徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

江戸時代の中枢(江戸城)・・・その12・・・

2009年01月21日 10時56分55秒 | 江戸時代とは・・・・・

前回、江戸幕府の年中行事には、年始、八朔、五節句、嘉祥、玄猪、月並があると書きました。
年始と月並については、分かると思いますが、その他の行事とは、どんな行事なのでしょうか?

まず、「八朔」は、旧暦の八月一日(朔日)の略で、もともと新穀を贈答して祝う民間行事でした。
田の実の節句ともいわれ、たのみ→頼むにかけ、武家公家の間でも日ごろ、お世話になっている(頼み合っている)人に感謝する意味で贈りものをするようになったそうです。 
鎌倉時代から君臣の間で贈答が行われるようになり、特に徳川家康が天正18年(1590)のこの日、江戸に入城したことにちなみ、年始に次いでの祝日とし、大名及び3千石以上の旗本は、将軍に太刀を(後期は木製だったそうです)献上したそうです。

   
    大手門                    外桜田門

「五節句」は、正月七日(七種)、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、九月九日(重陽)です。

「嘉祥」は、「嘉定」とも書き、陰暦の六月十六日に疫気をはらうため十六個の餅や菓子を神に供えて後に食べる行事です。
もともと疫気をはらうために始まった風習のようですが、江戸幕府においては、将軍から大名・幕臣に菓子を賜る式がありました。

「玄猪」は10月初の亥の日で、胡麻や小豆を入れた猪口を模した亥の子餅を、亥の刻に食べて無病息災を祈るというもので、病を祓う中国の風俗でした。
江戸幕府では、この日諸侯が暮れ六つに登城するため、大手門や桜田門外に大かがり火を焚かせ、登城した諸侯には、紅白の餅を下賜しました。