極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

われらに薄きたましひの鞘

2018年05月09日 | 時事書評

      

                                      

『呉子』

春秋戦国時代に著されたとされる兵法書。武経七書の一つ。『孫子』と併称される兵法書。前四
世紀
楚の宰相であった呉子の言を集録したものという。

序  章

魯の上将軍であった呉子は、中傷によって失脚し、やがて新興旧説を訪れた。『呉子』の言はこ
こから始まる。

呉起、文候に見ゆ――「主君、なんぞ言と心と違える」

呉起は、儒特の衣冠をつけ、戦術論をひっさげて、魏の文俣に面会した。文侯は、「わたしは、
戦争のことなどまっぴらだ」
呉超はいった。
「わたくしは、外に現われた事象によって内部にひそむ真実を推測し、過去によって、未来を洞
察し止す。あなたは、なんで心にもないことをおっしゃるのか。侯よ。戦争はいやだとおっしゃ
るあなたが、いま職人たちに伺を作らせておられますか? 職人だちはせっせと獣の皮をはいで
衣をつくり、これに朱章江をぬり重ね、赤や青の絵具でいろどり、猛獣の絵を副いているではあ
りませんか。こんなものを着ても、冬は暖かくないし、夏は涼しくありますまい。

また、長いのは二丈四尺、短いのでも一丈二尺もある戟(先が三つ又になった矛)をつくり、さ
らに大きさが家ほどもあり、実用いってんばりの軍をつくっています。見た目に美しくないし、
狩に便うには大きすぎて不便です。……いったい、そのようなものを、あなたはどこでどう便う
おつもりか?もちろん戦争に備えてのことでありましょう。それならば、装備だけでなく、これ
を有効適切に使いこなす人材がなければなんにもなりません。たとえていえば、ひなを抱いてい
る牝鶏が野良猫につっかかり、子持ちの大が虎に歯向かうようなものです。闘志だけでは殺され
てしまうのです。

むかし、諸侯のひとりであった示指氏は、文徳だけを重んじて武備を撤廃したため、その国は滅
びました。また、有旭氏の場合はその逆に、軍勢だけをたのみにして蛮勇をふるったため、君主
の地位を失いました。明君は、こうした教訓を学びとり、内にたいしては文節、外に向かっては
武備をととのえるのです。敵が攻めて来だのに、進んで戦おうとしないのは、正義とはいえませ
ん。敵のために殺された人民の屍に涙をそそぐだけでは、仁とはいえません」
呉起のことばに感じいった文侯はみずから席を設け、夫人が酒をすすめて款待した。そして祖先
の廟に報告し、かれを大将に登用した。

果して、呉起は西何の地を守って奮戦した。主な会戦七十六回、そのうち六十四戦は完勝し、あ
とはすべて引きわけ、つまりまったく無敗であった。魏が四方千里にわたって領土を拡張できた
のは、すべて呉起の功績である。

〈魏の文侠〉もと晋の国の卿(有力貴族)。同じ晋の卿だった趙氏・韓氏とともに晋をほろぼし
てこれを三分し、魏を建国した。紀元前396年、在位50年で没した。
〈獣の皮をはいで・・・〉 戦闘用の皮ごろもをさす。
〈西河〉 現在の陜西省にあった町。黄河の西岸にあって強図案と接し、魏の国防第一線。
 ★『呉子』は、魏の武侠に対して、呉起が説いたことばを記録した形になっており、冒頭のこ
の一節は、典子と武侠の父文侠の出会いを述べたもの。「平和主義」の看板をかけ、実は領土拡
張をねらう文侠の本心に、典子は必死の肉薄をこころみる。この進言のコツは実に微妙である。
➲ 『韓非子』説雄篇。「見をもって隠を占い、往をもって来を察す」現象から本質をみぬき、
実績から明日を予測するという意味の成句。



