日々の恐怖 1月2日 犬の行方
都内に住むMさんの話です。
以前、祖母の家に数年程度住まわせてもらっていた時期がある。
祖母はかなり元気でいろんな活動をしていたし、オレは気楽な大学生だったので、オレにとってはとてもいい環境だった。(祖母には負担だったのかな)
都心からはそう離れていない場所だったけど、最寄駅からかなり遠くて周囲は畑や雑木林も多かった。
その家では色々あったけど、その内の一つです。
隣の家には老夫婦が住んでいたのだが、この夫婦は近所で有名なくらいに仲が悪い。(仮に田中さん)
田中の婆ちゃんは爺ちゃんそっちのけで近所付き合いをして、飼い犬をかわいがっていた。
オレの祖母と田中の婆ちゃんは昔から仲が良く、特に田中さんが、元気で活動的な祖母に対し、多少依存的な面があったようだ。
しかし、オレが祖母宅に居候を始めた頃には、田中の婆ちゃんは少しずつボケ初めていたらしい。
ボケは始まっているが、調子が良い時はそれなりに元気で話も通じる、といった具合だったようだ。
ボケと共に少しずつ足腰も弱ってきていたようで、犬の散歩が満足に出来なくなったのだろう。
爺ちゃんが、たまに犬を散歩させていた。
爺ちゃんは、自分が飼いたくて飼ってるワケでもない犬の散歩などイヤでイヤで仕方なかったのだと思う。
近所の人達が色々と目撃していた事がある。
人気の少ない道で爺ちゃんが、犬にタバコの煙を吹きかけてたとか、蹴っ飛ばしてたとか、噂がすぐに広まった。
おそらくそれらの噂は当たらずとも遠からずだったと思う。
なにしろ犬がストレスで完全におかしくなっていった。
以前はおとなしい犬だったが、もう吠えっぱなし。吠え方もひどいし、相当イカレてたと思う。(それでも爺ちゃんに噛みつかなかったみたい)
しかし、ある日忽然とその犬がいなくなった。
当然、近所では、
「 田中さんのご主人、犬が厄介になって首輪外しちゃったのね。」
「 犬が自力で逃げたのかしら?」
といった噂が飛び交った。
犬は確かに可哀そうだったが、うるさくてたまらなかったので、オレは内心ホッとしていた。
その後、田中さん夫婦は息子さん夫婦と同居する事に決まり、そこから引っ越すことになった。
最期の挨拶に来た時の事を、祖母から後で聞いた。
オレの祖母を好いていた田中の婆ちゃんは、さよならの挨拶ついでに、こんな内容の事を言ったそうだ。
「 犬はね、私が逃がしてやったのよ。
あんな爺さんに任せてたら可哀そうだからね。
あの子がいなくなりゃ、爺さんは犬が嫌いで捨てちゃったって、薄情だって、みんなに思われるでしょ。
いい気味だわ。」
といった感じ。
ただ、田中の婆ちゃんはボケ始めていたので、そこまでの気が回ったかどうか。
もしかすると、逃がしたのは爺ちゃんで、犬がいなくなった状況から、婆ちゃんが妄想・願望などで脳内構築した作り話(本人は事実だと思ってる)かもしれない。
そう考えてみたが、どちらにしろ救いがない。
しかし、もし爺ちゃんが犬を逃がしたのなら、婆ちゃんは責めるだろうし、近所に言いふらすように思うから、やはり逃がしたのは婆ちゃん自身だろうか。
痴呆が少し進行した時の思考や精神状態は分からないけど、正気と非正気の入り混じった状況においてさえ、夫への嫌悪だけは強烈に残っていて、行動・思考に影響を与えているのは、何ともと切ないなと思った。
童話・恐怖小説・写真絵画MAINページに戻る。
大峰正楓の童話・恐怖小説・写真絵画MAINページ