極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

枝垂れ桜に西行桜

2014年04月10日 | 時事書評

 

 

 

 

 

   世中にたえてさくらのなかりせば春の心ぱのどけからまし        在原業平

   花の色はうつりにけりないたづらに我身既にふるながめせしまに     小野小町

   ねがはくは花の下にて春死なむそのぎさらぎのもち月の頃          西行

   後世は猶今生だにも願はざるわがふところにさくら来てちる      山川登美子

   さくらげな陽に泡立つを目守りゐるこの冥き遊星に人と生れて     山中智恵子

   さくらさくらいつまで待っても来ぬひとと/死んだひととはおなじさ桜   林あまり


     花の奥にさらに花在りわたくしの奥にわれ無く白犬棲むを         水原紫苑



今日は母親を連れだし花見をする予定だったが、体調を悪くしたため急遽取り止め、容態を見舞い、
松原のパン工房、ジュブリルタン(ル・ヴァン・ド・ヴェールはオーナーが健康上の問題で休業中
のためここも急遽変更)で二人でランチ(はじめての「マリネ・チキン」は最高!)をとり、用事
を済ませ、月命日で宗安寺立ち寄る。彦根城周辺はどこも入学式で親子連れやマスク姿の観光客が
目立ったが、寺の敷地内の枝垂れ櫻が美しく咲き、周辺の目抜き通りに櫻吹雪が舞っていた。そん
なこともあり、取り寄せていた、水原紫苑の近著『桜は本当に美しいのか』にめを通した。「桜は
本当に美しいのか。花であるからには、相応に美しいかも知れない。しかし、ここまで人間が傾倒
するほど美しいのか」とまえがきで自問し、「これという結論も得られなかった」とあとがきで返
答している。



 ●まえがき

  桜とは、いったい何だろう。あまりにも多くの人間の思いが、この本の花にこめられている。

 しかも、それは、この島国に限っての現象であるらしい。
  桜を論じた書物は、一読驚嘆する文語体の、格調高いが非常に国粋的な山田孝雄著『櫻史』
 (1941)を
始めとして数多いが、「桜は美しいIという大前提に立っているものがほとん
 ど
である。
  だが、桜は本当に美しいのか。花であるからには、相応に美しいかも知れない。しかし、こ
 こまで人間が傾倒するほど美しいのか。
  短歌を本気で始めるまで、私は桜に全く興味がなかった。高校の校門の脇には桜並木があり、
 友だちは、学校でお花見ができると喜んでいたが、私にはその気持ちがわからなかった。

   はっきりしないピンクの大きな綿菓子のようなかたまりの、いったいどこがいいんだろう。
 春の花なら、椿や牡丹や薔薇のほうがずっときれいなのに、と私は思っていた。
  一方、歌舞伎はテレビで見ていた子どもの頃から好きだったので、本物を見た時も、吉原の
 花魁道中や、白拍子花子の踊りを彩る、舞台の天井からいっぱい吊るされた桜の吊り枝には、
 抵抗もなく馴染んだ。舞台装置のひとつ、と感じたのかも知れない。
  家の近所には、桜がたくさん植えられた公園があって、花の季節になると、遠くからも見に
 来る人たちがいた。それが、癩にさわって、ひどく嫌だった。遠来の花見客は、昼間出られる
 中年女性が多い。一人ならまだいいが、数人連れ立って来て、桜の木の下のベンチでお弁当を
 広げる。元気に喋りながら、時折ぽかんと目を開けて桜を見上げ、「きれいねえ」などと言い
 合っているのを聴くと、「何かそんなにきれいなんですか」と、少女の私は言ってやりたくな
 って困ったものだ。

 
 ●短歌と桜との出会い

  それが、一変してしまったのは、学生時代の終わりである。勉強は残念ながら駄目だったが、
 表現の夢が捨てがたく、高校の授業で作った短歌を思い出し、無我夢中で現代短牡の世界に飛
 び込んだ。

  私の師、春日井建(1938-2004)は前衛短歌と呼ばれた戦後の新しい短歌の流れ
 登場した歌人だったが、両親ともに歌人だったこともあって、古典和歌とりわけ藤原定家(1
 162
-1241)を愛していた。また、前衛歌人の筆頭塚本邦雄(1920-2005)は、
 やはり定家を愛し、『新古今和歌集』の美学を自身の歌論に重ね合わせていた。

  おのずから、現代短歌だけでなく、古典和歌にも少しずつ近づくことになった。そして出会
 ったのが、空恐ろしいほどの桜の歌の集積だった。
  なぜ桜にこれほどの情熱が注がれたのか。

  私も桜を詠まなければならないという焦燥に似た思いの中で、いつか桜は美しいという結論
 が導き出された。花見客はやはり不快だったが、なるべく見ないことにした。そうなると、物
 
にこだわる気質で、ささやかな庭に三本の桜を植え、純白のトイプードルの仔犬を「さくら」
 と名付けて伴侶に決めた。

 ●
桜の素顔

  ところが、私の遅咲きの桜信仰が揺らぐ時が来た。2011年3月11日の大震災である。
  まだ、桜は咲いていなかった。
  しかし、その春の花たちは、みな天地の異変に反応した。椿、董、蒲公英、花の大小にかか
 わらず、常よりも色鮮やかに、叫ぶように咲いたのである。
  独り、桜だけが尋常だった。猛威を振るった自然の一部としてなのか、何事もなかったよう
 に平然と咲いていた。
  私は、その桜の姿を美しいと感じることができなかった。あまりにも非情に見えた。
  しかし、考えてみれば、非情こそ自然の本来の相である。自然は人間のために存在するわけ
 ではないのだ。
  まして、桜は、遠い昔には、人知れず山中に咲いていた花である。桜を人間の俗界に招き入
 れ、あえかなはなびらに、堪え附ぬほどの重荷を負わせたのは、私たちの罪ではないか。

  我に触るるな。

 
  あの春に見た桜は、そう言っていたのかも知れない。

  私たちには、桜を、長レ長い人間の欲望の呪縛から、解放すべき時が来てはいないだろうか。
 桜を愛するのはいい。だが、桜に肩代わりさせた私たちの本当の望みを、見つめる時が今では
 ないだろうか。

 ●あとがき

  桜は本当に美しいのか。その問いから書き始めた、無知蒙昧な一短歌作者の素人読みだが、
 迷走のまま、これという結論も得られなかった。私は、桜が、いかなる幻想からも解き放たれ
 て原始の不逞な花を咲かせてくれることを望むが、それこそ、借越というもので、春ごとに桜
 は、人間の思いなどとは関わりなく、植物の生を全うしているのであろう。
  ほとんど妄想のような思い込みで書いたので、読者には文字通り御笑覧の上、御教示御叱責
 賜りたい。
  桜の通史を書くつもりはさらさらなく、また能力も無いので、自分にとって切実な、『古今
 渠』から『新古今集』に至る、国家による桜文化の創造から変容への流れが中心となった。し
 かし、また、『新古今集』までは歌が文芸の中心であったということも言えるだろう。
  中世からあとは、ほんの拾い読みの形だが、決して革命の起こらないこの国で、桜が負わさ
 れてきた役割を、いつかまた改めて考えたい。桜は美しいアヘンだったのか。
  近代以降は、桜と天皇制国家と戦争という、とてもこの小論ではとらえきれなかった大問題
 がある。今や辺境の文芸となった短歌との関わりを含めて、これこそ自分の残生のテーマだと
 思っている。
  現代の小説に全くふれることができなかったのは残念だが、21世紀の桜ソングに出会っ
、桜文化のしたたかな根強さに驚いた。

  平凡社の松井純さんに、何か1冊テーマを決めて書くようにお誘いいただいたのは、もうか
 れこれ20年も前である。では、桜論でということに決まったのが10年目くらいで、それでも
 書けないまま、また10年が経ってしまった。
  今年、急に書く気になったのは、タブレットや新しいパソコンを購入して、手書きより、長
 いものが書きやすくなったせいもあるのだが、最終的に背中を押したのは、桜ソングのところ
 でも書いた藤圭子の自死である。1959年生まれの私は、社会の記憶が70年から始まって
 いる。とりわけ、11月25日の三島由紀夫の自死と、12月31日紅白歌合戦の日本人形の
 ような藤圭子のどす黒い歌声は忘れられない。あの呪いは本物だった、振り返れば、三島
由紀
 夫と藤生子、二人の自死の間を生きてきただけの人生だった、という戦慄の中でひたすら
書い
 た。


                        水原紫苑 著『桜は本当に美しいのか』

ここで、2つのことが気になった。その1つは、サクラにまつわる日本人の歴史や風俗観にあり、
明治維新以降の一時的な軍国主義教育(刷り込み)や風俗、習慣への反発、忌避である。このとき
のサクラとは、明治に入り豊島区染井あたりの園芸業者が「吉野桜」という名で商品化(「ソメイ
」+「ヨシノ」、ローン接ぎ木で増植)させた、日本の桜の7~8割を占め瞬く間に日本の春を同
じ色に塗り替えていくソメイヨシノであり、その特徴は、①花だけが一斉に咲き、花つきが多く見
映えがよく、②成長が早く根付きもよく九州南部~北海道中部まで広く分布し日本列島の大部分を
覆うというものであり、それ故に、富国強兵という近代国家形成には迎合されるべき特性だったこ
とを連想させた。



例えば、静岡県三島市の国立遺伝学研究所には日本の各地から集めたサクラが植栽されている。分
かっているだけで218品目。老齢化や密植によるストレスなどで枯死する品種も目立つが、独自の
「挿し木」技術で後継木づくりに取り組んでいる。奈良県葛城市の葛木坐火雷神社(かつらきにい
ますほのいかづちじんじゃ、通称 笛吹神社)のウワミズザクラや宮城県塩釜市にある鹽竈(しお
がま)神社のシオガマザクラ、徳島藩主・蜂須賀茂韶(もちあき)候ゆかりのハチスカザクラの後
継木作成に成功している。一般に、苗を生産方法には、実生苗、接ぎ木苗、組織培養苗、そして挿
し木苗の4方式ある。現在流通しているソメイヨシノのほとんどはオオシマザクラなどの台木接ぎ
木。挿し付けた植物の光合成を活性化させる人工的環境で発根促進技術で、発根率の向上と発根期
間の短縮を図る。例えばソメイヨシノでは、挿し付けた個体の8割以上が4週間で発根。また、挿
し木苗は、ウイルスや菌の侵入路となる接ぎ目がなく、組織培養苗のように遺伝子に変異が入る心
配も少ない。しかし、これらのことを著者はチャンと踏まえた上で問いかけている(例えば、第8
章の「西行と桜の実存」pp.137)
 。


もう1つは、サクラのもつ生命活動と人間(日本人)のそれとがシンクリナイズできるように長い
時間をかけ進化してきたのではないかという起想であり、それはあたかもイヌ(オオカミ)の進化
(「人間は犬に飼いならされた?」)、つまり、オオカミの方がわれわれ人間を選んだ可能性が高
いというものに従い、明治以前に生息するサクラの遺伝子戦略、つまり日本人を魅了し、詩歌を詠
わせる能力を身につけたのではないかという奇想天外なものだが、被子植物の種子の散布戦略とし
て(1)他者に散布してもらう(a: 動物による摂食、 b: アリによる運搬、c: 鉤を引っ掛ける、
d: 粘液でくっつく)、(2)風でとぶ(a: 毛、b: 翼、c: 質量がそもそも小さい)、(3)水を
利用する(雨滴、周囲の水に浮く、水中に漂う、沈む)、(4)自力(はじく、土中に種をうめる)
などは既に生命科学で明らかにされている。





さらに、この想いには、『遺伝子の利己性(gene selfishness)』を貫くダーウィンの「最適者生存」
の論理を背景としている-最初は原始地球のスープの中に、偶然にもすこぶる能動的なリプリケー
ター(自己複製子)が出現したのである。おそらくいくつものリプリケーターが競いあっていたの
だろうが、そのなかで最も能動的なリプリケーターが勝ちのこった。それがやがてDNAになった。
この出現自体がドーキンスにいわせれば「最初の自然淘汰」であった。当初のリプリケーターはD
NA配列ではなかった。RNA配列だった。RNAが自分の自己触媒機能を発揮してDNAの自立
を助けた
。いわゆる「RNAワールド」の先行だ。やがてその能動的なリプリケーターはDNA配
列の完全コピーという仕事に徹するようになる。DNAはDNAの複製をしつづける。ドーキンス
にとっては、そこからは一瀉千里だ。よく知られているように、DNAはこの4つの塩基のうちの
AとT、GとCという向かい合わせのペア(塩基対)にすることを基本ルールにして、これを二重
螺旋の鎖
にしている。鎖はヌクレオチドとよばれる。鎖を二重構造にすることで写真のポジとネガ
の関係
のように、2本の鎖のどちらかが損傷したり離ればなれになっても、相補性が保たれるよう
にした。ドーキンスはこれを「不滅のコイル」とよんだ。不滅という意味は、これが生命系におけ
る「新しい安定性」として、これ以降のすべての生物の安定性を保証することになるとみなせるか
らだ」。嫌な言いまわしだが、ドーキンスはこの本のなかで何度も「遺伝子は不死身だ」とか「遺
伝子はダイヤモンドのように永遠だ」
と書いている、松岡正剛の書評などを踏まえ、植物のサクラ
と霊長類のヒト(ニホンジン)の共生構図をイメージングさせたものである。
 


●世阿弥 作『西行桜』

京都は西行の庵室。春になると、美しい桜が咲き、多くの人々が花見に訪れる。しかし、今年、西
行は思うところがあって、花見を禁止した。 一人で桜を愛でていると、例年通り多くの人々がやっ
てきた。桜を愛でていた西行は、遥々やってきた人を追い返す訳にもいかず、招き入れた。西行は
「美しさゆえに人をひきつけるのが桜の罪なところだ」という歌を詠み、夜すがら桜を眺めようと、
木陰に休らう。その夢に老桜の精が現れ、「桜の咎とはなんだ」と聞く。「桜はただ咲くだけのも
ので、咎などあるわけがない。」と言い、「煩わしいと思うのも人の心だ」と西行を諭す。老桜の
精は、桜の名所を西行に教え、舞を舞う。そうこうしているうちに、西行の夢が覚め、老桜の精も
きえ、ただ老木の桜がひっそりと息づいているのだった。


● 西行桜の実存                                  

さて、水原紫苑は「第8章 西行と桜の実存」で、「現代も西行と西行の歌を愛する人は多い。しか
し、西行は、わからない人間であると思う。西行の歌は、平明に見えるが言葉を追ってゆくと迷路
のようでもある。少なくとも、西行さん、とやすやすと親しめるようなものではない。西行は、な
ぜ出家したのか。なぜ歌に志したのか。なぜ花の歌を異常なまでに多く読んだのか。すべてが謎で
ある。ただ、私たちには、歌が残されているだけだ。そして、歌の中でも、花の歌は、異様に生き
生きと匂っている。西行がひそかに思慕を寄せていたと言われる待賢門院の面影を花の歌に見出そ
うとする人もある。たとえば、白洲正子は、『西行』でそのように読んでいた。それが、あながち
当たっていないとは思わない。しかし、それだけでは、西行の花の歌の妖しいまでの生気を説明す
るのはむずかしい」と書いている。その上で次のような短歌を例示し、西行を読み解いていく。
 

       春といへば誰も吉野の花をおもふ心にふかきゆゑやあるらむ

       誰かまた花を尋ねてよしの山苔ふみわくる岩つたふらむ

       わきて見む老木は花もあはれなり今いくたびか春にあふべき

       吉野山梢の花を見し目より心は身にも添はずなりにき

       あくがるる心はさても山桜ちりなむ後や身にかへるべき

       花みれば
そのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける

    身を分けて目こり梢なくつくさばやよろづの山の花の盛を

    花にそむ心のいかで残りけむ捨てはててきと思わが身に

    白河内在の梢のうぐひすは花の言葉を聞くここちする

    ねがはくは花の下にて春死なむそのきさらぎのもち月の頃

       仏には桜の花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば

       わび人の涙に似たる桜かな風身にしめばまづこぼれつつ

       吉野山やがて出でじと思ふ身を花ちりなばと人や待つらむ

    おぼつかな春は心の花にのみいづれの年かうかれそめけむ

    吉野山さくらが枝に雪ちりて花おそげなる年にもあるかな

    吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ

    花を待つ心こそなほ昔なれ春にはうとくなりにしものを

       あはれわれおほくの春の花を見てそめおく心誰にゆづらむ

       吉野山花の散りにし木のもとにとめし心は我を待つらむ

    いかでわれ此世の外の思ひ出に風をいとはで花をながめむ

       うき世にはとどめおかしと春風のちらすは花を惜しむなりけり

    木のもとの死に今宵は埋もれてあかぬ梢を思ひあかさむ

    ちる花を惜しむ心やとどまりて又こむ春の誰になるべき

    春風の花をちらすと見る夢は覚めても胸のさわぐなりけり

    青葉さへみれば心のとまるかな散りにし花の名残と思へば


                        水原紫苑 著『桜は本当に美しいのか』

                       

そして「西行独特の文体を辿りながら読んでみたが、実に尋常でない花狂いである。恋の歌のよう
もあるが、恋の歌よりおそろしい。おそろしい理由のひとつは、「花」によって西行の「心」が、
西行いう社会的な人格から外れて、あらわになり、やすやすと「身」から「あくがれ出
」からで
ある。
たとえ、出家して世を捨てても、西行は一個の社会的な人格であり、「身」に「心」の具わ
った人間である。だが、その「心」が「身」から解き放たれれば、それはもう、どんな現世の制度
にも屈さない。しかも、西行は、およそ終生この「心]のみをうたったと言ってもいいほどである。
「あくがれ」をうたった歌人は、西行の前にもいた。和泉式部である。しかし、あくがれ出だのは、
「心」ではなく「魂」であり、「花」ゆえではなく、男に忘れられた物思いゆえだったが、西行の
おびただしい花の歌の狂気は、たとえばこ見神一体験のような、社会的な日常を危うくするもので
あるように思われてならない。むしろ、現実に、生きた西行が対峙した、生きた花であるからこそ、
超越的になり得るのだ。これは、生物非生物を問わず霊魂があるとする、アニミズムとは似て非な
るものだと思う。「見神」体験と書いたが、実際それに近い感覚である」といまで言う。ここから
は桜を離れ、西行の「自己」のありようを問いかける。


       もの思へば沢のほたるもわが身よりあくがれ出づるたまかとぞ見る

      ゆくへなく月に心のすみすみて果はいかにかならむとすらむ                                    

          心なき身にも哀はしられけり鴫たつ沢の秋の夕暮

           風に靡くふじの煙の空に消えて行方もしらぬわが思ひかな


そして、「死にあくがれ、月に澄みわたる、いかんともしがたいおのれの「心」というものを、あ
りのままに富
士の前にさらし、静かに終焉を迎えようとするかに見えるが、最後には、また別種の
劇が待っていた。
「ねがはくは花の下にて春死なむそのぎさらぎのもち月の頃」とかつて望んだ通
り、1190年2
月16日、73歳の寂滅を遂けるのである。西行への讃仰はいよいよ高まったと
いうが、
閉じられた瞼の下には、再び出会う桜の実存があったか、あるいは無か」との自問で結ん
でいる。


以上、美しいと感じるのは自然な情緒なのか、そのように刷り込まれただけではないのか、記紀・万葉あら
桜ソングまで誰も触れえなかった問い(タブー)挑む-との帯のキャッチコピーの通り、今夜は一部のみ読み
解いてみたものの、スリリングな文章に一時魅了されてしまった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里山資本主義異論Ⅰ

2014年04月09日 | 時事書評

 

 

【プラズマクラスター技術考】

PM2・5の影響のため1ヶ月間えらいめにあったが、いまは回復している。ところで、プラズ
マクラスター技術が黄砂に付着している細菌・カビの抑制効果およびPM2.5に含まれている有機
化学物質の除去効果があることをシャープは実証したという(2014.04.03)。それによると、プ
ラズマクラスター技術が粒子状物質PM2.5に含まれている酸性雨の原因物質である芳香族カルボ
ン酸(安息香酸)を約98%除去、自動車などの排ガスに含まれている物質であるアルカン(ヘキサ
デカン)を約99%除去したという。その試験方法は、細菌やカビの抑制効果や有機化学物質の除
去効果を、実使用に近い25m3(約6畳)および28.5m3(約7畳)で確認。
 

 



そこで一言。この手に効果については疑似科学ぽいなどと見られていたが、このような実証デー
タ(正しければの話だが)が、長
い時間をかけ積み重ねられてくれば、それなりに説得力をもつ
ものだ、と。

 

 1999.09 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

●里山資本主義異論

藻谷浩介著の『里山資本主義-日本経済は安心の原理」で動く』の「最終総括「里山資本主義」
で不安・不満・不信に訣別を」から読んでみたが驚くことに、「デフレーション」「リフレーシ
ョン」や「近代経済学」「マルクス経済学」「列島強靱化論」に対する考え方には、わたし(た
ち)とは、相当隔たりがありこの本の推奨を行ったものとしては、甚だ心許ない出だしとなる。
『デフレの正体』ではマルサスの人口論を映した人口減少主因説で、科学技術進歩(『デジタル
革命渦論』)主因説とも、需要と供給の不均衡(デフレギャップ)説とも異なり、また、需要喚
起による円安誘導による不安ー今年(2013年)はさらに化石燃料輸入額が増え、他方でもともと
減っていなかった輸出は別段増えることがなく、経常収支赤字に転落する可能性もあると述べて
いるが、
「貿易収支には、7~8兆円の赤字が残ると試算されているから、資本蓄積が進めば対
外貸し付けが増え、貿易は赤字になり、その代わりに外国からの知財収入や資本所得が増大して
いくのは必然であり、将来世代へのつけ回しにより、化石燃料の輸入量を人為的に下げるより、
サービス輸出や海外からの直接投資を妨げている要因を取り除くことの方がはるかに重要」(八
田達夫・大阪大学招聘教授/参照『二人の教授の原発論』)との見解に比して、恣意的あるいは
情緒的のようにも思える。また、
藤井聡の『「大阪復活」と「列島強靭化論」』(竹本直一関西
21フォーラム賀詞交歓会(基調講演「列島強靭化論」講演録、2012/01/16)を読めば相違の程
度(ただし、リニアの優先順位は低くて良いと考える)
が理解できるが、このまま進めていくこ
とに躊躇するものの徳島県上勝町の「葉っぱビジネス」の事例があるように、個別事例から学ぶ
ものがあるだろうと考えこの項を継続させていく。


 「新書大賞2014」? 

