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昆陽寺と西国街道

2007年01月05日 10時21分46秒 | 独り言・社会・ニュース

昨日は、旧西国街道沿いにある昆陽寺西天神神社東天神神社に参拝してきました。
昆陽寺(本当は、”こんようじ”と言うらしいのですが、地元の地名である”こや”をとって”こやでら”と呼んでいます)は、45代聖武天皇の勅願所として733年に行基上人(行基菩薩)によって建立されました。
建立当時は、万葉集に稲無野笹原(現在の稲野)と詠まれる荒地だったそうです。
昆陽池を初めとして150町歩の土地を昆陽の庄として開墾し、その中心に七堂伽藍に本尊の薬師如来を建立しました。

  昆陽寺 山門

現在の国道171号線は、旧来の西国街道で大きな意味では、九州から京都に上る街道で、狭義では大阪から京都へ通じる主要街道です。 
その国道171号線は、神戸市中央区の三宮東から京都まで、一部国道2号線と重複しています。

昆陽寺は、天平7年(1580年)に織田信長が伊丹城主の荒木村重を攻略した時に兵火により焼失しましたが、その後、地元の信者によって再建されますが、阪神淡路大震災で再び崩壊しました。
本堂は再建、山門や観音堂は解体修理を行い、平成10年に完成され、現在に至っています。

  
   西天神神社                東天神神社

この昆陽寺を国道171線沿いを東に行くと、西天神神社があり、そこを又東に行くと東天神神社があります。 この神社2社のいわれは、分かりませんが、東天神神社の方は、境内も広く、本殿もかなり古いようです。

  

東天神神社を南に行くと、国道171号線から反れて旧西国街道が残っており、道幅も3mから4m程で、道の両端には、旧家や田んぼが広がっています。
この辺りは、国道の喧騒を離れ、昔の面影が残っており、古くから多くの人が行きかっていたに違いありません。
足利尊氏や源義経、大石内蔵助や遠くは九州の諸大名の大名行列もこの道を通ったことでしょう。



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