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わたらせ渓谷鐡道開業30周年キネン乗り継ぎ・後編(その4)

2020-05-11 17:32:00 | 首都圏地区

旧花輪小学校記念館に行く前にニュースをお伝えします。JR東日本横浜支社は今日、新型コロナウイルス感染症拡大の影響を鑑みて、6月29日に予定していた「伊豆クレイル」のラストランを中止すると発表しました。「伊豆クレイル」は3月29日の運転が事実上のラストランだったのです。これは、同日に予定されている「リゾートみのり」のラストランにも大きな影響を与えよう。



さて、本題に。花輪駅を出て4分で旧花輪小学校記念館に到着。正面口が分からずに裏口から入ることに。昭和6年に落成された木造校舎です。



まず目に入ってきたのが校章。平成13年3月に廃校となりました。



平成13年11月に登録有形文化財に指定されました。平成15年7月に旧花輪小学校記念館として開館しています。



最初に入った展示室は、上毛紙上写真展おびただしい数の写真に圧倒されました。




木張りの廊下も見物です。連日、小学生の雑巾がけ競争が行われていたことでしょう。



2年の教室に入ってまず目にしたのは今井嘉一郎のコーナー。今井嘉一郎は1867年生まれ。1881年に花輪小学校を卒業し、前橋中学校(中退)、独逸協会学校を経て帝国工科学校を出ました。八幡製鉄所に勤めた後に日本鋼管を設立し、近代産業の父となりました。



今井嘉一郎は、花輪小学校の改築に大きく尽力しました。1万円を寄付して落成させ、昭和11年10月に寿像の除幕式を迎えました。



続いて紹介されているのは石原和三郎。1865年10月12日生まれ。1873年に花輪学校に入学し、1885年より花輪小学校に勤務。1887年に群馬県尋常小学校に入学。1891年に花輪小学校の校長に。1896年に東京高等師範学校付属小学校小学校教導に。その後の1900年に富山房に入社し、坪内雄蔵の「小学国語読本」に関係し、後に「童謡の父」といわれるまでになりました。1922年に没。



石原和三郎は「うさぎとかめ」の他、「はなさかじじい」「金太郎」「大黒様」など多くの寓話を生み出しました。とりわけ、「うさぎとかめ」は有名な処世訓にもなってます。



2Fに上がると教室が再現鐘とか算数の教材とか教壇とか黒板とか。



廊下には国鉄足尾線の資料室。小中駅の国鉄時代の駅名標が



教室に入ると、神戸駅の旧駅名時代が再現「神戸駅」はもと「神土駅」でした。



時刻表を。国鉄足尾線時代は1日8往復(神戸止まり1本を含む)でした。



正面から出ると、二宮金次郎像が駅に戻る途中、どこからともなくカンカンカンカン


つづく

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