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クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

奥羽線天童南駅 開業初日レポート

2015-03-15 09:03:02 | 奥羽本線

 昨日のダイヤ改正の目玉は何と言っても北陸新幹線の開業でしたが、在来線でも天童南、高田高校前、新白島の3駅が開業しました。一日遅れのレポートとなりますが、天童南駅の開業初日のレポートを紹介します。まさか秘境駅ではないでしょうが、果たしてどんな駅なのでしょうか。



天童南駅へは1435Mでアプローチ。片面ホーム1面のみの構内です。おびただしい数のティーネイジャーが下車していきました。



それでは駅舎撮影。白を基調とし、茶色がアクセントとなっています。待合室を通らずにホームに出れる構造になっています。



待合室の内部を。10人分座れるベンチが設えられ、自動券売機も設けられています。この日は出動していましたが、通常は駅員は配置されておりません。



トイレといえば、新庄方にある茶色い建物です。側面は白です。



時刻表を。上り18本、下り19本です。1時間以上空く時間帯があるので、待合室には人が溜まりそうですね。



それでは周辺散策。といっても、数分歩けばイオンモールがこれこそ天童南駅の最大のヒミツなのです。



訪問時は開業記念セレモニーが終了したところで、待合室で大洋盛を飲みながら歓迎塔の撤去作業を見守りました。



鉄骨の撤去が終わり、駅舎が綺麗な姿を現しました!尚、駅前のベンチは立ち入り禁止でした。



最後に駅裏の風景を。団地になっています。奥羽山脈に面しているので、晴れたら景色がよさそうですね。


 天童南駅の初日レポートは以上です。白新線の西新発田駅と同様にイオンモールが至近距離にある駅ということが分かり、なぜこの時期に天童南駅が設置されたのかをつくづく考えさせられました。これから新設されるJR駅は、新幹線駅とか接続駅とかでなければ、高校の前かショッピングモールの前とか何らかの需要が見込めるケースしかないですね。


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北越・はくたか ついに終焉

2015-03-13 19:50:28 | 北陸線

 1978年10月から日本海縦貫線の485系特急の座を守り続けた特急北越号。そして、1997年3月よりほくほく線を高速進行で越後湯沢と北陸を結び続けてきた特急はくたか号。北陸新幹線開業により本日を以て運転終了となりました。私は日本海縦貫線の特急列車に思いを馳せてきた鉄道愛好家の一人ですが、ついにこの日を迎えたと思うとにわかに実感が湧きません。
 それでは、2015年の特急はくたか号と2015年3月分の特急北越号のシーンを公開します。



