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石打駅が来月から無人駅に

2020-09-28 17:40:47 | 新潟の鉄道(駅舎関係)

 昨日、新型コロナの影響でラストランが中止されていた「リゾートうみねこ」が、一昨日、昨日と地元民のために臨時運行してくれました。これが「リゾートうみねこ」の正真正銘のラストランだったでしょう。
 それはさておき。これから紹介するのは上越線の石打駅です。 石打駅は、越後湯沢から長岡方面に一駅戻ったところにある上越線の駅です。1968年9月に大きなコンクリ駅舎に改築され、往時には多くのスキーヤーで賑わい、当駅発着の臨時列車まで設定されました。しかし、スキーブームは去り利用者もほぼ地元民だけになり、昨年3月末には「みどりの窓口」が廃止されました。その後、係員による案内となっていましたが、今月末をもって完全に無人化されることになりました。
 それでは、最近の石打駅にまいりましょう。取材日は2020年9月22日(火)でした。



石打駅には1737Mでアプローチ。島式ホーム1面2線+車庫の構内です。



その横には線路が剥がされた1番線の跡が嘗ての栄華を物語っています。



地下道を下りました。1番線への階段は、未だに残されているものの閉鎖されています。



では、駅舎の中へ。教室のように部屋が並ぶ廊下に何だか違和感を感じます。



「改札口」へ。窓口のようなものは既に閉鎖されてました自動券売機は10月以降も存続です。



その左手には12人分のベンチのある待合室が。海里などのパンフも揃っています



その上には、上越線の建設に尽力した岡村貢のコーナーが



そして、窓側には3人分のベンチと畳の間が。



その上には上関保育所の園児のつくったちぎり絵が



それでは駅舎撮影。岡村貢の顔を立てたような、2階建ての駅舎です。トイレは長岡方に。



その越後湯沢方には岡村貢の銅像が。岡村貢は1836年生まれ。1880年に代議士に当選。1900年に上越鉄道株式会社を設立。資金不足のため後に解散しましたが、彼は「上越線の父」と呼ばれるようになりました。1922年に没。



で、その隣には意味ありげな建物が。何かの跡に違いありません。



駅前の様子。閉店して久しい駅弁・お土産屋さんが。ゴンドラが異様です



その隣の民家では時代を感じさせる看板が「ゆけむり 指定席」のサボも



駅前の県道267号を下りていくと県道28号に突き当たり市街地に出ました。駅から8分ほどで伍社八幡宮に到着しました。


 石打駅の「いま」は以上です。今回訪問した限りでは、係員の姿はおらず、事実上の無人駅状態となっていました。現在ある駅舎とのギャップに驚かずにはいられませんでした。もし上越線の栄華を感じたいのであれば、この駅を訪問することをおすすめします。もし改築されるのであれば、次は簡易駅舎となるでしょう。
 来月からは、石打駅でのワンマン列車の乗り降り方法が変わります。八色駅など他の無人駅と同様、先頭車両の後乗り前降りになります。今頃はきっと、乗車位置の案内が掲出されていることでしょう。
 次は、羽越本線の気動車についてお伝えします。


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