せんとする、いはゆる浄佛国土の思想と、己に他によりて建設せられたる浄土に願生せんとする、浄土往生のそれとになるのである。その中、密教の浄土観は前者に属し、浄土教のそれは後者に属するといってよいのである。(続)
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