日々の出来事 8月3日 ノーチラス
今日は、原子力潜水艦“ノーチラス”が、世界で始めて潜航状態で北極点を通過した日です。(1958年、8月3日)
この潜航は太平洋からグリーンランドへ抜ける航路で、北極点を通過したとき、ノーチラスは、“ノーチラス、北90度”と世界に打電しています。
原子力潜水艦“ノーチラス”は、アメリカ海軍の攻撃型原子力潜水艦で、1952年6月14日、コネチカット州のエレクトリック・ボート造船所で建造が開始され、1955年1月17日には、史上初めての原子力を使っての運転に成功します。
この最初の原子力航海でテムズ川を渡ったとき、“本艦、原子力にて潜航中”が打電されました。
このノーチラスは在来型潜水艦より性能が飛躍的に高く、燃料交換無しでの62562浬の航海が出来、また、連続60日の潜航持続も可能となっています。
1980年3月30日退役しましたが、解体されることもなく、現在、コネチカット州グロートンで記念艦として公開展示されています。
ノーチラス
☆今日の壺々話
シロクマ君
「 釣れないなあ~。
腹、減ったなあ~。
この氷の割れ目の下に食い物が泳いでいる筈なんだけど・・。
あっ、クンクン・・!
今、氷の下を魚が通過したぞ。
あ~、行っちゃった。
釣り糸の先の餌を食えよなァ~。
あっ、クンクン・・!
ちょっとでかいぞ、アザラシだ。
あ~、行っちゃった。
あれ食ったら満腹なんだけどなァ~。
あっ、クンクン・・!
ん、マクドナルドの臭いがする?
何だ、何だ?
うわっ、釣れた!
上がってきたぞ!
ん、筒の先から目が見えるぞ?
こんな物、食えるか!
こんな奴、エイ!
ハハ、蹴っ飛ばしてやった。
ハハハハハハ、ザマ~ミロ。
筒の先が割れて海の水が入ってる。
お、沈んで行くぞ。
おととし、来やがれ、バカヤロウ!!
あ~、腹、減った、クジラ、来ないかなァ~。」
シロクマの嗅覚は非常に優秀で、氷の上から、氷の下にいるアザラシの臭いを嗅ぎ分けます。
もぐる
兄貴を驚かそうと思った。
家には、過去のパーティーで使った黒髪ロングのカツラがあったので、貞子に扮して脅かしてやろうと思い決行。
まず、兄貴が風呂に行ったのを確認してから準備開始。
貞子みたいな白いワンピース?は家には無かったので、上下白いパジャマを着、カツラを適度に濡らし装着。
兄貴は、髪を洗った後は湯船に潜り泡を落とす迷惑な癖があるので、そのタイミングを利用した。
貞子の格好のまま、風呂の扉付近で待機。
しばらくして、ワシャワシャと髪を洗う音が聞こえてきた。
で、その後にブクブクと潜る音が…。
俺は風呂の扉をゆっくりと開け、湯船の前に音を立てずに到着することに成功。
まぁ、兄貴は湯船の中で10秒程静止するのは分ってたからさほど難しい事ではなかった。
俺は体の力を抜き、ダランと腕を垂らし、俯き加減で待機。
そして時がやってきた。
兄貴が「 プハァ!」と湯船から顔を出す。
俺は、前に垂らしたカツラで兄貴の姿を見る事ができなかったが、作戦は兄貴の行動と音で、成功を収めたと察するのは容易だった。
「 プハァ!」と聞こえた0,5秒後、
「 ぇあああぁぁぁ!!」
「 ゴン!!」
「 フアァアアアアアアア!!!」
説明すると、
兄貴が顔を出す。
↓
俺を目の当たりにし「 ぇああ!!」と叫び仰け反る。
↓
壁のタイルで後頭部を強打する。
↓
「 フアアァァアアアア!」の叫び声と同時に、俺にお湯を掛けた。
ま、こんな感じです。
もぐる
何年か前に亡くなった祖父のこと。
祖父は人付き合いが上手い方ではなく、それは家族に対しても同様で、特に子供に接するのは苦手としていたらしい。
そのせいか小学生時代の俺には、祖父はいつもムスっとして機嫌が悪く怖い人に見えた。
そんな祖父に理解を示し、自分から歩み寄るほど出来た子供ではなかった俺は、必然的に彼と距離を置いた。
祖父と馴染まないまま月日は経ち、俺が小学5年生になった秋のある日、俺は目に怪我をし入院した。
馴れない入院生活を気遣ってか、毎日父や母、祖母や兄たちが病室に訪れてくれた。
祖父だけは1度も姿を見せなかったが『あの人らしいや』と別に気にもとめなかった。
それほど俺と祖父の関係は冷めたものだった。
少なくとも俺にとっては。
その頃から俺は人と話す時、必ずなにかしらネタをやりたがるヤツで、入院中よくやったのは誰か見舞いに来た時に“帰ってよ”と言いフトンにもぐる、というものだった。
これは当時人気のあったバラエティ番組のネタで、確か島田紳助演じる女のマンションに明石屋さんまが来るのだけど、紳助は“かえってよ!”、“もうこないでよ!”と言いドアを閉める、というものだったように思う。
そのギャグは大抵みんな知っていったので、見舞いに来た時の挨拶代わりみたいなものになっていた。
その日、俺はする事も無く(目のケガなのでマンガも読めない)昼間から目を閉じボーとしていた。
その俺のベッドの横に、誰かが来る気配がした。
昼間ということもあって、俺はそれが家族の誰かだと判断した。
誰か確認することもなく、ガバっと布団を頭からかぶると“帰ってよ!”と言い放ち、リアクションを待つ。
だが、何の反応も無いまま、やがてその誰かは何も言わずベッドから離れて行った。
不思議に思い布団から顔を出すと誰もいない。
一体これはどういうことなのか?
しばらくすると病室に看護婦さんが入ってきて、こう言った。
「 今、○○ちゃんのおじいちゃん来てたわよ。
一人で来てたけど、ちゃんとお話した?」
後で知った話、祖父は実は家族とよく見舞いに来ていたそうだ。
ただし、家族と一緒に病室には入らず大抵廊下にいるか、ロビーで待ってるかしてたらしい。
どうして、その日一人で来る気になったのかは判らない。
だが、祖父は一人で俺の見舞いに来てくれたのだ。
そして、俺に“帰ってよ!”と言われた。
そして、俺の言った通り帰った。
祖父はテレビなどめったに見ないし、ましてやバラエティ番組など見ない人だった。
1週間後、俺は退院し家に帰った。
祖父はいつものように怒ったような顔で自分の部屋にいて、俺を見ても何も言わなかった。
俺もバツが悪くて何も言えなかった。
むしろ『何も言わんと帰ったじーちゃんが悪いんや!』くらいに思っていた。
数年後の冬、祖父が亡くなったのを聞いたのは遊びに行った先でのことだった。
電話で母の“おじいさん亡くなったで”という言葉を聞いた瞬間、真っ先にあの病院でのことが鮮明に思い出された。
俺は自分が大人になって酒など飲めるようになったら、じいさんと飲んであの時の事をあやまろうって、ずっと思ってた。
だが上手いタイミングを作ることが出来ないまま日々を過ごすうち、祖父は病に伏せ、そして行ってしまった。
『 じいさんゴメン。
あん時は、ほんまにゴメン。』
墓石にあやまってもしょうがない。
そう思いながら、他に出来ることのない俺は今も謝り続けている。
もぐる
プロのダイバーから聞いた話です。
場所は有名すぎるので言わないが、よくダイビング雑誌に載っている外国の人気スポットのひとつ。
現地のインストラクター1人が客2人を引率したときの話。
そこは洞窟のような場所で、昼間でも海中は暗め。
安全のため、インストラクターから絶対にはぐれないようにが大前提の場所だった。
しかし、途中で客の1人がはぐれてしまったことに気付いた。
そのインストラクターはもう1人の客に浮上して待っているようにと伝え、いなくなった1人を探しに行ってしまった。
しかし、なかなか戻らない。
待たされた方の客はいくら待っても戻ってこないことにしびれを切らし、距離はあったがなんとか1人で帰ったそうだ。
もしかしたら2人とも戻ってるかも、と思っていたが、ショップの人達に聞いてみると2人はまだ戻ってはいないとのこと。
その場で大騒ぎになり、2人の捜索がはじまったが、結局2人とも亡くなった状態で発見された。
2人が離れたとこだったかどうかは忘れてしまったが、客の方は残圧が0だったらしい。
インストラクターは手に黒板のようなものを持って死んでいた。
黒板には「ごめんなさい」と書かれていたそうだ。
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