 ●繁栄するほど「日本経済衰退」への不安が心の奥底に溜まる

 「根本原因分析」というのをご存知だろうか? 何かが起きている原因は何かを考える。次
 に、その原因が起きているそのまた原因は何かと考える。それを繰り返して、根っこの根っ
 こにある本当の原因にたどり着く、そういう思考法のことだ。そのやり方で、現代の不安・
 不満・不信は何から来るのか、さらにその原因となっている何かは、何か原囚で立ち現れた
 のか、と考えて行ってみて欲しい。
  筆者は、今日本人が享受している経済的な繁栄への執着こそが、日本人の不安の火元の源
 泉だと思う。
  マネー資本主義の勝者として、お金さえあれば何でも買える社会、自然だとか人間関係だ
 とかの金銭換算できないものはとりあえず無視していても大丈夫、という社会を作り上げて
 きたのが、高度成長期以降の日本だった。ところが繁栄すればするほど、「食料も資源も自
 給できない国の繁栄など、しょせんは砂上の楼閣ではないか」という不安が、心の中に密か
 に湧き出す。この不安は理屈を超えたある種の実感として、成長の始まり以来ずっとそこに
 あったのだが、周辺国が続々ライバルとして成長する中で、さらなる高まりを見せてきた、
  ところで全体の繁栄が難しいということになると、誰かを叩いて切り捨てるという発想が
 出て来やすい。官僚がけしからん、大企業がけしからん、マスコミがけしからん、政権がけ
 しからんと、切り捨てる側の気分で叩いてきたが、そのうちに、「自分こそが、そのけしが
 らん奴らから巧妙に、切り捨てられている側なのではないか」と疑心暗鬼になる人が増えて
 きた。特に日本人の四人に一人を占める高齢者には、経済社会の一線を退いた結果として、                       
 世の中から置き去りにされるのではないかという危惧を抱く層が多い。やりがいのある定職
 を持てない若者も、自分は置き去りにされているという実感が強いだろう。これが不満とな
 り、さらにはその不満を共有しないように見える(うまい汁を吸っているのではないかと思
 われる)一部の日本人に対する不信、日本を叩くことで自国の繁栄を図っているのかもしれ
 ない(?!)周辺国に対する不信となって、蓄積され始めた。
  そこに来だのが大震災だ。温和なはずの日本の自然が突然牙をむき、一時的にだがお金が
 あっても何も買えない状況が現出する。原発事故による放射能汚染で、国上の一部が麻蝉し
 た状態が生まれ、誰も口にしないが当事者以外の心の中にも、ある種の取り返しのつかない
 喪失感が広がる。しかも南海トラフという、今度はもっとすごいのが来るかもしれないそう
 ではないか。富士山や浅間山など、これまた可能性が高まっているという火山災害も心配だ。
 おまけに震災に連鎖したユーロショックと化石燃料価格の高騰で、国際経済競争は厳しさを
 増すばかりだし、日本の凋落(?)に乗じたように周辺国が領土的野心(!?)を表に出し
 てきた。
  さあいよいよ今度は日本全体が、切り捨てられる側になってきたのではないかと不安に思
 う層が増え、不安・不満・不信を共有することで成り立つ擬似共同体を形成し始める。そう
 いう種類の擬似共同体に属することで本当に安心立命を得られるのかどうか、はなはだ疑問
 ではあるが、一度属して少しでも仲間とつながった感覚になると、そこからはじき出される
 のはイヤだ。はじき出されないためには、不安・不満・不信を強調しあうことで自分も仲間
 だとアピールするしかない。つまり擬似共同体が、不安・不満・不信を癒す場ではなく、煽
 りあって高めあう場として機能してしまう。
  安倍首相も、不安・不満・不信を解消する力量のある人物というよりは、自分と同じ目線
 で不安・不満・不信を共有し、自分の側に立って行動してくれる人物として人気になる。
  これが選挙前に維新を押し上げ、そして選挙後には安倍氏への期待を高めている浮動票
 意識、彼らに迎合した一部マスコミなどが形成している「世の空気」の構造だ。

 ●マッチョな解決に走れば副作用が出る

  このように連鎖した不安・不満・不信は根深いもので、厄落としに短期間で政権を交代さ
 せても解消されるものではない。そうするたびに問題はむしろ悪化するであろうし、現に悪
 化してきた。ではどうしたらいいのか。
  経済的な繁栄への執着を捨てられれば話は早いのだが、人間社会が人間様ではなく仏様の
 集まりでない限り、無理というものだろう。それでは逆に、お金が最も大事という「マネー
 資本主義」的な発想法で考えるならば、不安の解消策はどのような方向になるのだろうか。
  出てくるのは、日本の「マネー資本主義の勝者」としての地位をいかなる形をもってして
 も回復し、その金の力をもって土木工事で自然災害を封じ込め、周辺国には軍事力を強化し
 て毅然として対峙する、というマッチョな方向だ。野田政権も特に領土問題ではマッチョ志
 向だったが、その「弱腰」を攻撃して出てきた安倍政権はさらに強気なことを言わざるを得
 ない。そこで出てきたのが「アベノミクス」という、公共投資の大盤振る舞いによる「国土
 強靭化」と、金融緩和↓インフレ誘導による景気刺激の組み合わせだった
  このマッチョな選択は、保守が聞いて驚く社会実験的な施策で、マッチョ的な発想ゆえの
 無理や、その結果としての不安点が多々ある。それらを指摘する経済学的な議論は他にも多
 いと思われるので、ここでは敢えて多くの紙幅を割かない。一言だけ述べておけば、何かす
 れば副作用が生じるのであって、ご都合主義者が願うような穏便な問題解決にはならない。
 副作用もなしにできるなら他の誰かがとうにやっている、ということは認識しておいた方が
 いい。
  たとえば、海外がインフレ・日本はデフレということで進行して来た円高も、日本がイン
 フレ気味になれば円安に転じるが、そうなるとGDPの+数%を占める輸出関連産業は息を
 つける反面、GDPの八割以七を占める内需関連産業は輸入燃料価格のヒ昇に直面する。実
 際問題として、上がるだけ上がった円が円安に戻り始めた2012年の秋以降、日本の貿易
 赤字はむしろ拡大している。尖閣問題などの影響もあって対中国を中心に輸出がドがり始め
 た一方で、円安で化石燃料代は値上がりしているからだ。2013年になり、ガソリンや灯
 油も値上がりし始めたので、平和ボケならぬ円高ボケから醒めて、円安=生活費上昇である
 という当たり前の事実に気付いた人も、ようやく出てきたのではないか。
  株価が上がるのは皆さん欧迎だし、事実これまでの日本の株価は投資利回りの実績からみ
 ても低すぎたことは間違いない。しかし国債に流れていた資金が株に流れれば(それは本来
 正常なことだが)、異常に額の膨れ上がった国債の新規の消化には次第に困難が出てくるこ
 とも予想される。足元の金利を見ている限り、まだその兆しがないのは幸いだが、これは欧
 州の経済が絶不調で、投機筋の資金が相対的に状況がましな日本に向いているという理由が
 大きいだろう。欧州の難局打開に少しでも明るい見通しが出てくれば、風向きが変わること
 は十分ありうる。
  このように経済という複雑な問題は、肩こりにも似ていて、一時的にほぐすことはできて
 も、もみかえしのような副作用もなしにすっきり問題を消してしまうような解決策はないの
 だ。

 ●「日本経済衰退説」への冷静な疑念

  だがそれはそうとして、以下ではもっと根源的な問題を考えたい。それは、「戦後の日本

 人が享受してきた経済的な繁栄は、本当に失われつつあるのか?」ということだ。筆者は、
 人々の不安・不満・不信をかきたてている「日本経済衰退説」は、「みんながそういってい
 るんだからそうなんだろう」という以外にはっきりした根拠のない、一種の集団幻想なので
 はないかということを問うている。
  次節から個別に「日本経済衰退説」の根拠を検討していくが、結論を先取って中し上げれ
 ば、戦後の日本人が享受してきた経済的な繁栄は、別段失われていないし、事実をしっかり
 認識し、ゆっくり落ち着いて適切に対処する限り、今後とも失われない。さらにいえば、仮
 に今のマネー資本主義的な繁栄がゆっくりと弱まって行くようなことがあったとしても、里
 山資本主義的な要素を少しずつ取り入れて行けば、生活上はそんなに困ることもない。筆者
 は「何もしないでも大丈夫」とまで言っているのではないが、事実をしっかり認識し、ゆっ
 くり落ち着いて適切に対処すれば、問題はないと言っている。「大地震も大噴火も来るだろ
 うが、それで日本が終わりになることはないし、あなたも私も十中八九どころか千に九九九
 は大丈夫だろう」というのと同じような話である。
  納得できるだろうか? どうかこの先を読んでからお考えいただきたい。

 ●そう簡単には日本の経済的繁栄は終わらない

 「戦後の日本人が享受してきた経済的な繁栄は、別段失われていないし、事実をしっかり認
 識し、ゆっくり落ち着いて適切に対処する限り、今後とも失われない」
 「仮に今のマネー資本主義的な繁栄がゆっくりと弱まって行くようなことがあったとしても、
 里山資本主義的な要素を少しずつ取り入れて行けば、生活上はそんなに困ることもない」
  筆者のこの指摘は、世の空気=真実だと思い込む人からは、「根拠なき断言」と言われる
 だろう。だが逆に、「戦後の日本人が享受してきた経済的な繁栄が、とうとう失われつつあ
 る」と語る人こそ、何か根拠でそう断言するのか。基本的な数字すら確認せず、空気に流さ
 れているだけではないのか。そこで以下では、「日本終末党」の党員になった気分になって、
 代表的な「日本経済ダメダメ論」を列挙し、その根拠を確認してみよう。

 ●ゼロ成長と衰退との混同―「日本経済ダメダメ論」の誤り①

 「日本の経済的な繁栄が失われつつある」とする根拠のトップに出てくるのは、恐らく経済
 成長率だろう。1990年のバブル崩壊以降、日本のGDPは全然伸びていない、という話
 だ。確かにバブル崩壊後のいわゆる「失われた20年」に、名目GDPは1.1倍にもなっ
 ていない。ゼロ成長と言ってもよく、先進国の間でも目立って取り残されている、いわば一
 人負けの状況だ。
  しかし冷静に考えて欲しいのだが、過去20年間でみれば日本のGDP総額は増えていな
 いが、減ってもいない。バブルの頃世界最高だった一人当たりGDPも、今では世界17位
 だというが、絶対額ではこの間も微増している。それどころか生産年齢人口(15~64歳)
 当たりのGDPを計算してみると、今でも日本の伸び率が先進国最高だという。経済的な繁
 栄の絶対的な水準は、まったく下がっていないのである。
  こう書くと「藻谷はゼロ成長を美化している」とか言われそうだが、そんなことはて一言
 も言っていない。ゼロ成長よりは力強く成長した方がいいに決まっているが経済衰退よりは
 ゼロ成長の方がまだしもましでありましょうよ、ということを言っている。
  経済は「ゼロサム」の世界だと思っていて、「他国が繁栄したということは、その分こっ
 ちが落ちたのだ」と何となく思い込んでしまう人がいるようだが、まったくの考え違いだ。
  過去20年間に北京は、馬車や自転車が行き交う田舎町から高速道路と地下鉄が縦横に走
 る大都会に一気に変貌したが、東京がその陰で、牛馬で物を運ぶ社会に転落したわけではな
 い。欧州の多くの国の一人当たりGDPは二〇世紀の間にアメリカに抜かれ日本に抜かれた
 が(その後抜き返してきた国もあるが)、その間も多くの欧州住民が、住環境といい治安と
 いい食生活といい装いといい、基本的なところで実に眼かな暮らしを享受している。これと
 同じことで、中国人が日本に来れば環境といい、清潔さといい地上の楽園だと思うし、日本
 よりご人当たりGDPの大きいシンガポール人でも、日本をよく知っている層は、食べ物の
 おいしさやおもてなしの柔らかさなどいろいろな面に日本の懐の深い豊かさを感じている。
  「そんなことを言っているけれども、仕事のない若者が増え、お金のないお年寄りが増え、
 地方都市は衰退を極め、日本人の生活はみじめになっている」とおっしやる方も多いだろう。
 だがその理由は日本経済全体の不調にあるのではなく、個々の問題ごとにそれぞれ根深い構
 造がある。実際には苦しんでいる人や地域がある分、うまくいっている人や地域もあるので
 あって、全体では差し引き微増となっているのだ。

                    -中略-

  ちなみにGDP以外の指標でみても、たとえば日本人の平均寿命は世界最高水準だし(敗
 戦時の日本や冷戦後のロシアのように、経済が破綻した国では必ず平均寿命は落ちる)、凶
 悪犯罪も減っているし、困窮者が暴動を起こしているわけでもない。これは経済が衰退して
 いる国の姿とはいえないだろう。本当に日本経済が衰退に転じれば、「ああ、あの頃は文句
 ばかり言っていたが、まだたいしたことはなかった」と思い知ることになるのではないか。

 
 ●絶対数を見ていない「国際競争力低下」論者-「日本経済ダメダメ論」の誤り②


 「日本終末党」の論拠の二番目は、「日本の国際競争力は失われている」という話だ。スイ
 スのビジネススクールーMDが発表する国際競争カランキングで、バブルの頃に1位だった
 日本は今や27位だという。日本の輸出額は2007年から比べてもう四分の三に減ってし
 まった。震災・円高・ユーロショックの襲った2011年には、とうとう貿易収支がマイナ
 ス2兆円と、31年ぶりの赤字になってしまい、2012年にはこの赤字がさらに6兆円に
 拡大した。長引く円高もあって、日本の産業はもはや瀕死である……ということなのだが、
 皆さんここに出ていない数字もきちんと確認したうえで、事柄の全体像を理解してお話しさ
 れているのだろうか?



  まず「ヘンだぞ」と気付いて欲しいのが、「日本が失われたバブル以降の20
年の間に本
 当に国際競争力を失っているのであれば、なぜ20年前よりも今のほうが円高なのか」とい
 うことだ。米国経済が相対的に凋落したからこそドル安が続いているのであり、リーマンシ
 ョックにユーロショックでユーロも下がった。中国は成長しているのに人民元を安く抑えて
 いると批判されている。日々の変動はともかく年単位のような大きな流れで見れば、経済的
 繁栄宇→自国通貨高というのは世界の常識だ。円高なのは、輸出が増えたからである。
  テレビ文化人には、日本の輸出の絶対額の推移を見てからしやべって欲しい。財務省の国
 際収支統計(これとは別に貿易統計もあり数字はやや異なるが傾向に違いはない)によれば、
 プラザ合意で円高が始まる前の1985年の輸出額が41兆円。バブル最盛期・日本の国際
 競争力世界一のに1990年が41兆円。それに対して2011年は61兆円と、約20年
 間で1.5五倍に増えているのだ。確かに輸出額は2007年には80兆円と、もっと多か
 ったが、これは1990年の2倍という異常な高水準であり、世界がリーマンショック前の
 バブルに沸いていた頃の一時的な数字である。月別の季節調整済み値を確認しても、震災直
 前の2011年2月の輸出が5.5兆円だったのに対して、震災一年後の2012年3月の
 輸出も5.4兆円と同水準だ。他の月を比べてもわかるが、震災後の超円高の下でも輸出は
 減らなかったのである。

  

  これは、円高が原因で値上がりしても買わざるを得ないほど非価格競争力のあるモノを日
 本が輸出してきたからでもあるが、もともと日本円が高くなっている相手の国内はインフ
 なので、相手国内物価と同程度の日本製品の値上がりは当然ということもある。だから、

 近の円安誘導に対して諸外国から「ダンピング」という批判が出るわけだ。「高かった
日本
 製品の値段が元に戻る」という印象なのではなく「他に比べて日本製品だけが急に安
くなる」
 という印象なのである。

  ところで震災後も5兆円台をキープしていた輸出は、2012年7月から4兆円台に転
 したが、これは円高のせいではなく、尖閣問題を契機にした対中国の輸出の減少による
もの
 だ。実際にも輸出が弱まってきたこのあたりから、1ドル90円まで円安方向に戻る
傾向が
 出てきている。しかし円安になっても輸出は増加に転じてはいない。円安だから輸
出が増え
 るのではなく、政治的な理由で輸出が減ってきたから円安になったのだ。

  「しかし現に日本は震災を契機に31年ぶりの貿易赤字になり、さらに赤字が拡大してい
 るではないか」と反論される方もあろう。赤字になったのはその通りだが、原因は原発事
 を契機に化石燃料の価格が高騰し輸入が増えたからであって、輸出=日本製品の海外で
の売
 り上げが落ちたからではない。そのため、日本が赤字を貢いでいる相手は資源国ばか
りであ
 
り、中国(+香港)、韓国、台湾、シンガポール、タイ、インド、米国、英国、ドイツなど
 に対しては、引き続き日本の方が貿易黒字である。つまり幾ら欧米や東アジアか
ら稼いでも、
 丸ごとアラブなどの産油国に持っていかれてしまう状態だということだが、
このあたりの数
 字を確認せずに、日本が新興工業国との経済競争に敗れた、中国(+香港)
や韓国に対して
 赤字になったと早とちりしている人が学者、政治家、マスコミ関係者の中
にもたいへん多い
 のには、筆者は本当に辟易している。

  しかも国際収支は貿易収支だけで決まるのではない。日本政府は世界殼大の借金王と言わ
 れるが、企業や個人は世界に余剰資金を投資している。その結果日本が海外から受け取る
 利配当(所得黒字)は2012年には14兆円と史上3位の水準で、貿易赤字6兆円を
カバ
 ーしてしまった。しかも所得黒字は円安だと増える煩向かあるので、同じく円安だと
増える
 化石燃料代をある程度はカバーしてくれる。

  事実としては、日本は未だに外貨を稼いでいる経常収支黒字国であり続けており、ずっ
 赤字の米国や、赤字と黒字の間を行き来しているユーロ圈など多くの国に比べて国際競
争力
 が劣っているとは言い難い。とはいえこのまま1ドル=百円を超えて円安に戻ってし
まうと、
  今年(2013年)はさらに化石燃料輸入額が増え、他方でもともと減っていな
かった輸
 出は別段増えることがなく、経常収支赤字に転落する可能性もある。円安を歓迎
して株価を
 上げている向きには真剣に現実を学んでいただきたいし、円安誘導で日本経済
再生と唱える
 ような「識者」には、数字を確認してから話をする習慣をつけていただきた
い。

 ●「近経のマル経化」を象徴する「デフレ脱却」論―「日本経済ダメダメ論」の誤り③

 
  こういう話をしてくると、「長引くデフレでどれだけ国民が苦しんでいるのかわからない
 のか」という怒りの声が飛んできそうだ。確かに消費税収の推移を見ても、国内の消費は過
 去15年以上ほとんど増えていない。同じ期間に輸出が1.5倍に増えたのとは対照的だ。
 国際競争力は落ちていないが、国内市場がガタガタ、というのが日本経済の実態なのである
 これを「日本終末党」の論拠の三番目としよう。
  物価が下がり続けるということは、金銭を稼いでいない、貯蓄に頼って生活している層に
 とっては、貯蓄の価値が目減りするどころか増えていくことになり、実は都合のいい話なの
 かもしれない。しかし働いている人や、内需対応型の企業にとっては、自分の経済活動の金
 銭的な価値がどんどんドがっていくという厳しい状態だ。勤労意欲・営業意欲が削がれ、市
 場の成長が見込めないので設備投資や人材への投資も減り、これがさらに経済を冷やしてい
 くという悪循環が生まれる。国外市場の開拓に成功している輸出企業の間では、海外に生産
 を侈していく流れが強まらざるをえない。若い人もフリーター暮らしばかりでは希望を持て
 ず、子どもを産むどころか結婚もできない。結局税収や年金の払い込みも減り、高齢退職者
 の生活も脅かされることになる。くどいのだが、筆者は決してデフレを美化はしない。

                    -中略-
 
  そんな中、執筆している時点で国論を覆っているのが「デフレ脱却」という掛け声である。
 では何をすれば脱却できるのかだが、いわゆる「リフレ論者」と呼ばれる方々の主張では、
 デフレは日銀が金融緩和を怠っているのが原因だ。とにかく世の中に流れるお金の量を増や
 し続ければ、いつかは「これからはインフレになるだろう」と皆が思い始めて、貯金が目減 
 りする前に消費を増やすようになり、内需対応型企業の売り上げが上がって給与も増え、設
 備投資も増え、必ず緩やかなインフレが起きる(‥デフレを脱却できる)という。
  確かに、際限なくお札を刷ればいつかは必ずインフレになる。実際問題、過去十数年間続
 いた金融緩和によって既に世の中に出回った貨幣供給量を考えれば、とっくにインフレにな
 っていてもおかしくないというのが、多くの金融機関の実感だろう。「回るはずのツマミが
 回らないので、ついにはヤットコを持ち出してえいとばかりにひねっていたら、土台ごとバ
 キッとねじ切れてしまった……」というような感じで、さらなる金融緩和の末に突然に極端
 なインフレが起きるという可能性もある。
  そうなれば円安となって輸入品の価格が高騰し、輸入原材料・燃料を使う多くの商品の価
 格が上がってめでたく「デフレ脱却」だが、その場合お金は消費ではなく外貨投資に流れ(
 ギリシャが正にそうなった)、日本経済は今度こそ本当に衰退してしまう。
  インフレがそのように急激にではなく、緩やかに始まるという根拠はあるのかといわれれ
 ば、「リフレ論」にはそれを保証するほどの理論的成熟も実証データの蓄積もない。間違っ
 てインフレが加熱したときにそれを制御できる方策があるのかと問うと、「現に日銀がこれ
 だけ長期のデフレをもたらしているのだから、今度は日銀が金融引き締めをすれば簡単にイ
 ンフレは収まる」という答えが返ってくるのだが、そもそも「今のデフレは日銀のせいであ
  る」という説が正しくない限りは、彼らの言う対策も効きそうにもない。これは結局、信じ
 る人は信じるという話で、賛否の議論が「神学論争」と呼ばれるゆえんである。
  ただリフレ論の信者に、ある共通の属性があることは間違いない。「市場経済は政府当局
 が自在にコントロールできる」という一種の確信を特っていることであり、これを筆者は
 「近代経済学のマルクス経済学化」と呼んでいる。昔ならマルクス経済学に流れたような思
 考回路の人間(少数の変数で複雑な現実を説明でき、コントロールできると信じる世間知ら
 ずのタイブ)が、旧ソ連の凋落以降、近代経済学に流れているということかもしれない。
  実際には日銀は、別段日本経済を滅ぼそうとしている悪の組織ではなく、これまで十数年
 続けた金融緩和が実際に物価上昇につながらなかったという経験をもとに行動している。特
 に小泉改革の時期、2002年から2007年まで続いた「戦後最長の景気拡大」局面では、
 当時史上最大の金融緩和にリーマンショック前の輸出急増があいまって、マネーゲームをす
 る余裕がある層の金融所得が大きく増えたが、個人消費は増えなかった。
  金持ち側から言えば「買いたいものがなかったので、あるいは使うことではなく貯めるこ
 と自体が自己目的化しているので、儲かった分もそのまま金融投資に回してしまった」とい
 うことであり、多くの企業側から言えば「富裕層のニーズに合っていない商品を作りすぎて
 は買い叩かれるという行動を繰り返し、せっかくの個人所得の増加を売り上げ増加に結び付
 けられなかった」ということである。金融機関側から言えば、「借りに来るのは返してくれ
 ないリスクの大きい相手ばかりで、融資がきちんと返ってきそうな事業が見当たらない。仕
 方ないので国債を買う」ということになっている。