まずは、2015年1月10日の越後湯沢駅での「はくたか2号」から。後ろ3両は681系N11編成でした。



前6両は683系N03編成でした。1726M(115系N14編成)と微妙に被っていますが。



N03編成とN11編成の連結面。両方とも北越急行車(スノラビ)ということで、北越急行のマークの組み合わせが圧巻でした



八高線駅巡りから帰り、再び越後湯沢駅にて「はくたか22号」を。後ろ3両は681系W12編成でした。



で、前6両は681系W02編成でした。1749M(115系L4編成)と並びました



「はくたか22号」の行先表示。681系の「はくたか 金沢」も明日からは記憶の彼方に。



2015年3月8日。再び越後湯沢駅にて「はくたか22号」を。後ろ3両は683系N13編成でした。



前6両は681系W01編成でした。この越後湯沢駅の乗車位置表示も「はくたか 越後湯沢」も、明日からは思い出の風景に。



最前部へ。W01編成が湘南色の115系L9編成と並びました



W01編成のロゴは消され、帯もしらさぎ仕様となりました。


続いて、2015年3月1日から最終日までの「北越」を御覧下さい。特記以外は新潟駅での撮影です。



2015年3月1日。「北越2号」はR22編成でした。8番線で出発待機中。



毎度お馴染みの記録となりますが「北越4号」を。R25編成でした。



9番線に移動して「北越1号」を。R27編成でした。この時はじっくり撮れましたが。



2015年3月2日。「北越5号」はR25編成でした。2238Dである赤い国鉄型気動車と並べて



2015年3月3日。「北越10号」はR23編成でした。



2015年3月4日。「北越10号」はR21編成でした。



2015年3月5日。「北越10号」はK1編成でした。他の編成とは人気が全然違います。



2015年3月6日。「北越10号」はR22編成でした。



2015年3月7日。「北越2号」はR25編成でした。「北越」にとって最後の週末ということもあり、新津駅にも可也の数の撮り鉄が。



北越ウォッチングの定番となりつつありますが「北越4号」を。R21編成でした。



2015年3月9日。「北越5号」はR23編成でした。2238Dである1次新潟色の国鉄型気動車と並べて



3月10日、11日と爆弾低気圧の影響で撮影出来ず。で、3月12日の「北越10号」はR23編成でした。あと1日ということで撮影者は数あまた。



いよいよ最終日を迎えました。トップバッターの「北越2号」はR22編成でした。「北越」の入る時には必ずガードマンが出動してました。



ついでに撮影した行先表示。明日からは望郷の彼方に行くのがにわかに信じられません。



しばし時間をおいて「北越4号」を。「おはよう信越」の折り返しのR21編成でした。外板の状態が酷いです。



9番線にて「北越1号」を。R25編成でした。7、8分遅れて到着しました。



お昼を過ぎて「北越6号」を。「北越1号」の折り返しのR25編成でした。



一旦家に帰り、再び新津駅で「北越8号」を。R23編成でした。



「くびき野4号」の時からはギャラリーは凄まじい数の撮り鉄が。いよいよ上りの大トリです。「北越10号」は運用則通りにR22編成が充当されました。「北越」の最後らしく涙雨



最後に乗車位置表示を。幾度となく見てきましたが、本日を以て取り外されます。


 「北越」「はくたか」のラストは以上です。私が中学生の頃は国鉄の485系に乗って遠くに出かけるのが一種の憧れであり、「特急列車=485系」でした。以降、485系は私の鉄活動の中心に据えられており、485系は私にとって青春そのものでした。今日、日本海縦貫線から485系の特急が消えると言いうことで、一つの時代の終わりを感じさせずにはいられません。485系の特急列車の本当の最後は、北海道新幹線の開業で「白鳥」が廃止される時です。
 で、「北越8号」「北越10号」になった編成の返却回送は何時に行われるのでしょうか?そして、明日の8361Mには何が入るのでしょうか?
 当ブログでは私が撮影した「北越」の全てをUPし終えていません。2014年11月以降の「北越」は機会を見つけてUPします。


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アーカイブ 1年前の北越・はくたか

2015-03-11 21:47:30 | 北陸線

 3月8日に越後湯沢駅に「はくたか22号」を見に行ったところ、683系N13編成と手を組んでいた681系W01編成がしらさぎ帯になっており、ロゴも消されていました。「はくたか」の終焉を迎えるに当たり、既に「しらさぎ」などへの転用の準備が進んでいるのがうかがえます。
 それでは、昨年の「はくたか」「北越」の模様を見てみましょう。



まずは、2014年2月1日の直江津駅での「はくたか」から。まずは、「はくたか5号」を。前3両は681系N11編成でした。



後ろ6両は681系N01編成でした。両方とも「スノラビ」で、北越急行車のみの赤い編成でした。



続いて「はくたか10号」を。681系N02編成でした。「はくたか」廃止後はJR西日本に譲渡され、色も塗り替えられることになっています。



「はくたか10号」は6両編成なので、片一方は貫通扉があります。北越急行のマークが印象的でした。



最後に「はくたか13号」を。前3両は681系W12編成でした。



後ろ6両は681系W04編成でした。あの頃は直江津駅で681系が普通に見れたものです。


続きまして、2014年3月分の「北越」を御覧下さい。特記以外は新潟駅での撮影です。



2014年3月2日。「北越4号」はR27編成でした。入線するところを白新線633MのE127系V10編成と並べました



2014年3月4日。「北越10号」は国鉄色のT18編成でした



2014年3月8日。亀田駅で「北越」を狙いました。で、「北越1号」は今は亡きT12編成でした。



で、「北越4号」は、国鉄色のT18編成でした。この時間に485系が見れるのは今度の金曜が最後です。



2014年3月9日。この日も亀田駅で撮影。「北越2号」はR21編成でした。



新潟駅に行って「北越4号」と633Mとの並びを。幕回しで「いなほ」になっていましたが、今は亡きK2編成がE127系V4編成と並びました



2014年3月22日。「北越4号」はR26編成でした。例によって、白新線633M(E127系V10編成)と並べて


 1年前の「北越」「はくたか」は以上です。上沼垂色の485系やK2編成に懐かしさを覚えた方もおられてのでしょう。
 さて、今日は言うまでもなく「3.11」です。4年前のあの日、東北地方太平洋岸は大津波の襲われ、福島第一原発では未曾有の原発事故が発生しました。被災地の復興は道半ばで、帰還を諦めて避難先で定住する被災者もおられます。で、東北地方太平洋沖地震が発生した日は、「485系雷鳥」の最終日でもありました。幸運にも指定席をゲットしてお名残乗車をしたり、沿線の駅で撮影された方もありましたが、このことは殆どニュースになりませんでした。我々がこうして鉄道趣味に没頭できるのも、この世の中が平穏であってこそです。


