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江戸時代の中枢(江戸城)・・・その11・・・

2009年01月12日 09時17分44秒 | 江戸時代とは・・・・・

江戸幕府での年中行事のうち、大名や諸役人が参加する主な行事は、年始・八朔・五節句・嘉祥(かじょう)・玄猪(げんちょ)・月次(つきなみ)などがあります。

1月には、行事も多く、1~3日までの年始御礼、2日は天皇への年始祝儀、3日には謡初御祝、7日の七種(若菜)御祝、11日には具足御祝、15日は月次御礼、28日は月次御礼などがあります。

大名の仕事の一つは、江戸城に登城して将軍に拝謁することです。
といっても、いつ登城しても良いということではありません。
月次御礼は毎月1日、15日、28日に、在京大名の登城が許される日というより、登城しなくてはいけない日なのです。

    「くすのき」  F10号
  昨年訪れた知恩院にあるいくつかの楠の一つです。


 

色々な儀式は、あくまで将軍が主体であり、将軍への拝謁行為を通じて、各自の将軍との関係や身分・格式が表徴されることに特徴があり、ことに大名・諸役人が一斉に参集して行われる年始の儀式は、武家社会の身分秩序を包括的に示し、重要なものとなっています

登城した大名の控えの部屋、殿席については以前に述べましたが、どこで将軍に拝謁するかが、その大名の格式によって違うのです。

それを礼席といって、大名は、年始、八朔、五節句、月次ごとに異なっています。
例えば、殿席が大広間や留之間の大名は、年始、八朔、五節句は白書院ですが、月次は黒書院となっています。
また、諸役人についても色々と異なり、例えば町奉行、勘定奉行の年始は大広間ですが、八朔、五節句は白書院であり、月次は羽目之間となっています。

当然のことながら、年始のように公的な性格が強い儀式は玄関に近い部屋、月次のように日常的な儀式は、表であっても奥に近い部屋で行われていたようです。