 ●真の構造改革は「賃上げできるビジネスモデルを確立する」こと

  なぜこのような困った状況が固定されているのか、2010年に『デフレの正体』(角川
 one テーマ21)を潜いた筆者には、回書に寄せられた「批判」への回答を含め一家言も二
 家言もあるのだが、この本は里山資本主義についてのものなので、詳細な議論は『続こアフ
 レの正体一を書く機会に譲ることとする。
  結論だけを申せば、日本で「デフレ」といわれているものの正体は、不動産、車、家電、
 安価な食品など、主たる顧客層が減り行く現役世代であるような商品の供給過剰を、機械化
 され自動化されたシステムによる低価格大量生産に慣れきった企業が止められないことによ
 って生じた、「ミクロ経済学上の値崩れ」である。従ってこれは、日本経済そのものの衰退
 ではなく、過剰供給をやめない一部企業(多数企業?)と、不幸にもそこに依存する下請企
 業群や勤労者の苦境にすぎない。そしてその解決は、それら企業が合理的に採算を追求し、
 需給バランスがまだ崩れていない、コストを価格転嫁できる分野を開柘してシフトして行く
 ことでしか図れない。同じく人目の成熟した先進工業目である北欧やドイツの大企業、イタ
 リアの中小企業群などは、まさにそのような道を進んでいる。
  これを経済学者の言い回しでは「イノベーション」だとか、「構造改革」だとか呼んでお
 り、そうした企業行動を促進する政府の政策を「成長戦略」とか言っているが、難しく言う
 からわからなくなるので、要するに「企業による飽和市場からの撤退と、新市場の開拓」が
 デフレ脱却をもたらす唯一の道である。
  ちなみに「構造改革」というと雇用切り捨てのようなイメージを持つ人もいると思うが、
 生産年齢人口(15~64歳人口)が今後50年で半減というペースで減少している今の日
 本では、放っておいても働く人の数は減っていくのであり、勤労者あたりの所得を今後50
 年で2倍に引き上げることができない限り、内需は歯止めなく縮小していく。従って今世紀
 日本の構造改革とは「賃上げできるビジネスモデルを確立する」ということであり、「賃下
 げにより足元の利益を確保することで自分の国内心場を年々自己破壊していく」ということ
 ではない。
  賃金2倍などとても無理と思うかもしれないが、現実の世界では、フランスやイタリアの
 ように時給水準が日本より高い国が、日本から貿易黒字を稼いでいる。彼らの主要輸出品で
 あるワイン、チーズ、パスタ、ハム、オリーブオイル、服飾工芸品などがいずれも、コスト
 を価格転嫁できるだけのブランドカを持つ商品であり、現に日本でも高く売れているからだ。
  内需型産業各社も、同じようにコストを価格転嫁できるだけのブランドカを持つことに注
 力し(できない分野からは撤退してその市場は輸入品に任せ)、年平均1%でいいので人件
 費水準を上げて行ければ(別の言い方をするなら、平均年1%勤労者が減っていく中で給与
 総額を横ばいに維持できれば)、日本経済は衰退しないのだ。
  実際問題、日本の1400兆円とも1500兆円とも言われる個人金融資産の多くを有す
 る高齢者の懐に、お金(潜在的市場)は存在する。大前研一氏のブログによれば、彼らは
 死亡時に1人平均3500万円を残すというのだが、これが正しければ年間百万人が死亡す
 る日本では、年間35兆円が使われないまま次世代に引き継がれているという計算になる。
 日本の小売販売額(=モノの販売額。飲食や宿泊などのサービス業の売り上げは含まない)
 が年間て20兆円程度だから、その35兆円のうち3分の1でも死ぬ前に何かを買うのに回
 していただければ、この数字は一割増となってバブル時も大きく上回り、たいへんな経済成
 長が実現することになってしまう。
  今世紀日本の現実は、個人に貯金がまったくなかった終戦直後の日本や、今の多くの外国
 とは訳が違うのである。さらにいえば、高齢者自身が何を買う気がなくても、お金さえあれ
 ば消費に回したい女性や若者は無数にいる。『デフレの正体』で論じたように、あらゆる手
 段を使って高齢富裕層から女性や若者にお金を回すこと(正道は女性や若者の就労を促進し、
 給与水準を上げてお金を隙いでもらうこと)こそが、現実的に考えた「デフレ脱却」の手段
 なのである。OECD(経済協カ開発機構)の日本経済活性化に向けた提言や、IMF(国
 際通貨基余)の提言もまったく同じことを言っている
  別にデフレを悲観して「日本終末党」に入る必要はない。生産年齢人目が減少に転じてか
 ら20年近く経ち、さすがに時代の変化に対応し、新たな市場を獲得し始めている企業も増
 え始めているからだ。だからこそ不景気だ不景気だといいながらも史上最高益の企業が続出
 しているのであり、日本全体の名目GDPも総じて横ばい(円ベースでは敵城、ドルベース
 では微増)を続けている。
  ちなみに、中国、韓国、台湾、シンガポールなどの東アジア新興国・地域でも、日本以上
 の少子化か進んでおり、生産年齢人目は数年以内に減少に転じていくと言われている。日本
 だけが「デフレ」に沈むのではなく、日本で見られる「ミクロ経済学上の値崩れ」が日本の
 「ライバル」の間でも深刻化していくことになろう。
  残念なことに、さらなる金融緩和で事態は解決すると主張するリフレ論が横行すればする
 ほど、旧態依然の低価格大量生産依存の企業に限って政府の助けを期待し、自らの「イノベ
 ーション」「構造改革」を怠ってしまう。彼らは企業でありながらまるで社会的弱者のよう
 だが、これが95年までの一方的な現役世代の増加に甘えてきた戦後日本の資本主義の現実
 でもある。人口増加の上げ底経済の中でだけ存続できた、本来持っているべき経営戦略の欠
 如した企業が滅んでいく過程。その前向きな産みの苦しみが、今の[デフレ」なのだとも言
 えよう。
  以上代表的な「日本ダメダメ論」を取り上げて、その根拠の怪しさを指摘してきた。「日
 本終末党」の数多くの主張というものは軒並み、世の「なんとなく終末気分」という空気に
 流され、数字の裏打ちや論理的な分析を欠いたまま出てきているものであるということは、
 それなりにご納得いただけたとしよう。しかしこの話はそろそろ切りLげて、さらなるそも
 そも論を提示したい。
  以上の話で日本はダメになりつつあるという不安・不満・不信は、払拭されるだろうか。
 困ったことにそんなことでは不安は消えないのではないか。だとすれば、それはいったいな
 ぜなのか。

         藻谷浩介著『里山資本主義-日本経済は安心の原理で動く』pp.251-274

                                   この項つづく

 転倒防止シューズが欲しぃって?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅ポックスウイルス禍

2014年04月08日 | 環境工学システム論

 




【瀕死の苗木産業、南高梅?】

全国有数の梅の名所・吉野梅郷(東京都青梅市)の代表的梅園である「青梅市梅の公園」の梅が、
今月で見納めとなる。梅郷の恒例イベント「梅まつり」も今回でひとまず終幕。梅の木を弱らせ
る「プラムポックスウイルス」(PPV)の感染拡大防止のため、市はシーズン終了後に園内の
千二百六十本余りをすべて伐採するため、梅の公園の梅樹の伐採作業のため、4月4日から5月
30日の期間は公園を臨時閉園となるという。梅の公園は1972年に吉野梅郷内に開園し、92
年に整備を完了した市内最大の梅園。約四ヘクタールの傾斜地に、最も多い時で、120種17
39本の梅が咲き誇っていた。2009年に梅の木では世界初とされるPPV感染が市内の梅園
で見
つかり、公園内でも10年に感染木を確認。市は公園で新たな感染が分かるたびに伐採を重ね、
現在は80種1266本まで減った。昨年6月の調査では39本の感染が判明し、国が定めた感
染拡
大防止の方針に従うと、感染木の周囲を含め約5百本を伐採しなければならなくなったもの。
染木を触るなどしても人体には影響ないが、大量伐採で景観が大きく変わるため、市や周辺の
梅園所有
者、観光関係者らが対応を協議。公園内は全て伐採して「一からの再生を目指す」こと
を決めた。植物防
疫法の規定で国が3年間、感染がないことを確認しなければ、新たな梅の木は
植樹できない。約40年前から続く梅まつりも今回を最後に、当面は開催できない。


 

プラム(梅)・ポックス・ウイルスPlum pox virus、PPVとは、サクラ属に感染する植物ウイ
ルスで
ある。ウメ輪紋ウイルスという別名もある。果樹が感染すると、葉や花弁や外果皮に斑紋
が現れるとともに早期落果により収穫量が減る。感染した果実を食用としても人体に害はないが、
商品価値はほぼゼロとなるため、果樹農家にとっては減収になるうえ、木を伐採せざるをえず、
経営上の大きな脅威となる。プラムポックスウイルスはサクラ属の種の重篤な疾患で知られてい
るこの病気は、最初1915年にブルガリアのプラムで発生が報告され、1935年には旧ユーゴスラビ
ア、ハンガリーの東欧を経由し、ゆっくりと北へその疾患伝染を広げ、1956年にドイツ、1970年
にポーランド、ロシア1961年にはフランス、そして、1965年に英国へ伝染し一旦は根絶されたも
の、1970年に再び英国で疾患発生以降、英国全体へと伝染する。1984年にはスペインでも見つか
る。その後、ヨーロッパ全土プラムポックスは核果(かくかと呼ばれる果実は、外側の果皮(外
果皮)および果肉(中果皮)が内果皮の硬化した硬い核(殻)を取り巻き、核の中に種子がある
ものをいう。核は種子を構成する要素でなく果実の一部である。種子は核に保護されるため、表
面を覆う種皮は通常薄く脆弱である。石果(せきか)ともいう。)の最も破壊的な疾患であり、
欧州の木々が感染していると推定されている。さらに、
1992年ごろには、プラムポックス症状が、
まずチリの西半球で検出され、1999年10月に、PPV(D-菌株が米国は、ペンシルバニア州で成長し
ている桃、北米でも確認。そして、2000年には、同じく、カナダはオンタリオ州のナイアガラ地
域に生育する桃でも検出。2007年の夏には、ミシガン州とオンタリオ湖に近い西部のニューヨー
クでも検出されてい
る。

  
  Myzus persicae  / モモアカアブラムシ

感染経路は、アブラムシが媒介するほか、感染した苗木などから広がる。果実からは感染しない。
また、日本では、感染が最初に見つかった青梅市周辺で被害が大きい。他地域のウイルスにも、
DNAの一致がみられ、全て青梅市が感染源と考えられている。発生国は、ヨーロッパ(ブルガリ
ア、オランダ、ベルギー、フランス、イタリア、英国)、アジア(中華人民共和国、イラン、イ
ンド、トルコ、日本)、アフリカ(エジプト)、北アメリカ(米国、カナダ)、南アメリカ(ア
ルゼンチン、チリ)である。
ところで、治療法や予防薬は、現在見つかっておらず、感染拡大防
止策
しかない。アブラムシの駆除、感染樹や周辺の樹木の伐採、感染地域の苗木の移植規制など
が行われている。伐採後は潜伏期間を考慮し、一定期間再植樹しない。徹底した封じ込めにより、
既に根絶宣言した国もあるという。潜伏が長期間であるため、「媒介生物」「苗木移動」の徹底
した管理・制御への強化と、検出および免疫法などの技術開発促進の両面作戦がキーとなる

※ プラムポックスウイルスの緊急防除に関する省令
※ Plum Pox Virus of Stone Fruits
※ ウメ輪紋ウイルス( plum pox virus )の検定法
※ Plum pox
※ 果樹に被害のウイルスが上陸 都内のウメから、東大確認、2009.04.08
※ ウメ輪紋ウイルス病
※  ウメ輪紋ウイルス(プラムポックスウイルス)緊急防除対策について、東京都農業振興事務所
※  ウメ輪紋ウイルス(プラムポックスウイルス) の見分け方と対策
※ Plum Pox Virus In Ornamentals
※ 植物防疫所 ウメ輪紋ウイルス(プラムポックスウイルス)の緊急防除について



そこで一言。南高梅の原産地の和歌山県の梅の生産3割、封じ込めの厳戒態勢でことしの南高梅
は格別にピリピリする、と。

 

 

【格安・利便性優先スマホの登場】

イオンが4日、全国の総合スーパー約170店で格安のスマートフォン(スマホ)を発売。端末と
通信サービスのセットで月2980円(税抜き)と、大手携帯電話会社の半額以下。1日から4千台

分の予約の受け付けを始め、3日までに3割の店舗で予約分が完売。イオンのスマホの端末は米
グーグルと韓国LG電子が開発した「ネクサス4」。既存の携帯電話会社から回線を借りる仮想
移動体通信事業者(MVNO)である日本通信の通信サービスを組み合わせる。ネット接続の通
信速度は最大毎秒200キロビットと低速で、動画の閲覧には向かず、主な用途としてメールやイン
ターネットサイトの閲覧、SNS(交流サイト)を想定。自宅などで無線LAN(構内情報通信
網)
「Wi―Fi(ワイファイ)」を利用すれば、高速通信で動画も閲覧でき、シニアや学生、
主婦らの需要を見込む。イオンリテールのデジタル事業開発部の橋本昌一部長は「今月中に完売

できるのでは」と話し、月内にも第1弾の全8千台が売り切れる見通しを示した。また大手携帯
電話会社のスマホは2年単位契約の割引プランが主流で、各社とも途中で契約を打ち切る場合に
1万円近い解約金が必要。イオンのスマホでは解約金がかからず端末の未払い分の返済だけで済
み、25カ月目からは通信費のみの月1560円で利用できる。スマホの通信料金は高止まりが指摘さ
ている。イオンは大手携帯電話のスマホも販売しており、「格安航空会社(LCC)の携帯電
話版で、消費
者のニーズに応じた選択肢を増やすのが目的」(同社)と説明する。格安スマホへ
の支持が拡大すれば
、従来の大手携帯電話会社の料金体系の一石を投じることになると報じてい
る。

 
そこで一言。スマフォで息を吹き返すかネオ・リベラリズムと高齢者パワー、と。



【液化水素発電システム実証がはじまる】

山口県と山口県産業技術センターは5月から、液化水素発電システムの実証実験を同センター
で始める。マツダの車載用ロータリーエンジン(RE)を使用してコージェネレーション(熱電
併給)システム
を構築、事業所や公共施設向けに電気と温熱を供給するモデルを構築する。20
18年度に事業化す
る。REを発電目的に利用するのは初めてという。

山口県産業技術センター内に冷熱回収用の気化器と水素ガス用のバッファータンク、マツダから
無償提供されたスポーツカー「RX―8」用のREをそれぞれ設置。液化水素を使ってREを駆
動し、発電した電気を供給する仕組み。まずは電気の安定供給確立を目指しており、冷熱と廃熱
利用は次のステージの課題とする。
14年度から2年間実証実験を行い、その後2年をかけて地
場企業と量産準備を進める。最終的には発電システムをパッケージ化して18年度にも量産する
計画。価格は未定。
防府市に生産工場があるマツダは水素RE車両として06年に「RX―8」
、09年に「プレマシー」をそれぞれ山口県にリース販売するなど、両者はREの利活用で協力
している。昨年6月、周南市に岩谷産業とトクヤマが合弁でつくった山口リキッドハイドロジェ
ンから液化窒素を調達し、これを気化させ発生した水素ガスを燃料にマツダが提供したロータリ
ーエンジン(RE)を回して発電する。それ以外の課題には(1)工程で発生するマイナス253℃の
冷熱や、REを回転させた際に発生する排熱の冷暖房システムなどへの利用法の検証(2)水素に
よる金属脆弱化対策(3)排気ガス中の窒素酸化物の除外などがある。

 

ところで、水素はガソリンに比べて点火エネルギーが小さく、非常に燃えやすい特性をもってお
り、水素を
燃料に用いた場合は吸気行程でスパークプラグ等の熱源で着火してしまう異常燃焼が
おこりやすく、いか
に良好な燃焼をさせるかが課題となる。ロータリーエンジンは、吸気室と燃
焼室が分離した構造であり、また吸気室には熱源もないため、異常燃焼がおこるリスクが低く、
水素燃焼に適し、水素ロータリーエンジンは直噴技術を採用し、良好な燃焼を実現させる魅力が
ある。水素ロータリーエンジンはマツダの固有技術であるロータリーエンジンの特性を活かし、
内燃機関開発の実績があり、水素使用時の、従来のガソリン使用時と同様の使いやすさと信頼性
を確保している。水素使用に伴う変更も少なく、低コストでの量産化が可能で、さらに、マツダ
の水素ロータリーエンジンは一つのエンジンで水素もガソリンも燃料として使用可能なデュアル
フューエルシステムが採用できる、これは凄い。

 

 

そこで一言。マツダのロータリーはなにも自動車だけじゃない、定置型ロータリーとしても使え
るのだ、と。
 でもね、窒素酸化物は除外しないと?!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

科学技術最前線レター 2014/04/07

2014年04月07日 | デジタル革命渦論

 



  


※ 『LCO深紫外発光ダイオードの衝撃』@参照。
 特開2011-031282 レーザ加工装置、レーザ加工方法および液滴吐出ノズルプレート 丸文

省エネで長寿命である発光ダイオードは、次世代の光源として注目され、照明用だけでなく、様々な波
長の発光ダイオード開発が進んでいる。 これらの発光ダイオードの利用用途は照明用途にとどまらず、
殺菌や浄水用途などにも利用できる深紫外線発光ダイオードなど、あらゆる分野に広がり、さらなるコ
ストダウンとエネルギー効率の向上が求められている。丸文はさる3日、アルバック、東京応化工業、
東芝機械、産業技術総合研究所(産総研)、理化学研究所(理研)と共同で、発光ダイオード製造プロセス
において光の取り出し効率を大幅に改善できる「フォトニック結晶プロセスインテグレーションシステ
ム」の開発を行った。LEDのエネルギー効率を上げるには素子が発した光の内部吸収を抑え、できる
だけ多くの光を外部に放出することが重要。今回の新技術は、金型を基板に押し当てて回路パターンを
転写するナノインプリント技術を活用し、微細なフォトニック結晶の回路を描く。
丸文などは新技術を
深紫外線LEDの分野に提案する。同LED実用化には外部量子効率を現行の数%から20%程度まで
高めることが必要。新技術を使ったシミュレーションで30%を実現。
共同研究では丸文が金型の設計、
東芝機械はナノインプリント装置、アルバックはドライエッチング装置の開発を担当。東京応化はレジ
スト材の開発を担い、理研や産総研は技術評価などで協力している。

 

このニュースをみて、フィルム型太陽電池の金属電極のレーザーアブレーション法によるパターニングで丸文と
の共同開発で、山梨県の工業試験所へサンプルを持ち込み実験していた記憶がフラッシュバックする。実に懐
かしい。そこで一言。量子スケールデバイスのプロセス開発こそ、高効率変換太陽電池時代の技術だ、と。

   どこでもキーボード

 

コウジ菌は清酒やみそなど発酵食品に使われている当に世界に発信できる日本の技術。細胞外に多量の
酵素を出すのが特徴で、酵素を作らせる遺伝子組み換え菌としても有用。神戸大は文部科学省の支援事
業「先端融合プログラム」の一環として、月桂冠と共同で取り組んできた-多糖セルロースを単糖グル
コースに分解するのに必要な三つの酵素遺伝子の効率的導入(酵素の生成量を増やして分解能を10倍
に高める)-神戸大学大学の若井暁助教、近藤昭彦教授は月桂冠と共同で、廃木材や稲わらのセルロー
ス系バイオマスを効率よくグルコースに分解する遺伝子組み換えコウジ菌が開発された。




今回は、有用遺伝子と遺伝子導入の目印になるマーカーをばらばらにした上で同時に導入する「コトラ
ンスフォーメンション」つまり、共移入ともいい、複数の特性をもつ遺伝子を同時に一つの細胞に移入
することで、それぞれに特有の発現をさせて解析する手法(転写因子遺伝子とそれが機能を発現する遺
伝子の調節領域にレポーター遺伝子をつないで共移入すると、転写因子の結合領域や機能解析が可能と
なる手法)活用し、3つの遺伝子について、6~18個のコピーを染色体に導入することに成功。1個の
遺伝子コピーしか導入できなかった従来手法に比べて酵素生成量が増え、分解能を高められたという。
神戸大では別の組み換えコウジ菌で、グルコースからバイオプラスチックや化学品の原料である乳酸を
作るのに成功おり、今回の成果と組み合わせれば、組み換えコウジ菌でセルロースから乳酸を作り出せ
る可能性があるという。

 特開2009-178104ヘテロ接合性の消失を利用した二倍体細胞染色体特定領域のホモ化方法@参考

そこで一言、スパーアーミンング酵母(千手観音酵母)の”慈悲の御心”、ここに顕れし、と。

●レター特大付録


自然科学研究機構の核融合科学研究所(岐阜県土岐市)は、大型ヘリカル装置(LHD)で1億度に迫る
イオン温度9400万度を達成した。4月2日から4日まで同研究所で開かれた「平成25年度プロジェクト
成果報告会」で発表した。LHDは、核融合実験炉で主流のトカマク型と違うヘリカル型。ヘリカル型と
しては世界最大の装置で、1998年から実験を積み重ね、その進展が注目されていたもの。

そこで一言、予算と世論対策はかかせないが、ともかくも頑張ってや、と。

 環境工学研究所WEEFの「最新注目情報」@参照


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「愚韓新論」を読む

2014年04月05日 | 時事書評

 




●ヒトES細胞の多能性にウイルス関与?

ナショナルジオグラフィックニュースによると、数千万年前、ヒトの祖先のゲノムに侵入したウイルス
が、今では人体のすべての細胞の元である胚性幹細胞(ES細胞)において重要な役割を果たしているこ
とが、最新研究で明らかになったという。今回の発見は、ウイルスが人類の進化に果たしている役割
明らかにするもので、幹細胞を先進医療に利用する方法、さらには、通常の細胞を幹細胞に転換する方
法を見出す手がかりとなる可能性があるという。ES細胞は多能性を有し、体のあらゆる細胞になること
ができる。この能力を病気やけがの治療に利用しようと、世界中で研究が進められている。多能性の仕
組みは、数十年の研究を経てもなお解明されていない。しかし今回の研究によって、「ヒトES細胞がそ
の能力を有する上で、ウイルス由来の物質が不可欠である」ことが明らかになったとは、研究の共著者
でモントリオールにあるマギル大学の計算生物学者ギヨーム・ブルク(Guillaume Bourque)の話。

 

ウイルスは自己を複製するために、生物の細胞内に入り込んで、その構造を利用する。レトロウイルス
という種類のウイルスは、これを行う際に、自らの遺伝子を宿主細胞のDNAに組み込み、それによって
細胞にレトロウイルスの新たな複製を作らせる。このレトロウイルスで最も悪名高いのは、後天性免疫
不全症候群(AIDS)を発症させるヒト免疫不全(HIV)ウイルスだ。
レトロウイルスは、まれに生物の
精子や卵細胞に感染する。感染した精子や卵細胞がヒトになると、その細胞にはレトロウイルスのDNA
が含まれ、それが子孫へ受け継がれる場合がある。既存研究によると、ヒトゲノムの少なくとも8%を、
これら内在性レトロウイルス(ERV)が占めるという。ERVは、ヒトの祖先が太古の昔にレトロウイルス
に感染した名残だとされている。ERVは長らく、ヒトゲノムの中でなんの機能ももたないジャンクDNA
だと考えられてきたが、最近の研究によって、ヒト内因性レトロウイルス(HERV)の一種であるHERV
-Hに関しては、この説が当てはまらない可能性が浮上。HERV-HDNAは、通常のヒト細胞では不活性
化されているが、ヒトES細胞においては驚くほど活発だという。ES細胞が多能性を維持するのに重要な
役割を果たしていることが明らかになる。

※ HERV-Hの働きが詳しく解明されれば、通常の細胞を多能性のある幹細胞に戻し、それを使って「
  再生医療を行うことが可能になるかもしれない」と、ブルク氏は述べる。そのような再生医療は、
  糖尿病、脳卒中、多発性硬化症、パーキンソン病、脳や脊髄の損傷などの治療に利用できる。



ヒトES細胞は、200種類を超す人体の細胞の大元だ。それほど重要なヒトの基本材料が、ヒト以外の、
それもウイルス由来の遺伝物質に依存しているというのは直感的には受け入れがたいが、長い進化の過
程で、ウイルスが宿主細胞の働きを操作する能力は磨かれてきた。今回の研究成果は、レトロウイルス
を取り込んだ生物が、自らの生体機能をよりよく制御するのに、ウイルス由来の物質を利用している可
能性を示唆している。役に立つかもしれない機能を、突然変異のみに頼るより早く手に入れられると期
待されている。そこで一言、俄に信じられないが、進化とそういうこと含まれていることに二度びっく
り!

