今回の旅行の最後は岐阜城です。
岐阜城は、どうしても織田信長が最初に建てたと思いがちですが、岐阜の名前は確かに信長が改称したのですが、当初は鎌倉時代に時の執権二階堂山城守が、金華山頂に砦を築いたのが初めと言われています。
JR岐阜駅前 ”織田信長像” 岐阜城には、信長の家紋と道三の家紋も
戦国時代は、斎藤道三の居城であり、それを織田信長に攻略され、地名を岐阜と改名し、天下統一の拠点として新しく城を築きました。
現在の城は、昭和31年に復興されたもので、鉄筋コンクリート造り三層4階構造で、平成23年2月、金華山一帯を「岐阜城跡」として、国の史跡に指定されました。
城は、駅からタクシーで15分ぐらいのところで、ロープウエーで金華山の山頂まで4~5分で、山頂駅に着き、お城には、そこから徒歩7分と案内書には記載されています。
山頂駅からお城までの登城の道は、山道といえどもたった7分ぐらいはと簡単に思っていました。
不規則な石の階段で、足腰の悪い僕にとっては、その倍以上の時間がかかり、情けない話ですが、手すりとか、人の介添えが必要だったのは、やはり、自分の体を知り、地図を鵜呑みにせず、余裕をもって行動しなくてはならないと実感しました。
天守に登ると、下界は実に素晴らしく、昨日の雨が嘘のように晴れ渡っていました。
天守の天井
今回の二日間の旅行は、初日は雨で行動が制約され、二日目は、案内書にはない困難な道(ただし、個人によってはの話)もあり、予定外や新しい発見が、旅行の楽しみの一つです。と言って大げさに考える必要はありませんが、”新しい風景”を見つけてゆきたいものですが・・・・。
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