極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

椎茸の酷に覚醒し豆まき

2022年02月22日 | 時事書評

  昨朝も除雪。2週間ホームページを放置。

彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救っ
たと伝えられる "招き猫"と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え。
(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編
のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクタ。愛称「ひ
こにゃん 」



昨夜、町内の回覧(自治会の令和4年度の活動方針・予算の承認の回
付)後、ブログ(住民運動)に「地域循環共生圏概論」(地盤強化と
地震防災)を掲載後、上図像に掲載しているようにながらく名刺を切
らし、実に2年ぶりに更新編集(前回の名刺は全面写真印刷したもの
で、連絡情報が見え辛いため新たに改善)印刷する。ただし、ISNは、
除外(初期掲載以降閉鎖状態のため)。ところで、今はショートメー
ルやLINEでやりとりが頻繁で、電子メールなどの長文のやりとりは激
減。ホームページ(1つ)とブログ(2つ)、町内回覧(月4回)と
情報過多になっている。いずれにしても見通しとしては多忙を極めて
いるのが実情である。

1.イワガラミ 2.ツルアジサイ 3.ノリウツギ 
4.ヤマアジサイ 5.タマアジサイ



【樹木×短歌トレッキング:ツルアジサイ】

大伴安麻呂が巨勢郎女を求婚した時の和歌と、それに巨勢郎女(こせ
のいらつめ)が応答した際の和歌が、以下のように残されている。

 玉葛 実ならぬ木にはちはやぶる 神ぞつくといふならぬ木ごとに 
                  大伴安麻呂 万葉集(巻2-101)              

  玉葛 花のみ咲きて成らざるは 誰が恋ならめわが恋ひ念ふを  
                                   巨勢郎女  万葉集(巻2-102)

※大伴氏と巨勢氏は、壬申の乱においては敵対関係であった。 

ツルアジサイ(蔓紫陽花、学名: Hydrangea petiolaris )は、アジ
サイ科アジサイ属の落葉つる性木本。別名で、ゴトウヅル、ツルデマ
リともいう。万葉表記は玉鬘(タマカズラ)。日本の北海道、本州、
四国、九州に分布、山野の湿った場所で、岩崖や林縁に自生。落葉つ
る性の木本で、幹や枝から気根を出して高木や岩崖に付着し、絡みな
がら這い登り、高さ 5-20メートル (m) くらいになる。樹皮は淡褐色
から赤褐色で、幹は縦に裂けて剥がれるが枝は明褐色で皮目は少ない。
枝は短枝もよく出る。気根は2年枝から出始める。葉には葉柄がつい
て枝に対生し、葉身の形は広卵形で10センチメートル (cm) ほど、葉
の先端は尖り、葉縁は鋸歯になる。花期は6 -7月、小さなややクリー
ム色をした5弁の両性花が集まる花序のまわりに、白色で4枚の花弁状
の大きな萼片を持つ装飾花が縁どる。
良く似た花にイワガラミ(上図の1)があり、これは装飾花が2枚。
花期はアジサイと同じ6から7月。ユキノシタ科科だけあって、新芽
は天麩羅、お浸しに食される(食べた経験はないが美味しいとのこと)。


 
酷を科学する T.Nishimura,A.Egusa(2016)

【男子厨房に立ちて環境リスクを考える 58】
□ 椎茸パウダーの試食摂取:モーニングは味の素のコーンポタージュ
や味噌汁にぱらぱらと振りかけ、ランチは即席ラーメンのカット野菜
に、ディナ
ーにぱらぱら降りかけているが、味はバッチリとコク(酷)
をエ
ンファレス。ただし、小さじで加えすぎると尿に椎茸特有の匂い
がするの要注意。なお干ししいたけに含まれているうまみ成分は「グ
アニル酸」(含有量は、ドライトマトの15倍、海苔の2~50倍。。
ただし、生椎茸には含まれず干すことにより生成される。



❏ 食品を変えるだけで10年も平均寿命が長くなる
原題Estimating impact of food choices on life expectancy: A modeling stu
dy
Lars T. Fadnes , Jan-Magnus Okland,  Oystein A. Haaland , Kjell Arne Johan-
sson , PLOS MEDICINE, Published: February 8, 2022*
https://doi.org/10.1371/journal.pmed.1003889
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ノルウェーのベルゲン大学のLarsFadnes教授らの研究グループは、米
国の若年成人は、典型的な西洋型食生活から、マメ科植物、全粒穀物、
ナッツ類を増やし、赤身や加工肉を減らした最適化された食生活に変
えることで、平均余命を10年以上延ばすことができることを公表(今
月のPLOSMedicine誌に掲載)。適切な食品を食べることは健康の基本
で、世界的には、食事の危険因子により、年間 1,100万人が死亡し、
2億5,500万人の障害調整生命年が発生すると推定されている。この新
しい研究では、研究者は既存のメタアナリシスとグローバル疾病負荷
研究のデータを使用し、さまざまな食事の変化に対する平均余命(LE
:life expectancy)への影響の即時推定値を生成するモデルを構築。なお
このモデルは、"Food4HealthyLife計算機"と呼ばれる公開オンライン
ツールとしても無料で利用できる。
【概要】
米国の若年成人の場合、モデルは、典型的な西洋型食生活から20歳か
ら始まる最適な食生活への持続的な変化により、女性(10.7歳)と男
性(13.0歳)のLEが10年以上増加すると推定しています。LEの数年間
で最大の利益は、より多くのマメ科植物(女性:2.2;男性:2.5),よ
り多くの全粒穀物(女性:2.0;男性:2.3),およびより多くのナッツ
(女性:1.7;男性:2.0)を食べることによってもたらされる。赤身の
肉が少なく(女性:1.6;男性:1.9)、加工肉が少ない(女性:1.6;男
性:1.9)。60歳で最適化された食事に変更すると、LEは女性で8.0年,
男性で8.8年増加する可能性があるが、80歳の人はそのような食事の
変更から3.5年(女性:3.4、男性:3.5)増加する可能性がある




書籍:大豆と人間の歴史
著者:クリスティン・デュボワ
【内容概説】
人類が初めて手にした戦略作物・大豆。その始まりは、日本が支配し
た満州大豆帝国だった。サラダ油から工業用インク、肥料・飼料、食
品・産業素材として広く使われ、南北アメリカからアフリカまで、世
界中で膨大な量が栽培・取引される大豆。大豆が人間社会に投げかけ
る光と影、グローバル・ビジネスと社会・環境被害の実態をあますと
ころなく描く。
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第1章 アジアのルーツ
第2節 大豆栽培の始まり
 何千年もの問、中国北部の人々は今日の大豆の祖先にあたる野生種
を採集していた。この豆を栽培しようと----栽培地を選択し、世話を
して収穫を増やそうと----最初に思いついた人物は、この地の他の人
々と変わらず無学だった。大豆栽培を始めた人々はこの垂要な記録を
文字で残していない。しかし考古学上の証拠を幅広く見ていくと、豆
を地面に蒔いて、育てるというアイディアが閃いた瞬間のシナリオを
想像することはできる。
 シナリオはこうだ。ダウェイという名の一人の女の子から話を始め
よう。その運命の日、彼女は退屈していた。黒い汚れた水の上に太陽
の光と影は交互に現れた。今日のこの沼はキラキラ輝く巨大な亀のよ
うだわ。彼女は水に浮かぶ蓮の花を摘んで、龍に入れていたのだろう
か。「もうお花がいっぱいよ。ねえ、もうこれで十分じゃないかしら」
と、姉にめそめそ泣きごとを言ったのではないだろうか。

  「みんなと同じようにお前もお手伝いするんだよ」とチョンドゥ
 ーはぴしゃりと言った。「大きなお祭りなんだから」「でも、わた
 しはおうちに帰って、リーおじさんが新しい笛を作るところを見た
 いわ」
 「わかった」とチョンドゥーは優しく言った。「帰りなさい。でも
 田んぼの横の道を帰るんだよ。半分くらい行ったところの草の中に
 豆が生えているのを見たから、採って帰るんだよ」
 「うん。ありがとう」

 ダウェイは泥から解放されて、飛び跳ねながら道を行く。花が三輪、
龍からこぼれた。立ち止まって花を拾う。その時、姉が言っていたの
とは違う豆の茂みが目に入った。毛で覆われた豆の英はどれも普通よ
りも一粒か二粒多く実が入っていてふくらんでいる。「母さん、きっ
と喜ぶわ」とダウェイは考えた。
 曲がり道でダウェイはチョンドゥーが摘んでいくように言った豆を
見つけた。ダウェイは英のざらざらした表面で指の先がひりひりする
まで豆を摘んで花の下に入れた。白分かこの豆の料理を手伝うことは
わかっていた。「でも、少し大きくふくらんでいる英の豆の方はたぶ
ん母さんは植えるよ。普通は母さん、豆を植えたりはしないけど。栗
の種の大きいのを選んで地面に蒔いていたのを知ってる。だから母さ
んはこの豆も同じよう。にするわね、そしたらじきに家のそばで大き
くなるわ」
 ダウェイは家路を急ぐ。彼女は知らなかったが、より実りの多い豆
の選択という行動が歴史上重要な意味があったのである。大豆栽培の
始まりである。

 大豆はダイズ属の植物だ。二〇世紀に入るころ、西欧世界は大豆の
有用性にようやく熱い視線を注ぎ始めた。
 北西アジアでは、この素晴らしく用途の広い植物とのつきあいはす
でに何千年にもわたっていた。したがって、すぐれた品種の野生大豆
を見つけだして、農民である母のところに持ち帰ったというこの物語
が、九〇〇〇年前の中国北西部、貿湖の村の近くで実際にあったと推
測できる。当時の貿湖ですでに大豆が存在していた証拠は確固たるも
のがある。ただ、この地で大量に発見された豆が、自生している野生
の豆を単に採集したのではなく、栽培されたものだったかどうかは明
確ではない。とはいえ、最も古い時代の貿湖が実際に大豆の最初の栽
培地だったということは十分に考えられる。
 買湖のものよりいっそう大粒の大豆が、時代が下がって五〇〇〇年
前の中国や日本の他の遺跡から発見されている。しだいに大粒になっ
ていく豆から、栽培された結果であることが想像できる。翌シーズン
に大粒の豆を再び作りたいと考えて、農民は次に植えるために最も大
粒の豆を選りだす。小粒な豆は食用にするので子孫を残さない。最も
大粒の豆の選別が繰り返し行われて、その結果、豆はどんどん大きく
なっていく。おそらく、買湖ではないどこか別の場所で、野生種の豆
は初めて栽培作物へと変貌を遂げたのだ。大豆はアジア北東部の各地
でそれぞれ独自に栽培される作物になったと考えられる。


図 大豆の考古学上最古の痕跡

  大豆がいつどこで最初に栽培されたかを正確に知ることが、そこま
で大事な問題なのかといぶかる向きもあるだろう。知識を得ること自
体と並んで----それによって人類の物語に細部がつけ加わるのだ----
大豆がどのようにして栽培されるようになったかが推測できれば、大
豆の遺伝的特徴を決定してきた人間の選択に光を当てることができる
だろう。そうした考察から、今日の大豆の育種業者や遺伝学者たちが
新しいアイディアを得ることがあるかもしれない。だが、新石器時代
のこの謎に対する関心で最も熱いのは、学術的でもないし、農業上の
ものでもない。なによりも地政学的なものである。
 長い間中国と韓国は、野生種の大豆を最初に栽培用にしたのは自分
の国であると主張して争ってきた。議論の中心は今日の満州と北朝鮮
の地域にあった遺跡が誰のものかということだ。つまり、かの地の古
代人は朝鮮人なのか、中国人なのかという問題なのだ。二〇〇二年、
中国社会科学院のいわゆる「北東プロジェクト」がこの地域の高句麗
と呼ばれる古代王国は独立した朝鮮民族の国ではなく、古代中国帝国
の中の地方政府だと主張して以来、論争はますます激化している。二
〇〇四年、中国外務省は韓国に関するウェブページから高句麗を削除
した。続いて韓国は、(中国政府から援助を受けている)中国人学者
の中には朝鮮民族主義者が尊重する歴史的な人物、事件、遺物などを
「私物化している」者がいると暴露した。中国人学者は、こうした朝
鮮国家の紋章は中国の方により近いと主張した。韓国側の怒りは爆発
し、韓国内でも議論が沸き立った。
 お互いを侮辱し合う激しいやりとりの中に、人類の文明に大豆をも
たらしたのは誰だったのかという議論が合まれていた。中国のインタ
ーネット記事は、韓国で豆乳は朝鮮民族の発明だと主張していること
を批判した。こうした証拠のない主張が、中国内、さらに台湾でも、
反朝鮮感情に火をつけたのは、不幸な話である。
 一方、韓国は中国の隠れた動機を探った。万が一平壌政府が崩壊し
た場合、中国が北朝鮮の領有を主張する目的で、概念的な枠組みを作
ろうとしているのではないか。反対に中国は、自国の領土だと思って
きた土地の併合をいつの日か韓国が望むのではないかと危惧した。中
国と韓国の政府高官たちは、緊張緩和を目指して対話を積み重ねた。
北朝鮮政府は中国人研究者を批判する声明を発表したが、議論に深入
りすることはなかった。
 皮肉なことに、高句麗の古代人は自分たちのことを朝鮮人だとも中
国人だとも考えていなかったのではないだろうか。高句麗人は自身の
アイデンティティを持っていて、今日でいう韓国と中国に住んでいた
人々とは相当異なる民族だと考えていたと思われる。束アジアの古代
人が大豆とのつながりで手にした栄光は、古代人に属するものであっ
て、今日のどこの国家にも属さない。しかし、人間は歴史を自分のも
のにしたいのだ。大豆の歴史も同じだ。手前勝手な想像力で歴史を捻
じ曲げて新しい目的のために利用するのである。.

第3節 食用に加工され始める
  大豆がアジア社会にとってどれほど重要であったかは想像がつく。
自分たちの生活の中心でない限り、自然現象を神話にしたり、新しい
解釈をしたりすることはまずないからだ。紀元七一二年の日本の物語
には大豆をめぐる神秘の起源が描かれている。神道の神、太陽の女神
(天照大神)は遠方にいる食べ物の女神(保食神)のことを聞き及び、
月の神(月読命)を彼女のもとに遣わした。月の神が到着すると、食
べ物の女神は口から米、魚、肉を出し、食卓に並べて、月の神に贈っ
た。彼女の身体から出たこの贈り物を不快に思った月の神は、食べる
ことを拒んで、代わりにもてなしてくれた女神を殺した。この話を聞
いた太陽の女神は使いを送って、殺された女神の身体を検分させた。
使いが見つけたものは素晴らしいものだった。女神の頭部から牛と馬
が飛びだした。また額からは粟が、眉からは蚕が、腹部からは米が、
生殖器から麦、大豆と小豆が飛びだしたのだ。


図 18世紀の木版画:節分に日本人の家族が大豆を投げ鬼を追い払う

 現代の地政学と神話の世界はともかくとして、アジアにおける大豆
の長い歴史はさまざまな証拠からその多くを推測することができる。
遺跡や歴史上の記録、日記類、宗数的文書、民謡、言い伝え、詩歌、
伝説、労働契約や貿易、結婚の記録壁画も含むなどから、化学的手法
で検出できる大豆の特徴は示唆に富んでいる。
 中国では、何世紀にもわたって、大豆は作物として頼りになる上、
家畜の餌としても段に立つと評価されていた。しかし、厳しい生活を
余儀なくされている人々はともかく、食物としては、粒が大きすぎる
と考えられていた。大豆は小麦とともに食物の中で一段低い地位を占
めてきた。これらの植物の加工方法はまだ発達しておらず、料理する
のも消化するのもやや困難だったからだ。

 節分

 大豆はしっかりと加熱するとたんぱく質源として非常に優秀だが、
火どおりが悪いと、たんぱく質の消化をむしろ阻害する。加熱が足り
ないと腸内ガスが発生することもある。このように大豆は問題の多い
作物で、可能な限り中国の人々は粟や米を食べた
 およそ紀元前三世紀、大豆の料理法が発明されて、普通に茄でたり
蒸したりした大豆よりもとても重要な、そして高価な食品、豆波が生
まれた。新技術による発酵大豆調味料で、塩味がついた塊だ。貧困層
は別として紀元前一七三年には、豆波がきわめて重要なものと考えら
れていた様子が、ある有名な歴史巻物に残されている。従兄である皇
帝への反逆を扇動したかどで劉安が追放された経緯を詳細に物語るも
のだ。皇帝は劉安に同情して、使用人などの従者をつけて、薪や米の
他にお気に入りの香辛料だった豆波などの必需品を持たせて、国を退
去させたのだった。
 紀元前一世紀になると、豆波は一般人にも手の届くものとなった。
この世紀には一人の主人が反抗的な使用人に対して、使用人の務めを
詳しく記し、水と茄でた大豆しか食べてはならないと明記した「契約
」を課した。
 若者はこの他にもそこに明記された不自由な条項のことを問いて涙
を流したという。茄でただけの豆を延々と食べ続けることはもはや使
用人階級にとっても耐え難いことになっていたことがわかる。折檻を
受けている使用人には他にも手に入る食べ物があったが、豆波は普通
の大豆より良いものだとよく知っていたのだ。この主人は、苛立たし
い「契約」と使用人の反応を運よく巧みな節まわしの中に記録してお
り、その子孫たちは二〇○○年もこれを保存していたのである。大豆
はこの時代朝鮮にも存在し、後には朝鮮と日本の間を行ったり来たり
した。アジアにおける大豆たんぱく質の化学的分析による「家系図」
からは、遅くとも紀元三世紀か、あるいはそれ以前、日本海を渡って
移動していたと言える。こういった国々では多様化した料理文化がし
だいに発達し始めていた。
 中国の話にもどると、紀元後のまだ早い時代に、豆波ばかりではな
く小麦粉を使った醤という、より滑らかでさらに洗練の進んだ大豆の
香辛料が出来上がっていた。醤の変種も朝鮮に存在した。日本には渡
来朝鮮人からその作り方が伝えられて、紀元五世紀以降のどの時期か
におそらく受容されたのだろう。これは非常に高く評価されるように
なって、ある時期には日本人の高官が醤を俸給として受け取っていた。
 醤がどのようにして日本に入ってきたかについては、仏教伝来を中
心にすえた別の説明もある。中国から、また朝鮮から伝えられた仏教
は肉食を避けるように教えており、特に僧侶たちは菜食だった。僧院
は肉に代わる植物性の食品の実験場となった。僧侶たちは学問と布教
の目的でアジア中をめぐり、大豆の加工技術を広めることになったの
である。七五三年に日本に渡航した中国の高僧、鑑真の物語には説得
力がある。鑑真が乾燥させた発酵大豆を日本に持ちこんで、初期の日
本の醤を作るのに使用したという。醤がどのようにして日本の地に到
着したかはともかくとして----おそらくは渡来朝鮮人から学んだとい
う説も、中国人の高僧が持ちこんだという説も、どちらも真実だろう
----日本人が醤を少しずつ改良して、しばしば米や大麦をまぜてペー
スト状の大豆、味噌を作りだしたことははっきりしている。発酵大豆
食品が国民食として定着していくにつれて、朝鮮半島と日本で醤はそ
れぞれ変化し、そこに注む人々の食の嗜好に深く影響を残した。その
顕著な例が、朝鮮のコチュジャンと呼ばれる激しい辛さの大豆ペース
トだ。新大陸の発見によって世界貿易に唐辛子がお目見えしてから一
世紀も経たないうちに、唐辛子を加えるという工夫がなされたことは
注目に値する。
                         この項つづく

✔ いまわたし(たち)は、大豆などの穀物類、あるいは果実類の植
物性果皮あるいは子房壁(心皮:しんぴ)----種子を含み、種子の保
護、種子の散布、動物による捕食などによって種子が散布される機能
をもち、①外果皮は果実の表面を覆い、普通の表皮組織のように、気
孔や毛のような付属物をもつ。②中果皮は多層の柔組織で、液果のよ
うな場合にはとくによく発達する。内果皮は子房の内壁で、モモ、ウ
メの場合には、ここの部分が石(せき)細胞の組織となり、石果(せき
か)(核果:かくか)をつくり、③ミカンなどはこの内果皮の部分の
細胞が袋状になり、ここに液を蓄え、子房室を満たす三層に区別----
ているが、育種法や遺伝子編集により、「薄く」「軟らかく」「破砕
しやすい」ものに変えることで(➲岡山もんげーバナナ)、フード
ロスをなくす戦略を考えている。
 



【ポストエネルギー革命序論 408: アフターコロナ時代 218】
現代社会のリスク、エネルギー以外も「分散時代」



図 来構成 (左図) と本実証実験の構成 (右図)

国内初、分散型電源のリアルタイム制御
5GとAWS Wavelengthを活用、再エネ拡大・脱炭素に貢献
2月17日、エナリスとKDDIは5GとMEC(マルチエッジコンピューティン
グ)の商用サービスである「AWS Wavelength」を活用した仮想発電所
(VPP 、バーチャルパワープラント)の実証実験を実施し、日本で初
めて MECを用いた分散型電源のリアルタイム制御に成功したことを公
表。これにより、各分散型電源に接続する専用端末の性能をMECに 持
たせることにより、VPPシステムの 低コスト化とともに、分散型電源
の制御周期を従来の1
分から1秒の短縮を実現する。
【実証概要】
2050年のカーボンニュートラル実現に向け、再生可能エネルギーの大
量導入による主力電源化が目指されている。安定した電気の供給には
発電量と電力需要量とのバランスを常に保つ必要があるが、再生可能
エネルギーは発電量が季節や天候に左右されやすいため、家庭用蓄電
池をはじめとした分散型電源の制御による需給の調整が重要になる。
VPPは需給の調整を行う役割として期待されており、今後の利用拡大
に向けて、より多くの分散型電源を低コストで迅速かつ高精度に制御
できる技術が求められている。
実証1.
5G×AWS Wavelengthを活用した周波数制御における応動速度・揺らぎ
の計測➲電力需給バランスのリアルタイム制御 (周波数制御) の実
現に向け、通信を含めた処理時間と通信処理にかかる時間の揺らぎ幅
・揺らぎ頻度を計測
【成果】
・従来、0.1秒程度の遅延が発生するのに対し、5G×AWS Wavelength
環境では処理時間 平均0.05秒以下に短縮
・揺らぎも少なく安定性を確保

実証2.
同一基地局エリア内での協調制御の精度検証➲同一基地局エリア内
に収容された複数の家庭用蓄電池間で誤差を補い合う制御 (協調制御)
の実現に向け、従来の1分周期の制御から、1/60となる1秒の短周期で
の制御による制御精度変化を計測
【成果】
・1秒周期の制御では、1拠点で発生した誤差を短時間で把握し、他の
拠点で素早くおぎなうことによって、同一基地局エリア内の制御精度
が向上
【関連特許】
特開2021-002850 サーバ装置及びその制御方法、並びにプログラ
ム KDDI株式会社
【概要】
乗用車等の車両においてドライバーの運転操作を必要としないレベル
の自動運転を実現するための要素技術として、ダイナミックマップ(
高精度3次元地図)の検討が進められている。また、走行中の車両へ
のダイナミックマップの提供に、ETSI(European Telecommunic-
ations Standards Institute)で標準化が進められているマルチアク
セス・エッジコンピューティング
(MEC:Multi-access Edge Comp-
uting)を利用する検討が進められている。MECを利用する場合、モ
バイルネットワークのエッジ付近(例えば、基地局とコアネットワー
クとの間)に分散的に配置されたサーバ装置(MECサーバ)から、
当該サーバ装置に接続された基地局のセル内の車両に、狭域のダイナ
ミックマップを提供する。これにより、例えば、より広域のダイナミ
ックマップを提供するクラウドサーバと車両との間の通信に伴うネッ
トワーク負荷を低減できることが期待されている。車両とMECサー
バとの間のダイナミックマップの伝送では、サイズの大きなデータの
伝送及び更新頻度の短いデータの伝送が行われる。このようなダイナ
ミックマップを用いて車両の自動走行を実現するためには、基地局と
車両との間の無線伝送区間における通信品質の低下を防ぐことが必要
となる。非特許文献1では、車車間通信及び路車間通信における通信
エラーを削減する技術が提案されている。具体的には、各車両は、メ
ッシュに区切られた各地理的領域における通信成功率をサーバ装置へ
送信し、サーバ装置で生成される通信成功率のヒートマップ情報をサ
ーバ装置から取得し、通信成功率の高い領域で車車間通信及び路車間
通信を行う。このように通信成功率が高い領域(メッシュ)で通信を
行うことにより、通信エラーを削減している。
図8のごとく、MECサーバ10は、RNIS機能を利用して得られ
る通信状況情報から、通信リソースの使用状況に関するヒートマップ
情報を生成する。MECサーバ10は、生成したヒートマップ情報に
基づいて、MECサーバ10の管理対象の複数のセル内を走行中の車
両のうち、ダイナミックマップの更新用のデータのMECサーバ10
への送信を行う1以上の車両を決定し、データの送信を要求すること
で、エッジコンピューティングを利用してダイナミックマップを提供
するサーバ装置と車両との間の通信に伴うネットワーク負荷を平準化
できるようにする技術を提供する。

