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新幹線 よもやま話② 起点が東京駅と決まるまで・・・

2011年07月22日 10時07分13秒 | 鉄道のよもやま話

新幹線に限らず、鉄道には始発駅と終着駅があります。
正式には、起点、終点といいますが、起点から終点に向かう列車を下り、反対に終点から起点に向かう列車を上り列車と言います。

東海道新幹線の開業時に始発駅を東京と決めたのは、紆余曲折があったようです。

今から考えると、東京駅始発は簡単に決まったように思っていたのですが・・・・

昭和34年(1959年)ごろ、東海道新幹線の始発駅の候補となった場所は14ヶ所ありました。

山手方面の候補地は、代々木公園あたり、明治神宮外苑、新宿駅西口広場、淀橋上水道跡、新宿御苑。

中央部では、市ヶ谷付近、竹橋あたり、代官町(北の丸公園)付近、飯田町貨物駅あたり。
東海道方面の候補地は、品川駅、汐留駅、東京八重洲口、東京丸の内側、皇居前広場。

以上の候補地から選ぶ条件として・・・・・

広さが6万㎡以上あること。  その一辺の長さが新幹線16両連結の長さ400m以上とすると、短辺は150mとなる。 これで8本のホームが出来るそうです。

この条件で、明治神宮外苑などが落選し、次の条件は利用者と乗り換えの利便性が要求され、ここで市ヶ谷などが落選。

残った7ヶ所でも、地下駅とならざる得ないところもふるい落され、最終的に残ったのが、東京八重洲口、品川駅、汐留駅、皇居前広場の4ヶ所となりました。

  水彩画 ”目立ちがりのバラ” F8号
   
 逆光のせいか、バラだけが目立っていました。 

 

次での条件として、用地買収の難易度でした。
工期や工費、それに東北方面への延伸計画が出来るかどうかも条件に含めました。

皇居前と品川駅は、用地取得が難しく、汐留駅は当時貨物駅があり、その移転先が確保できず、最後に残ったのが、現在の東京駅八重洲口側となりました。

しかし、ここも条件的に満足出来るものではなかったのです。
工費が残った候補地でも最大の260億円(現在では1515億円)で、東北方面への延長も困難と思われていました。

ただ、良かったのは、東京駅では在来線の線路を増やす予定があったので用地的には容易であったということ、それに何よりも乗り換えの利便性は抜群ということが決め手になったようです。
ちなみに、在来線の増設は、現在地下となり、東北方面も上野で地下に入ることで、現在に至っているようです。