先月、阪急電車やその創業者の小林一三について書きました。
関西の阪急に対して関東の東急が良く比較されます。
首都圏と大阪圏を代表する二つの大手の私鉄は鉄道のあり方の違い、そこに現れる文化の違いがあります。
一方、よく似た私鉄であるとも云われています。
社名もそうですが、両社のイメージも似ているようです。
そのイメージとは、どちらも垢ぬけて、上品で、沿線には住宅地が広がっているということだそうです。
その似たイメージとは、正反対の経営思想なのです。
それには、両社の異なる歴史的な背景があったのです。
阪急 梅田駅表示板 阪急 梅田駅 9番線まであり、壮観です。
渋谷駅 表示板 渋谷駅といっても相互乗り入れで、分かりにくいです
JR東日本、東京メトロ、京王電鉄、そして東京急行電鉄
阪急の開業は 1920年(明治43年) 東急の始まりは、1923年(大正12年)
その育ての親とも云うべき人は、阪急は、小林一三。 東急は、五島慶太です。
鉄道業界では、「西の小林、東の五島」と並び称せられ、戦前、戦後を通じて両社とも名の知られた財界人です。
共に大臣まで務めたのですが、そのため戦後は、公職追放になっています。
小林は、近衛内閣の商工相、五島は、東条内閣の運輸通信相を務めています。
ここまでは、両者とも、よく似た経歴を持っているのですが、決定的に違うのは、実業家としては、全く異なり、それが阪急と東急の違いを生み、私鉄としての性格の違いにもつながっているのです。
阪急の小林イズムについては、2月7日の当ブログで書きましたので、五島の考えについては次回に書きます。
ここに、両者の鉄道経営の違いと文化の違いが分かると思いますが・・・・・・