日々の出来事 8月27日 男はつらいよ
今日は、渥美清の映画“男はつらいよ”シリーズの第一作が公開された日です。(1969年8月27日)
主人公の車寅次郎こと“フーテンの寅さん”は父親と芸者菊の間の子で、父親に育てられていましたが、16歳の時、父親と大喧嘩して家を飛び出します。
そして、家出から20年の歳月を経て、テキ屋として全国を渡り歩いていた寅次郎が、突然、腹違いの妹さくらと叔父夫婦が住む、生まれ故郷の東京都葛飾区柴又に戻って来るところから映画は始まります。
27年間48作に渡ってストーリーは一貫しており、寅次郎は有名女優演じるマドンナに惚れ、マドンナも寅次郎に好意を抱きますが、恋愛感情に至らず、結局、恋人が現れ、振られてしまいます。
そして、落ち込んだ寅次郎は、再びテキ屋稼業の旅に出て行くという話です。
車寅次郎の名乗り
わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。
姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。
皆様ともども冥利ジャンズ高鳴る大東京に仮の住まいまかりあります。
不思議な縁持ちまして、たった一人の妹のために、粉骨砕身、商売に励もうと思っております。
西に行きましても東に行きましても、とかく土地土地のお兄貴さんお姐さんにご厄介かけがちな若僧でござんす。
以後見苦しき面体、お見知りおかれまして、恐惶万端ひきたって、宜しくお頼み申します。
車寅次郎の物売り口上
結構毛だらけ猫灰だらけ、尻の周りはクソだらけ。
タコはイボイボ、ニワトリゃハタチ、イモ虫ゃ十九で嫁に行く。
黒い黒いは何見て分かる。
色が黒くて貰い手なけりゃ、山のカラスは後家ばかり。
四角四面は豆腐屋の娘。
色は白いが水臭い。
四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水。
粋な姐ちゃん立ちしょんべん。
映画“男はつらいよ”は、映画のシリーズとしては最多記録の作品としてギネスブックに載りました。
渥美清
☆今日の壺々話
☆英語版“男はつらいよ”
映画“フーテンの寅さん”は英語化され、アメリカでもある程度の人気を得ています。
“It’s tough being a man”
I was born and brought up in Shibamata, Katsushika, and I was blessed at Taishaku Temple.
Kuruma is my family name and my given name is Torajiro.
But people usually call me Tora, Tora the street peddler.
でも、“けっこう毛だらけ、ネコ灰だらけ・・・・”ってとこは、翻訳が出来ないので、残念ながらカットされてしまうのです。
雰囲気、無くなるよなァ~。
思い出
大学の学園祭の時、大講義室で映画“男はつらいよ”が上映されました。
その時、映画終了時に、電動スクリーン上昇と共に、仲間のアホがスクリーンの軸を持ってぶら下がったまま天井に上がって行ったのです。
そして、白のTシャツを着たそのアホの背中に、タコ社長の顔が映っていたのを見て、会場が爆笑の渦でした。
そのアホは立派な大人になったかと言うと、残念ながら、今もアホなままです。
花火
俺の幼馴染みで親友の剛ってやつがいるんだ。
そいつは幼い頃に親父さんが亡くなっていて、そいつの爺さんが父親みたいなもんだったんだ。
で、その爺さんて人は花火職人で地元では有名な頑固じじい。
俺達は、いっつもその爺さんに怒られてた。
でも、その爺さんは剛に後を継いでもらいたいと思ってたから、ことさらに剛には厳しかった思い出がある。
そんな思いを知ってか知らずか、高校生にもなると爺さんへの反抗心からか“花火職人なんてダサくってやってらんねぇよ”などと言い、チャラチャラと遊び呆けていたんだ。
そして剛が22才の時、「できちゃった婚」したんだけど、この時、爺さんはキレまくってしまい、“おまえなぞ勘当だ!”って言って、剛のことを家から追い出しちまった。
それで、行く所がないって言うんで、俺ん家の離れを貸してやってたんだ。
冬が終わり、春も過ぎ、夏になり地元の花火大会の前日、剛の母親から“明日の花火大会、爺ちゃんからあんたたちにプレゼントがあるから絶対に見に来なさいよ”って電話があったんだけど剛は意地になって“ぜってーいかねぇ!”とか言ってた。
だけ、ど奥さんに説得されて、俺達は花火大会へ行くことにした。
ぬるい缶ビールを飲みながら、色とりどりの花火を見上げ、剛が“なんだよ、爺い、今の失敗じゃねぇかよ!”なんて毒づいていたらアナウンスが入った。
「 次は、本日の花火を打ち上げていらっしゃいます、鍵屋甚右衛門様より、お孫さんへのプレゼントです、テーマは祝いです。
どうぞ御覧下さい。」
ヒュ〜〜っと風を切って空へと舞い上がる音が途絶え、一瞬の静寂の後、ドンッという空気を揺るがす大音響と共に夜空に大きな星が3っつ広がっていた
青い星は剛、赤い星は奥さん、そして一回り小さいピンクの星は去年生まれた赤ちゃんの分。
「 ばかやろう!カッコつけてんじゃねぇよ!くそ爺い!」
また、毒づいてビールを飲み干す剛は必死に涙をこらえ、テキ屋のおっちゃんに、“良く冷えたビール頂戴!”なんて言って照れていた。
そして、次の週に剛は実家へと帰り正式に爺さんの弟子になり、俺は仕事の都合で地元を離れた。
そして去年、“今年は俺が花火大会仕切るから、お前絶対に見にこいよ”、と剛から久しぶりに電話があった。
同窓生たちと花火大会に行き、花火を見上げていると、花火が開く度に聞こえる歓声、そして笑顔。
俺の友達は、こんなにも人を感動させらるんだなと思うと、羨ましかった。
花火大会も終盤に差し掛かった時、なんだか打ち上げ場所の辺が騒がしくなった。
事故でも起ったのかと、友達の消防団員と近くまで行ってみると、どうやら爺さんが倒れたと言う。
でも、爺さんは心配して手を貸そうとする職人たちに“孫の初舞台だ!おめぇらガタガタ騒ぐんじゃねぇ!”と怒鳴りつけ、駆け寄ろうとする剛に“職人なら花火を止めるな!観客にいらん気ぃもたすな!”と激を飛ばした。
剛は一瞬ためらったけど、発射装置に向き直り職人達に指示を飛ばし、花火を上げ続けていた。
観客に気付かれることなく、爺さんは救急車で運ばれていった。
花火大会が終わり、急いで病院に駆け付けたけど、爺さんはすでに息を引き取っていた。
救急隊員の話によると“いい花火だ、きれいだぞ剛”と、最期まで剛の花火を誉めていたそうだ。
剛の嗚咽が病院内に響いていた。
いつしか俺達も声を上げて泣いていた。
葬儀が済み、爺さんの部屋を片付けていたら、剛の写真と新品のハッピがしまってあったそうだ。
今年の花火をきっちり仕切る事が出来たら正式に後を継がせ、その時に渡そうとしていたハッピらしい。
剛はその時も涙が止まらなかったって言ってた。
爺さん、今年、剛はそのハッピを着て最高の花火を上げています。
いつかのお返しにと、お爺さんのために作った4号玉、天国から見えましたか?
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