藤沢周平原作「闇の穴」が「小川の辺」として映画化され、先日見てきました。
藤沢周平の時代小説は、2002年の「たそがれ清兵衛」から「蝉しぐれ」や「武士の1分」など毎年のように映画化されています。
どの映画も、封建社会での人間性のあり方、義と情の狭間で揺れ動きながら、人としての道に突き進む人間模様の物語です。
その上、僕がこの映画に魅せられるもう一つの理由は、画面にあります。
時には、昔の日本の四季折々の風景は、なにか、見ていてホッとさせられます。
今回の物語は、山形県庄内地方をイメージした架空の「海坂藩」が舞台となり、朔之助と新蔵が田鶴たちを探す道中は、日本の原風景が残る自然描写も見どころでした。
しかし、以前の作品と違い、その風景もほとんどが山道であり、少々変化に乏しい感じがしました。
海坂藩士、朔之助(東山紀之)は、藩主より、夫婦で脱藩した佐久間森衛(片岡愛之助)を討つように命令されます。
そこまで色々と紆余曲折があるのですが、兎も角、その命令を実行するために旅にでます。
佐久間は、朔之助の妹 田鶴(菊池凛子)の夫であり、その佐久間を斬るとなれば、妹田鶴が手向かってくることが予想され、朔之助は、その拝命に苦悩します。
その兄妹と幼馴染の新蔵(勝地 涼)が、朔之助に同行しますが、その新蔵は、昔から田鶴に恋心を抱いていました。
道中、田鶴と出会った時、どのように対処するのか、心が決まらない朔之助に新蔵は、佐久間と田鶴が脱藩した理由を尋ねます。
藩主とその側近の侍医が主導していた農政改革について上申書を提出し、藩主の不興を買いました。
処分も覚悟の断行であったのですが、最終処分が下される前に夫婦で姿を消してしまったのです。
子供の頃、朔之助、田鶴、新蔵の3人で小川で遊んだ思い出を思い出しながら道中を進み、潜伏先と思われる千葉・行徳にたどり着きます。
”小川の辺”にある隠れ小屋 朔之助の帰りを待つ両親と妻
そこで、田鶴を見かけ、後を追ってゆくと、あの故郷と同じような「小川の辺」の小屋で二人は暮らしていました。
田鶴の留守を狙って、朔之助と新蔵は、お互い名乗り合い果たし合いを行います。
この映画、序盤は、いきさつなどで淡々と進み、あまり起伏がなく、変化に乏しく感じたのですが、この最後の果たし合いは、かなり力が入り、一番の見せ場となりました。
打ち果たされた新蔵を見た田鶴は、兄の朔之助に襲い掛かります。
妹を斬ることが出来ず、最後には、新蔵を残して、この場を去ります。
主命を果たしても、残るのは後味の悪さだけでしたが、幼いころから思いを寄せていた二人をその場に残したのは、せめてもの藩に対する非情な扱いに対する抵抗だったに違いありません。
現在であれば、社長に意見を言って、不興を買ったとしても、退職という逃げ道がありますが、封建社会では、その逃げ道はありません。
あるとすれば、それは”死”なのです。