  The retrovirus HERVH is a long noncoding RNA required for human embryonic stem cell identity, Received09
      November 2013, Nature Structural & Molecular BiologyVolume:21,Pages:423–425Year published:(2014)DOI:




●冷凍パスタも凄いんじゃない?

消費税があわただしく引き上げられた(わたしの増税論はこのブログにほとんど掲載されている。コス
ト下落にかかわる技術革新が続く限りこのデフレはなくなることはない。ところで、彼女はスパーの食
品を買って帰ってきて、小さくなった食パンを見せながら、やっぱり、値上げは堪えると言う。そこで
自営ということにはなるが、先日のフジッ子の和風カレーの素ではないが、電子レンジで解凍と加熱調
理できる冷凍パスタは1袋3百円+αの値段で入手できるのではないかと考え、行動を起こすことにし
た。感想は後日。


・特開2013-017399 電子レンジ調理用容器入り濃厚クリームスープ載置冷凍麺及びその調理方法
・特開2012-249586 パスタ用熱処理デュラム小麦粉及びその製造方法並びにこれを使用したパスタ
・特開2012-244972 植物油を含む冷凍クリームソース類の製造方法
・特開2012-183044 冷凍麺製造における茹で上げた麺の冷却方法
・特開2010-246466 電子レンジ解凍調理麺用高油分乳化油脂組成物及びその製造方法 並びにこれを使
         用した電子レンジ解凍調理麺用ソース及び電子レンジ解凍調理麺

 
●スピン反転励起が可能な新色素で有機系太陽電池の大幅な広帯域化を実現

田中貴金属グループの2013年度「貴金属に関わる研究助成金」の「プラチナ賞」に東京大学の瀬川浩司
教授らの「新規ルテニウム錯体のスピン反転励起を用いた広帯域有機系太陽電池」が選ばれた(2014.0
4.01)。受賞理由は、世界的に高効率な再生可能エネルギー源が求められている中、資源資材を浪費せ
ず、安価で使いやすい太陽光発電を実現のため、先進的な貴金属色素開発と有機色素の組み合わせによ
り、世界最高レベルの効率を得たのは画期的な技術革新であり、貴金属の特性を最大限生かした研究で
あるとし評価された。発明の概要は以下の通りである。



色素の光吸収を発電に利用する有機系太陽電池は、低コストが特徴であるが、使われる色素の光の吸収
帯域が狭くエネルギー変換効率が低いという問題を抱えていた。
東京大学先端科学技術研究センターの
瀬川浩司教授、木下卓巳特任助教らの研究チームは、分子が光を吸収する際に電子の持つスピン(電子
が持つ、磁石のような性質、通常、分子が光吸収を行う過程でその向きは保存され変化しないとされて
いる)の向きを反転させることができる新色素(DX)を合成し、DXを用いた有機系太陽電池で可視光
から目に見えない1ミクロン以上の近赤外光まで非常に高い効率で発電させることに世界初成功。

これまで色素増感太陽電池で使われてきたルテニウム錯体色素は、最も長波長帯のMLCT(金属-配位
子間電価移動遷移)吸収帯で光吸収が起こると、まず励起一重項状態を生成し、ルテニウムの重原子効
果により、直ちに励起三重項状態へと項間交差(熱的にエネルギーを放出しながら電子の持つスピンが
反転する現象。金属を含む化合物でしばしば観測される)を起こす。この一重項と三重項のエネルギー
差(スピン交換エネルギー)は、多くのルテニウム錯体では数百meVもある。この錯体の酸化チタンへ
の電子注入過程の多くが励起三重項状態からの電子注入である。このため、既存のルテニウム錯体色素
ではスピン交換エネルギー分相当のエネルギー損失が避けられない。このエネルギー損失の低減を目的
とし、基底一重項から励起三重項へ直接遷移するスピン禁制遷移(通常、分子が光を吸収する際はスピ
ンの向きが保たれたままになるが、それが反転する遷移。通常は観測されず、一部の分子では非常に弱
い強度で観測されることがある)を利用し、高効率な近赤外光電変換の実現を目指してきたという。

一部のルテニウム錯体は中心の重原子による強いスピン軌道相互作用(原子核の周囲を軌道運動する電
子が、電子から見た原子核の相対的な運動により磁場を受けるという相対論的効果)で、長波長領域に
スピン禁制遷移が見られることがあるが、その吸収強度はとても弱いものの、ビピリジルなどの窒素原
子を有する配位子の代わりに、リン原子など電気陰性度の小さな原子を配位させた錯体を合成。リン配
位子を有するルテニウム錯体は、通常の窒素原子が配位した錯体と比べ、錯体に働く内部重原子効果
分子の中に重原子が存在すると、分子に働くスピン軌道相互作用を大きくする効果)が増強する。これ
は、リン配位子が配位することによって金属-配位子間の結合の分極が反転し、ルテニウム原子が非常
に大きな電子的寄与を持つことによるものと考えられる。これにより、中心金属の原子量を増加させる
こと無くスピン軌道相互作用を大幅に増強させることが可能になり、大きなスピン禁制遷移を発現する
ことを発見し、また、この新規増感色素を用いたDSSC(色素増感型太陽電池)は1020 nm付近から立ち
上がるIPCEスペクトル(太陽電池の波長ごとの光電変換量子収率を示したもの。有機系太陽電池の場合、
用いる有機色素の吸収帯域に依存して形状が変化する)を示し、既存の高効率色素と比べ、IPCEを低下
させることなく、分光感度波長を100nm以上長波長化させることに成功。これは近赤外領域のS-T遷移に
よって直接生じた励起三重項状態からの直接的な電子注入に起因するものと考えられるという。

また、擬似太陽光下(100 mW/cm-2, AM1.5G)では、有機系太陽電池史上最も高い短絡電流密度(JSC)と
なる26.8 mA/cm-2が得られ、一般的な無機系太陽電池に匹敵するほどの大電流を得ることにも成功した。
今回の論文には記載されていないが、発表者らは同系統の誘導体をさらに改良し短絡電流密度(JSC)30
mA/cm-2
を超える太陽電池の作成にも成功している。

一方、太陽光は非常に広い帯域にフォトン(光子。光など電磁波を媒介する素粒子)を有しており、単
一のセルでの光電変換には理論的な変換効率の限界がある。タンデム型太陽電池は、それぞれ異なる波
長域の光電変換を行うセルを複数積層させることによって熱的なエネルギー損失を最小限に抑えること
ができる。これまでにトップセルに短波長の光を吸収するルテニウム錯体色素や有機色素、ボトムセル
に可視光全域を吸収する増感色素を用いたタンデム型色素増感太陽電池(タンデム型DSSC)などが報
告されているが、増感色素の長波長化が困難なため、ボトムセルの改良が課題だ。今回、新規に合成し
たルテニウム錯体色素は、長波長に高い感度を有し、さらに無機系太陽電池に匹敵するほどの大電流を
得ることができるため、これをボトムセルに用いたタンデム型太陽電池の検討を行っている。

既存のルテニウム錯体色素をトップセルに用いた場合、最大で11.4%のエネルギー変換効率が得られ、
さらに、太陽光の照射強度を通常の1/3程度まで減らした場合、12%を超える非常に高いエネルギー変
換効
を得ることに成功した。さらに、今回の論文には記載されていないが、同系統の誘導体をさらに
改良した色素で最大で12.8%のエネルギー変換効率を得ている。また、太陽光の照射強度を通常の1/3程
度まで減らした場合、エネルギー変換効率は13.5%程度まで上昇することを確認している。このタンデ
ム太陽電池では、原理的には30%を超える光エネルギー変換効率を実現することも可能である。無機
化合物半導体を用いたタンデム型太陽電池の場合、光量の減少に伴い変換効率が低下してしまうのに対
し、タンデム型DSSCは変換効率が向上する。このことから、タンデム型DSSCは、天候が優れない日や
窓際など、光量が不足しがちな場面での運用につながる可能性があるという。

※ "Wideband dye-sensitized solar cells employing a phosphine-coordinated ruthenium sensitizer",Received22 Oc-
       tober 2012




●「愚韓新論」の愚?!

ユーチューブで三橋貴明の上図の書物が発刊されていることを知り、翌日、購読する。さらっと、読み
飛ばしてみた感想を一言でいえば、この書物には"ココロ"がない、その地域で移り住み育んできた人達
の共同体史、その地域共同体史の "遺伝子コード"を解読し、それを引き受けそれを未来に展開させて
いく責任というか、意欲といった方がいいのかわからないが、それが著しく欠いているのではとの感想
を抱いた。ところで、彼の主張であるインフレターゲット政策は、リフレ派のわたし(たち)と共鳴す
るところがある。厳密に言えば、わたし(たち)は、複雑系のマクロ経済学にして、ポスト或いはニュ
ーケインジアンの系譜に近いのと考えているが、彼のそれは、軍需産業をも含めた"有効需要喚起"のケ
イジアンや新古典派、ないしは、ネオ・リベラリスム(新自由主義)をない交ぜた計量経済学のように
思っていて、政治的には、国民国家(民主派)主義(石原慎太郎らのようなマキャベリックな国民国家
(共和派)主義とは異なる)系譜のように感じている。が、この図書で引用された数多くの産業経済数
値の豊富さや、韓国憲法を読み解いていること、あるいは、アジア通貨経済危機・リーマンショックな
どの分析など興味を惹いたその一方で、彼の日韓の歴史観(安重根を単なるテロリスト呼ばわりするな
ど)とは随分と意見に隔たりがある(参考『雨森芳洲(1)』『雨森芳洲(2)』@「近江の思想」)。
今夜は時間の都合上、残件扱いとし、後日、興味を惹いた事柄について、個別に考察してみる。
 

安重根主犯説に対し、ロシア特務機関説が話題(情報源は?→貴族院議員室田義文証言)となり週刊文春
  取り上げているという。
※ ”国民国家主義”に対置するカテゴリーとして、わたし(たち)は”国民福祉主義”を想定している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

情報の整理術

2014年04月04日 | 時事書評

 

 



●二度目はお釈迦-二度目の東京オリンピックは?

”デジタル革命渦論(かぶん)”で情報量の幾何級数的膨張をとげているが、全部が全部目を通して必
要なものを取捨することは不可能。したがって、妥当と思われる考え方の対極を、これは二極から四極
程度にカテゴり集約し、情報を整理整頓した上で、自分が納得できる考え方を求める-これがわたしの
流儀。そこで、久しぶりに、最新の原子力発電禍の話題を追ってみたが、まず、脱原発のカリスマ的論
客?の広瀬隆の「汚染水と農水産業の近未来」をユーチューブで旭川講演を観賞した(下図左/右 クリ
ック)。彼の論調は、理工系な論理立てで理解しやすいが、(1)温暖化問題(カーボン・リスク)よ
り、地殻プレート変動連鎖リスクを優先させ日本列島の地盤の脆弱性を対置させているが、(2)それ
は、かならずしも巨大地震が頻発化すると予測しているわけではない(誰にもわからないと言う)が、
(3)再び、東日本大震災クラスの地震発生すれば、日本列島全体が壊滅的原発被害を被り、東京オリ
ンピック開催どころでないと主張する。この危機意識は共有できる。もっとも、講演の中で、故吉田昌
郎福島原発所長を水素爆発の想定が出来ずにいたと、こき下ろしているが、何もそこまで言わなくても
いいのにと思うものの、決して安心していられる状況でないことも言わずもがなである。

   

 

 1999.09 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

 
●『異形の心的現象』を二度読む

  2009.11.25

 

●「精神分裂病」から「統合失調症」ヘー実態の変革へ向けて

A:森山さんに聞かなくてはいけないことがありますが、「精神分裂病」とは言わなくなったという
  ことと、「精神分裂病」は薬で治ると主張する人たちがいるのですね。それは心理学の人たちが、
  「精神分裂病」も問診で治るのだ、ということと同じことなのでしょうか。そこが良く分から

  いのですが。

Q:今度「統合失調症」と呼ぼうということになりました。原名はSchizo‐phrenie(シゾフレニ-)
  なのですが、その英語訳がschizophrenia(スキゾフレニア)です。今はまずschizophreniaを「
    統合失調症」と訳そうという段階です。だいたい、「精神分裂病」という言葉に「あれは治らな
  い病気だ」とか、「一生荒廃にいたる病いだ」とか、そういう負のイメージが付いていましたし
  最近ではかなり良く治るという方向に逆転しているものですから、その昔風のこびり付いた嫌な
  イメージを取るという意味で、「統合失調症」に変えようということになっています。
  なぜ変えたかという理由として、つまり「精神分裂病」という言葉から「統合失調症」という言
  葉に変えるという理由はいろいろあります。
   その大きな一つは、昔は治らないと言われていましたが、今はかなり良く治ると考えられてい
  ます。その「治る」というのは何かということですが、薬だけで治るというわけにはいかなくて、
  薬や心理社会的な接近で良くなると言われていますけれども、一部の人たちは薬でかなり良くな
  るという言い方をしていますね。薬だけで治るとか、心理療法だけで治るとかいうのは、吉本さ
  んがおっしゃったように眉唾だと思います。僕は「精神分裂病」は極めて人間的な病気ですから、
  それこそ全人間的なアプローチで良くなるのだと思っていますが。
   それともう一つには、この病気の命名者のブロイラーが考えていた「連想機能の分裂」をこの
  病いの基本症状とするという説は今はあまり通用しない、という問題もあります。

A:僕は言葉から変える変え方は良くないと思ってきたものですから、それは戦争中の僕の体験の裏
  返しなのです。ですから、言葉を変えるのはどうも良くないな、好きじゃないなという思
いがあ
  るものですから、不自由なのですね。でも、ある種の穏健さというのも出て来るのでしょ
うね。

                      -中略-


「補章2 それから-老いの心的現象論」

●加齢による心身の変調

Q:私ができることでしたら一向に構いませんが。ところで、今はお身体の調子はいかがですか。
A:いま、不自由といいますか、困っていることは目なのですよ。目が急速に悪くなってきて、この
  間、新聞記事を誰かが持ってきてくれましたので見ましたら、目にも貧血性の眼病があって、そ
  れを治すのに微弱な電流を頭に流すのがいいのだ、ということを阪大の先生が発見したというこ
  とです。ですから、その先生を頼って打診してみたのですが、八月の幾日かには大阪へ伺うとい
  う話までは通じたのです。
Q:それでうまく治るといいですね。
A:そうですね。一度行ってみようと思っています。虚血性視神経症というらしいのです。その前に、
  僕は足の親指が壊疸にかかって、日本医大の専門の先生のところにかかりました。親指のところ
  なのです。その治療といっても、治療というほどのことはないのですが、どういったらいいので
  しょうか、普通の病気と違って、どんどん足の上の皮が剥がれていくのです。それをお医者さん
  がピンセットで取って剥がしていくのです。そうしますと、全体が軽くなるといいますか、半年
  くらいかかってそれで壊疸のところだけは普通になって、治ったのです。治ったとはとても思え
  ないのですが、実感としてはそうですね。そのお医者さんがいうには、それが心臓にくると心筋
  梗塞になるというのです。その血圧の異常が足に現れたのが壊疸ということになるらしいのです。
  でも、治療は簡単だと思っていましたがとんでもない話で、半年以上かかりました。
  お医者さんは、これ以上治らなかったら、お尻の肉を取って壊疸になった足に移植すると血行が
  良くなって治って行くのだというのです。半年掛けて治療してこの程度ですから、その移植をし
  なければ治癒しないということなので、いやだなと思っていたのですが、そのうち壊疸になって
  崩れたところはふさがったのです。
Q:それはいつ頃のことでしたか。
A:壊疸のところがふさがって治ったのは去年(2008年)だと思います。簡単だと思っていまし
  たが、難しいものだと思いましたね。やっと何とかなりましたが、何かの拍子でお尻の方とか脛
  のところが痛くなったりしますが、そういうことがなければ、一応はふさがったという感じです
  ね。普通の化膿とはまるで違うのですね。外側から皮膚が死んでゆく、それをいちいち剥がして
  取ってゆくのが治療なのですが、あとは抗生物質で化膿しないようにします。他にも薬はありま
  したけれども、主にお医者さんが治療するのはそういうことですね。これも結局、心筋梗塞と同
  じように、原因は血行が悪くなって血管が細くなって、その影響が足にくるのと同じですね。
Q:目の方はいつ頃から急に悪くなったのですか。
A:それは最近です。誰かがはじめに教えてくれればそうはならなかったのですが、とにかく歳をと
  ったせいもありますが、歩かなくなるでしょう、だんだん歩かなくなるとなるのですよ。

  一種の血行不良からなるのです。心臓と同じですね。普通の状態とかなり違いますし、痛み方も
  身体の中の方でとびとびで、お尻の方であったり、骨が動くところがへんてこりんな感じがする
  のです。どうすればいいのか、とお医者さんに聞いたのですが、それは歩くことがいい、と言う
  のです。歩くと血行が良くなっていく、それ以外に良い方法はないと言うのです。でも、歳を
  ってくると歩くのが億劫になってきますから、何か代わりに良いことがないかと思ってい
るので
   す。いいか悪いかは、お医者さんに相談したわけではないのですが、靴下も一本一本足袋のように指が
  離れるような靴下を履いているのです。そして足が冷たくならないように二枚履いているのです。
  僕はそれが有効ではないかと思って、足の指の一本一本を指先まで毎日朝起きた時と夜寝る時、
  毎日二回よく揉んだりしています。あとどうすりゃいいのかと思いますね。僕はそれがいいこと
  なのかどうかお医者さんに相談したわけではありませんが、自分で勝手にやっていることがあり
  ます。
Q:それは大変ですね。家のなかを歩くというのはどうなのでしょうか。
A:その程度は今もやっています。僕は晴れた日は、本郷通りのところまで歩いて行って帰って来る
  のです。行って帰って来るだけでメチャクチャに疲れるのです。その疲れ方というのも独特で、
  地べたに座り込みたいと思うほど疲れます。そういうわけで足の指先をよく揉むということと、
  柄の長さが大小ある刷毛をつかって、本当は背中をお風呂場で洗う刷毛として作られているので
  はないかと思いますけれども、それで下半身と上半身をくまなくこすり回しているという感じで
  す。そんなことは良いことかどうかわかりませんけれどもそんなことをやっています。
Q:皮膚を刺激して血液循環をよくするためにやっておられるわけですね。
A:そのつもりなのですけれども。素人考えですからお医者さんの領域を犯さないようにして(笑)、
  何かできるのかを考えてみています。歩け歩けと言われても、言われたとおりに歩くということ
  はもうできませんから、進行というか足の鈍さとか足の指先が冷たくなるのをいくらかく
  い止める感じはありますけれども、あまり当てにならないですね。

                      -中略-

Q:それは励みになりますね。
A:励みになるというか、何か目標をこしらえていないと、いいことは何もないや、ということにな
  ってしまいますから、少し無理してでも目標にしてやろうと思っていますけれども、そんな状態
  です。

●精神科医療の新しい変化-解離、ヒステリー、遁走

Q:この間、お電話で吉本さんとお話しましたが、精神科の新しい変化と言いますか、そういうこと
  を聞きたいとおっしゃっていましたので、その問題に照準を合わせてみたいと思います。

  精神科医療は、日本の場合1970年くらいからすこしずつ変わってきていまして、それが19
  95年頃から大きな変化になってきました。今日お話をするのは、一つは精神科の病像、病気の
  変化です。いわゆる統合失調症の病像が大きく変わってきています。それから蹄うつ病、うつ病
  が変わってきています。それから昔、ヒステリーと言っていましたが、今は解離と言っています
  が、これが増えてきています。
A:それについては、僕は実感がありますね。
Q:そうですか。それからまた人格障害と呼ばれるケースが増えてきています。病像の変化から言い
  ますと、この四つくらいになりますが、もう一つは全体としての精神科医療の場の変化ですね。
  病院とか診療所とか、患者さんとわれわれ精神科医が出会う場が随分大きく変わってきています。
  精神科医療が全体的に大きく変貌してきているということが言えると思いますが、そんなことを
  お話してみようと思っています。
A:具体的に僕が一番変わってきていると思えることは、今の若い人が、自分が苛立っている状態で、
  昔もあったのかどうかわかりませんけれども、よく盛り場で、たまたま通りかかった何の関係も
  ない人を後ろから剌しちゃうとか、つまり何て言ったらいいのか、早急さというか、自分が苛立
  っているというだけで、我慢がならないいろんな事情があるにしても、たまたま偶然居合わせた
  人を剌してしまう。そのことがどうしてそんなに簡単に結びついてしまうのか、よくわかりませ
  んね。
Q:それは若者が、"キレる"と言われていることですね。
A:"キレる゜ということに繋がるのですね。昔はそんなこともあったかもしれませんが、ニュース
  になるほどあったとは思いませんし、そんなになかったのではないかと思います。何の関係もな
  い人を刺してしまうというのはどういう意味があるのかなと思いますね。
Q:今、おっしゃったことは、解離が増えてきたということと関係するのだと思います。今、問題に
  なっているのはもっと日常的レベルで必ずしも病気とも言えない範囲内の解離現象とも言えると
  思うのですが、人間が突然変わっちやうようになってしまうのですね。
A:そういうことですか。なるほどね。



Q:これらの変化はすべて、1970年代からの変化と言えますが、解離の中核的存在は、いわゆる
  多重人格と遁走だと思います。多重人格は、アメリカの『二四人のビリー・ミリガンーある多重
  人格者の記録』(ダニエル・キイス著/堀内静子訳、早川川書房)で有名になりましたけれども、
  一昔前までは二重人格と言われていました。今はもう多重人格で人格が幾つにも変わるという、
  そういうものが出てきたのが、大体1970年代です。私は解離というのは、多重人格およびそ
  れと裏表の関係にある遁走という病態の二つに代表されると考えたいと思うのです。この遁走は
  例えば自分の意識がなくなってしまって、気がついたらどこか温か遠くの、新潟とか北海道とか
  に行っていたとか、また、場合によっては、どこかに行ってしまっていつまで経っても気がつか
  ない、という場合もあります。途中で気がついてしまう場合もありますので、いろいろです。と
  にかくどこか遙か彼方に行ってしまうのです。

                      

ここで森本公夫は故吉本隆明の『共同幻想論』の中の柳田國男の『山の人生』の引用部分を介して対談
が以下のよう展開されていく。

Q:結局、母親に対する憧れといいますか、家を飛び出して神戸に行こうとしたりするのは、解離で
  言えば遁走ですね。また、自分か擢われそうになった、あるいは神なり動物なりに憑かれたとい
  う経験は、多重人格の原型と考えられます。そのように考えると柳田國男の体験というのは、柳
  田國男自身は病人ではないですけれども、彼が書いているちょっとした異常な体験は、解離の遁
  走や多重人格と同じ人間の心性ではないか。吉本さんの文章を読みながらそんなことを考えまし
  た。
   いずれにしてもそういった解離が非常に増えてきている。その基本は母性、原母的なるものを
  求めて、満たされないものを求めて、どこかへ行こうとしたり、自分の意識がスイッチしたりし
  てしまう。これが解離の一番基本なのではないでしょうか。
   昔はヒステリーと言っていて、今は解離と呼んでいますけれど、キレやすいというのは解離と
  
までは呼ばないまでもそれと似たような現象で、原母的なものを見失ってしまったため、自分
  の居場所が無くなってしまう。そして原母的なものを求めて自分が変わってしまう。そういうこ
  とではないでしょうか。そういったものが、特に今の若い人にはかなり普遍的にあるという感じ
  がします。
   実は、解離が現在増えているかどうかということについてはいろいろと議論がありまして、私
  は増えていると言っています。その症状は遁走とか多重人格にとどまらず、例えば若い人が手首
  を切って血が流れるのをみて恍惚状態になるというリストカット症候群など、いろいろな形に変
  わりながら広く存在しているのではないかと思います。その背景には家族、とりわけ母子関係が
  解体してきている、それが大きな要因をなしているのではないかと思っています。そういったこ
  とについて吉本さんのご意見を伺えればと思います。


●遁走の病理と実感-隠れてしまえる場所があれば隠れたい

A:今おっしゃられた解離でいうと、僕は実感として、ときどき全然わからない状態で遁走してしま
  って、友だちにも知人にも全然わからないような、誰にもどこへ行ったかわからない場所がある
  といいな、と思います。
Q:なるほど(笑)。
A:僕にそういう人が知り合いでいるかな、と考えても見つかりません。例を挙げますと、小
林秀雄
  の仲の良い友人で詩人の中原中也が、イタリアの女優のグレタ・ガルボによく似た一人の女性と
  東京に来ますが、中原中也はその人のことを好きだったわけです。小林秀雄がその女性を好きに
  なったのか女性の方が小林秀雄を好きになったのかどちらもありうるのですが、いわゆる三角関
  係になって揉めたんですね。その時に小林秀雄は先輩筋にあたる志賀直哉のところへ、誰にも知
  られずに逃げてしまったんですね。逃げて、かなり長い期間そこにいたことがあるんですよ。そ
  れは文学界で有名なことです。よくよく考えてみると、僕はもしそういう人がいたら逃げたいと
  思います。誰にも知られずに、相手もいつまでも居ろと言ってくれて、食事も出してくれるよう
  な、そういう人が小林秀雄にはいたんですね(中略)もう一つは、先ほど1970年代頃とおっ
  しやいましたけども、僕は1970年頃というのは日本社会の状況の変わり目の一つではないか
  と考えています。外からの原因もあるかもしれませんが、家庭や社会が住みにくくなってしまっ
  たという実感が一番にあります。ですから完全に遁走したい、という思いはありますね。遁走先
  では悠々と勝手な振る舞いをしても、少なくともその家の人から早く帰ってくれとか、言われな
  いような、そういう場所があるかなというと、ないですね。


●時代状況の転換期と追い詰められる思想の苦悩 江藤淳の"妄想"

Q:面白いのは、ちょうど百年前の1870年にもやはり解離論が一旦燃え上って、シャルコからフ
  ロイト、ジャネという有名な人たちによって、いわゆるヒステリー論が盛んになったんですが、
  そのあとだんだん下火になって、特に第一次大戦後はかなり下火になってしまって、一時はヒス
  テリーはもうなくなった、ヒステリーは死んだといわれる時代がしばらく続いたのですが、ちょ
  うど百年たった1970年代にまた燃え上ってきました。これが非常に面白いところです。
   1870年代の時には、鉄道事業が盛んになった頃で、鉄道事故の頻発と、それをめぐる賠償
  問題がきっかけとなっていわゆるヒステリー症状を呈する外傷神経症が現れました。1970年
  代には、いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)がベトナム戦争の戦争後遺症とか、女性
   のレイプ後遺症、それから子どもの虐待問題などを通して浮かび上がってきました。ベトナム戦
    争の戦争後遺症はベトナム反戦運動に、女性のレイプ後遺症はウーマン・リブに、子どもの虐待
  は子どもの人権問題と結びついています。こういう中で解離現象が目立ってきたということがあ
  ります。だがいずれにしても基本的には先ほどおっしゃられた社会が住みにくくなってきている
  ということとの関係が重要なのではないかと思います。
A:(前略)
僕の知っている人でいうと、江藤淳さんがそうでした。癌になってしまった奥さんの看
  病疲れなどいろいろなことがあったのか、奥さんが已くなられて少し経ってから自殺してしまい
  ます。そういうことを思い出してみると、江藤さんは存外両方から追い詰められていたのだなと
  いう感じが情勢論、状況論として背後にあったのではないかという実感があります(中略)
19
  60年頃、仲間だと思っていた人たちがみんな引退してしまったり死んでしまったりして、いよ
  いよこれは食いっぱぐれるかなと、気分の七では追い詰められた感じがしてここ数年くらいそん
  なことを考えるようになりました。それで、遁走するということはできないものなのかと考える
  と、僕にはその器量がないからできないのだとすると、やはり小林秀雄はすごいなと思いますね。
  志賀直哉には経済的基盤と余裕もあったのでしょうが、これはどの批評家に言われたのだから、
  有無も言わさず疑問を挟むことなく居ていいと言ってくれる人が周りにいる人でした。僕には遁
  走するところもあてもないなという感じがしますね。何となくだんだん追い詰められてきたよう
  な気分を感じることもありますので、そんなことを考えるようになったのでしょうね。


●太宰治の苦悩-志賀直哉との論争の果てに

A:おかしいというか面白いというか、どちらの言い方もできるのですが、僕の好きな文学者の太宰
  治は、僕らと違ってヤクザな人ではないので、晩年に、死ぬ気になってから覚悟の上で、志賀直
  哉と大変な論争をはじめます。要するに、志賀直哉の痛いところをぐさっとやるわけです。しょ
  っぱなは志賀直哉の方でした。
   新潟の旧制高等学校で講演に招かれた太宰は、学生が芥川が来た時に彫刻を褒めてくれたとい
  うのですが、その銅像は少しもいいものではなかったと書いているのです。その講演が終わって
  から文芸部の学生と一緒に散歩をして佐渡島が見える海岸のところに行くのですね。そこからイ
  タリア軒という西洋料理屋に行って雑談をしていたのです。
   そのなかで、「大宰さんはどうして小説家になったのですか」と学生が訊くわけです。そうす
  ると大宰は「おれはいろんなものになろうと思ったけれども何をやってもだめで、仕方がないか
  ら小説家になったんだ」と、こういうふうにいうわけです。すると学生さんが「それは私も同じ
  で、何をやってもだめだから小説家になれるかな」とそう言ったら、太宰治が途端に真面目な本
  気の顔になって「君たちはまだ何にもやったことがないじゃないか」と、こういうふうに言った
  んですね。そう言った太宰を「あいつは若いくせに新潟の高校でいかにも先生ぶって言い散らし
    ていた」と、はじめに志賀直哉が雑誌「文蔡」の座談会と「文蔡」で太宰を攻撃したんですよ。
  それに対して太宰治は食ってかかったのです。太宰は死ぬ気になっていたから礼儀正しい太宰治
  でも先輩筋に食ってかかることができた。太宰治は文字どおり死んでもいいという気になって志
  賀直哉を攻撃してしまうのです。

                      -中略-

   その攻撃の仕方も徹底していました。僕や江藤さんもそうだったかもしれませんが、これをや
  ると食いっぱぐれると思ったり、遁走するにしても遁走して僕を養ってくれる人はいないからと
  思ってたりしてしまう。太宰治は僕と同じようなことで、志賀直哉を真正面から攻撃したのです。
  志賀直哉の正直なところではあるんですけれども、向から見知らぬ娘さんが来てその娘さんを気
  に入って一緒になるという、志賀直哉のそういった態度をもろに真正面から突いて論争している
  んです。覚悟の上で論争して、少し経って、山崎さんという人と心中して死んでしまいましたね。
Q:そこまでやると本当に居場所が無くなってしまうというところまでやってしまった。


●うつ病の蔓延、拡散状況のなかで


Q:ちょっと話題を変えますが、解離が増えているのとほとんど時を同じくしてうつ病が増えている
  んですね。これもだいたい1980年代から増えていると言われています。うつ病が増えた理由
  として、一つは軽症化か着目されています。昔はうつ病というとひどく自分を責める、本当に狂
  乱の状態だけを見ていたんですが、1970年代~80年代から軽いうつ状態というのが出てき
  て、非常に多くなってきた。それからもう一つは非定形化といって、昔のうつは自分を責めると
  いうことが定形的だったのですが、最近は逆に人を責めるというものが増えてきています。さら
  にまた、昔のうつは眠れない、食べられないというのが特徴だったのですが、最近の軽うつの一
  つのタイプはむしろ過食-食べ過ぎる、過眠-眠り過ぎる、無気力になってしまって何もする気
  がなくってしまう、そして対人関係に過敏になる、そういうところが特徴的になってきていると
  言われています。昔風のうつもありますけれど、もっと拡散して、そういう非定形的な症状が増
  えてきています。それがここ10年ほどの間に問題になってきていますが、これは30歳代以上
  の自殺が増えていることと関係を持っているのではないかと思われます。
A:今おっしやった形にそっくり対応するというか、僕の今の状態とそっくりだなという感じがしま
  す。今のお話を聞いていろいろと関連したことを考えると、そういう意味ではまだ多少ゆとりが
  あるのかなとは思います。でも、いつポッキリと析れてしまうのかそれはわかりませんけれども
  腕をまくってこれからは単独でやるんだと思って、逆に自分を追い詰めているというか、元気な
  ら元気でいいんですけども、今、言われたことは、そっくり僕に当てはまりますね。
   僕はそういう状態ですが、僕の今の仕事というのは、講談社の若い女性編集者が15~17歳
  くらいの高校生とか高校受験生の青春年齢の人を集めて、僕の話を聞きたいといって聞かせると
  いうのが商売になっているんです。女性編集者の人が若い女の人たちが自由にしやべったりでき
  るような雰囲気を作ってくれます。それが僕の今の商売になっているんですが、僕の方が啓蒙さ
  れるようなことが多くて、その女性編集者の人から女の人の扱い方というのはこうしないといけ
  ないのかということを教わっているような気がします。そんな呑気なところもあるんですけれど
  も、でも、そうとう重たいですね。すごいものだとある意味では感心しますね。


●社会の病理と若者たちの無差別殺傷事件-正常と異常の狭間で


A:うつ病の変貌というのはとても興味深いですね。もう一つ僕がとても気になっていて教えていた
  だきたいと思っていることがあります。僕らの年代だったらクラスに万人二人は刃物を
持ってい
  る典型的な不良少年がいて、クラスメイトを脅かしたり、泣かせたりする奴がいて、僕
も脅され
  たりしたものですが、ヤクザを気取っているといったらおかしいですが、そういう掟み
たいなと
  ころを失っていなかった。今の人はどうもそういうところがなくなってしまっているよ
うな気が
  するんですが、もしかしたらそういうことではなくて、社会的な精神異常の一種類なの
かなと思
  ったりもするんですが、どういうふうに理解するべきなんでしょうか。

Q:今おっしゃったいわゆる不良少年といいますか、ヤクザっぽい層とまたちょっと違う層の人では
  ないかと思います。不良少年的な層というのはちゃんと群れるということも知っている
し、それな
  りに友達もいます。突然キレてしまう人たちというのは、表面的に人間関係を作れても、なかな
  かきちんと人とコミユニケートできない、関係が作れないところがある。あるいは、一時的には
  割合いい状態を作れる状況があっても、永続きしないとか、あるいは学校を卒業してから、状況
  がうまくいかず、だんだんに人間関係が悪くなってしまう。そういう本当に孤立してしまうとい
  う状況の中でああいう行動が急に現れるのではないかと思いますけれどもね。
A:盛り場で行きずりの人や、何の関係も無いただ側を通った人を傷つけてどこかへ逃げてしまうと
  いう場合に、傷つけた時は正気なのですか? それとも、苛立って、キレたら無差別に人を傷つ
  けることをしてもかまわないと思ってしまうのでしょうか。
Q:そういうふうに無差別に人を傷つけることをしてもいいんだと思うこと自体が、厳密な意味で言
  えば正気ではないと思います。古典的な精神医学からいうと、それは正気だということになりま
  す。計算しながらやっているし、計画をきちんと立ててやっているので、そういう判断がきちん
  と働いているということですから、古典的な精神医学では、正気ということになるのです。だが
  改めて考えますと、「正気の中の狂気」といいますか、そういう人を死傷する場合の心理はやは
  り正気とは言えないと思うのです。一種の解離的な状態とも言えますし、そのことをきちんと考
  えていかないといけないと思います。
A:なぜそういうことをお聞きしたくなったかというと、一番いい例は、裁判だと思います。弁護士
  さんは、弁護する時に、その人は一時的に精神が喪失あるいは耗弱状態でしたことであって、普
  段は真面目でちゃんとした子どもなんだと弁護します。そして検察庁、検事さんの方は、刺して
  しまうことは異常であるけれども、そこだけを取り出さないで、全体を見れば盛り場に来て計画
   的であることを見れば正気なのだから、弁護の余地は無いとして、典型的に対立しているところ
  をテレビでたまたま見ました。これはどちらの言い分か妥当なのだろうか。あまりにおかしいと
  いうか面白すぎるというか、弁護士さんと検事さんの両方がそれぞれ完全に分かれて
いる。
Q:最近、そういう事件が多くなっていて、いわゆる精神病ではないが、とにかく誰でもよかったん
  だといって人を死傷する人を病的だといって罪を軽くしてしまうと、社会秩序が保てな
くなって
  しまうので、検事は正常だと決め付けるしかない。むしろ政策的なところで正常か異常
か判断し
  てしまうということではないでしょうか。そういう問題を抜きにして考えると、やっぱ
り人を殺
  すということは正常な状態ではできないことですからね。
 

                             『異形の心的現象』、pp.199-236

                                      この項つづく 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スクリューボールという魔球

2014年04月03日 | 政策論

 

 



●スクリューボールという魔球

阪神のドラフト6位左腕・岩崎優投手(22)が、プロ初登板初先発で5回3安打無失点。初勝利を挙げ
て最下位脱出の立役者になったという。1965年のドラフト制導入後、同3位以下選手の開幕5戦目まで
の初登板初勝利は球団初。雑草ルーキーの好投に刺激され、開幕4試合で3度の2ケタ失点を喫してい
たチームが、今季初の零封勝利を飾った。当初、開幕ローテ5番手は岩田だったところが、ウエスタン・
リーグ、中日戦(ナゴヤ)で4回155安打10失点と炎上。急きょ代役として抜てきされ、チャンスをも
のにする。開幕5戦目までに初登板初勝利を挙げた新人は、07年の3戦目(4月1日・対広島)で希望
枠入団の小嶋が記録して以来、球団2人目。ドラフト3位以下では初の快挙だという。試合のテレビ観
戦はワン・インニングだけで試合結果を彼女から聞かされ知るが、その観戦中、彼の持ち玉にスクリュ
ーボール(落ちるシュート)があることをはじめて知る。そこで、スクリューボールの投法と理論をネ
ットで下調べしておいたが、そこで一言、彼の持ち味は、投球術と制球力になる、と。

 

 



天候の変化による太陽光発電の出力変動を安定化

日立情報制御ソリューションズは、天候の変化による太陽光発電の出力変動を安定化する技術を開発。そ
れによ
ると、太陽光発電の出力変動は、さまざまな天候の変化が要因となって発生するが、数秒間程度の
短時間で太陽
光発電の出力が大きく変動する現象は、雲による太陽光の遮蔽が主要因。そこで、雲による
太陽光の遮蔽と発電
出力の検証に、既設の太陽光パネル上空を数秒間隔で撮影する装置を開発し、撮影し
た太陽光パネル上空の空
画像と出力実績値を照らし合わせ、雲による太陽光の遮蔽が短時間で太陽光発電
の出力が大きく変動する現象
の主要因であることを確認する。



次に、雲が太陽光を遮蔽するタイミングを予測するために、数秒間隔で撮影した空画像から雲の移動を予
測するアルゴリズムを開発しました。空画像を画像処理によって太陽と雲の領域に分割し、雲領域の時系
列での変化から移動方向と移動速度を求めることで数秒後の雲の位置を計算し、雲が太陽光を遮蔽するタ
イミングを予測。また、本アルゴリズムを実データに適用することで、複雑な雲の動きへの対応が必要で
あるなどいくつか課題の抽出もできまたとのこと(なお、本開発内容は、2014年電気学会全国大会で発表
済)。 そこで一言、本件のシステムの有無での効率アップの比較実績データが欲しいなぁ~、と。

  

End of the water bottle? Edible algae 'balloon' could cut plastic waste  

 1999.09 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

 
●『異形の心的現象』を二度読む

  2009.11.25

●里山資本主義で経済成長 Ⅲ

いましばらくこの本の対話章を読み続けていこう。前回のレーニンの唯物論に対する西欧の近代の観念
論と仏教でいわれる観念論の差異が正直、難解で、蟠ったままである。そのことを保留にして、ここで
問われている-人間に限らず、有機体が「心」を持つ、「精神」を持つということ、
それ自体がある意
味では危機的な疎外の表現ということになるのではないか、ですから人間の「精神」というのは、人類
が始まって以来ずっと、危機的であり続けている
-「原生的疎外」について吉本は「(キリスト教に対
し)
仏教、特に親鸞教の考え方 は、祖先まで遡っていけば全ての責任を自分で負うことになるけれども、一代
だったら自分の責任ではない、ということが言えてしまう考え方の方が、僕にはぴったりとくる」「もしかすると、ヘ
ーゲル、マルクス流の近代的な発想は認識の有効性を喪失したのではないか(段階論というのはこれは捨
て難いのでは
ないかと、矛盾してしまうのですけれど)、自分の実感に則している。でも、これはなか
なか論理にはならないという矛盾を抱えている」と答え、ここでのは「解決がつかない問題になってい
る」と中途半端であることを吐露している。

●精神医療における霊性と呪術的世界

Q:国連のWHO(世界保健機関)ですこし前、精神の健康をめぐって大論争がありました。もとも
  とはWHOの定義では、健康というのはフィジカルな健康、つまり身体の健康ということだけを
  言っていたのですが、それだけでは不十分だということになってメンタルというのが付け加えら
  れたのです。ところがそれでもまだ不十分だということで、さらにソーシャルというのが、つま
  り社会的にも健康でなくてはいけないというのが加えられて、言ってみれば、バイオ(bio)・
  サイコ(psycho)・ソシアル(scial)という視点から健康をとらえることが大事だということに
    なったのです。ところが今、大きな論争になっているのは、さらにそこにスピリチュアル(spir-
    itua)という言葉を付けるかどうかということなのです。そういった事態をどう考えられるか、
  うかがいたいのですが。

A:それは日本語で言うと?
Q:これも吉本さんのご意見をお聞きしたいと思っているのですが、これをどう訳すかというのも問
  題になっていまして、「霊性」と訳すのか、「霊的」とか「魂」と訳すのか、困っているのです
  ね。
   というのは、近代以降、精神医学や心理学は魂とかスピリチュアルの問題はずっと削ぎ落とし
  ていくなかで成立してきたものですから、逆に今の心理学なり、精神医学にスピリチュアルをど
  う付け加えていくのかが大きな問題となってきます。そうしますと、特に日本の場合はそもそも
  それをどう訳すのかから始めなくてはならないのですね。僕の語感から言いますと、「魂」で良
  いのかなと思いますけれども、鈴水天拙さんの「霊性」という訳が良いという人もいますし、私
  もよく分かりません。でも、世界的に大論争になっていて、最終的な結論が出ていなくて、まだ
  お預けになっているのですが、国連のWHOの会議の席上で日本の代表は態度を保留にしたとい
  うことです。でも大勢はスピリチュアルというものを取り入れていこうという方向であるようで
  す。
   一方で、従来の宗派宗教が衰えてきていて、それこそ人間の宗軟性や「霊性」や「魂」という
  スピリチュアルな次元の問題を宗教が衰退する中で、改めて自分たちの生活の中で見直してゆか
  なくてはならないという現実があります。そういうことの現れとしてこういうことが問題となっ
  てきているのかな、と考えたりもするのですが、その辺りの問題でご意見を伺いたいと思います。
A:僕は実態的なことが大きな要因ですが、何となく歳を取って生きてきて、五~六年位前から身体
  のことを改めて考えるようになりました。
   実感から言いますと、内臓器官の病気とか、手足がだんだん不自由になるとか、筋肉が衰えて
  くるとかということも全部含めて、病気として残るのは、スピリチュアルということでもいい
  し、精神ということでも心ということでもいいんですが、そういうスピリチュアルなものと生理
  的な肉体、身体とはどうしても切り離せない、そういうものだけしか病気としては残らないので
  はないか、ということが実感としてあるのです。逆に言いますと、病気を治すということでした
  ら、精神的に治しても内臓を医学的に治しても、どちらから治しても同じことになるのではない
  かと思います。身体だけの病気とか、肉体だけの病気とか、精神だけの病気というのは、歳を取
  ったときには残らないのではないかという感じが何となくするのです。本当かと言われても分か
  りませんが、ただそう感じられるな、と思うのです。
   お年寄りの場合は、今まで魚が嫌いだったけれど、魚がおかずに出てきても美味しくはなくて
  も食べられるようになったとか、それだけで老人が持っている病気が快復するとか、そうでなく
  ても、「あなた、今日は少し顔色が良くなったね」と言われるだけで、身体的な病状が消えてし
  まうということはあり得る、と実感からするとそう思えるのです。そうすると、心身の健康とい
  うのは、完璧で典型だというのは、一歳未満までの赤ん坊だけではないかと思えるのです
   母親が上手く育てたと仮定して、心身健全というのは一歳未満までの赤ん坊が典型ではないか
  と思いますね。心身健全ということは逆に言うと、赤ん坊というのは何か精神で、何か肉体だと
  は区別できない段階だと思いますけれども、それが一番健康なのではないかと思いますし、それ
  が健康のモデルなのではないかと思えるのです。


    

   最近、子どもが読んでみたらというから、読んだのですが、未開、野蛮の呪術師の翻訳書で
  『呪術師と私』(カルロス・カスタネダ著/真崎義博訳、二見書房)と『無限の本質-呪術師と
  の訣別』(カルロス・カスタネダ著/結城山和夫訳、二見書房)という本です。この本を読んで
  感じたことですが、人類の歴史で言えば、野蛮、未開という段階が典型的だと思うのですけれど、
  その段階だと仏教よりももっと呪術的なのですね。祈るだけという感じで、析れば人間の病気も
  天然自然も良くなると考えられていたのですね。例えば、旱魅で雨が降らないときに、雨乞いを
  すると雨が降ってくることもあり得るのだという段階ですね。野蛮、未開の段階は、ヘーゲル、
  マルクス流に言うと、つまり近代西欧的理念に基づいて言うと、「未開、野蛮の段階は世界史に
  入れなくてもいいのだ」ということになりますし、それがヘーゲルの歴史哲学ですね。
   ヘーゲルは、未開、野蛮の段階では人間は自然に棲息する動植物を食べていて、他の動物と一
  向に変わらない生活をしている、これは歴史哲学の問題外で世界史の中に入れなくて良いという
    考え方だと思いますけれども、僕はこの翻訳書を読んで「そんなことないよ」と思えるところが
    ありましたね。
   呪術師に聞いて記録したというこの本を読むと、例えば、人間というのはだんだん衰えてきて
  この世とおさらばするときがくる。そうすると、仏教では浄土へ行くのだ、キリスト教では天国
  へ行くのだ、となるわけですけれども、そうは言わないで、スピリチュアルといいましょうか、
  要するに「霊魂」でしょうけれども、「魂」というのは今まで連続してきたのだけれど、そこで
  ヒョイと跳躍するのだ、どこに行くかは判らないが、とにかく跳躍する、と言うのですね。そう
  すると、肉体の中にあって区別も何もつかなかった「魂」と言われる部分が、生粋に跳躍して次
  の命があるところに行く、と書いてあるのです。
   凄いことを言うな、と思いましたね。そういう考え方を基準にすると、死んだら浄土へ行くの
  だとか天国へ行くのだというのは、嘘臭い、それは比喩だよ、ということになるのですね。これ
  をヒョイと魂だけが身体から抜け出て跳躍してどこか違うところへ行くのだ、そしてまたそこで
  生が続くのだ、という言い方の方が凄いことを言っているなと思いますね。分類したり、比喩で
  言わなかった以前の時代の一つの考え方の方が本質的ではないかと思えたりするのですね。
   そうすると、ヘーゲル、マルクス流の近代主義的な発想は薄っぺらい感じがしないではないの
  です。呪術師の方がもっと根本的なことを全体的に言えているのではないかという気がするので
  すね。へーゲル、マルクス流の考え方が僕には捨て難いと思えるのは、地域によって人種的違い
  や特徴、風俗や習慣も違う、考え方も少しづつ違ってくるのは、どの歴史段階にもあるのでしょ
  
 うけれど、「段階」という考え方がヘーゲル、マルクス流の考え方の良い所だと思えますね。
  宗教は、段階的に言えば、ある「段階」を過ぎれば、あらゆる宗教は「段階」のいずれかに入っ
  てしまいますから、「段階」という考え方はヘーゲル、マルクス流の良いところだと思いますけ
  れども、野蛮、未開段階のものの考え方と西欧近代を頂点とした文明観とを考えると、野蛮、未
  開段階のものの考え方の方が根本的なことは言いえているような気がするのですね
   ですから、未開、野蛮段階の呪術師の考え方と、完全な健康は赤ん坊にしかないのではないか
  という二つの問題を考えてみると、少し考えさせて欲しい、という感じになるのですね。どうい
  う結論が出るとかというわけではないのですけれども、考えさせて欲しいという感じがしてしょ
  うがないのですね。

Q:随分と時間がオーバーしてお疲れだとは思いますが、そろそろまとめたいと思います。もう一つ
  だけお聞きして終わりにしたいと思います。
A:どうぞ、僕はかまいません。遠慮なくどうぞ間いてください。だいたい僕が抱く疑問符というの
  は、少しも解決はつかないのですけれども、しょっちゅう考えさせられてしまうというところで
  すね。

●「原生的疎外」をめぐって

Q:最後に敢えてお聞きしたいのは「原生的疎外」のことです。吉本さんの「心的現象論」で一番根
  っこにあるのが「原生的疎外」ということだと思います。つまり有機体として環界の中にあるこ
  と自体からくる疎外、あるいは違和というのが「心」なのだという主張だと理解しました。
  ということは人間に限らず、有機体が「心」を持つ、「精神」を持つということそれ自体がある
  意味では危機的な疎外の表現ということになるのではないか、ですから人間の「精神」というの
  は、人類が始まって以来ずっと、危機的であり続けたのではないかとも思います
   それから、最近ライフサイクルということが言われてきまして、例えば思春期の危機とか、中
  高年の危機とか、初老期、老年期の危機とか言われています。けれども、人間が産まれ落ちてか
  ら一歳未満までのころは、勿論問題はあるのでしょうけれども、まだまだそれ程顕在化していな
  い、でも物心がついてからはある意味では人間はずっと危機に生きざるを得ないのかなという思
  いもあります。だからこそ宗教性の必要性も出てくるのではないかとも考えられますが、その根
  っこにある「原生的疎外」ということについて、吉本さんのその後の展開を、今のメンタルヘル
  スの危機ということとの関係でお間きしたいと思います。あるいはまた、はっきり言って私もそ
  うですが、吉本さんも老いて死に直面していくという時期にあたって、何かお考えがおありかと
  思いますので、最後に伺って終わりにしたいと思います。
A:「原生的疎外」というときに、そういう言葉を使うと問題の領域を包摂できるのかなと思ってそ
  の言葉で済ましてしまったのです。
Q:それはマルクスの疎外論をずっと深めていったという中で、と考えてもよろしいでしょうか?
A:そうですね。言葉をそのように使って、疑いを持たなかったというか、これは便利な言葉だと思
  ってきたわけです。今は、少し違うことは、「原生的疎外」ということに則して考えるとすれば、
  その「原生的疎外」というものの構造の中で、これは芹沢(俊介)さんが一番気にしていた問題
  ですけれども、こういう問題があります。
   つまり、僕は実感としてはあるのですが、例えば、親子というものを考える場合に、一代だけ
  の親子関係を考えると、生まれてきた子どもには何の責任もないし、産んでくれと言った覚えも
  ない、ということになります。もっと皮肉を言えば、昔、辻潤という人が「子はサンガーのミス
  テイク」(Margaret Sanger :アメリカの産児制限運動家)という歌留多を作ったことがあるの
  です。つまり親子の関係は、親が勝手に子どもを産んだだけで、子どもはこの世に生まれたとき
  には意志を持って生まれてきたわけではないのだ、ということしか存在しない、ということにな
  ります。そうすると生まれてきた方には責任がないではないか、責任が存在すること自体が既に
  疎外ではないか、ということになります。このことは、疎外という言葉を使っても、責任という
  言葉を使ってもいいのですが、あるいは言葉(言語)と同じように自己表出と言ってもいいので
  すけれど、そういうものは最大限見積もっても半分しかない。後の半分では、自分がこの世界に
  存在するということは自分の責任ではないということになります。
   このことは自分でもこの頃問題にするようになったし、実際の事態としても起こると考えるよ
  うになったのです。例えば、親と子の関係が二代、三代、四代というように、子どもが父親や母
  親になって、老人になって亡くなって、親鸞流に言えば、亡くなって仏になって、またその子ど
  もが子どもを産んで、年寄りになって、というふうに心身ともに遡っていくと、その代々のなか
  に自分もまた同じように存在するわけですから、人間の原生的な自分の意志というのは少しも関
  わっていないと思える人間存在の仕方というのは、心身共に自分の責任だ、といえるようになっ
  てしまうところが、遡っていけばいく程あるのではないかと思えるようになったのです。
  ですから、「原生的疎外」という言い方をしても、責任問題という言い方をしてもいいのですけ
  れども、そのことをもう少し構造まで遡って考えていけば、自分のもの(原生的な意志)はどこ
  にもない、という言い方もできるし、自分の心身は、お猿さんの時代から代々繋がってきて全部
  自分の責任だよ、自分の責任で生まれてきたのだよ、という言い方をしてもいいのだと思うので
  す。
  疎外という言い方をするならば、「原生的疎外」には、全く自分の責任ではない、と言える言い
  方と、自分のもの(原生的な意志)は何もない、という言い方の両方があって、それは心身とも
  に何代にもわたって遡っていくと、自分の責任だよ、ということと同じことなのだ、ということ
  が言えるということを考えないといけないのではないかと思うのですね。
   それは宗教性のようなものを考えると分かるのですが、仏教では浄土教のなかでも、親鸞教と
  キリスト教だけが親子の関係、家族の関係と宗軟性との違いは何か、同じなのは何か、というこ
  とを説いています。キリスト教は聖書にあるように、信仰を同じくする者だけが親子兄弟(姉妹
  )なのだという言い方をしますね。キリスト教の人はみんなそうです。僕が一番身近に感じてい
  る新興宗教として生まれてきたキリスト教系というと、「イエスの方舟」がそうです。千石さん
  う人ですが、家族を乗り越えないと本当の宗放心は持てない、と疑っていないですね。
   「イエスの方舟」はもの凄く自由ですけど、家族だけは越えないと本当の宗放心を持てないと
  言っています。それはキリスト教も同じで、信仰が同じなのが親子兄弟(姉妹)であって、肉体
  的な血縁的な繋がりとしての親子兄弟(姉妹)というのは問題にならない、と聖書は言っていま
  す。千石さんも忠実にそれに近い言い方をしているのですね。仏教は、特に親鸞教だけは違って
  いて、そうではないのです。
  芹沢さんが言うように、一代の親子だけでしたら「私の責任じゃないよ」、「私は生まれてきた
  いと思ったこともないし、生まれてきたのは私の責任じゃない、私の意志は入っていないよ」と
  いうのは、非常に重要な特徴ですね。それが親鸞だと「歎異抄」に書いてあるのですが、キリス
  ト教と同じように、親に対する孝養のために念仏したことは一度もない、信仰が同じ者は親子兄
  弟(姉妹)なのだ、という言い方は同じですけど、論理の付け方は違っています。親鸞の言い方
  だと、親子兄弟(姉妹)は一代でなくて、二代、三代、四代と遡ればさかのぼるほど、自分のも
  のは何もなくて、みんな親のものであり、親の親のものであり、となっていきますと、自分もま
  た親の存在になり得るわけですから、そのように考えると、今度は逆に、その責任は全部自分に
  かぶってきてしまいますから、全面的に自分の責任になります。また、霊性的にもそれは存在し
  得るのだ、そういう言い方をしていますね。
   僕は何となく、親鸞の方が気心が知れるというか、親しみが持てる気がします。戦後、教会に
  行って説教を聞いたことがあるのですが、キリスト教は何か自分の実感に則して合わないかと言
  というと、言うことが大したことないじゃないか、天国を存在するかのように言うじゃないか、
  疑わしいことしか言わないじゃないか、ということもありますけれども、一番怖かったし、敬遠
  すべきだと思ったのは何かと言うと、宗教というのは家族関係や親子関係は違う問題だから宗教
  では家族は問題にならないのだ、家族を乗り越えなければ信仰者にはなれないのだ、というとこ
  ろが物凄く怖かったですし、僕はどうしても受け入れられないなと思いました。

                                     -中略-

   これは特異な家族の在り方だな、と思っていたのですけれども、そういう家族関係の延長線か
  もしれないのですが、キリスト教の家族を捨てないと真の信仰者とは言えない、ということにな
  ると、僕は、それが一番怖いことのように思えたことが随分あります。
   そう考えると、親鸞の言い方の方が怖さがないのです。ですから、仏教、特に親鸞教の考え方
  は、祖先まで遡っていけば全ての責任を自分で負うことになるけれども、一代だったら自分の責
  任ではない、ということが言えてしまう考え方の方が、僕にはぴったりとくるわけですね。自分
  の実感からすれば、一番良いと思うのです。そうすると、小川国夫のようにヨーロッパ型の典型
  的な文学者は、「吉本さんは親孝行だからなあ」と言うのですけど、僕はそういう気持ちでは全
  然ないのです。九州という地域の風俗習慣がそうなっているのです。それはもの凄く僕の考え方
  に影響を与えていて、そういうことを芹沢さんが気付かせてくれた、と思っているのです。
  そういうふうに考えると、「原生的疎外」と考えたものの中身をよく考えてみると、これは一般
   論として言えば、マルクスの言葉を使ったけれども、全然違うかもしれないな、という感じが
  します。近代西洋が問題にもしなかった未開、野蛮のことをもう一度考えると、相当凄いことを

  言っているのではないかと思えたりします。
  僕は、「原生的疎外」にしてもそうですけれども、もしかすると、ヘーゲル、マルクス流の近代
  的な発想は認識の有効性を喪失したのではないか、ただ段階論というのはこれは捨て難いのでは
  ないかと、矛盾してしまうのですけれど、僕はそう考えることが自分の実感に則しているのでは
   ないかと思っているのです。でも、これはなかなか論理にはならないという矛盾を抱えていま
  すね。
   アメリカの9・11のテロ事件がありましたが、僕はテロリストが悪い、と言えるとすれば一
  
つだけだと思います。それは旅客機をハイジャックして、旅客を降ろさないで何も言わないで
  緒に自爆してしまうというのはおかしいと思うのです。それは「原生的疎外」ということで言

  ば、もし、テロリストたちが親子代々の倫理性としての責任を負うものとすれば、彼らの宗教

  その責任を少しも負っていない宗教であり、そういう宗数的な考え方ではないかということです
  ね。

   この間、突っ込まれて、「それじゃ、吉本さん、その旅客機に自分が乗っていたらどうします
  か」という議論になりました。そう言われると困ってしまうのですけれど、感覚で言えば、僕も
  黙って知らん振りしているだろうと思うけれども、いざ、そこに壁が見えて、あそこへ突っ込む
  ということが分かったら何かするかもしれないし、それだけの間もなくて、そのままお陀仏かも
  しれない。何とも言えないけれども、結局はそういうことになるのではないですか、と言った
ら、
  「それなら世界貿易センター・ビルにいた日本人や、たまたま客としてビルに入っていた人た

  は、一緒に死んじやった、というのと同じじやないですか」と言うから、「いや、僕は違うと思

  」と答えましたけどね。
   違うという根拠は、「原生的疎外」という言葉に、もし代々の親子兄弟(姉妹)の血縁関係に
  責任性や関連性や倫理性を負わせるとすれば、やはり旅客を降ろさないテロリストの方が不当だ
  けれど、たまたま世界貿易センタービルに居た人も一緒に死んでしまったというのは、テロリス
  トと一緒に自爆してしまった旅客とは本質的に違っていて、日常のなかでさまざまに起きる争い
  事の中で極端に言うとそういう偶発事故だってあり得ることだから、旅客とは違うのではないか、
  という弁解をしてその場を済ませましたけど、本当はよく分からないですね。

   僕は直感で思ったのですが、これは旅客を降ろさないテロリストの方が悪い。でも本当に喧嘩
  しているのなら、ああしたことだってやることがあり得るのだから、他の犠牲になった人たちに
  対しては少しも悪いところはないのではないか。テロリストが悪いとまわりの人が思うだけで、
  テロリストたちは悪いとは思わないだろうし、ただ、旅客を降ろさなかったというのは、いかな
  る意味でも「原生的疎外」の倫理に反する、という論理で言い訳はしたのですけれどね。
  本当を言うと、自分でも良く分からないのですが、そのことについて、「原生的疎外」に少し構
  造を付けてみたというか、みる羽目に陥ったというか、考えをまとめて書いたのです。それは、
  つい最近、白山(文京区)の向丘に親鸞教で言えば、東本願寺派の人が親鸞仏教センターを作っ
  ので、そのセンターが雑誌を出すので何か書いてくれないかと言うから、そこに書いたのです。
   そのとき、自分が9・11テロ事件のことに理屈をつけるとすればこういうことではないか、
  と思って、「歎異抄」のなかの「父母の孝養のために念仏を唱えることはない」と親鸞が言って
  いる問題に理屈を付けて書いたのです。依頼者の方は不満でしたが、僕は宗教が好きだけど信じ
  ていないからそういう書き方になってしまうのですけど、それは親鸞の中にもあって、自分の中
  の信仰心と不信の感じ方をどうやって調和させるか、ということが「父母の孝養のために念仏を
  唱えることはない」という言い方になるわけですね
   親鸞は上手い言葉を使っていて、「順序生」を考えると言っているのです。僕はなるほど、そ
  ういう考え方をするのかと思って、僕の聖書の理解と結論は同じことですけれども、親鸞の方が
  ピンとくるなという感じを持ったのです。そのことを考えると「原生的疎外」に少しは新たな意
  味を付け加えられたかな、と思えることと、「原生的疎外」ということにちゃんとした意味を付
  与しようとすると、文明の発達と言われているものは、人間精神の退化と同じことなのではない
  かということになるのですね。つまり、どちらが良いのだということになります。
   僕らは整合的なものの見方、考え方に明治近代以降慣れていますから、野蛮とか未開というの
  は問題にならない、動物と同じだと言われると、それはその通りだろうと思ってしまう。そうい
  う考え方を認めて習ってきたのだから、その考え方を変えようとしても、すべてを放り出してし
  まうようなことはできないわけです。整合的なものの見方、考え方の中に既に入ってしまってい
  るような部分が沢山ありますから簡単にはできないわけです。そうすると、文明の発達は人間精
  神の退化だというきっぱりした理屈はないわけです。これはエコロジストと同じで、燃料がない  
  なら何もいらない、牛の糞でいいんだという、そこまで言うだけのものは僕にはないですから、
  そうは言えないとすると、結局、どう考えればいいのかという問題になりますね。要するに、ど
  う考えても同じだよ、進歩と考えても、退化と考えても同じだよ、ということだとすると、それ
  では調和する考え方は何かあるのかと言われると、分からない、ということになってしまいます
  ね。ですから、その辺りの問題は幼稚ですけど、悩む程のことではないのですけれども、今、考
  えていることですね。
Q:それは永遠の問題ですね。
A:解決がつかないという問題になっていますね。

                              『異形の心的現象』、pp.184-198


さしあたり、この「補章1」とつぎの「補章2」まで読み進めた後、本題である「ぼくならこうするぞ
!」(政策論)をまとめていくことにする。


                                      この項つづく 

 
※ NHK『里山のチカラ』:http://www.nhk.or.jp/eco-channel/jp/satoyama/interview/motani01.html

  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里山資本主義で経済成長 Ⅱ

2014年04月02日 | 政策論

 

●こん夜も、ニュースなニューズが天こ盛り

何年ぶりになるのだろう?いや、はじめだという。 選抜高校野球大会は1日、準決勝2試合が行われ、
第1試合は履正社(大阪)が豊川(愛知)を延長十回12‐7で下して初の決勝進出。第2試合は龍谷
平安(京都)が佐野日大(栃木)を8‐1で破って、こちらも初の決勝進出を決めて、史上初 大阪
-京都
決勝対決となるという。因みに、センバツでの近畿勢の決勝は、1979年の第51回大会、箕
島(和歌
山)-浪商(現大体大浪商=大阪)以来35年ぶり。この時は、8‐7で箕島が優勝した。大
阪勢と京都勢
の決勝戦は初という。そこで一言、明日はテレビ観戦に釘付けになる、と。

STAP(スタップ)細胞の論文に捏造(ねつぞう)や改ざんなどの不正があったと認定した最終報告
で、理化学研究所の野依良治理事長が東京都内で記者会見し、STAP細胞の存在を検証する再現実験
を理研内で始めたことを明らかにしたという。野依理事長は、理研の小保方晴子ユニットリーダーら論
文著者に論文取り下げを勧告する方針だが、小保方リーダーは不服を申し立てる考えだが一方、下村文
部科学相は、「(組織のどこに問題があるかの)調査は不十分だ」と述べ、第三者による追加調査を求
めたという。そこで一言、"小保方伝説"がここから始まる、と。

日本の最南端の国土を守る工事のさなか事故は起きた沖ノ鳥島(東京都)の桟橋建設現場で、5人が
亡、2人が行方不明となった。本州から南に1700キロも離れた太平洋上での救助活動は難航し、

事を発注した国土交通省関東地方整備局や施工会社は情報収集に追われているという。橋は鋼製で、床
部分が長さ三十メート
ル、幅二十メートル、高さ五メートルの箱型で重さ五百トン。脚は直径が二メー
トル、高さ約四十メー
トルで重さは百七十トンある。桟橋は机を上下逆さにしたように、四本の脚部分
を上にして台船で運ば
れていた。事故は、台船をいったん海中に沈め、えい航船二隻が桟橋を引っ張り、
脚部分を上にしたま
ま海上に浮かべた後に発生したというが、同局港湾空港部の松永康男部長は会見で
「重心が何らかの理由で
偏ったのが転覆原因とみられる」と述べる一方、「設計段階で安定性を十分計
算し、施工上の問題点がない
とも確認した」と強調。三管は業務上過失致死傷容疑を視野に関係者から
事情を聴くとしている。そこで一言、随分欲張った?係留桟橋施設工法だなぁ~、と。


 

年間五百万トンともいわれる使用済み化学薬品は産業廃棄物となり、環境へ大きな負荷を与えている。
そんな中、特に再生が難しいといわれている「混合薬品」を再生する技術が京都市にある「佐々木化学
薬品株式会社」で開発されたという。この中で『里山資本主義で経済成長Ⅰ』で触れたフッ酸の廃液(
「フッ酸+硫酸混合液」)なのだが、わたしも定年退職前の、開発研究テーマだったので詳細ネット検
索してみた。再生方法には、(1)カリウムイオン添加析出分離法(2)電気透析(電解)法、(3)
イオン交換樹脂吸着分離法などがあるが、佐々木化学薬品株式会社の再生法は(1)に該当しそうだが、
具体的な処理プロセスを確定できすに終わった。そこで一言、やっかいだが、誰もやりたがらないこと
に『宝』あり、と。



※ (1)の事例として株式会社アナテックの「特開2013-46888 フッ酸含有処理液の再生方法及び再
  生装置」がある。
 

「Green Farm」に、「Green FarmCube」(幅225×奥行225×高さ285.5 m)と「Green Farm TRI-TOWER」(幅5
15×奥行367×高さ1152㎜)の姉妹品2機種が登場した、
リビングで種から野菜を育て、成長を愛で、
昧わって楽しむための栽培キットが、株式会社ユーイングから発売されている。栽培は簡単で、半密閉
構造のケースに野菜の種と水、液体肥料、栽培スポンジをセットして運転ボタンを押すだけ。 LED照明
の"日光"と新鮮な空気を取り入れるファンを搭載し、毎日水やりをすることもなく約30日で野菜を収穫
できる。1日あたりの電気代はCubeが約6,2円、TRI-TOWERが約25.7円(*).スイートバ ジルやトマト、
レタスなど23種類の野菜が栽培できるという。そこで一言、デジタル革命渦論は生活を根底から変えて
いく予言なり、と。 ^^;

 

 

 1999.09 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

 
●『異形の心的現象』を二度読む

  2009.11.25

● 親鸞の悟りと精神の病い

A:歴史というのは野蛮未開の時代から文明の時代へ進んでいくという、大雑把に言えば、それがお
  およその方向だという考え方からすれば、精神的な病気は拡散して多くなると言いましょうか、
  量が多くなるか、質が多くなるか解りませんけれども、そうなるのは歴史の成り行きですから、
  ある意味では対策を立てる以外にないのだ、ということになりますか?
Q:そういうことだと思います。その辺りも今日は伺いたいなと思っています。ただ、日本でも「心
  の危機」というのは、今にはじまったことではないと思います。例えば鎌倉時代に新仏教が出て
  きたわけですけれども、あの時代の「心の危機」というのも凄まじかった思いますが、そのへ
  んはどんなふうに考えられるのでしょうか?
A:僕は病気に対しては病気で治すということがあったと思います。最も極端な例で言えば「一言芳
  談抄」だと思います。つまり、仏教の興隆時代ですけど、この世というのは大したことないのだ、
  苦しいだけであまり良いことはないのだ、だけど死んで浄土へ行けば安楽で、帰って来る必要も
  ない、生まれ変わる必要もないという考えが確立します。そうしますと、社会で起こるあらゆる
  ことが、死んで浄土へ行けば、楽な所へ行くわけですから良いのだということになります。「一
  言芳談抄」はそういう坊さんの話ばかりなのです。これは病気の本だと思いますね。
   当時の仏教は、「一言芳談抄」の言葉で言えば、「とく死なばや」と言いますが、要するに早
  く死なないかと言うのです。ですから、当の坊さん達もご飯を食べなかったり、放浪に出てしま
  って、ミイラになって死んでしまうという人たちが野山にもいっぱい出てきます。少しましな人
  は、一遍上人のように、この世では何も持つな、無一物で、瓶の一つも持つなと言っています。
   味噌か塩を入れるカメではないでしょうか、それ一つさえも持たない方が良いと言うのです。
  住処も定住の住処を待つと執着が出るから持たない方が良いと言う。ですからふらふらと遍歴し
  ながら念仏を唱えて、死んであの世へ行けば一番良いのだと言っていますね。



