クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

2008年鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷの旅 Vol.1(その3)

2008-10-30 19:38:12 | 中央本線

青柳から435Mにて6分下り、茅野駅に到着しました。標高は790mです。珍しい発メロが使用されているので、到着後すぐには改札を出ずに、後続の特急列車の発着を利用して1本録音していきます。接近表示機から鳴りますが、音量が大です。



12時8分頃に改札を出ました。昭和61年3月改築の橋上駅舎で、改札、窓口、駅そば、KIOSKとも2Fにあります。1Fはトイレと駐在所です。ペデストリアンデッキを介して向かいのデパート・ベルビアと繋がっており、その1Fにある蕎麦屋で昼食にしました。



昼食を終え、3番線の発メロを録音しようと、少し早めに改札をくぐりました。すると、偶然にも1番線に「ゆう」が入線し、間もなく発車してきました。申し遅れましたが、茅野駅の構内は2面3線で、少なからず当駅止まりの列車も存在します。


「仕業」を終え、12時51分発の437M(115系C11編成)で茅野を後にしました。可也の乗客が並んでいましたが、就活中の女子大生と相席して、長門牧場のソフトクリームを召し上がりながら次の下車駅へ進みます。



塩嶺トンネルを抜け、13時13分にみどり湖駅に到着です。これは下り線の入口です。昭和58年7月に塩嶺トンネルの開通に伴って開業した駅で、駅舎というものは存在しません。



上り線の入口にやってきました。駅名を示す看板がある他は、下り線と同様です。周辺は新興住宅地で、保育園もあります。



みどり湖駅の構内は対面式ホームです。「あずさ」通過時を狙って撮影しました。尚、トイレは駅構内ではなく利用者駐車場にあります。



利用者用駐車場に掲げられていた看板です。ここは峰原地区といい、峯畑北遺跡と剣ノ宮遺跡という大きな遺跡があったそうです。平成10年に宅地開発が行なわれる前に発掘調査を行なった結果、旧石器時代から縄文時代、弥生時代を経て平安、鎌倉の長期にわたって人々の生活が繰り広げられ、特に縄文時代や平安時代にはこの地域の拠点だったことがわかっています。


みどり湖までは徒歩20分くらいですが、構内撮影などに大分時間を取られたので、散策は田川付近の水田までにし、14時3分発の1539M(115系N14編成)に乗車して本日の中央線駅巡りは終了です。みどり湖駅にゴミ箱は無かったので、松本停車中に捨てました。明科で交換列車が遅れた関係で、終点・長野には3分遅れの15時48分に到着しました。



長野到着後、おやきを3個購入し、16時11分発の信越本線351M(115系N11編成)に乗り継ぎ。このまま直江津、長岡で其々2分乗り継ぎに成功すれば、新津には20時24分に帰還できるはずです。



このままでは終わりたくないので、平成20年2月27日に橋上駅舎化された豊野駅に途中下車。中央本線の駅ではないですが、掲載お許し下さい。構内は2面3線+中線数本ですが、駅舎の規模の割には本数がいまひとつという印象です。



西口には、島崎藤村『破戒』の一節が記された石碑がありました。



20分の滞在の後、16時46分発の141Dにて飯山線を走破します。当初は「キハ110-231+キハ110-225」の2両編成でしたが、戸狩野沢温泉にて後ろ1両が切り離されて単行に。19時31分に越後川口に到着し、6分後の上越線1749M(115系N4編成)に乗り継ぎました。


定刻20時に長岡駅3番線に到着したものの、トワライの遅延の関係で2番線には列車が入線せず。信越本線459M(115系L3編成+N27編成)は20時2分頃に入線し、長岡を発車したのは4分遅れの20時6分でした。驚異的な回復運転もあり、新津には定刻20時57分に帰還しました。


2008年鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷの旅 Vol.1   おわり

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログランキング