大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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日々の恐怖 8月1日 稲荷社2

2018-08-01 19:15:42 | B,日々の恐怖







  日々の恐怖 8月1日 稲荷社2







 神社から帰って何ヵ月か経った頃、急に神社のことが気になって友人に聞いてみると、場所をGoogleマップで送ってきてくれたので、行ってみることにした。
 休みの日に行ったので昼間に到着した。
前回は夜だったが、明るさとは関係なく、景色が全く違って見えた。
石燈籠も稲荷社も何もなく、焚き火をしていた広場もない。
小さな社がぽつんとあるだけだった。
間違ったかと思ったが、車を止めた場所は同じだし、駐車場所から間違うような道ではない。
 不思議に思いながらお参りをして、車に戻る途中の自販機でジュースを買っていると、一台の軽トラが来た。
挨拶がてら神社のことをたずねてみた。
 正月には集落の人はお詣りにくるが、それ以外の人は滅多にこないということだった。
月祭りのことを聞いても、年に一度秋にお祭りをやっていたが、今はやっていないと言う。
まさかと思い初老の男性のことを聞いてみたが、野良猫はたくさんいるけど、そんな人は知らない。
猫の世話をするような人がいたら俺たちが知らないはずがないとのことだった。
今回も他府県ナンバーの見知らぬ車が停まっているので様子を見に来たらしい。
 前回来たときと余りにも様子が違うので、軽トラの男性に話を聞いてもらっていると、男性は笑いながら、

「 狐に化かされたな。」

と言う。
また、

「 神社の屋台で何も食べなくて良かったな。」

とも言っていた。
 彼のお爺さんくらいの時代には狐に化かされることはあまり珍しいことではなかったようだ。
最近でも、たまに化かされて石や毒キノコを食べさせられたりするらしい。
怖くはなかったが、不思議だった。















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日々の出来事 8月1日 阿久 悠

2018-08-01 11:09:59 | A,日々の出来事_






  日々の出来事 8月1日 阿久 悠






 今日は、阿久 悠が亡くなった日です。(2007年8月1日)
阿久 悠は、兵庫県淡路島出身の作詞家で、本名は“深田公之”、“阿久 悠”は“悪友”から由来したペンネームです。
始めは広告代理店でCM制作をしていましたが、放送作家に転進、同時に作詞家としての活動を本格化させます。
 阿久 悠の作詞したヒット曲は非常に多く、数え切れないくらいあります。
また、小説家としても活躍し、小説“瀬戸内少年野球団”は映画化されています。


   阿久 悠の言葉

“ 感動する話は長い、短いではない。
3分の歌も2時間の映画も、感動の密度は同じである。”



  ヒット曲の一部

「また逢う日まで」尾崎紀世彦
「北の宿から」都はるみ
「勝手にしやがれ」沢田研二
「UFO」ピンク・レディー
「雨の慕情」八代亜紀
「ジョニィへの伝言」ペドロ&カプリシャス
「もしもピアノが弾けたなら」西田敏行
「宇宙戦艦ヤマト」ささきいさお
「津軽海峡・冬景色」石川さゆり
「ロマンス」岩崎宏美
「あの鐘を鳴らすのはあなた」和田アキ子
「どうにもとまらない」山本リンダ
「雨の慕情」八代亜紀
「若草の髪かざり」チェリッシュ
「わたしの青い鳥」桜田淳子
「ブーメランストリート」西城秀樹
「学園天国」フィンガー5



歴代作詞家売上ランキングTOP10(2011年)


1位 - 6,828万枚 阿久悠
2位 - 4,984万枚 松本隆
3位 - 4,576万枚 秋元康
4位 - 4,219万枚 小室哲哉
5位 - 3,718万枚 稲葉浩志
6位 - 3,570万枚 桑田佳祐
7位 - 3,467万枚 つんく♂
8位 - 2,850万枚 桜井和寿
9位 - 2,596万枚 なかにし礼
10位 - 2,473万枚 山上路夫
   (2011年6月20日付迄)



その後、AKBの貢献で秋元康に抜かれます。


1位 秋元康:6859万1000枚
2位 阿久悠:6831万9000枚
3位 松本隆:4983万8000枚
4位 小室哲哉:4222万4000枚
5位 稲葉浩志:3759万4000枚