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弥彦線Y編成の記憶

2015-03-09 22:03:36 | 新潟の鉄道

 現在、新潟は115系電車の王国と言われていますが、弥彦線には恐ろしく古い115系が走っています。黄色に緑の帯のワンマン対応車で、ドアチャイムが無節操でけたたましく、国鉄オリジナルの狭いセミクロスシートのアコモです。今度のダイヤ改正でE129系が本格投入されると運用離脱すると言われているので、これを狙う者がにわかに増えています。
 それでは、最近の弥彦線のY編成達を見てみましょう。



2015年2月1日。弥彦線からの147Mは、Y3編成で新潟駅1番線に到着しました。



雪が降りしきる中、上沼垂に引き上げていきました。



2015年2月11日。この日の147MはY3編成でした。「北越3号」が引き上げた後なので、2番線からじっくりと撮影出来ます。



新潟駅で撮るだけでは芸がないので、2015年2月14日に内野駅から147Mに乗車してみました。



車内に入ってみると、確かに狭いボックスシートで、レトロな傘掛けが整然としてました。



越後線147Mは車掌乗務列車なので、運賃箱はカバーが被さっていました。運転席との仕切りは白い柱。



「クモハ115-501」に乗車。荷棚がまたレトロです。左下のスピーカーは何のためだろう。



新潟駅に到着しました。Y1編成の編成美です



2015年2月20日。越後線147MはY1編成でした。



2015年2月28日。東三条駅0番線に行ってみると、Y1編成が待機してました。既に撮影されている方は数あまた。



「クモハ114-501」の銘板。昭和40年に日本車輌で製造されました



折角なので、この弥彦線232Mに北三条駅まで乗車します。天井の扇風機が如何にも国鉄型車両であることを示しています。



北三条からの帰りである235MはY3編成が充当されました。



「クモハ115-504」に乗車。プレートはいつの間にか無くなっており、「Mc115-504」とシールで貼られてました。



「クモハ114-504」もご覧下さい。こちらも紙で貼られています。荷棚の非常ハシゴが印象的です。



東三条駅に到着したところで、「クモハ114-504」の銘板を御覧下さい。昭和41年に汽車會社で製造され、昭和58年に幡生工場で改造を受けています


 弥彦線Y編成の現況は以上です。現在、弥彦線で運用されているY編成はここに挙げた2編成のみと思われ、Y2編成は運用離脱したと言われています。
 ところで、本日新ダイヤを見返したところ、弥彦線から越後線経由で新潟まで至る定期列車がなくなっています。弥彦線ではワンマン運転継続なので、恐らく越後線などとの共通運用のE129系またはE127系が賄われるとみられます。ということは、ここに挙げたY編成は3月13日限りで運転終了でしょう。何せ、前回の全検から2~4年経ているので、「北越」と共に終焉を迎えてもおかしくないですね。


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信越山線 いよいよフィナーレ

2015-03-07 18:43:08 | 信州地区

 信越本線の長野~直江津間の経営分離が来週末に迫っています。今月に入り、様々なイベント列車が行き交うようになりました。今回紹介する3月1日の「懐かしの国鉄色DC号」と本日の「懐かしの特急みのり号」もまた然りです。信越山線が賑わうのも来週末までです。
 それでは、2015年3月1日の「懐かしの国鉄色DC」及び「懐かしの特急みのり号」を紹介します。



まずは、「懐かしの国鉄色DC号」から。7時16分頃に国鉄色DCの2連が新津駅7番にショウアップ。



「SLばんえつ物語」の回送位置までやってきました。「キハ48 523+キハ47 1514」の編成です。



側面のサボ。何の飾り気もなく「臨時」です。



7時22分頃、新潟駅に向けて回送されました。到着してもずっと停車しているわけではなく、一旦白山方に引き上げました。



新潟駅1番線の停止位置近くは人だかり。よって、2番線で白新線1625Mとの一瞬の並びを狙うことに。で、相方は115系N6編成でした。



長野に向けて発車しました。ちなみに、この列車は全車指定席で特製弁当付きでした。



2015年3月7日。「懐かしの特急みのり号」の日がやってきました。「北越4号」と同じく1番線からの発車です。



9時46分頃、2つ目ライトの国鉄色の485系T18編成で1番線に入線。往年のりんご入りのヘッドマークが



そそくさと2番線に移動して編成写真をと思いましたが、特製弁当が配布されていた1番線に負けないくらいの人だかり。やっとのことで、精悍な姿の国鉄色の485系をモノにしました



側面のサボ。「特急みのり 長野↔新潟」です。勿論ステッカーです。



9時52分頃、T18編成の隣に白新線633MであるE127系V7編成がやってきましたE127系と485系の並びも本当に貴重です。



9時54分頃に「懐かしの特急みのり号」は長野に向けて発車。東三条にて「北越4号」に抜かれたとか。


 「懐かしの国鉄色DC号」と「懐かしの特急みのり号」は以上です。3月13日には、湘南色の115系6連で運転する「ありがとうJR信越山線号」が運転されますが、私は勤務の関係で見に行けません。その他にも、長野車による「ありがとう信越線号」や「信越線スイッチバック号」も走ります。
 「信越山線」は来週末には「しなの鉄道 北しなの線」と「えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン」に分離され、必ず妙高高原で乗り換えとなり、運賃体系も別になります。直江津~妙高高原間に国鉄型電車が走る風景は間もなく過去のものとなるでしょう。で、これから発生する新潟の115系電車の廃車回送は一体どういう経路になるのだろうか。
 次は、弥彦線の115系電車についてお伝えします。


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いよいよ終末期を迎える広島の115系電車に乗りに行く Vol.2(その14)

2015-03-05 22:58:31 | 山陽本線

失意のままに1752Mに乗車。この記事の写真はスマホでの掲載となります。ご了承下さい。



12時21分に新倉敷駅4番乗り場に到着。普通列車が「サンライナー」を退避することがあり、2面4線の構内を有します。



階段を上がっていくと、何やら「新幹線」の文字が。山陽新幹線の駅ですが、何だかひっそりとしています。



改札を出ました。自動改札の左側に「みどりの窓口」があり、営業時間は5:00~23:00です。



自動改札と通路を挟んで向かいにはKIOSK。その一角には観光案内所が。



さて、南口に出ました。昭和50年3月の山陽新幹線の開業と同時に建てられた橋上駅舎です。エレベーターは後年取り付けられたと思われます。



新倉敷駅には学生時代踏破したことがありますが、今回改めて降り立ってみると、階下に「童と良寛」がありました。良寛といえば、国上山の五合庵でしょ!



折角なので、北口にも出ました。こちらは典型的な新幹線駅といった趣です。新倉敷駅は、昭和50年3月までは「玉島駅」と名乗っていました。



駅前は大きなロータリーになっています。正面にはおかやま作陽大学が。


12時38分発の1754M(115系D15編成)に乗車して一気に相生へ。BGMはチャイコフスキーの『悲愴』を大音量で。



相生駅からは958M(225系Y3編成)に乗車。可也混雑しており、補助席でカナダ人女性TAと相席するのがやっと。姫路に買い物に行くところで、翌日からクリスマス休暇でカナダに帰るのだそう。



姫路到着後、速攻で新快速3282M(223系V52編成+W1編成)に乗り継ぎました。例によって、明石海峡大橋の見える所に陣取って。


尼崎到着後、福知山線3771M(321系D13編成)に乗り換え。ふとJALからのメールをチェックすると、泣き面に蜂が刺すような文面に。






「新潟空港雪のため、JAL2251便は欠航となりました。」






伊丹到着後、バスで伊丹空港へという段取りでしたが、特別お客様感謝デーと重なってしまい、発車が7分ほど遅れてイオンの交差点を抜けるのに30分以上もかかり、挙句の果てに神津バス停で後続の直行便に載せ替えられる始末。伊丹空港到着後に速攻でカウンターに行くと、JAL128便の「30E」の座席に振り替えられ。しかし、東京からの新幹線は自己負担ということで。ベルトサインが消えると、カロリーメイトなどで夕食タイム。


18時35分に羽田空港10番スポットに到着。京急で品川に出た後、山手線1825G(E231系518編成)~湘南新宿ライン2770E(E231系S06編成+K10編成)と乗り継いで大宮へ。その後、「とき347号」(E2系J15編成)で長岡へ。指定席は売り切れてたので、予想通り座れず。越後湯沢にて辛うじてインド旅行帰りの女性の隣に座らせてもらいました。


長岡駅からは信越線461M(115系N8編成)で新津に帰還。新潟地方は雪がぼそぼそと降っていました。


 「いよいよ終末期を迎える広島の115系電車に乗りに行く Vol.2」は以上です。最後にひどい目に遭いながらも、山陽本線筋の115系電車の現実を知ることが出来ました。転換クロスシートの編成が多く含まれる中、国鉄オリジナルの狭いボックスシートも含まれていることが分かりました。
 来週末には227系電車の営業運転が始まります。当然置き換えられる編成が発生しますが、103系とか115系C13編成とかは要注意です。検切れが近くて且つJR西日本色の115系は怪しいのではないでしょうか。


最後までお読みいただきありがとうございます。


参考サイト   さいきの駅舎訪問


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いよいよ終末期を迎える広島の115系電車に乗りに行く Vol.2(その13)

2015-03-04 22:47:44 | 山陽本線

山陽本線駅巡りの前にニュースをお伝えします。JR東日本は昨日、上越新幹線に新たな観光列車を投入することを発表しました。その名は「GENBI SHINKANSEN(現美 新幹線)」で、現代アートカフェ新幹線です。デビューは2016年春以降であり、越後湯沢~新潟間を中心にして土休日など年間120日程度の運転です。デザインするのは世界的写真家である蜷川実花氏とのことで。車両については、元秋田新幹線のE3系6両編成を改造して使用されます。恐らくR19編成になるのではないでしょうか。



さて、本題に。東福山駅から11時14分発の432Mに乗車。黄一色の115系D1編成が湘南色の115系D24編成を従えてました。



乗車したのは勿論、湘南色の編成に。えんじ色のセミクロスシートが広がっていました。



11時18分に大門駅に到着。ホームが2本ありますが、副本線が撤去されて2番乗り場は柵が張り巡らされています。



では駅舎の中へ。2台の自動改札の左手に「みどりの窓口」があり、営業時間は6:00~20:30(休み3回)です。



それでは駅舎撮影。大正10年3月築の、端正な形の木造駅舎が健在です



駅舎の広島方にあるコンクリの建物はトイレ。昭和52年3月築で、改札の内外から利用できます。



駅前は古い住宅地になっています。丘の上には保育園が。



前日に717Mに乗車した際、大門駅を通りかかった時にうどん屋を見つけたので気になっていました。で、地下道をくぐって鋼管道路に入ると、そのセルフうどん屋(むらさき)がありました!



で、昼食を取ろうと入口に進んでいくと、いすゞのIKCがやってきたので思わずパチリ。その後、「むらさき」に入り、穴子天うどん(大盛)で昼食にしました。



昼食終了後、地下道に戻ろうとすると、大門駅の駅裏が国道2号であることに気づきました。



駅に戻ると、大門駅にミニ庭園があったことを発見しました!大門駅は案外見所の多い駅だったのです。



11時56分発の1752Mで岡山方面へ。サンライナー色である117系E04編成でやってきました。これを撮影していると、私の相棒だったペンタックスのK-1が使用不能に。


つづく


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いよいよ終末期を迎える広島の115系電車に乗りに行く Vol.2(その12)

2015-03-03 22:25:50 | 山陽本線

前回は荻川駅のバリアフリー工事の模様をお伝えしました。山陽本線駅巡りに戻りましょう。


その11はこちら



10時16分に備後赤坂駅に到着。18分の滞在ながら周辺散策。駅から西方に進むと一心グループのオフィスが。



一心グループのオフィスを抜けて右折するとファミリーマート。道路を渡ると神原病院が。



備後赤坂駅は駅横の建物を含めて一心グループの駅でした。で、これから列車に乗るのに上りホームに上がると、隠れた所に木造のランプ小屋がありました!