【下の句トレッキング:われらに薄きたましひの鞘】

今月号の『歌壇』の歌人坂井修一の歌評「蘇る短歌――大好きなうた、ちょっと苦手なうた」(
第二回「たましい見ゆ」で、下の三首を読みくらべ、第一首のラピスラズリ(瑠璃)は。深い青
色の宝石だ。夜中に瑠璃を磨くうち、ふと思う。こんなふうに人の体を磨き削ってゆくと何か見
えるのだろうか。やがては魂まで見えるものか。澄み果てるような冴え冴えとした気分の中で、
そんなことまで信じてみたくなる。この歌、二句の途中で切って思いを飛躍させ、四句の終わり
近くの読点で切って今度は現実に揺り戻しているが、様式美においても、主題においても、山中
の歌は構成で優っているが山中の「われらに薄きたましひの鞘」は何度舌の上でころがしても、
ほれぼれするほど美しい詩句であり川野のそれを圧倒していると評し、返す刀で、第三首の水原
の時計の歌には、山中ほどの鋭さはないが、心の奥底をさまよっている間に出会った命のしずく
のようなものが、ぽとり、と音を立てているような山中ー水原に繋がる「たましひ」だと評した
後、

Lapis‐1azuli みがけりからだ削ぎゆけばたましひ見ゆ、と信じたき夜半 川野芽生 『ラピスラズリ』
 
いづくより生れ降る雪運河ゆきわれらに薄きたましひの鞘       山中智恵子『紡錘』

針と針すれちがふとき幽かなるためらひありて時計のたましひ      水原紫苑 『びあんか』


さらに、川野芽生、睦月都、小佐野弾。これらいちばん新しい新人賞作家たちを思うとき、私は、
これまでになかった期待と不安が湧き起こるのを感じると吐露し、


殺害をもう怖れずに済むといふ昧爽のマリン・スノウなるかな     川野芽生 『ラピスラズリ』

パーティーにわれらはわらふ誰とゐても貿易風のやうに笑へる     睦月 都 『十七月の娘たち』

どれほどの量の酸素に包まれて眠るふたりか 無垢な日本で      小佐野弾   『無垢な日本で』 

そして、二十一世紀の世界には、かつてなかった種類の理不尽が満ちている。これらの作品には、
そんな理不尽を受け容れきった若者たちの澄明な眼があり、その内側には「世界など何ほどの
のでもない」という強靭な拒否の気持ちが育まれているようだ。塚本邦雄、山中智恵子、河
野裕
子、水原紫苑、米川千嘉子、大滝和子。もっと若い光森裕樹や野口あや子。こうした先達
の作風
を学びながら、彼らとは違う、アナーキーでニヒルで、どこか甘やかな言葉たち。今、
この恐ろ
しい世界で静かに息をしながら、彼らは本物の言葉を手にしようと、痛々しくも大胆
な歩みを始
めたようだ、と。このように結んでいる。寸暇を惜しみ久しぶりに繊細な詩歌評に触れ
、眼精疲
労で惚けていた頭と心が洗われるようだった。




坂井修一[サカイシュウイチ] :1958年愛媛県松山市生。1978年創刊間もない「かり
ん」入会と同時に作歌開始。同年、情報理工学を専攻することを決め、以後2足の靴を履き続
けている。歌集『ラビュリントスの日々』(現代歌人協会賞)、『ジャックの種子』(寺山修
司短歌賞)、『牧神』(茨城県歌人協会賞)、『アメリカ』(若山牧水賞)、『望楼の春』(
迢空賞)。評論集『斎藤茂吉から塚本邦雄へ』(日本歌人クラブ評論賞)。その他、「かりん」
編集委員。現代歌人協会理事。日本文藝家協会、日本歌人クラブ会員。東京大学情報理工学研
究科長・教授。工学博士

【最新高品位電池技術篇:カーボンナノチューブ内にリチウムイオンを埋め込む】

   Apr. 26, 2018.
Title:Electrochemical Performance of Lithium Ion Battery Anode Using Phosphorus Encapsulated into Nanoporous
Carbon Nanotubes

5月8日、豊橋技術科学大学の研究グループは、カーボンナノチューブ内にリチウムイオン電池
電極材料を詰め込むことに成功したことを公表。

赤リンをリチウムイオン電池LIB)電極材料に用いた場合、現行のLIB電極に使用されているグ
ラファイトに比べて約7倍の充放電容量を示す可能性があるため、赤リンは高容量LIB電極材料と
して注目されている。グラファイトの場合、6個の炭素原子が1個のリチウムイオンを吸蔵、赤
リンの場合、1個のリン原子が3個のリチウムイオンを吸蔵できる。このリチウムイオン吸蔵量
の差から、赤リンを用いたLIBは高容量化を達成できると考えられるが、赤リンはその分、リチ
ウムイオンの吸蔵・放出による体積変化が大きく、繰り返し充放電反応を生じると赤リン粒子の
亀裂・剥離・脱落が起こる
。その結果、充放電反応に寄与する赤リン粒子の量が減少、電池容量
の急激な低下が問題となる。また充放電反応時に電極では電子のやり取りも生じるが、赤リンが
電気を流しにくい性質(絶縁体)であるため、エネルギーロスが大きい。

そこで、上図1左のように、赤リン粒子の亀裂や剥離に伴う粒子脱落を抑止するために、カーボ
ンナノチューブ(CNT)の中空孔に赤リンを詰め込んだ構造を持つ材料を合成。電気を流しやすい
CNTは、赤リン粒子の電気的弱点を補う働きも担う。電池として充放電させる際に、リチウムイ
オンの移動を円滑にし、赤リンの電気化学反応性を向上させるために、上図1/右のように予め
CNTの側壁にナノサイズ(<5nm)の孔を形成しても、上図1/左の分析画像からCNTの中空孔に
赤リンが安定に存在することを確認。

 Apr. 26, 2018.
Title:Electrochemical Performance of Lithium Ion Battery Anode Using Phosphorus Encapsulated into Nanoporous
Carbon Nanotubes


この材料をLIB電極に適用することで、50回の充放電試験においても、上図2/左の通り、約
850mAh/gの可逆容量が得られ、グラファイトの2倍以上の容量を示しました。また図2(右)に示す
通り、10回の充放電試験以降、充放電効率(クーロン効率)は99%以上の高い値を示し、充放電
反応の可逆性が高いことがわかりった。しかし、充放電を繰り返し行うと、充放電容量が徐々に
低下していきました。この原因として、❶赤リン粒子が劣化していることや、❷副反応に電荷が
消費されていることが考えられる。が、側壁に孔を開けていないCNTに赤リンを埋め込んだ電極
よりも、赤リンの電気化学反応性が向上し、格段に充放電性能が向上していることが判明する。
❸また前述図1/左と同様に、充放電後にも赤リン粒子がCNTの中空孔に存在している様子が観
察され、赤リンの構造安定化を達成。
このようにこの研究では高容量LIBB電極材料として、CNT
の中空孔に赤リンを埋め込んだ構造を提案しているが、実用時に充放電反応を長期間繰り返す場
合には、更なる電極構造の改質を必要とする。今後もこのような高容量LIBB電極材料の研究を引
き続き進めていく方針である。これは、面白い!

 May 8,2018



※「タンスの中から電池の中へ―大環状有機分子から全固体リチウムイオン電池の大容量負電極
が誕生―」、東北大学 原子分子材料科学高等研究機構,
科学技術振興機構、2016.05.14(下図参
考)

Accepted:Apr. 16 l 2018、doi:10.1038/s41598-018-25193-2、
Title:Anisotropic diamond etching through thermochemical reaction between Ni and diamond in high-temperature water vapour



【最新パワーデバイス製造技術篇:熱化学反応型異方性ダイヤモンドエッチング法】

5月1日、金沢大学の研究グループは、究極のパワーデバイス材料であるダイヤモンドの高速・
異方性エッチング技術開発したことを公表。
エネルギー(電力)の利用の更なる高効率化が求められており、その鍵は電力制御を担っている
パワーデバイスが握っている。現在主流であるシリコンパワーデバイスは高度発展してきたもの
の限界に近付きつつあり、更なる高性能化は極めて困難と見られ、シリコンカーバイド窒化ガリ
ウム、酸化ガリウム、ダイヤモンドなどのワイドバンドギャップ半導体に注目されている。中で
もイヤモンドは半導体材料の最大絶縁破壊電界、キャリア移動度に加え、物質中最大の熱伝導率
は魅力的であり、❶高耐圧化・❷低損失化・❸高速化・超小型化を実現する上で大変有利に働く
ため、ダイヤモンドは究極のパワーデバイス材料として有望であるものの、最高水準の硬度と化
学的安定性を有するダイヤモンドを加工=エッチングし、デバイス構造の作製は難しい。現在の
ダイヤモンドデバイス構造の作製は、プラズマプロセスが用いられているが、エッチングが低速
である上に、ダイヤモンドのエッチング面近傍にプラズマ起因のダメージが生じ、デバイス性能
を劣化させる。ダイヤモンドを高速エッチングできる非プラズマプロセスの開発が望まれていた
が、ニッケルへの炭素の固溶反応に着目、ダイヤモンドエッチングプロセス開発に取り組んでき
た。

この研究では、高温水蒸気雰囲気下におけるニッケルへの継続的な炭素固溶反応を用いることに
より世界最速の異方性ダイヤモンドエッチンングプロセスを実現しました(上図1参照)。高温
水蒸気雰囲気を用いることで、ニッケル表面が酸化し、ニッケル中の固溶炭素はその酸化ニッケ
ルとの酸化還元反応により、二酸化炭素および一酸化炭素として排出されます。これによりニッ
ケル中の炭素の不飽和状態が維持され、高速かつ継続的なダイヤモンドのエッチングが可能です
(上図2参照)。さらに、高温水蒸気は酸素とは異なり、ダイヤモンドを直接エッチングする作
用がないため、ダイヤモンドのニッケルと接触する部分のみを選択的にエッチングを実現させ。
また、プラズマを用いないためデバイス性能を劣化させるプラズマダメージは生じなかった。こ
の技術は、デバイス構造の作製だけでなく、ダイヤモンドの平坦化や切断などの加工プロセスへ
の応用もできると考えている。



 
世界はわれわれの畑だ。   ヘンリー・ジョン・ハインツ(1844~1919

 第2章 「中国産」のトマトペースト
フランス、ヴオクリューズ県カマレーシュル=エーグ

スーパーマーケットの保存食品コーナーで、トマトペースト、ケチャップ、カットトマト缶、ト
マトソースなどを老若男女さまざまな客が真剣な表情で選んでいる。彼らのほとんど
は、こうし
たトマト加工品に使われている原材料はこのスーパーの生鮮食品コーナーや市場で
売られている
トマトと同じだと思っているはずだ。
いや、何人かは、「缶詰に使われているのは大量生産され
ているトマトだ」と言うかもしれな
い。だがほぼ全員が、添え木をされた緑の茎になっている赤
くて丸い実をイメージしているに
ちがいない。

「いずれにしても、トマトはトマトじやないか」と言う人もいるだろう。
「もちろん、いろいろな品種のトマトがあるし、出来のいいのも悪いのもある。でもトマトは
マトさ。強いて言えば、畑や菜園で露地栽培されたものと、温室栽培されたもの、土ではな
く特
殊な土台に桂えられたものなどの違いがあるくらいさ」

スーパーマーケットの客や、ピザ店でマルゲリータを焼いている職人にかたっぱしから尋ねたと
ころ、ほとんどがトマト加工品に使われているトマトの正体を知らなかった。この取材を
する前
のわたしとまったく同じだ。それも当然だろう。こうした製品のパッケージデザインや
テレビC
Mには、必ず赤くて丸いトマトが使われているのだから。わたしたちの脳にはこのイ
メージが完
全に刷りこまれている。世界中でトマト加工品に使われているパッケージの数は、
年間こ10億
に上るというのだから[4]。

加工トマト業界は、人々がトマトに抱くイメージをうまく利用しているのだ。加工用トマトを実
際に見たことがある人はいるだろうか?加工用トマトと生食用トマトは、リンゴとナシ
ほどに違
う。別の目的のために、別の環境で作られた、別の果実と考えるべきだ。
加工用トマトは、加工
に適した特徴を持つよう、遺伝子工学研究者によって人工的に生みだ
されたものだ。濃縮されて
ドラム缶に詰められ、遠くの国に届けられるまで地球を何周も回る
ことすらある。その流通ルー
トは網の目のように世界中に広がっている。あらゆる国で輸送さ
れ、店頭に並べられ、消費され
る。

こうした加工用トマトは、生食用のように丸くはなく細長い形をしている。水分量が少なく、重
くて実が詰まっている。皮は分厚く、生でかじると固くて、食感がコリコリしている。収穫後に
トラックで長距離輸送されたり、加工用機械のなかで跳ね回ったりしてもつぶれないよう、丈夫
に作られているのだ。そして傷みにくい。
農学者は、加工用トマトのことを冗談交じりで「戦闘用トマト」と呼ぶ。トラックの荷台のなか
で、何百キロものトマトの山の下敷きになっても、びくともしないほど頑丈だからだ。長年の研
究開発の成果でそういうトマトが生まれた。だからくれぐれも、どんなに頭にくることがあって
も、芸術家や政治家の顔に加工用トマトを投げつけてはいけない。石をぶつけるのと同じで、お
そらく相今は即死してしまうだろうから。

スーパーの生鮮食品コーナーで売られているトマトは水分をたっぷり含んでおり、トマトの重さ
はほぼ水の重さと言ってもいい。だが加工用トマトは水分をほとんど含んでおらず、ジューシー
さにはほど遠い。工場で濃縮トマトを作るのにもっとも重要な工程は、水分を蒸発させることな
ので、はじめから水が少ないほうがやりやすいのだ。
だから生食用トマトは、露地栽培だろうが温室栽培だろうが、濃縮トマトにはまったく向いてい
ない。確かに前匹に紀には、作りすぎた生食用トマトを無駄にしないように加工に回したことも
あった。だが、現在ではそういうケースは非常に稀である。

工場でトマトを濃縮トマトに加工するには、機械に適した品種のトマトを開発することと、トマ
トに白わせた機械を開発することの両方が必要だった。厳選された加工用トマトを使って最新機
械で作られた濃縮トマトは、一般家庭では決して真似のできないクオリティになる。濃縮トマト
を作るにはトマトを高温で粉砕し、水分を蒸発させ、濃縮させる。ただしその過程でトマトが焼
けたり、焦げたり、傷んだり、糖分かカラメル状になったり、茶色に変色したりしないよう、常
に温度を摂氏100度以下に保たなければならない。こうすることで新鮮さが維持されるのだ。少な
くとも、高品質の濃縮トマトを作るには、これがもっとも優れた方法だろう。

石油の精製次第でさまざまなタイプのガソリンができるように、トマトの場合も、加工方法によ
ってさまざまな製品ができる。濃度、色合い、粘度、果肉入りかどうかなど、同じトマトを使っ
てもいろいろだ。基本的な加工方法は、19世紀にこの産業が生まれたときとほとんど変わらな
い。だが、生産の規模とスピードは劇的に進化した。そして、市場が大きく発展してグローバル
化し、今では世界中の誰もがトマト加工品をロにできるようになっている。加工用トマトの苗は
低本性だ。エネルギーとなる太陽光は無料でいくらでも手に入るので、栽培に適した気候で広い
畑に植えればすくすくと育ち、暑い盛りならいつでも収穫できる。カリフォルニアでは春から収
穫できる場合もあり、プロヴァンス地方では秋まで収穫が可能だ。

いまや、トマトはわたしたちの食生活に欠かせないものになった。ジャンクフードから地中海式
ダイエットまで、食文化を問わずあらゆる料理に使われ、病気や肥満によって食事制限されるこ
ともない。20世紀の歴史学者、フェルナンyブローデルは、小麦、コメ、トウモロコシという
三つの穀物に注目し、それらを栽培して食することがその土地(ヨーロッパ、アジア、アメリカ)
の文明に大きな影響を与えたと述べた。だがいまや、これら三つの穀物は、たったひとつの「ト
マトの文明一に取って代わられている。トマトは、植物学者にとっては「果物」、農務省の役人
にとっては「野菜」に分類される。そして商人にとってはフドラム缶」だ。トマト加工品が流通
したおかげで、世界中の誰もがトマトを口にできるようになり、食品業界の商人にとってトマト
は金のなる木になった。

ケチャッブ、トマトピューレ、バーベキューソースやメキシカンソース、レトルト食品、冷凍食
品、缶詰などのトマト加工品は、世界中どこでも手に入る。コメやクスクスと混ぜることで滋養
のある料埋か作られたり、パエリヤ、マフエ(セネガルのソース)、チョルバ(東ヨーロッパや
中央アジアのスープ)といった世界の伝統料理にも重宝される。北アフリカ、オーストラリア、
イラン、ガーナ、イギリス、日本、トルコ、アルゼンチン、ヨルダン……どこの国でも、トマト
ソースやケチャップを料理にかけたりつけたりして食べている。航空機の機内には必ずトマトジ
ュースが用意されている。

わたしは今回の取材で、貧しい国々の市場ではトマトペーストがスプーン売りされていることを
知った。スブーンー杯で数ユーロセントだ。この資本主義社会において、トマト加工品はもっと
も手に入れやすい製品なのだ。一日一一五ドルでの生活を余儀なくされる、最貧困の人たちでも
買うことができる。世界中でこれほど出回っている製品はほかにないだろう。国際追白食糧農業
機関(FAO)によると、現在、トマトは世界160カ国で栽培されており、この50年間で消
費量が一気に増加した。

1961年、ジャガイモの年間生産量は2億7100万トンで、トマトはその約10分の1の
2800万トンだった。ところが2013年になると、ジャガイモは2.5倍増の3億7600万
トンにとどまったのに対し、トマトは1億6400万トンと6倍に増えている。そして、2016
年のトマト加工品の年間生産量は3800
万トンだ。これはトマトの全生産量の4分の1に相当す
る。トマト加工品のテレビCMやロゴデザインに見られる、素朴でほのぼのとしたイメージとは 
裏腹に、世界の実業家たちはトマトをめぐって苛烈な争いを繰り広げている。  



世界加エトマト評議会(WPTC)によると、この業界の年間売上高は100億ドルに上るとい
う。加工トマト業界は非常に挟い。ほんの一握りの人たちが、匹に界のトマト消費量の4分の1
の生産を独占している。ほとんどがイタリア人、中国人、アメリカ人だ。加エトマト産業はイタ
リアのパルマで誕生し、そこからアメリカヘ広がった。今でもパルマは最大既点のひとつだが、
現在の二大生産地はアメリカと中国だ。トマト加工品を売買する商社や食品機械メーカーも、こ
の業界で大きな役割を果たしている。

ごく一部の人間が市場を独占するケースについては、すでに世界中ですいぶん報道されたり書か
れたりしてきた。とりわけ石油、ウラン、ダイヤモンド、武器、レアメタルといった市場につい
ては、さまざまなジャーナリストが取材を行なっている。ありとあらゆる一次産品の裏事情が、
取材者たちの鋭く執拗な追求の的となってきた。穀物や肉類といった食品も例外ではない。
だが、トマトはどうだろう?あのほのぼのとしたイメージのトマトに対して、いったい誰が厳し
いまなざしを向けるというのか?そう、「トマト」と間くだけで、誰もが自然に笑みを浮かべて
しまう。それはどうしようもないことだ。わたしがこの取材を始めたばかりのころ、誰かにこの
本の企画について話すたび、「え、トマトのことを書くの?と笑われたものだ。だが、こうした
他人のリアクションはブレーキになるどころか、むしろ闘志に火をつけた。これまで誰もトマト
に不信や疑惑の目を向けてこなかったのは、人々の先入観のせいだとわかったからだ。

トマト加工品がどうしてこれほど普及したか、世界の消費者は知らないだろう。もしかしたら、
トマトの原種は南米で生まれたことくらいは知っているかもしれない。だが、加エトマト産業が
19世紀のイタリアで始まったことは知らない人が多いのではないか。ハインツがアメリカで本
格的にトマトのグローバル化を推し連めたのは、それからずいぶん後のことだ。
わたしはローマに移り住み、イタリア語を勉強しはしめた。そのほうが取材をするのに便利だと
思ったからだ。そして、イタリアの有名トマト加エメーカー本社、南イタリアのカンパニア州に
ある加工工場などを訪ねて、縦横に飛びまわった。いや、イタリア国内だけではない、この業界
について調べるため、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカを、何万キロメートルも移勤し
た。あちこちのトマト畑を歩き、たくさんの工場を訪れた。業界のトップ経営者のほか、無名の
労働者、破産したトマト生産者、移民キャンプで暮らす日雇い収穫労働者たちの話を間いた。

わたしたちが大いに慣れ親しんだ、世界中どこにでもある商品、いつもそこにあるのが当たり前
に思われる商品について、その知られざる歴史を調べ、いかにしてこれほどまでに普及したかを
明らかにし、その生産とグローバル社会との関連性を目`いだすのは、興味深いことではないだ
ろうか? 一見なんでもないことに思われるその歴史が、じつは想定外の重みを持っているかも
しれない。それによって、医界の産業史や近年のグローバリゼーションに対するこれまでの考え
かたが、少しは変わるかもしれない。

アメリカの大企業の歴史は、単なる会社や人物の‥刀クセスストーリーにとどまらない。国家が
 どのように進化したかを教えてくれる。アメリカならではの世界観の影響を受け、技術革新に
 押しされ、インフラの発展に支えられて、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した伝
説的
 起業家たちは、アメリカという国家、そしてこの国の運命を築きあげてきた。そのうちの
いくつ
かの企業は長く活動をつづけ、国際的に規模を広げ、今世紀に影響を与えている。H・J・
ハイ
ンツ・カン八二-はそのひとつである。
                                                                                 ヘンリー・キッシンジャー[5]

第2章はここで終わり、次回は「第3章 伝説化されたアメリカの加エトマト産業」に移る。

                                                        この項つづく 

[4]Sauce: Tomato News
[5]Henry Kissinger, préface à Eleanor For Diestang, In Good Company : 125 Years at the Heinz Table, New 
Tork, Warner Books, 1994

  ● 今夜の一曲

ペトゥラ・クラーク (Petula Clark、1932年11月15日 - )は、イングランド・サリー州エプソム
身の歌手、女優。ペトラ・クラーク、ペチュラ・クラーク、ペトゥーラ・クラークとも表記さ
れる。イギ
リスを代表するシンガーの一人であり、特に1960年代が全盛期であった。イギリスのみなら
ずフ
ランスにも進出を果たし、特に1964年の「恋のダウンタウン」で世界的ヒットを飛ばした。
また、
『フィニアンの虹』ではハリウッド映画にも進出を果たす。今夜は、疲れたこともあり、
また、身の回りの人たちの別れもあり哀愁とともに、ビートルズの「恋を抱きしめよう」カバー
を聴きながら在りし日の回想に浸ることとしょう。


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