      (2013年2月27日付迄)












   阿久 悠
















☆今日の壺々話










阿久悠の宝物



 モノにはこだわりがないという作詞家の阿久悠だが、子供の頃欲しかった宝物と呼べるものが三つだけあったという。

「 あの頃、瀬戸内の島では、革のグローブは手に入らなかった。
柔らかいクレヨンは見たこともなかった。
ハモニカはみんな小さかった。
 二十二歳のボーナスは、たいした額じゃなかったけれど、みんなまとめて買ってやった。
あとさき考えずに、革のグローブと柔らかいクレヨンと大きなハモニカを買ってやった。
それで貧しい少年時代とサヨナラしようと思ったんだ。」





















 1971年の流行



   ピンポンパン体操

  阿久悠作詞・小林亜星作曲


全員集合 ワー!!

ズンズンズンズンズンズンズンズン ピンポンパポン♪
ズンズンズンズンズンズンズンズン ピンポンパポン♪
トラのプロレスラーは シマシマパンツ
はいてもはいても すぐとれる
がんばらなくっちゃ がんばらなくっちゃ
がんばらなくっちゃ
から手をビシビシ パンツをするする
から手をビシビシ パンツをするする
かてかてトラの プロレスラー

ズンズンズンズンズンズンズンズン ピンポンパポン♪
ズンズンズンズンズンズンズンズン ピンポンパポン♪
カバの忍者は まぬけでこまる
化けても化けても すぐばれる
がんばらなくっちゃ がんばらなくっちゃ
がんばらなくっちゃ
しゅりけんシュシュ 煙をモクモク
しゅりけんシュシュ 煙をモクモク
いけいけカバの 忍者くん

でんぐりかえって モグラちゃん
でんぐりかえって 怪獣くん
でんぐりかえって 王選手
でんぐりかえって お嫁さん

ズンズンズンズンズンズンズンズン ピンポンパポン♪
ズンズンズンズンズンズンズンズン ピンポンパポン♪
はしれはしれ キンタロー
おちゃわん 新聞 とびこえて
はしれはしれ キンタロー
トイレはちかいぞ がんばろう

はな子さん はな子さん
ママの名前は はな子さん
いらっしゃいませ はな子さん
ごいっしょにどうぞ

ズンズンズンズンズンズンズンズン ピンポンパポン♪
ズンズンズンズンズンズンズンズン ピンポンパポン♪
ワニのおよめさんは 水虫でこまる
かいてもかいても すぐかゆい
がんばらなくっちゃ がんばらなくっちゃ
がんばらなくっちゃ
ドレスをサッサッサッ 水虫かいかいかい
ドレスをサッサッサッ 水虫かいかいかい
かけかけワニの およめさん

蛙になりましょ ピンポンパンポンピン
大蛇になりましょ ピンポンパンポンピン
毛虫になりましょ ピンポンパンポンピン
カラスになりましょ ピンポンパンポンピン

ありがとうありがとう 体操ありがとう♪
ありがとうありがとう 体操ありがとう♪
みんなで言いましょ
アリガトウ ゴザイマース!



この歌には、当時流行っていたものがすべてあります。




















また逢う日まで、尾崎紀世彦



 「また逢う日まで」などのヒット曲で知られる歌手の尾崎紀世彦が、東京都内の病院で亡くなりました。
69歳でした。
尾崎さんは神奈川県の出身で、コーラスグループで活動したあとソロデビューし、昭和46年に「また逢う日まで」が100万枚のミリオンセラーとなりました。
 阿久悠が作詞、筒美京平が作曲したこの歌は、日本レコード大賞と日本歌謡大賞を受賞し、NHK紅白歌合戦には3回出場しています。
豊かなもみあげがトレードマークで、その後も力強く歌い上げる高い歌唱力で歌番組などで活躍しました。
2012年5月31日午前0時5分、肝臓ガンの為に東京都内の病院で死去。

