日々の出来事 8月26日 ベンチがアホやから野球がでけへん
今日は、江本孟紀が“ベンチがアホやから野球がでけへん”事件を起こした日です。(1981年8月26日)
当時、阪神タイガースのエースだった江本は、ドラフトでの江川事件で巨人から移籍して来た小林繁にエースの座を奪われ、中西太監督の起用に不満を募らせていました。
そして、1981年8月26日、江本は本拠地である甲子園の対ヤクルト戦に先発します。
江本はこの日好調で、8回までヤクルト打線を4対1と抑えていましたが、この回、3連打を浴びて1点差に詰め寄られます。
2アウトですが、ランナーは2塁に居り、バッターは水谷新太郎で、敬遠かリリーフになると予想してベンチを見ると監督の指示は無し。
様子見に1球高めに外して投げた所、水谷が飛び付いて打ち、これが安打となり同点になってしまいます。
この見殺し采配に江本は降板後ぶち切れて、罵詈雑言をベンチに向かって浴びせ掛けました。
これを外で聞いていたスポーツ新聞の記者達が、流れて来る罵詈雑言の中から、“ベンチ”、“アホ”、“野球”、“でけへん”をくっ付けて文章を作り、江本が言ったことにして記事にしました。
江本自身は、この発言を否定しましたが、球団は発言は事実として処分しましたので、江本は球団に嫌気が差し、この年限りで引退しました。
問題 ○○に文字を入れましょう。
“ ○○がアホやから、○○がでけへん。”
当時、関西では、このフレーズが巷で流行りました。
例、教師がアホやから、勉強がでけへん。
例、社長がアホやから、仕事がでけへん。
ベンチがアホ
☆今日の壺々話
ニークロ
通算300勝以上を挙げたフィル・ニークロ投手はナックルボーラとして有名ですが、不正投球の名手でもありました。
ある試合で怪しい投球がありました。
審判がいぶかしんでニークロのグローブを調べました。
果たして中から紙が出てきました。
その紙には、次のように書かれていました。
「 俺はお前に見つかるような下手な不正投球はしない。」
判定“ボール”
それはまだ夜間照明のない時代の話です。
日が暮れて暗くなり、守備側の監督は審判に試合中断を要求しました。
しかし強硬な要求にも関わらず審判は言いました。
「 まだボールは見える、続行だ。」
そこで監督は投手に何かをそっと渡しました。
試合は続行され,投手は第一球を投げました。
球は外角をはずれました。
審判が言いました。
「 ボール!」
すると捕手が言いました。
「 なに、今のがボールだと?
やっぱりおまえは見えていないよ。」
捕手はミットの中を審判に見せました。
そのミットの中にあったのはリンゴだったのです。
そして、試合はもちろん中断されました。
プロ野球選手の子供の名前
秋山幸二 → 真凛(まりん)
朝倉健太 → 大空(そら)
井口資仁 → 琳王(りお)
池山隆寛 → 拳聖(けんせい)
稲田直人 → 愛輝(あいら)
岩隈久志 → 羽音(うた)
江川 卓 → 早(さき)、与(あと)
栗原健太 → 心愛(ここあ)
小林宏之 → 夢行(ゆあん)
佐伯貴弘 → 珠巴咲(たばさ)
清水隆行 → 咲吏(えみり)
福留孝介 → 颯一(はやと)
藤川球児 → 温大(はると)、絢英(あゆな)
松坂大輔 → 日光(にこ)
三浦大輔 → 澪央斗(れおと)
山部 太 → 稀音(けいん)
和田 毅 → 心結(みゆ)
野球好き
大の野球好きのトニーが80歳で死にました。
葬儀の翌日、同じく野球好きの親友デビッドの枕元にトニーが現れて言いました。
「 デビッド、良いニュースと悪いニュースがあるぜ。」
「 おお、トニー!君なのか?」
デビッドは親友との再会を喜び、言葉を続けました。
「 で、良いニュースって何だ?」
「 聞いて驚くなよ。
あの世でも、野球が盛んに行われているんだ。
それも、天国と地獄の対抗戦と言うのもあるんだぜ。」
「 へぇ~!!」
「 俺も今日、天国のチームに入ったんだ。」
「 ふ~ん、そりゃすごい!
で、悪いニュースは?」
「 明後日の地獄の先発は君だよ。」
野球
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の ベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
やることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように「野球、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。
ベンチで弁当
最近外が暖かくなってきたので、職場の仲間数人と外で飯を食おうと言う流れになり、コンビニで飯を買って、会社の近くの公園のベンチで食い始めた。
ターミナル駅の近くの公園なんで、排気ガスや車の音はうるさいけどいい気分転換になった。
飯も食い終わって仲間数人と話してると、俺たちの居るベンチの前で一人の男の子が転んだ。
5歳ぐらいかな?かなり泣き始めた。
俺たち全員独身で子供の扱いなんか慣れてなかったから、オロオロしながらも抱き起こした。
周りを見渡すと、そこの近くのデパートの袋を足元において、携帯で話し込んでる女性が一人。
でも、泣き声に気付くそぶりも無い。
とりあえず狼狽しながら「大丈夫?痛いの痛いの飛んでけ〜!!」とか言いながら慰めてた。
んで、だいぶ落ち着き始めてその子も泣き止めかけた時、その女性がすごい形相で走ってきた。
「 ちょっと!!あんた達何やってんのよ!!」
「 いえ・・・この子が僕らの目の前で転んだんで。」
「 あんた達がやったんでしょう?
ほんと酷いわね!!」
「 いえ、けしてその様な事は・・・。」
正直キレそうになった。
目を離したのはアンタだし、それにせめて泣き声で気づけよ・・・。
「 あんた達この辺の会社でしょ?
名刺出しなさいよ!!
警察呼んで訴えてやるから!!」
母親のファビョリ方に怒りがふつふつと湧いてきたところで、なんと本当に警察がきた。
どうやら公園の周りの駐禁を取りに来ていたらしい。
「 あの〜大丈夫ですか?」
「 おまわりさん!!
この人達家の子供に悪戯したんです!!
訴えます!!」
「 事の顛末は見ていましたよ。
事実は彼らの言うとおりです。
なんだったら、カメラの映像見ますか?」
と、おまわりさんは外灯の上にある監視カメラを指差した。
「 おまわりさんの言うとおりだよ!!
ママずっとおしゃべりばっかり!!
ママなんか嫌い!!」
子供まで味方してくれたのは嬉しかったけど、ちょっと情けなかったかな。
さっきとは逆に母親はスゲー落ち込んで半泣き。
ちょっとかわいそうだった。
でも、この後のおまわりさんがかっこいいんだ。
「 駄目だよ、僕。
ママの事嫌いって言ったら。
すごくママかわいそうじゃない。
男の子はママを守らなきゃ。
だから、ママを責めるんじゃなくて、今落ち込んでるママを慰めてあげなきゃ。」
そういって子供の頭撫でたんだ。
その子は元気良く頷いて、俺たちに「ありがとう」って言って母親の手を引いて帰っていった。
なんかNHKのドラマみたいに恥ずかしいぐらいの展開だったけど、おまわりさんのおかげでスーともしたし、何より心温まったね。
おかげで昼からの仕事に遅れてしまったのはご愛嬌としておこう。
今日は代休ゆえ、ゆっくり寝ます。
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