小野田線駅巡りの前にニュースをお伝えします。JR東日本盛岡支社は昨日、土砂流入の影響で不通となっていた山田線の上米内ー川内間について、来る11月5日に運転再開することを明らかにしました。これは、法面が安定したことによるものです。これにより「106急行」による代行措置は終了となりますが、快速リアスが運転再開して三陸鉄道へのアプローチが少しは便利になるかと思うと何だかほっとしました。
さて、本題に。居能駅18時ちょうど発の1237M(123系U15編成)で小野田線駅巡りを開始。
雀田駅に着くまでの間、小野田線の概要を紹介します。小野田線は、居能と小野田を結ぶ全長11.6km、駅数7の「本線」と、雀田と長門本山を結ぶ全長2.3km、駅数2の「支線」からなっています。小野田~小野田港間が1915年11月に小野田軽便鉄道(後の小野田鉄道)の手により開通し、宇部新川~長門本山が1929年5月に宇部軽便鉄道(後の宇部鉄道)の手により開通し、1947年10月1日に小野田港~雀田間が繋がり、1952年の宇部線の移設で現在の形になりました。1963年10月1日に雀田~長門本山間にて、1986年3月3日に居能~小野田間にて貨物輸送が廃止されて今に至っています。尚、車両については123系が主力であり、105系がサポートに回る形態となっています。
妻崎駅にてすし詰めの1236Mと交換した関係で、3分遅れの18時12分に雀田駅に到着。それでも、難なく長門本山行きの1325M(123系U18編成)に乗り継げました。乗客は、女性2人を除いてあとは「同業者」。
2分遅れの18時19分に長門本山駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
それでは駅舎撮影。典型的な吹きさらしの待合所です。
では駅舎の中へ。利用者数がたかが知れているとはいえ、長椅子が設置されています。当然ながら何もありません。
右手にはトイレのような建物が。しかしながら、閉鎖されてベニヤ板で打ち塞がれているのです
滞在時間は18分。「同業者」達にとっては格好の撮影タイム。クモハ123系が周囲の風景にマッチするさまは、まさに「長門本山」を象徴するシーンです。
私は、2002年2月に「クモハ42001」に乗車して長門本山駅を訪問したことがあります。その当時、この案内板にはクモハ42形の諸元などが紹介されていました。そのクモハ42形が2003年3月に運用を離脱して早14年、この案内板は本山地区の観光マップに変わっていました
折角なので周辺散策。車止めから行きつく先は本山ドリーム体育館。夏祭りのようなものが行われていました。
海岸線の方へ。しかしながら、今や太陽光パネルの山、山、山。
18時37分発の1240M(123系U18編成)で雀田方面へ。6名ほどいた乗客は全て「同業者」。
18時40分に浜河内駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
それでは駅舎撮影。トタン板の吹きさらしの待合所です。トイレはありません。2002年2月に降り立った時とは、「浜河内駅」の字体が変わっていました。
駅舎の中を。推定3~4人座れる長椅子があるだけです。利用者数が極めて少ないとはいえ、ゴミ箱があるのは有難い限りです。
時刻表を。7時台に2往復、18時台に1往復だけです。いま見送った1240Mが終電だったのです!
つづく
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