主な阿久悠関連

『また逢う日まで』 (1971.03.05) 作詞:阿久悠/作曲・編曲:筒美京平 オリコン最高位1位
『さよならをもう一度』 (1971.07.25) 作詞:阿久悠/作曲・編曲:川口真 オリコン最高位2位
『愛する人はひとり』 (1971.11.25) 作詞:阿久悠/作曲・編曲:筒美京平 オリコン最高位2位
『ふたりは若かった』 (1972.03.25) 作詞:阿久悠/作曲・編曲:筒美京平 オリコン最高位11位


また、尾崎紀世彦は、「ウルトラセブン」の主題歌のコーラスにも参加していました。


セブン
セブン
セブン   ←――――――このパートです。
セブン

セブン、セブン、セブン
セブン、セブン、セブン




















 還暦の天地真理

~食費1日500円のシニアマンション一人暮らし…、いまも毎日1時間半レッスン~



“ ボタンを押せば救急車が来る。
だからここで余生をゆっくり過ごそうと思って…。”


 「週刊新潮」のワイド特集「我が人生『運命の一日』」に、久しぶりに天地真里の消息が載っていた。
白雪姫も60歳になった。
横浜市内の家賃7万円のシニアマンションで一人暮らし。
 天地が語る。

「 気分が悪くなったら、ボタンを押せば救急車が来るんですよ。
だからここでね、余生をゆっくり過ごそうと思って…。
1日500円でお弁当もつくのよ。
お肉とか、お魚とか。
夕方の4時半になると、フロントへ取りに行くの。」

 「ひとりじゃないの」「水色の恋」「ちいさな恋」で一世を風靡し、紅白歌合戦にも出場した。
34歳の時に実業家の男性と結婚して長女が生まれたが離婚し、長女が天地の近くに住んでファンクラブの管理を行い、 家賃や生活費はファンクラブの会費で賄っているという。
彼女の近影が全盛期の頃の写真の下に小さくあるが、過酷だった人生が刻まれた顔である。
 日本中のアイドルになった彼女に、元トルコ(今のソープランド)嬢ではなかったかというスキャンダルが出たことがある。
真偽のほどはわからないが、彼女には他のアイドルにはない親しみやすさがあった。
なぜか彼女の歌はゲイたちに好まれ、 新宿二丁目のクラブ「白い部屋」やゲイバーで「彼女」たちが手をつないで「ひとりじゃないって、素敵なことよ~」と絶唱していたことを思い出す。
 新宿でお袋さんとおにぎり屋を開いたこともあった。
デビュー5年後に体調を崩し、徐々に芸能界からフェードアウトしてしまった。
足立区に住んでいたときはアパートの壁が薄かったため、河川敷で歌っていたという。
 彼女は今でもレッスンを欠かさない。
アカペラで1時間半かけて誰もいない自分の部屋で歌うそうだ。
記者にも「水色の恋」を披露してくれたそうだが、 前歯が一部欠けているので時折息が抜けてしまうが、よく通る声は昔と変わらなかったという。
 70年代を語る上で欠かせないアイドルも還暦かと思うと、自分も長いこと人生を歩んできたなと思わざるをえない。
どこかで彼女の手記を出さないかな。
団塊世代は買うと思うよ。(2012年7月)



















ちょっと思い出した話





 テレビを見ていたら阿久悠さんの写真が出ていたのでちっと思い出したこと。
うちの実家は田舎なのですが、阿久悠さんの住んでいた地域名のです。
うちの母親が阿久悠さんの奥さんからヨガを習っていたり、うちの父親が阿久悠さんの家のアトリエを設計したりして、良い付き合いをさせてもらっていたんですよ。
 で、阿久悠さんが亡くなった後で聞いた話なんですが、亡くなった後ですね、大物女性演歌歌手がわざわざこんな田舎まで高価な花束を届けに来たらしいです。
でも、阿久悠さんの奥さんは、そういうのは一切断っているからと言って受け取らなかったらしいんですよ。
 そしたらですね、後日近くの空き地にですね、その届けようとした高価な花束が捨ててあったのを見つけたらしいです。
つまり、お悔やみの気持ちで持ってきた高価な花束を、引き取られなかったからって道端に「ポイッ」てな感じなわけです。
 いや・・・すごいなと。
ちょっとした、ドラマのワンシーンみたいだなと思ったわけですよ。
ちょっと思い出したので、書いてみました。
















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7月31日(火)のつぶやき

2018-08-01 08:19:32 | _HOMEページ_






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