10時34分発の432M(115系R01編成)に乗車した岡山方面へ。スーツケースをもった眼鏡美人と相席に。呉から来て福山に遊びに行くところだとか。「クハ115-2620」に乗車したのですが、転換クロスシートが並んでいます。



10時46分に東福山駅に到着。対面式ホーム2面2線の構内です。



階段を上がって駅舎の中へ。3台の自動改札の右手に「みどりの窓口」があり、営業時間は7:10~13:10、13:25~20:20です。その手前には「みどりの券売機」など。トイレは改札をくぐって左手にあります。



さて、北口に出ようとしましたが、山陽新幹線の陰に引き込み線(の跡)が3本あるのに衝撃を受けました。



北口に出ました。自由通路の入口といった感じです。エレベーターは後年取り付けられました。



駅前の様子。ロータリー中央には自転車置き場があり、公衆トイレもありました。「オービス」のビルが存在感を示しています。



1つ北の信号へ。西側にはドラッグストア・コスモスやモダンパックなど郊外型店舗が。更に進むと福山魚市場、青果市場なども。



あと1駅は巡らなければならないのでそそくさと南口へ。左手には大きな貨物ヤードが広がっており、「鮫」がポツンと休んでました。それもそのはず、東福山駅は、昭和41年6月に貨物駅として開業したのだから。



さて、南口に出ました。東福山駅が旅客扱いをしたのは昭和54年4月になってからで、それ以来の橋上駅舎ということになります。最近になってエレベーターが取り付けられているのは、前回の記事で取り上げた荻川駅と同じパターンです。



南口の駅前は閑静な住宅地です。駐輪場が無いので、ロータリーの中心の植え込みはカオス状態です。


つづく


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信越線荻川駅 バリアフリー工事完了

2015-03-01 22:07:10 | 新潟の鉄道(駅舎関係)

 昭和61年12月の橋上駅舎化以来、荻川駅周辺は人口増加が続き、新潟市に合併されてからは一層顕著となり、バリアフリー化の要請は当然の成り行きでした。荻川駅は、数年前から上屋設置工事から始まって、エレベーター工事及び西口階段建て替えへと進み、本日のバリアフリー工事完了と相成りました。
 それでは、荻川駅のバリアフリー工事の模様を見てみましょう。



2015年2月19日。毎日信越線の車内から見ているのでてっきり完成したかと思いました。しかし、434Mの車内から降り立ってみると、形だけは出来ているものの立ち入り不可となっていました。



階段を上がってみると、ビニールで塞がれて何やら張り紙が。上りホームのエレベーターは「2月21日(土)から使用できます」とのこと。



下りホームに向かっていると、ホームへのエレベーターが供用開始となっていました。



自動改札を出ました。「みどりの窓口」と相対した旧待合室は、エレベータールームとなっていました。



西口に出ました。形だけは出来ているものの、ロータリーはまだ造成中でした。階段が供用開始となるのは3月1日(日)からとのこと。



西側から東側へはガードをくぐって移動するかエレベーターに乗らなければなりませんでした。そのガードは歩行者、自転車のために車は通行禁止となっていました。



東口に出ました。桜の古木を伐採することもなく、全貌を現していました。



形はもう出来ていましたが、エレベーターは2月21日(土)からとのこと。



東口エレベーターの上部へ。電気は通じていませんでしたが、立ち入り禁止の看板は出ていませんでした。



で、現在の待合室を。下りホーム内の一室だけです。あとは改札前の一角か。



下りホームエレベーターの下部を。多目的トイレが付いていました。



そして、本日、上りホームに降り立ったところ、エレベーターが運転していました。入り口は目立たない所にありますが。



降り口は壁に挟まれたスペースでした。階段を上がってくる人との動線を考慮して設計されたに違いありません。



改札を抜けて東口へ。早速利用する高齢者に出会いました。



東口に出ました。これを見て気付いたのですが、自由通路のエレベーターはガラス張りです。橋上駅舎化以来の盆栽も一緒に。



ガードをくぐって西口に出ました。本日より使用開始ということで、ガードマンが出ていました。道路から点字ブロックも伸びています。



最後に、西口の階段を。最近流行りの流線形の手すりではなく、至って普通のつくりです。


 荻川駅のバリアフリー化レポートは以上です。コンセプトとしては、前回の記事でお伝えした山陽本線の松永駅と同じパターンです。昭和末期に橋上駅舎化された駅は供用開始当時は階段しかなく、バリアフリー法施行によりエレベーターが取り付けられるケースが多々あります。この荻川駅周辺も高齢者が多くなり、エレベーター設置は必然的な動きだったと思われます。
 それにしても、西口から東口へのガードはひとたび大きな車が通るともうお手上げです。


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