Q:病人の集団みたいなものですね。
A:そうですね。もの凄い病人の集団です。「一言芳談抄」に出てくるのは、私たちが知っている人
  だと法然も書いていますが、無名の出家した人たちの短い言葉ですね.早く死にたいという。と
  にかくあれ程面白い古典はないというくらいです。一人ひとりが短い文庫ですから読むのに余り
  苦労しなくていいし、すっきりしたことを言っているから、病気の本ですけど、ある意味では時
  代の風潮全体を代表するような本で、実際、そうやって早く野垂れ死にしてしまう人が沢山いた
  わけですね。
   僕は他にも坊さんが記録したものを読んだことがありますが、野山にはそういう人がいて、本
  の下で座禅をしていて何も食べないで死んでしまった、巷では武家が威張っていて乱暴して、許
  通の人の食べ物を持っていかれてしまった、ということが、当時の社会で一般的にあったと書い
  てあるわけです。
   坊さんたちは、天白系の坊さんですと、薙刀を持って覆面して、僧兵になって乱暴狼籍を防ぐ
  ということで武装する。何宗にも属していない坊さんは、勝手に出家して早く死ねれば良い、死
  ねば浄土に行けるのだと疑わないわけですね。「一言芳談抄」を読むとそれぞれのお坊さんがそ
  れぞれの言い方で「この世は駄目だ、あの世が良い」と言っているのです。これは明らかに病気
  だと思います。そういう病気は一体どうしたら良いのか、と考えたら、反対の病気で治すしかな
  、と僕には思えます。
Q:そこだけ伺うと今よりもっと大変なことですね。
A:今と割合に似ていると思うのは、浄土系のお坊さんで「往生要集」を書いた源信という坊さんが
  いるのですが、源信は実際に死にそうな人を集めてくるのです。今でも京都にその小屋が残って
  いますけれども、何もない普通のあばら家なのです。そこへ病気で重体の人や危篤状態の人は皆
  来なさい、ここへ来れば浄土へ行けるぞ、と言って、その小屋へ病人を連れて来るのです。そう
  して、仏像の手に五色の布を結んで、死にそうな病人に片方を持たせて、ここで念仏を唱えれば、
  仏像とは五色の布で手と手が結ばれているのですから最も浄土に行き易い、と源信は考えたので
  しょうね。
   ですけど、危篤状態や重体で念仏を唱えるのも苦しくてそれどころじゃないという人もいるで
  しょうし、五色の布を持たせても意味がないわけです。それで坊さんが側に付いていて、念仏が
  止まると坊さんが声を張り上げて、もっとしっかりしろ、と言って、念仏を唱えさせたりしたの
  です。ホスピスみたいなことを源信がやったのですね。源信は浄土教の元祖ですから、そういう
  ことを考えたのでしょうね。
   それはいけない、ときっぱりと言ったのが親鸞です。源信の時代から親鸞までいくのに二〇〇
  年位経っていますけれど、臨終の際に念仏に重きを置くのは駄目だ、もってのほかだということ
  になったのです。人間の死は不定であるし、いつ誰がどういう所でどういう死に方をするのか
  は、全く分からないのだから、念仏に重きを置くというのはとんでもないことだ、と言うわけで
  す。ですから「一念往生」と言いますが、親鸞は、一生に一回だけ本気で念仏を唱えれば良い、
  ということにしてしまったのですね。
   親鸞は、修行したり仏像を拝んだりするな、一生に一回だけ本気で念仏すれば良いのだ、まだ
  余力があれば、適当に念仏を唱えるのもいいし、唱えなくてもいい、と言っていますね。そこま
  でいくのに2~3百年かかっているのです。その中間には法然がいて、念仏は百万遍、生きてい
  る限り唱えるのが良いと言うのですけど、親鸞は余裕があったらすればいいけど、本当は一生

  一回だけすればいいと言ったのです。

Q:凄いですね。
A:坊さんがこういうことを言うのはおかしいのですが、親鸞は覆してしまった。修行をすれば仏が
  迎えに来てくれるなどというのは、みんな虚構で心理的なものに過ぎないのだ、精神の問題では
  ない、信念の問題だけだと言う。ですから、何も治療するなという考え方ですね。
   それでは死を悟るにはどうすればよいかと、優秀で率直な弟子は考えるわけですね。「浄土が
  良いと言うけれど、私はそのようには少しも思えないが、どうしてでしょうか」と親鸞に問くわ
  けです。親鸞は率直に、私もそうだ、と答えるわけです。そう答えなくては嘘になりますね。
   自分で独自に悟りを拓けるのでしたら宗教はいらないわけです。誰でも浄上が良いと言われて
  も行きたくないのはそういうことなのだと答えて、「自然に死ぬときが来たらそのとき浄土へ行
   けばいいのだ」と言うわけですが、浄土に実態があるとは言わないのですね。「浄土へすぐ行ける所へ
  行けば良い」という言い方をして、親鸞も死んだら浄土へ行けるとは信じていないし、人にも言
  わないですね。「死んだらすぐに浄土へ行けるような所に行けるよ」と言うだけなのです。
   それは僕に言わせると、浄上牧の世界的な最終の理念というか、考え方が親鸞のなかにあると
  思うわけです。信仰がある人もない人も同じじゃないかというところまで行ってしまうのです。
  ですから、ほとんど仏教を解体するのに等しいのですね。
  鎌倉室町時代は、念仏は盛んになりましたけれど、「あの世は良いのだ」という考え方が多くを
  占めていて、他の宗派もだんだんと近づいてきていて、今のお坊さんもそうだと思いますね。キ
  リスト教も天国へ行くのだ、という考えを大部分の牧師さんは持っているのではないでしょうか。
   ですから、僕は病気に対しては反対の病気で対応する、というのが一番根本的なことではない
  かと思っているのです。
Q:病気が流行って、その病気のさなかに親鸞が出てきた。名医が出たのですけれども、その後必ず
  しも病気が治まらないという、結構難しいところですね。

●「狂気」と文学の可能性

A:そうですね。難しいですね。親鸞のやったことで今でも通用しているのは、妻帯しても良いし、
  魚を食べても良いのだということです。そこだけは今の坊さんもほとんどそうなってしまってい
  ますね。法然はそうしたことは言わないですね。坊さんとしての戒律をきちんと守る、と言って
  います。親鸞はそうしたことは全然問題にしないですね。そのころは破戒坊主という誹りを免れ
  なかったけれど、理念というものも論理的な病気だと思えば病気ですし、今でも同じようなもの
  だと思いますね。現在から未来にかけても精神の病いというものは最後まで残るように思います
  ね。
Q:吉本さんも研究されている室町時代の能に「狂女もの」というのがありますね。
A:能ですね。
Q:狂気があのような舞台芸術というか、文学の一つのジャンルとして確立されたというのは、ある
  意味では日本ぐらいかなとも思うのですが、室町時代に「狂女もの」というジャンルが確立した
  ということについてはどうお考えでしょうか? それだけ「狂気」というものが一般化したのか
  なとも思いますし、その頃「狂気」を見る目が変わってきたのかな、とも思えますが、吉本さん
  としてはどう考えられますか?
A:僕の考えというのは、今、森山さんが言われたことの二番目のことです。親鸞が関東にいる七人
  の弟子に与えた書簡があるのです。その書簡の中で親鸞が触れていることは、精神の病いだけは
  仏教でも教えない、それだけは除外されているのですね。つまり念仏を唱えようが何をしようが
  どうにもならない、ということです。精神の病いとは言っていないのですが、「気狂い」という
  ものは除外例である、宿命的というか運命的で、どうすることもできないのだ、というのが親鸞
  の書簡に一箇所だけありましたね。ですから、その時代は除外例だったのだと思います。仏教は
  「気狂い」にタッチしないというのが浄土教の一つの教えなのでしょうけれど、親鸞教は明らか
  にタッチしないのです。
   江戸時代には、荻生徂徠1666~1728年、江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者)
  という漢学者がいまして、この人の書いたものに「親鸞師の宗派は大したものだ」とあるのです。
  どうしてかと言うと、「親鸞師は迷信的なことは一切言ったり、信じたりしないというのが親鸞
  教の人達には非常にはっきり根付いている」と言うのです。
   親鸞は「気狂い」というのはどうしようもない、宿命的なものだ、と言うけれど、他言えば、
  祈祷で治す以外にないようなことなのですね。その時代は、祈祷で治る、とか治らないとか思わ
  れていたのですね。親鸞は「それは嘘だよ」と言って、これだけは除外例にしていますね。他の
  宗派でしたらなおさらそのように考えた方がいいように思いますけれども、宿命的な病いには手
  を付けない、という考え方が根本的ではないかと思いますね。
   それ以前は、天皇や女官、皇族を祈祷で治すというのを看病禅師がやっていましたが、それは
  親鸞や道元の鎌倉時代に入る前までの仏教の主なお役目になっていました。道元の「道元禅師語
  録」を読むと、その当時、空海を弘法大師、最澄を伝教大師と言っていますが、新興宗教の一つ
  である曹洞宗では、「大師なんて名前が付いている奴はろくな奴がいない」ということを道元は
  率直に書いています。
   朝廷の貴人を治したとか、治し方が上手かったとか、その功績で大師と呼ばれているだけで、
  そういうのは坊主じゃない、というのが道元の理解ですね。本当の坊主というのは、道端のお堂
  に何年も龍もって、乞食のような格好をしても構わないで、座禅したり、読経したりする人が本
  当に偉い坊主だと言っています。大師といわれるような人は坊主の風上にも置けない、あのよう
  な坊主に習うわけにはいかないから、自分は中国へ行って習ってくると言って、道元は中国へ行
  ってしまったのですね。
   その当時は、何でも祈祷で癒していたので、お産のときでもそうです。お産が相当きつくて身
  体の弱い天皇夫人だと産後の肥立ちが悪くて死んでしまうことが割に多かったものですから、祈
  祷をしながらお産をして、母子共に生きていたら大したものだ、珍しいことだというくらいのこ
  とですから、病気というのはことごとく祈祷の問題になっていたと思います。そうした祈祷や睨  
  いを信じないとすれば、親鸞のように除外例としておこう、というようになったと思いますね。
   道元はそのように言っていますし、口蓋のように口が悪くて、言いたいことを言う人は、逆
  に、口本のお坊さんでは天台宗の開祖・最澄という伝教大師だけが偉いのだと言う。どうして偉
  いのかというと、法華経を根本聖典とすることを絶対に譲らなかった、というのが古典主義者の
  口蓋の考え方ですね。新興宗教のなかで日差だけが最澄を評価しています。空海以下はすべて駄
  目だと旨って、一番駄目なのは浄土宗で、法然とその弟子たちは一番悪い、坊さんの格好をして
  いるけれど、本当は末法の世に出て来る仏教の破戒者だと言っていますね。
   親鸞は自分で「愚かな禿人」だと言っていますが、日蓮は親鸞のことを人であって坊主じゃな
  い、坊主の格好をしているだけだ、と糞味噌に言っていますけどね。
   道元と日蓮の時代になってくると、その頃病気に対してどういう対応をしたかということが
  解ってきて、ホスピスのようなことをやったのは浄土宗の源信の流れの人達ですね。親鸞だけは
  一切関知していない。
  親鸞は、「気狂い」というのは、仏教の外にあるものだという理解の仕方ですね。どういう対応
  をしたかというと、世俗的な病気に対して世俗的じゃない病気を対応させるのが唯一の解毒剤
  あって、あとは除外してしまうか、祈祷で治すしかないというのがおおよその構図なのではない
  でしょうか。
Q:そういう時代のなかで敢えて「狂女もの」といって「狂気」を取り上げたのはどうしてでしょう
  か?
A:手前味噌な言い方をすると、それは文学でやっているだけなのではないでしょうか。つまり、文
  学では、能でも「狂女もの」でもそうですけれど、前半まではまともであって後半になっ
  てガラッと狂ってしまうという構成はよくやります。つまり「気狂い」や「狂女もの」を誰もま
  ともに扱っていないし、リアルに扱っているのは自分たちだけだと思っていたのではないでしょ
  うか。はじめは声が普通だったのに狂ってしまうときもある、また途中で治るときもある、そう
  いうことがあり得るならば、確かに存在するわけですからリアルに扱ってみようと考えたのでは
  ないでしょうか。
   要するに、「狂気」をまともに扱う文学は、ことさら仏教思想が排除したり祈祷や占いで解決
  しようとしたりするのに対して、そうではない扱い方ができるのが特色と言えるのではないで
  しょうか。「気狂い」や「狂女もの」の能が始まったときに、能の役者とか脚本を書いた人とか、
  能の理論を作った人達は、そういうふうに思っていたのではないでしょうか。
   役者として大変優れている世阿弥の描いた「花伝書」を読むと、これは心理的に確かだと思え
  ることが書いてあります。例えば、若さの盛りのときには能役者は黙っていたって一種の花にな
  るから良いのだ。だけど、年を取って名人だと言われるような場合は、余り主役は演じない方が
  良い、傍役を控えめに演ずれば演技が一種の老いの花をもたらすことができる、と。
   年老いた能役者は花を過ぎたので若い盛りのときのようにはいかないけれど、花を持たせるな
  ら名人は傍役を演じて、しかも控えめに演じたら老いの花が少しは出て来るという言い方をして、
  役の心理を良く洞察していますね。




   もう一つ大したものだと思うのは、舞台の袖から観客の様子を窺っていて、沈んでいるように
  見えたときには意図的に足の踏み方を高く上げてバンと音が大きくなるような踏み方をして舞台
  へ出て行った方が良いということも言っているのです。「花伝書」は、演技の心理状態を非常に
  巧みに描いていますから坊さんというのはとんでもないことを放言している、ということは良く
    分かっていたのではないでしょうか。
    もう一つ、よく分かっていたと思える証拠は「源氏物語」は紫式部というとても由々しき人の
    作だと思いますけれども、この中に、浄土教の元祖源信をモデルにしたと分かるような「横川の
  僧都」というのが出てきます。このなかで源信の扱い方はちょっとからかっているな、と思える
  のです。「私の方が解っているさ」といった感じで、暗に覗かせているということが解りますね。
   ですから、能の役者も、脚本家も、理論家も、文学関係の人は、結構そういうところを考えて
  いて、坊さんの言い方はおかしいよ、と言う。それなら自分達の扱い方はどうかというと、まと
  もかどうかは別として、まともに近い扱い方をしようという考えはあったのではないでしょう
  か。つまり、文学では、仏教が排除したり、扱い方をどうしていいか分からないから祈祷や呪い
  で解決しようとする、そういう扱い方とも、普通の人の扱い方とも違う、別の扱い方をしてみ
  た、ということだと思うのですね。

●レーニン的唯物論の陥穽と仏教の世界

Q:吉本さんの立場からすると、宗教は解体していくべきだと受け止めていいのでしょうか。
A:僕は少なくともレーニンたちが言っているような唯物論や観念論とは違うのですが、観念論の中
  に仏教への信仰も入れてしまうのだという考え方はおかしい、という意味合いでは、宗教の観念
  論は認めなくてはいけないと思っています。僕には宗教の観念論というのは相当凄いものだと思
  っているところがありますから、好き嫌いで言うと、宗教とか宗教家というのは好きですね。 
Q:随分といろいろ勉強しておられると思いますが。
A:そうですね。
Q:特に親鸞ですか?
A:そうですね。親鸞は恐ろしい悟りを拓いた坊さんですね。坊さんは必ず親鸞の「唯信鈴文意」と
  蓮如の「正信渇大意」の中にある「白骨の御文」を読みます。僕の家は浄土真宗ですから、「白
  骨の御文」は特に易しいということもあってよく耳にしました。「朝に紅顔を誇っている身も夕
  には白骨と化す」ということを平気で言うので、子どものときから耳に残るようになっていたと
  いうことはありますね。
Q:私のところでも、祖父さんが昔よく読んでいたものですから、耳にこびりついています。
A:
子どものときから法事の度に坊さんが来ると、ひとりでに雰囲気がそうなっていて、「歎異抄」
  は易しそうだから最初に読んでみようと思っていました。
  レーニンの「唯物論」は怪し気で、結局、人間の脳よりも先に天然自然は、あるいは宇宙はあっ
  た、ということを認めれば「唯物論」だ、ということだけしか言っていないと思うのです。それ
  を認めないのなら、自分が目を眼ったら世界はないのだ、という考え方に陥るので、それは「観
  念論」だということになって、マッハ主義のように言われてしまう。ですけど、「観念論」や
  「唯物論」とはお構いなしに、人間の脳より先に、あるいは人類より先に天然自然はあったのだ
  ということは、いかなる人でも認めるのではないかと思いますね。そのことだけなら「唯物論」
  でも何でもないということになりますから、レーニンの「唯物論」を真似すると、フィジカルな
  サイエンスだけになってしまいます。そうすると、どこかしらに「観念論」が入ってきますし、
  生命体科学の遺伝子とか肉体の問題が入ってくると、水は水素と酸素からできているという簡単
  なことが通用するのは特別な場合しかないのですね。サイエンスはもっと複雑になってきている
  わけですから、レーニン的な意味での「唯物論」というのは通用しないだろうなと思っているの
  です。
   ですから、普遍的な意味での世界性と言えるものはサイエンスだけであって、しかもサイエン
  スも、水は酸素と水素からできているというのを化学式で書けば通用するような、単純なサイエ
  ンスは、エングルスの「自然弁証法」の時代でしたらそれでも良いのですが、今はサイエンスだ
  けだということも言えないようになっていると思っています。
   そうすると、仏教は迷信的要素を排除すれば、人間の精神について最も良く考えている、と言
  えそうな気がするのです。そういう意味で宗教性というのは滅びないのではないかと思いますし、
  僕はそう考えて良いのではないかと思います。そのように考えないと精神現象は全部表現でしか
  解釈しなくなってしまうし、できなくなってしまうのではないかという気がしています。


                               『異形の心的現象』pp.171-182

                                     この項つづく  
 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里山資本主義で経済成長 Ⅰ

2014年04月01日 | 政策論

 

 

 1999.09 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

 
●『異形の心的現象』を二度読む

  2009.11.25

同じ本を二度読み返しブログ掲載する体験を初めてしている。 はじめてとりあげたのは 『鮟鱇
と統合失調症時代』での【統合失調症の時代とは】であり、それは「心の危機」社会がどのよう
に到来したかを内省するために
行ったものだ。こんかいは、【アベノミクス第三の矢 僕ならこ
うするぞ!】をテーマを深耕し、流布されている言説とは異なった視点から「成熟期の "経済成
" 」政策を模索するために行う。従って、前回とは異なり簡単に言えば、より質を重視の読み
しを行う。尚、ここで記載してある、アルファベット文字の「Q」は森山公夫、「A」は吉本
明の同上共書である『異形の心的現象』から補章1の「僕のメンタルヘルス」の発言箇所を
している。

●『心的現象論序説』における「心」と「精神」

Q:『心的現象論序説』(北洋社、1971年9月刊/角川文庫版、1982年3月刊)では、
  「精神」と「心」を
どう分けて使っていたのでしょうか?
A:
「精神」というのは人間の内面的なものを全体的に含めて言うときと、感覚、感性に関与
  
する部分だけを「精神」と言っている場合があります。そして、「心」という場合は、こ
  の人は心
の中でこう思っているかもしれないということも含めて、コミュニケーションの
  問題を二次的に
して言う場合には「心」と表現しています。つまり「どう思っているか」
  ということを中心にして
いる場合は「心」を用いています。

Q:「心の危機」という問題は、吉本さんにとってはどういうことになるのでしょうか。
A:森山さんが専門とされている精神医療の臨床現場で、実際に治療にあたっているときには、
  「心のケアをしている」というように使っていると思うのですけれど、インターネットな
  どでコミュニケーションが便利になったときには「精神」という言葉の意味は怪しいと思
  いますね。確定的に使い分けている訳ではないのですが、「精神」と言っておいて、「心
  」も含めた全体を「精神」と言っているときと、それから「心」と「精神」とは違うのだ、
  と自分で
わざと分けて使っている場合もあります。コミュニケーションも含めた感覚の問
  題に関するもの、目とか感覚器官に
関するものを「精神」と言って、そういうときは「心」
  というのは別なのだと考えています。森山
さんが専門とされている治療のときの「心」と
  は分けて使っていて、曖昧じゃないかというと、
そうでもなくて、自分でも曖昧なのは、
  全部含めて「精神」というときもあるからなのです。

  つまり今の社会が病んでいるから、「精神」も歪むのだという問題も入ってくるし、それ
  こそ家族の問題で、この家族は、母親・父親・子どもの関係にこういう歪みがあるから、
  必ず家族の誰かに「精神」の悩みが入ってくるのだというふうに使うこともある。それか

  ら森山さんの専門とされる臨床現場で、この人の「心」が異常であるとか、病気であると
  かというときだけ「心」を使い分けているときがあるのです。また、「精神」というのは、
  感覚とコミュニケーションに関する精神の一部を「精神」と言って、「心」はまた別だと
  使い分けているときもあります。「ギリシャ、ローマ時代から心は発達していないのだ」
  と言
うときには、「心」と分けているときと、「精神」に全部人れてしまっているときが
  ありますから、自分
でも曖昧なときがあります。

●「心の危機」と労働の変質

Q:僕らもとにかく曖昧に使っています,それこそ同じギリシャ語の「プシュケー」からきて
  いる言葉でも、Psychiatry(サイカイアトリー)は「精神医学」と訳すし、psychology(
   