図8 一実施形態に係る、車両とMECサーバとの間の通信のシーケンス図


図1.一実施形態に係るMECサーバを含むネットワーク構成を示す図


図2 一実施形態に係るダイナミックマップの構成及び内容の例を
  示す図
【符号の説明】10(10a,10b):MECサーバ(サーバ装置)、
20:コアネットワーク 41:CPU、42:ROM、43:RA
M、 44:外部記憶装置、45:通信装置 51:通信情報取得部
(RNIS機能)、52:通信情報収集部、53:通信情報管理部、
54:通信情報提供部、55:ダイナミックマップアプリケーション
(DMAP)
✔  分散型電源制御周期を従来の1分から1秒に短縮と分散型電源間
 制御精度高め再エネ拡大・脱炭素に貢献。面白い!

 


⛨ オミクロン株亜種 大阪初の市中感染を確認
▶2022.2.2217:34 産経新聞
大阪府の吉村洋文知事は、新型コロナウイルスのオミクロン株の亜種
でより感染力が強いとされる「BA・2」の感染を昨年12月以降、
13件確認したと発表した。うち今月16~18日に判明した3件は
海外渡航歴がなく、市中感染にあたるとの認識を示した。府として感
染事例を公表するのは初めて。吉村氏は今春に人の移動が増えること
を警戒し、記者団に「まだ数は少ないにしても市中感染がさらに広が
る可能性は高い。新たなリスクとして認識する必要があり、危機感を
持っている」と強調した。府によると、これまで確認されたオミクロ
ン株3169件のうちの13件で、割合としては0・4%。吉村氏は
「(BA・2が)感染拡大に寄与していることはないと思う」と述べ
た。

新たな脅威“ステルス・オミクロン” 「間違いなく置き換わる」
 専門家分析 ▶2022.2.22 ANN


【ウイルス解体新書 108】

序 章 ウイルスとは何か
第1章 ウイルス現象学
第2章 COVID-19パンデミックとは何だったのか
終 章 ウイルス感染症と戦略『後手の先』



河出書房新社(2021/09発売)
サイズ 46判/ページ数 320p/高さ 20cm
商品コード 9784309228303 NDC分類 345.1 Cコード C0022
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第10章 アメリカ南北戦争の本当の理由



風蕭々と碧い時代

曲名: チャペルに続く白い道 (1964年)
  唄: 西郷輝彦
作詞:水島 哲、作曲:北原じゅん



ネムの並木の この道は
チャペルに続く 白い道
野原を越えて 鐘の音は
雲の彼方に 消えてゆく
あしたも二人で 歩こうね
チャペルに続く 白い道

雨に嵐に 負けないで
いつでも強く 生きようと
チャペルの鐘は きょうもまた
ぼくと君とに 呼びかける
二人の夢は ふくらむよ
チャペルに続く 白い道

暗く貧しい すぎた日も
心の中は いつの日も
明るくすんだ 鐘の音に
明日の幸せ 夢みてた
思いのすべてを こめた道
チャペルに続く 白い道

田邊進と出会い中之島図書館に通っていたときの梅田でこの曲を口ず
さんでいた記憶を思い出す。ユーチューブで曲を耳にし郷愁に包まれ
る。西郷輝彦が 昨日他界した。鹿児島県出身。芸名は地元の英雄、
西郷隆盛にちなむ。高校中退後、大阪でバンドボーイをしていたとこ
ろをスカウトされ、1964年に「君だけを」でデビュー。日本レコード
大賞新人賞を受賞。「チャペルに続く白い道」「星空のあいつ」もヒ
ット、若さときりっとしたりりしいマスクも相まって、一躍アイドル
歌手になり、同世代の橋幸夫さん、舟木一夫さんとともに「御三家」
の一翼を担った。70年代の歌謡に大きな影響を与えた。享年七十五。
                            合掌

● 今夜の寸評:沸騰する欲望と対峙する知恵
ウクライナ軍事侵攻、一度あることは二度あることを実証。


 2017.1.11 クレア・ホリングワース英国特派員死去。


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