「善く国を治める者は、必ずまず水を治める」
これは、中国 春秋時代(紀元前770~前476年)に斉国の桓公が国を治める方策として根本的な国家方針として打ち出したものです。
春秋時代の斉国の桓公(想像図)
水害・干ばつによる被害は、経済発展と社会秩序の安定にとって重要な影響を及ぼす自然災害であり、これを克服して始めて国益と国民生活の安定、天下泰平・国家繁栄をもたらす事が出来るというものです。
最近のアメリカのハリケーンもそうですが、毎年、我が国を襲う台風やインドネシアの津波も自然災害であると同時に人的災害の可能性もあります。
国は、自然災害の災難を出来るだけ少なくする努力や方策をしなくては、国を治める資格はないのではないでしょうか?
先任の人たちの教えを忘れていると、いや無視していると思われます。
オランダの風車は、海抜より低い土地柄、水害が多くその対策の一環として考えられたものです。これは、10世紀の初めに、低い所から高い所に水をくみ出す機械・装置として考えたもので、今はそれと同時に穀物をつくこともしている同時に、今はオランダの風物詩として有名です。
宝暦時代の治水工事風景 ”孤愁の岸”の舞台ポスター
水害の堤防を築くということで、思い出すのが 杉本苑子原作の”孤愁の岸”という小説です。 これは実際にあった話で、江戸時代の中期、宝暦の時代、幕府は外様である薩摩藩の資力を削ぐため、名古屋の木曽三川(揖斐川、長良川、木曽川)が毎年水害に襲われるので、これを防ぐための土木工事を薩摩藩に命じました。
これで多くの犠牲を出しましたが、その後の水害は激減し、この濃尾平野を豊かな農耕の土地となりました。
三重県道にある薩摩の並木
しかし、昭和の時代には、伊勢湾台風で多くの犠牲が出ましたが、これは、その後の堤防の補強をなおざりにされた結果であることを知っておくべきです。
あの4大文明の発祥地であるところには、大きな川が流れているところですが、現代は衰退したのは、この豊かなはずの川の水を巧く治水が出来なくなったものとも考えられています。
ナイル川のエジプト文明、チグリス・ユーフラテス川のメソポタミア文明、インダス川のインダス文明、黄河の黄河文明がそうです。
人類は、自然には勝てません。でも人災は無くすることは、出来ます。
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