サイコロジー)は「心理学」と訳すという根本的曖昧さから僕らはまだ脱却できていませ
  ん。まだこの領域では、本当の意昧での学問的自立ができてないぞ、ということかもしれ
  ません。これからは厳密にしていかないといけないと思います。ところで、現代は「心の
  危機」というふうに言われており、私流に言いますと、乱暴な言い方ですが、1995年
  からその「心の危機」が顕在化したということになります。95年というのはご存じのよ
  うに一月に阪神・淡路大震災があって、その後、PTSDという今まで日本では使われな
  かった言葉が使われはじめました。これは「心的外傷後ストレス障害」で、つまり震災と
  か心的な外傷があったしばらく後にいろんな症状が出てくるというアメリカから入ってき
  た言葉ですが、これが被災者の心の問題として非常に流行ってきました。私の仲間もボラ
  ンティアとして現地に行ったりしました。その後、三月にオウム真理教徒の地下鉄サリン
  事件があって、僕らは愕然としました。ですが、考えてみれば、こうした現象の根はもと
  もとバブル時代にあり、さらにさかのぽれば1970年代という、吉本さんの言われる高
  度消費社会のはじまりとも関係してくるかと思います。
  いずれにしても青少年をはじめ、中高年、老人にいたるまで、「心の危機」というのが今、
  顕在化しているわけですが、吉本さんに現代の「心の危機」の特徴について、なぜそうな
  のかを語っていただければと思うのですが。
A:僕は精神というのは、人間の内面性全体というふうに言った場合に、僕の考え方で一番都
  合がいいのは、時代の社会構造、もっと限定して産業構造でもよろしいかと思いますけど、
  その変化とそれが人間の精神構造にどう影響するかという問題、次に家族の在り方が人間
    の心とか精神全体の問題とどう関係するのかという問題、そしてもう一つ、森山さんが臨
  床的にやられているように、一人一人の人間に対応している問題で、「ちょっとこの人は
  おかしいのではないか」とか「この人のこういう振る舞いは異常ではないか」ということ
  と、三つに分けて考えると、それが一番考え易いものですから、その三つがそれぞれ違っ
  た原因によるのだろうと思いますね。社会構造の変化が人間の精神の全体的な現象に対し
  て、犯罪やあらゆる事象も含めて、どう影響するのか、ということを初めに考えます。そ
  れは僕の言い方からしますと、第三次産業の問題であると言えます。例えば、一労働時間
  で10個の製品が作れたとします。それなら100個作るには10労働時間でいいと、製
  造業(工業)でしたら生産物ははっきりとしています。各時代の社会病というのは、初め
  はマルクス達が説いたように無理して働かせられたから肺結核がロンドンで流行った、そ
  れが職業病の始まりだと言うことができます。そのことは『イギリスにおける労働者階級
  の状態』でエングルスが詳細に語っています。今は何か違うのかと言ったら、第三次産業
  と言われている仕事は、一労働時間に10個の製品ができたのだから10時間働いたら百
  個できるはずだとはいかなくて、自分がいくつ作ったか、何をどう作ったかということが
  よく解らない、とにかく一日八時間働いたということしか意識できない。八時間働けば一
  労働時間の生産高が八倍になっていると意識できるのは、重工業や軽工業などの製造業ま
  でであって、今日のようにパソコンのような装置を使って働くようになると意識できない
  と思うのです。教育や医療も第三次産業の労働とすると、僕が知っている統計ではだいた
  い働く人の60~70%は第三次産業に就業していることになります。日本もアメリカも、
  欧州の先進国も同様ですが、第三次産業で働く人が多くなっているということは、これだ
  け働いたから、これだけ製品ができたということが、目に見える形で働く人には解らなく
  なっているということです。そのことが非常に重要で、つまり、精神の病いが現在の産業
  病といいますか、公害病になっていると言えます。そのことから類推すると、潜在的には
  膨大な数の人が精神の病いに陥っていると考えられるわけですね。
   第三次産業で働く人が働く人の60~70%を占めているということは、精神の病いや
  異常が病気全体のうち、60~70%を占めているだろうと、大雑把に理解するわけです。
  実際問題医療にかからない人が潜在化して解らないかも知れないけど、正確な数は解らな
  いとしても、大体そういうはずだと理解できます。
   例えば、現在問題になっている例で言いますと、政治家など社会性を帯びた場で働く人
  たちがいて、どういう問題が起こっているかと言うと、今日もテレビや新聞で盛んにやっ
  ていましたが、代議士秘書の給与を事務所で使ってしまったという問題ですね。追及され
  るべきことが党派的な追及のされ方になっていて、いたちごっこですね。正常な判断をし
  ますと、そんなことは政治の問題ではないと思いますね。
   社会習慣として考えると、私的に流用した、とは必ずしも言えないと思えますし、本来
  的に言えば、秘書が50万円の給与があるはずなのに、45万円は事務所で使って、5万
  円だけを渡していたという問題が与野党の政治家の間に出てきているわけですけど、そう
  いうことは当事者が納得すればいい問題であって、これは税金だろうが、何だろうがそれ
  で済む問題だと僕は思いますね。
   例えば、税金だから公の問題だというのは成り立たないわけで、私企業の給料だって、
  その中に幾分かは税金の分とか、公的資金が入っているかもしれないですから。
   要するに当事者が納得すればいいのだ、という問題であって、額の大小はあるでしょう
  けれども、当事者が文句を言わなければ、あるいは告発しなければそれで済むわけだし、
  了解していたのだったら、今さらそういうことを言ってもしょうがないと思います。文句
  を言われるとすれば、書類を上手く作ってあるかないかということだけであって、それは
  政治の問題でも何でもないのに、それが政治の問題になっている。
   そうすると、今度はテレビ、新聞などのジャーナリズムが問題にして、そこに登場する
  キャスターとか専門家や弁護士さん達が「けしからんのだ」と文句を言い始めたりする。
  僕の常識から言うと「それは病気だよ」と思うのです。そんなことを追及する方が病気だ
  と思う。「そんなことは当事者の問題だよ」と考えるのが正常な判断で、「そんなことを
  追求しているのはみんな病気だよ」というと、そうするとほとんどの人が病気になってし
  まう。
   僕が言いたいのは、第三次産業で働く人たちが「精神の病いや異常」に陥っているのだ
  から、そういう病気が公害病になるというのは本当なのだ、当然のことなのだと言えば済
  んでしまうのですが、病いに陥った世論が登場してくると、多くの人の判断が病気になっ
  てしまうのですね。
   感染するのか、あるいは共感するのか、そこは分かりませんが、こういう状態を全部病
  気だと判断すると、病気でない、という方が少なくなってしまうのではないかと思います
    ね。つまり、精神の病気にかかっていない方が少ないということになる。国民の大部分が
  病気だということになってしまう気がするのです。そこが分からないのです。
   そうだとすると、治療することはできない、ということになる。少なくとも専門家とか
  医療に携わっている人達の問題ではなくて、社会問題になってしまいます。そうしますと
  これを治すのはほとんど不可能であるということになりますから、これは一体どういうこ
  となのか判断のしようがない、分からないということになりますね。
   全てを告発して、裁いたり、マルクス流に「革命だ!」と言って、全部ひっくり返しち
  やえと考えると、なるほど考え方だけはすっきりしてよろしいと思うけれど、それが不可
  能であるといっていいくらいにロシアの実験が崩壊したばかりのところで、そんなにスッ
  キリする解決法などないのだ、ということになる。                                               
                                                  

確かに、第三次産業の占める割合を見ていくとそうなるが、三次産業の実質生産額の構成をみる
と(1)商業・金融→(2)医療・教育→(3)対事業所→(4)知識・情報→(5)生活関連
→(6)運輸→(7)公務→(8)通信の順に占めているが、2025年には医療・教育が第2位ま
で上昇すると予測されているが、それぞれを事業として見た場合、営利事業の根幹をなす、「売
上高」×「利益率」(あるいは資本回転率)を除く、各サービス事業の個別・独自の "中核価値”
の確立形成の有無が大変重要になるのではとわした(たち)は考えている。わかりやすい例とし
て、有名大学合格者数をパラメータに予備校事業の成長度(あるいは活性度)を毎年計測すると
か多種多様に考案していくことが事業成長には大切だろう。そのヒントになる書物として、藻谷
浩介らの『里山資本主義ー日本経済は「安心の原理」で動く』ある。そのキャッチコピーを参考
に「誰も行かないとことに『宝』あり」「小売りの常識を疑え」「百点主義でなく六〇点商法で
行け」「マネーに依存しないサブシステム」「マッチョな二〇世紀からしなやかな二一世紀」「
不安・不満・不信に訣別を―日本の本当の危機・少子化」を掲載しておく。

  2013.07


尚、ここでいう「対事業所」とは、卸売業、倉庫業、貨物運送業、修理業など、生産物の流通、
保管、修理のように生産物と強いかかわりをもつサービス業と、銀行・信託業、証券・商品取引業、
リース・レンタル業、調査・情報サービス、広告業など、生産物とのかかわりはあまりなく、独自
のサービスを提供するサービス業とに分かれる。


●不健康の社会的典型

Q:例えばバブルの時代に、多くの人たちが銀行からお金をどんどん借りて株を買ったり、不
  動産投機に走ったりしたのですね。そのときもまた、みんな病気だったということになり
  ますね。
A:そうなのです。病気の定義ですけど、多勢の人がある範暗にいれば正常で、少なければ病
    気だ、というのでしたら簡単ですけれど、そうではなくて病気の本質はどうなのだと言い
    出すと難しいのです。バブルの時代でしたら、お金を沢山使って、いい加減な使い方でも
    大雑把な儲け方ができた、土地を転がしただけで儲かった時代です。でも、そういうのは
    おかしいじゃないかと言うと、それはあからさまに言えば、その業種に携わっている者だ
    けが罹っている病気が、社会全般に拡がっているのでしたら、社会全般が目に見える形で
    精神的に異常だ、病気だ、と判断できたと思うのです。今は逆になっていて、むしろ追及
    する人の方が病気だと僕には思えるのです。
   僕はいつでも少数派ですけれども、僕にはどうしてもそのように思えて仕方がないので
  す。追及する人の仕方も病気だし、そういう世論を作ってしまう知識人や専門家、テレビ
  やマスコミに出てくる人も、病気じゃないかとすると、それに影響されて「そうだ、そう
  だ」という世論の方も病気だと思えますね。
   病気が裏返ったと言いましょうか、裏が表になって、表が裏になったとしたらどうすれ
  ばいいのか、僕なりに考えたりするのですけれど、分からないのです。

Q:僕はそういう意味では、吉本さんもおっしゃったように、人類というのはずっと病気で動
  いてきたように思うのです。例えば経済も一種の病気で動いてきていて、好況になると必
  ず過熱して、不況になると今度は縮こまりすぎてしまう。それを批判する側も、大多数は
  病気から免れていなかった、と思えるのです。
A:僕は森山さんが言うように、そういう考え方をした方がいいと思いますし、スッキリする
  のじゃないかと思うのです。そう考えなくても、個々のことにかかずらわっているとかな
  わないし、何やかやと言っている方はみんな病気だと思わなければならないから、やりき
  れないという感じになります。これをどうすればいいか、どう考えればいいか、どう解決
  すべきなのか解らないですね。
   社会的、精神的な健康ということから考えると、不健康の社会的典型というふうに僕は
  思っているのですけど、世論とか普通の人は逆に思っているかもしれない。そこは見解の
  分かれるところで仕方がないと思っています。

●家族の不健康とは

A:家族の問題というのも、一番大きな原因は何かと言うと、これは簡単なことで社会的な問
  題と同じですね。ひとつだけ言えば、親と子の感覚からいうと、精神内容ということでし
  ょうか。精神内容が正常よりもまるで懸け離れてしまっているというのが、家族的な意味
  での病気の原因ではないのかなという気がするのです。つまり親と子の関係を考えると、
  親の考え方と子どもの考え方、感じ方というのが非常に違っているということです。
   どうしてそうなのかというと、今、急速に社会構造の転換が行われているときですから、
  歳を取った人の考え方と若い人の感覚的な、無意識な考え方とが非常に懸け離れてしまっ
  ています。懸け離れてしまったということが精神的な不健康という問題になるのではない
  かと思うのですね。
   それではどこに問題の原因があるのかというと、一つは、社会的な大転換ということで
  すね。現実的な状況の大転換が非常に急速です。潜在的な原因があって、それが顕在化し
  た原因の一つは親子の距離感の拡張からくる問題です。
   親が子を殺したり、子が親を殺したりということが起こるのはなぜかという原因を求め
  るとすれば、それは母親と子どもの関係が一歳未満のところまでに、相当大きな違和感と
  か潜在的な対立感、恐怖感に浸蝕されていて、それが正常な神経をしている社会よりも非
  常に大きくなってしまっているのが原因ではないかと考えています。
   そう考えると、どこにも歪みのない家族なんてないよ、ということになるわけです。そ
  の場合の、典型的な歪みのない親子関係というのはどういう親子関係なのかということを
  考えると、これは僕の実感ですから普遍性はないかもしれないけれど、僕の子どもの場合、
  赤ん坊のときから三歳位まででしたら自分と子どものどちらかが死ななければならない必
  要があったとしたら、無条件に僕の方が命を亡くしてもいいや、と思えたような気がする
  のです。これが歪みのない親子関係ではないかと思います。ですけど、三歳位を過ぎて学
  童期に近くなっていくと、その成長過程で子どもの方にもやや独立的な自覚心が生じてく
  ると、「-生意気だ」とか「面白くない」ということが僕の中に出てくるのです。
   それ以前でしたら僕は、無条件的に「可愛いな」とか「無条件にこの子に代わってもい
  いな」と思っているのですけど、少しでも自覚的なものが出てきた四歳か五歳位から上に
  なってくると、「生意気でしょうがない」「わがままでけしからん」と怒りたくなったり、
  僕はしたことはないですけど、殴りたくもなるのです。つまり、必ず違和感が生じてきて、
  思春期になると手に負えなくなってくる。正面衝突したら駄目だ、ずらすように意識的に
  考えないと駄目だ、と思うようになりましたね。

   
                     -中略-

  
 家族関係の問題というのは、社会関係の問題よりも健康なのか、不健康なのかというこ
  とを考えると、僕は、社会が不健康なら家族関係も不健康にしておけば、平穏無事だと考
  えるのですが、そういう理屈になりますね(笑)。家族関係を無理に健康にしようと思っ
  ても、これはいけませんね。社会が不健康なのに家族関係を健康にしようとしても駄目
  と思った方がいいですね。

●社会関係の不健康・・・市民病という名の病気


A:そうすると、結局個人の問題になってくる。それは森山さんの専門の問題になってきます
  ね。そしてこれは専門家に任せるということが第一の問題だということになってきます。
   ここで問題なのは、例えば、テレビを見ていると、ひきこもり症の人をインターネット
  で集めて、話し合いの場を作ってやっているのです。元スーパーの店長だったという素人
  の方が志でそうしたことをやってテレビに出てくるのですね。僕はそういうのを見ると、
  この人はおかしいな、やっぱり病気だなと思うのです。スーパーの店長をしている人だっ
  たら、まず万引きをどう防ぐとか、製品をどう並べると一番売れるとか、そういうことの
  専門家ですから、そういうことをやればいいのに、ひきこもり症の人を集めて話し合いの
  場を作るというのは、素人がやることではないと思うのです。素人がそうしたことをやる
  と必ず間違えますよ、という感じがしますから、森山さんのような専門家は素人がそうい
  うことをしているのをどう理解するのかな、と思いますが。
Q:今は転換期ですから、個人の病気もいろいろ新しい形をとってきます。すると専門家もけ
  っこう戸惑うことが多いのです。そこで多少経験のある素人が出てきて、「専門家はいら
  ない」ということになる場合が多々あります。実際、素人がやったことは比較的上手くや
  っているように見えるようなところもあって判断が難しいのです。確かに素人がやってい
  ると、上手くいったように見えるときがあって、そうすると周りももてはやすし、乗って
  しまうところがあるのですけれども、やっぱり専門家がそこに入らないと駄目ではないか
  と思うのです。ただ問題は結構専門家にも駄目な人がいて、時流を無視したり、逆にまた
  それに乗りすぎたりして、混乱を強めてしまうことがあって難しいのですね。
A:本当にそういうケースが出てくるのです。そうすると、やっぱりおやおやという感じにな
  って、「スーパーの店長をやっていればいいじやないか」と思ってしまうのです。これも
  社会の影響とか、マスコミの影響とか、コミュニケーションが便利になった影響で、素人
  でもこうすればいいのではないかとつい思えてやってしまうのではないかと思いますね。
Q:ご自分でも引きこもった経験があるとか、そういう方なのでしょうね。
A:そうなんでしょうね。大なり小なり専門家とどう違うんだ、程度の問題たというならそれ
  でもいいのですけど。僕は野次馬になって見たり間いたりしていると、何てことをしてい
  るのだという感じになるのですね。つまり、それは社会的な病気がうつったのじゃないか
  という気がしてしょうがないのです。今の社会的な病気がうつってそうなってしまったの
  じゃないかと思えるのですね。テレビを見ていて、これは良くないな、こうした方がいい
  な、と思っているうちはいいですけど、自分がやり出すというのは病気ですね。それはマ
  スコミの世論形成とか、世論操作に影響されたり、識者の姿を自分に投影させてそういう
  ことをしたくなってしまったというのは、これは病気ではないかと思えてしまうのですね。
   どうしてかと言うと、その場で上手くいったように見えると、もうこれでいいんだ、と
  すぐに結論を出してしまうのは素人の特徴ですから、そういうことをするのは病気なのだ、
  社会的な病気がうつっているのだ、と思えて仕方がないのですね。
   そういう違和感はたくさん起こるわけです。僕は真面目に考えるとイライラしちゃうと
  いうケースが無数にあって、それも社会的な病気だから仕方がないと思えばそれまでなん
  ですが、最近イライラする場面が凄く多くなっていて、ことごとく社会的病気がうつって
  いるのではないかと思えてしまうのですね。
   例えば、この間、東海村の原子力発電所のウラン加工会社Tco)の放射能が漏れて、
  近辺には退避しろと緊急避難命令が出て、放射線を浴びた人が病気になって亡くなってし
  まうという事故が起きました。この事故は原子力発電所を管理している人の問題で、もう
  少し指示を厳密にしておけば良かったという問題だと思うのですが、事放現場にいあわせ
  た人が放射線を浴びて、社会的問題になってしまう場合でも、近所の人は広島の原爆のよ
  うに永続的に放射能が残留するということにならなかったので難しく考えなかった。
   僕はいささか心得があるのですが、戦争中に学徒動員に行っていて、そのときに実験的
  なことから中間的な装置を作るという作業をやっていたのですね。そのときに、東海村の
  原子力発電所の事故と同じようなことがあったのです。もう時効だからいいですけど、ロ
  ケットの研究で、電気分解するだけなのですが、片方の電極の方に過酸化水素ができるよ
  うにして、片方から水素や酸素が発生して水が分解している。片方に過酸化水素が必要で
  すから、それを一極に集めて濃縮しまして、今も使っているロケットの燃料の酸化物燃料
  を作っていたのですね。片方に還元剤のヒドラジンというのを使って、それと一緒に噴射
  させればロケットの一番簡単で害がない燃料ができるわけですが、その過酸化水素を作る
  作業をしていたのです。
   ところが水を酸性にしておいて電極を刺せば必ず過酸化水素が濃縮されてくるわけで、
  簡慨ですけど、その電気分解で移動し易いように、フッ化水素を添加剤で少しだけ入れる
  のです。そうするとフッ化水素というのは、皮膚を侵す、特に爪についている皮膚を侵し
  ます。ですから原則としてゴム手袋をはめて操作するということになっているのです。
   ゴム手袋というのは、今の手術用の薄いゴム製の手袋だったらいいですけど、その頃は
  指先が動きもしないような厚いゴム手袋なのですね。こんなものつけては作業ができない
  ので、ゴム手袋を取って操作するわけです。そうして作業が終わったら丁寧に石鹸を付け
  て何回も手を洗って、フッ化水素を落としたつもりになるのですけど、夜になって皆が寝
  静まった頃に爪と皮膚の間にフッ化水素がくっ付いていて皮膚を侵すのです。そうすると
  指先が疼き出すんですね。夜は痛くて痛くてよく眠れないのです。しかたがないので、我
  慢して軟膏を付けて絆創膏を貼ってまた翌日同じことをするわけです。
   そうしていると、安い電極を発明したという教授が時々東京から見回りにやって東て、
  「何をやっているんだ、その手は」と言うから、実はこうなんですと言うと、「お前、こ
  ういう作業はゴム手袋をはめてやることになっているじゃないか」と言うわけです。僕ら
  も「それは解っているけど、それでは操作できないんだ。手は完全に洗ったというくらい
  何回も何回も石鹸で洗って、大丈夫だと思っても夜になると指先が疼き出すんです」と言
  うのですが、「それでは駄目だ」と言うだけで埓があかない。自分がやったことないから
  そんなこと言っているだけなので、いくら言ってもしょうがないし、倹らも教授の指示に
  従わないで手袋を付けないで作業して、夜になるとまた疼き出すのを我慢していましたが、
  しまいに指先が腫れてくるのですね。
   僕は東海村の事故でも、「バケツなんか使って」と言われていましたけれど、バケツを
  使おうが何を使おうがいっこうに差し支えないんで、それは正しい方法ではないけれど、
  できるだけ短時間で片が付くように操作して、ということをよくよく注意して作業してい
  たら良かったと思うのです。
   世論的に言えば、多分、バケツを使っていたことがいけないのだ、ということになると
  思うのです。本当のことを言えば二.それは違うよ」と僕は思いましたね。
   もの凄く注意して作業すればどうやってもいいから、と充分に注意することを教えてお
  いたらそれで十分たったはずです。そのことをきちんと守っていたら良かったと思うので
  す。問題の原因がそこに行かないで、作業手順を守らないで「バケツなんか使っていたか
  らだ」というようになってしまうと、それは違うと思います。
   公的資金の一部である秘書の金を流用したのは犯罪か、というのと同じで、二人が了解
  すればいい問題なのに、理由付けが常識的でなくなったところで了解がついてしまうとい
  うのは、病気だと僕には思えますね。そういうことは以前にはそれほど思わなかったので
  すけど、最近やたらと出てきたのでそう思うようになったのですね。
Q:以前には思わなかったのは、それ程問題がなかったからなのでしょうか、それともそうい
  うふうに見る目が違ってきたからなのでしょうか?
A:要するに、情報が少なかったですから、大したことではなかったのだろうと思っていたわ
  けですね。情報が欠落していたということが主要な原因だと思うのです。初めからちゃん
  と言っておいてくれたら見当を付けるし、危険なことが分かっていたってゴム手袋をはめ
  ては作業ができないから、仕方なしに手袋を脱いで作業して、よく手を洗ったつもりでも
  駄目だったという経験がありましたから、危険な作業だから何を使ってもいいけど短時間
  で済ますようによくよく注意して作業するように、と上司の人が厳しく討えば良かったと
  思うのです。そこの問題だと思うのです。バケツじゃいけないと言われても、それでは仕
  事にならないと思いますね。
Q:素人的な意見の危険さということになるのでしょうか?
A:そうですね。「うっかりすると死ぬからな」と言っておかないと駄目ですね。そこの注意
  が大雑把過ぎたのではないかなというのが、僕の考える原因ですね。
Q:最近、そういうことがたくさん出てくるのですね。例えば、オウム真理数の人がどこかの
  村か町でアパートを借りて住もうとしたら、住民が排斥して追い出したりするので、それ
  は不当だと、僕は思うわけです。つまり、誰にだって住む権利はあるわけだし、その人が
  犯罪を犯したというならその街にはいないわけですから、犯罪には直接関係ない、ただ同
  じ仲間だったというだけだと思うわけです。それだけでどうして排斥するのだ、おかしい
  じゃないかということになりますね。もっと旨うなら、排斥するのは、彼らの人権を侵し
  たことになる、となりますけど、世論はそうではなくて、オウムの排斥は当然のことのよ
  うになっています.僕は、それはおかしいじゃないか、市民的病気だよ、と判断するわけ
  です。ですけど、反論されたことがあって、「そんなこと言うけど、吉本さんの家の隣の
  お寺に原子力発電所を作るって言ったら反対しないですか?」って言うから、「反対しな
  いよ、僕は」、「反対の人たちは引っ越しの費用を出させて、適当な所に引っ越して、そ
  う思わない人はそのままそこにいる、それでいいじゃないか」と言ったら、また突っ込ま
  れて、「それなら、隣にヤクザの事務所が引っ越して来たのと、普通の人が引っ越して来
  たのと気持ちは同じですか?」と聞いてくるから、「それは違うなあ」ということになっ
  たので、言い様がなくなって、何となく怖がるのもごもっともだと思ったりしましたよ。
  でも、ちょっとおかしいと思うのですけど、もっともなところもあるので、一転、これは
  
どう考えたら良いか引っ掛かって考え込みまして、今もすっきりしないのですが。
A:まさに市民病と同じですね。
Q:そうなのですよ。そういう問題について、何か良い解決法はないでしょうか。
A:それこそ、そういうことをお聞きしたいと思ったのですが。私は、人類はある意味では病
  気で動いてきたのじゃないかと思うのですが……。
Q:精神的な病気というのはだんだん、重くなりつつあるのですか? 文明の発達というのは、
  精神的な病気を大きくするのですか?
A:どうなのでしょうか。僕は個人の病気とか精神的危機を「自明性のゆらぎ・喪失」という
  視点からとらえようという考えなのです。僕の理解ですと病気自体は軽くなってきている
  けれど、拡がっているという感じですね。それこそ浮遊する病気というか、病気も浮遊し
  ているという感じで、しっかり治りきるというのはなかなか難しいなと思いますね。

 
                                                     『異形の心的現象』pp.152-170
                         

ここでは、電気分解での過酸化水素除去剤のフッ酸との炎症体験を交え"市民病"の特徴を語って
いるが、偶然にもわたしガラスおよびシリコンの腐食用フッ酸の取り扱う研究開発や生産技術業
務の経験が長く、あらためて、文学・哲学領域以外でも共通点があったことになにがしか運命め
いたものを感じなくはないが、ここではそれは置いておくとして、"市民病"ということによる市
民側の過剰反応とみる感じ方とは微妙な差がある。逆に言えば、そういう警戒心は"市民”だけ
でなく"農民”でも起こりうるし(これは蛇足)、事実、福島第一原発事故や高圧送電線での小
児癌(白血病)疾病などもあるわけで、原理的な考え方は理解できるが、経験量からいってもた
ぶん私の比ではないだろうし、そうだから言うのではなく、十把一絡げに扱えるものではなく、
是々非々が正論だろう。尚、黄色の背景色の部分は同意する。


※ フッ化水素(フッ酸はフッ化水素の水溶液)の安全性データシート(参考)
                                
                                    この項つづく


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする