大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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日々の恐怖 8月15日 丸い石(1)

2018-08-15 18:53:21 | B,日々の恐怖







  日々の恐怖 8月15日 丸い石(1)







 小学生の頃、家からチャリで30分くらいのとこに山があって、そこでいつも2人の友達と遊んでいた。
あんまり上までは登ったことは無かったけど、他に人が来る事もなかったんで、俺たちだけの遊び場だった。
 ある時、友達の1人が一緒に遊べない日があった。
俺ともう1人はいつもと違うことをしようってんで、普段の遊び場よりもっと上に登ってみることにした。
 それなりに整備された道からそれほど離れないように登っていくと、少し木が減ってゴツゴツした岩が覗いてる斜面があった。
そこには岩に紛れて片手サイズのツルツルした丸い石がそこら中に転がってた。
 俺たち2人はその丸い石を遠くに投げて遊んだ。
どちらが遠くに飛ばすか競走した。
すげー楽しかった。
 その内飽きて山をおりる時に、記念にその丸い石を俺と友達で1つずつ持って帰ろうとした。
 ふもとまで下りてさあ帰ろうという時に、同級生のYがやって来た。
誰も来ない場所と思ってたんで驚いたが、結構仲の良いヤツだったんで、俺たちは笑顔で声をかけた。
だけどYは俺たちが自転車のかごに入れてた石を見るなり、物凄い怖い顔で、

「 それ山に戻して来い!」

って怒りだした。
 Yは普段大人っぽくて落ち着いたヤツで激しい感情を見せる事なんて無かったんで俺たちは非常に驚いた。
理由はわからなかったがYが言うならと言う事で、俺たちは石を戻して来る事にした。
 走って山を登って岩場についたんだが、せっかくの石を持って帰れないのがなんだか悔しくなって、斜面の岩に思い切り石を投げつけた。
友達も同じようにしていた。
石は鈍い音をたてて砕けた。
 少しだけスッキリした俺たちは、ふもとのYのところまで戻り一緒に家路についた。
Yはずっと怖い顔をしていた。
俺と友人はなんだか気まずくなってしまって、その後山には行かなくなった。
その時いなかったもう1人の友人は、ずっと行きたがっていた。
















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日々の出来事 8月15日 玉音放送

2018-08-15 09:41:45 | A,日々の出来事_







  日々の出来事 8月15日 玉音放送







 今日は、玉音放送があった日です。(1945年8月15日)
1945年8月14日、ポツダム宣言受諾が御前会議において決定され、この日の夜、終戦詔書が発布されました。
そして、この終戦詔書を昭和天皇が朗読したものを録音し、1945年8月15日正午にラジオ放送(玉音放送)されたことで、太平洋戦争の敗戦と降伏が国民に広く宣言されました。
 特にこの放送の、“堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ”の一節はたびたびテレビ等で流されるので、耳にした記憶はあると思います。
ただ、当時の国民は誰も昭和天皇の声を聞いたことが無く、また、難しい漢語表現も手伝って、言っている事がよく分からなかった人が殆どであったと言います。



   沖縄にて

“ 堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ・・・・・・。”

「 こらっ、日本人捕虜!
 この放送の声は、ヒロヒトか?」
「 わかんねえ・・・?」
「 お前は?」
「 う~ん?」
「 お前は?」
「 さあ・・?」
「 誰か、分かる者はいないか?」
「 神様の声は、誰も聞いたことが無いんです・・。」
「 まいったな。
 これは、ホンモノかどうかわからんな・・・。」


でも、玉音放送以前、1928年12月の大礼観兵式に、昭和天皇の肉声をラジオ放送のマイクがたまたま拾ってしまい、一度だけ、神様の声が密かに全国に向けて放送されたことがあったのです。






  玉音放送
















☆今日の壺々話











柏餅



 皇室の人は皿の上に乗った物は、残しちゃいけない決まり。
だから、果物は皮を剥いて出すのがデフォなんだけど、あるとき新米のコックが柏餅をハッパ付きのまま出しちゃって、天皇がハッパをモゴモゴ食ってる→新米コックが上司に呼び出されて数時間説教ってことがあった。

天皇( 柏餅・・・ですよね?でも葉っぱが…、これは初めてかもしれません。)

コック「 あれ?なんで食べないんだろう・・・?」

天皇( 今までお餅のみのパターンでしたが、これは新しい試みなのでしょうか?)

コック「 柏餅…、嫌いなのか…??」

天皇( とはいえ、今まで食べられない物を出された事はありませんからね…、食べるのが礼儀でしょう!)

コック「 よかった、食べてくれた!!!」

天皇「 …モゴモゴ。」
















戦後巡幸について (オットー・カロン博士)




 ローマ大帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。
私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。
殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。
 だから、日本の天皇も外国に亡命すると思っていた。
しかし、そんなことは聞かない。
だから、すでにこの世におられないと思っていた。

 ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。
天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。
しかも、二年もの長い間、北の端から、南の端まで、焼き払われた廃墟を巡って、国民を慰めておられる。
陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、無防備のままで巡っておられる。

 平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、厳重な守りがなされている。
それでも暗殺される王様や大統領がある。
 それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が日本の北から南まで、焼き払われた廃墟を巡る。
国民を慰める。
何という命知らずの大胆なやり方であろうか。
 いつ、どこで殺されるか。
こう思って映画を見ていた。 
しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。
 こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、これはどこにも見られないことである。
われわれは改めて、日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている。
















戦後巡幸



 戦後、昭和天皇が日本各地を回ったとき、天皇をお迎えすることになった。
各宿やホテル、食事を提供するレストランなどは昭和天皇の好きな食べ物を調べた。
その結果、昭和天皇はうなぎが好物だということがわかった。


昭和天皇

昼→「 おw、今日の食事はうなぎかw、うなぎ大好きww!」

その夜→「 お?今晩もうなぎかw、まあ好きだからいいやww!」

翌日昼→「 ありゃw、またうなぎかww、まあみんな好意で出してくれてるんだよねw!」

その夜→「 ちょww、またうなぎかよww、どんだけww!」

翌日昼→「 やっぱり今日もうなぎかwww、でも食べなかったら、せっかく出してくれたのにかわいそうw!」

その夜→「 またもウナギ、/(^o^)\ナンテコッタイ!!」

















平成天皇の超激務





閣議決定された書類への署名や押印 2万2377件
外国の国王や大統領との面会 351回
外国の首相などとの面会 1068回
着任した外国大使から書状を受け取る儀式 597回
首相や最高裁長官の親任式 24回
大臣や大使など認証官の任命式 355回
大綬章など勲章の親授式 40回
文化勲章の親授式 20回
様々な功績者との面会 1494回
赴任する大使との面会 476回
帰国した大使から話を聞くお茶会 153回

以上、皇居にて 4578回(署名や押印を除く)

記念式典などの出席 356回
地方への訪問 246回
福祉施設などの訪問 172回
被災地へのお見舞いなど 15回
外国訪問 14回

以上、皇居外にて。
これ以外に、神道の祭祀を日々こなしている。


これどれくらいの期間での事?


陛下就任以来なので、19年と数ヶ月。
神道の祭祀関連が最も過酷だとされるが、見えない部分なので省略した。

政治家は、もっと働け!
料亭で官房機密費でメシばっかり食ってる場合じゃないぞ、バカ!!




歴代天皇一覧


1 神武     2 綏靖    3 安寧      4 懿徳     5 孝昭
6 孝安     7 孝靈    8 孝元      9 開化    10 崇神
11 垂仁    12 景行   13 成務     14 仲哀    15 應神
16 仁徳    17 履中   18 反正     19 允恭    20 安康
21 雄略    22 清寧   23 顯宗     24 仁賢    25 武烈
26 繼體    27 安閑   28 宣化     29 欽明    30 敏達
31 用明    32 崇峻   33 推古     34 舒明    35 皇極
36 孝徳    37 齊明   38 天智     39 弘文    40 天武
41 持統    42 文武   43 元明     44 元正    45 聖武
46 孝謙    47 淳仁   48 稱徳     49 光仁    50 桓武
51 平城    52 嵯峨   53 淳和     54 仁明    55 文徳
56 清和    57 陽成   58 光孝     59 宇多    60 醍醐
61 朱雀    62 村上   63 冷泉     64 圓融    65 花山
66 一條    67 三條   68 後一條    69 後朱雀  70 後冷泉
71 後三條  72 白河   73 堀河     74 鳥羽    75 崇徳
76 近衞    77 後白河  78 二條     79 六條    80 高倉
81 安徳    82 後鳥羽  83 土御門    84 順徳    85 仲恭
86 後堀河  87 四條   88 後嵯峨    89 後深草  90 龜山
91 後宇多  92 伏見   93 後伏見    94 後二條  95 花園
96 後醍醐  97 後村上  98 長慶     99 後龜山  100 後小松
101 稱光   102 後花園 103 後土御門 104 後柏原  105 後奈良
106 正親町 107 後陽成 108 後水尾   109 明正   110 後光明
111 後西   112 靈元   113 東山    114 中御門  115 櫻町
116 桃園   117 後櫻町 118 後桃園   119 光格   120 仁孝
121 孝明   122 明治   123 大正    124 昭和   125 今上













御電話




 大学時代、インカレの先輩で、学習院女子→学習院大の学生がいました。
彼女は高校時代、同級生であるところのサーヤに、電話連絡をしなくてはならないことがありました。
で、“御所”に電話をしたのです。
 しかし、それはサーヤ直通ではなく、何度も誰かお付きの人に代わって代わって代わって代わって・・・・。
何人目かで電話応対に出た人に、いい加減切れた先輩は怒鳴りました。

「 さっきからずっと待っているんです!
いい加減にしてください!!」
「 すみません・・・。」

そして、次にやっとサーヤが電話口に出ました。
さすがに気が引けた先輩は言いました。

「 ごめん・・・、さっき出た人、どなた?」
「 父。」

そして、その後、その先輩には“天皇を怒鳴りつけた女”というあだ名が付きました。



















  終戦あれこれ







歴史の先生



 高校ん時の歴史の先生が、子供の頃に空襲でお母さんや近所の人達に手を引っ張られて、命からがら利根川まで逃げて来た時のこと。
空襲で街全体が火事で真っ赤になり、その光景に思わず、

『 うわぁ…お母さん、夕日みたいだよぉ、綺麗だね☆(*・∀・)見て見て~。』

すかさず母親に拳で何発も殴られたらしい。
子供心に『“せんそう”より、お母さんの方がこわい』と、終戦むかえるまで思っていたそうだ。



















ニューギニア



 ニューギニアのあたりのある戦場でのこと。
大規模な戦闘をした部隊があって、その後、その部隊の前線基地に、夜な夜な、死んだ兵隊たちが現われるようになったそうです。
 彼らはいずれも、足がちゃんとあり、懐かしそうに「よお!」とか言いながら、現われるのだそうです。
いずれも確かに戦死した連中ばかり。
 神主の息子の兵士がまじないをやったり、お経をよめる兵士がお経を詠んだりしても、まったく効き目無し。
そのうち、ズカズカ上がり込んできて、貴重な飯をバクバク食う始末。
しかも、いきなり手がスルスルっと伸びて、木の実を取ったりして、明らかに化け物化している様子。
怖いやら迷惑やらで困っていたのですが、なんとも手の施しようが無い。
 見るに見かねた中尉だか大尉だかの隊長さんが、幽霊たちが集まっているところへツカツカと歩いていって、いきなり大声で、

「 全員、整列!」

と言うと、素直に整列したそうです。
そして、

「 貴様らは、全員戦死した兵隊である。
よってこの世にいてはならん。
全員あの世へ行って成仏するように。
これは命令である!」

 隊長が涙を流しながら言うと、幽霊たちは、しばらく呆然とした顔で佇んでいたが、そのうち全員が泣き始め、やがてボロボロと土人形のように崩れていった。
あとにはその土だけが残り、彼らは二度と現われることはなかった。
兵隊たちはその土の大部分は現地に埋め、残りを少しづつ日本に持って帰って、供養したそうです。




















骨相





 日本軍ではパイロットを選出する際、どうやら「骨相」を見ていたようです。
元海軍エースパイロットの坂井氏や、元海軍通信士官の阿川氏の著書にも、この記述がチラホラ。
「結構な確率で当たっていた」という意見がある一方で、骨相でダメ出しをされたにも関わらず、エースパイロットになった人も居るので的中率は何とも言えません。
 ただ、骨相の専門家(パイロットの骨相を見てた人)が終戦近くになって、軍幹部にこんな事を言ったそうです。

専門家「もうすぐ戦争は終わりますよ。」
軍幹部「それは一体、どうして?」
専門家「死相の出ている人が随分少なくなってますから。」

まあ…一般人でも末期には「こりゃもうダメだ」って雰囲気でしたし、専門家じゃなくても「戦争は、もうじき終わる」と思ってたでしょうけど…。

 骨相の最初は、飛行眼鏡や照準眼鏡といった顔に直接ふれる装備が合うかどうか、
(それら装備が生産時に想定してる顔の形の想定範囲内に収まっているか・・・それらがちゃんと密着して使い良いか)
の為にあくまで科学的に見てたんだけど、だんだんオカルトになっちゃった。
 オレの高校の同級生は防大に行き、戦闘機パイロットを希望したが、
「貴様は鼻の骨が曲がっとるから酸素マスクが合わん、ヘリのパイロットになれ。」
と言われた、と言っていた。


















ワニ



 うちの爺さんはニューギニアから生還した運のイイ陸軍兵だが、良く魚を捕る時に手りゅう弾を海に投げ込んでね、その時に手足がヒレで、体がスベスベしたデカいワニがたまに捕れたそうだ、焼いて食ったら、美味しかったと話してくれた。


 ニューギニア方面に派遣された兵士の体験談の中には、その手の怪物、怪獣の目撃談が他戦線と比較して多く含まれている。
戦後、部隊史などをまとめるために行われた聞き取り調査や、新聞社などが発行したドキュメントなど、ある程度、公式な性格を持つ資料の中にも、似たような体験が多く記録されている。
 その中でも特に多いのは、爪と長いくちばしを持つ大コウモリ、足が鰭化している巨大ワニ。
当時、古代の爬虫類の外観がどのくらい普遍的な知識だったのかは不明だが、申し合わせたように、この二種の目撃談は余談として頻出する。
中には、実際に被害が出て、任務として退治しに行ったなんて話もあるから、それが未知の動物かどうかはともかく、何かがいたのかもしれない
 ちなみにこの手の話は、現地の人たちも良く語るのだが、彼らは渡来した人々が持ち込んだ話や戦争の風景も、神話や実体験として扱ってしまうので、参考にはならないと言える。
















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8月14日(火)のつぶやき

2018-08-15 03:00:38 | _HOMEページ_





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