極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

量子ドット太陽電池最新技術

2016年01月14日 | デジタル革命渦論

 

 

 

     仮想敵をつくって攻撃する、そして軍事力や経済力を高めていく。これが近大
           文明の本質ですからね。なので、もし文明のパラダイム・シフトがあるならば、
           まさに「悪人」を取り込むようなコミュニティをつくっていく必要がある。

                                      町田宗鳳 『法然の編集力』

                                                        




【地震予測は可能か】 

 

● 滋賀県での断層帯と地震被害想定リスト

  12時25分頃地震

正午に北海道震度5弱の地震があったばかりだ。いつも寝ているソファー横にはいつで
も靴が履けるようにそばに置いている。第一アクションのイメージトレーニングはでき
ている。が、実際となるとそれは検討もつかない。

 
【再エネ立国を目指す大分県:29%→50%】

地熱発電を中心に再生可能エネルギーの導入が進む大分県では新たに16年度から9年
間の拡大計画を実施する。最終年の24年度にはエネルギーの自給率を51%まで高め
る目標。発電規模が大きい太陽光のほか、地域の資源を生かした温泉熱発電やバイオマ
ス発電を大幅に伸ばす。

大分県は1月8日に「新エネルギー導入ビジョン」の素案を公表して県民から意見を募
集中だ。2月8日まで受け付けて、新年度が始まる4月からビジョンに基づく施策を実
施する。「おんせん県」にふさわしく、地熱をはじめ太陽光からバイオマスまで長期的
に導入量を拡大していく。

一方でエネルギーの消費量は9年間で8.4%削減する。主な施策は電気自動車や燃料電
池車などのクリーンエネルギー自動車を約3倍に増やすほか、地域・家庭・工場の省エネ
対策を推進していく。この目標を達成できると、エコエネルギーの拡大と合わせて自給
率は33%から51%へ上昇する。

特徴的には、9年計画で大幅に伸ばす予定の温泉熱発電では、県内の農業ハウスに導入
構想がある。県の実証事業で開発した「湯けむり発電システム」と地熱を利用した温度
制御システムを組み合わせて、ハウスで消費するエネルギーを自給自足する(下図)。
15年8月に県の農林水産研究指導センターの構内でモデルの農業ハウスが完成。この
モデルを各地域に展開する。また、バイオマス発電では東南アジアから輸入するパーム
ヤシ殻を燃料に利用した木質バイオマス発電所の建設プロジェクトが進んでいる。
発電
能力は50MW(メガワット)で、2016年内に運転を開始する予定だ。このほかにも地域で
発生する家畜の排せつ物や下水の汚泥を利用したバイオガス発電の導入量を拡大する。

 

● 高性能・高品質な小型水力発電事業の世界展開

リッター水力発電(マイクロ水力発電装置)

神鋼電機は、1秒間に数リットル程度の水量で発電が可能という超小型水力発電機「リ
ッター水力発電装置」――0.5kWタイプと1kWタイプの2機種。どちらも大きさは540(W)×
450(D)×500(H)mmと小型で、毎秒2~10リットル、1kWタイプは同4~20リットル
の流量で発電が可能。実際の発電量は設置条件等により異なるが、前者は、流量6.5
リットル/秒、落差6mで2300W程度になる(最適な落差は10m程度)――を開発、昨年
度9月末から販売。

尚、本体価格は、前者は98万円程度(設置費用別)、後者は145万円程度(同)
の試算
では、約11~15年前後で装置のコストは回収できるという(※コントローラ効率を
80%とし、24時間連続運転した場合。電気料金は21円/kWhで計算)。本体は30~
40年程度は利用可能で、交換が必要な部品は、水車のベアリング(寿命:約10年)、
バッテリ(同3年)がある。シンフォニア テクノロジー (旧神鋼電機)は、新興国無電
化地向けに販売するという。。

 トリシマ発電(小水力発電システム) 



【最新ナノ電子工学 2016】

● 米国特許にみる3つの量子ドット太陽電池最新技術

(1) US9018515 Solar cell with epitaxially grown quantum dot material;エピタキシャル成長
   
れた量子ドット材料の太陽電池  シリウス・テクノロジー社

【要約】

バリア層を介在自己組織化量子ドット層の離間したグループを有する太陽電池。 このよ
うなグ
ループ分けした太陽電池の結晶構造は、太陽電池のパフォーマンスメトリックに、
太陽電池の
成長フロント品質の改善された制御を可能にする。
第一の態様では、基材の格子定数を有する基材を含む光起電太陽電池が提供されます。
基材上に形成された複数の半導体層。

複数の半導体層は、第一の半導体材料、第1の格子定数を有する第1の半導体材料の第一
層。
半導体層は複数の、それぞれのスペーサ層の格子定数を有する第2の半導体材料の第
二層、第2の半導体スペーサ層の各々を含む。
第一層および第二層は、少なくとも2つの
グループに配置される。少なくとも2つのグループは、少なくとも1つの半導体スペー
サ層のいずれかにより互いに分離される。

少なくとも1つのスペーサ層の厚さは、Tの複数の半導体層に対する目標厚み加重平均
格子定数値の関数である
第一の態様の光起電太陽電池では、基材上に形成された中間半
導体層を含むことができ、複数の半導体層は、第1の半導体材料の格子定数は、aにより
表わせる。第2の半導体材料の格子定数は、a2で示すことができる。中間層は、厚さtINT
をもつ。

格子定数のintを有する半導体材料で作ることができます。各スペーサ層は、asで表され
るスペーサ層の格子定数と同一の半導体材料からなることができます。厚さ加重平均格
子定数(a)のように計算することができる。

 

・Photovoltaic Energy Conversion, 2003. Proceedings of 3rd World Conference on
・Development of a 1.0 eV (GaIn)(NAs) solar cell Baur, C. ; Fraunhofer Inst. for Solar Energy Syst.,
  Freiburg, Germany ;Bett, A.W. ;Dimroth, F. van Riesen, S.18-18 May 2003

・Manipulating the energy levels of semiconductor quantum dots S. Fafard, Z. R. Wasilewski, C.
  Ni. Allen, D. Picard, M. Spanner, J. P. McCaffrey, and P. G. Piva Phys. Rev. B 59, 15368 -Pu
  blished 15 June 1999

・S. Fafard, et al., "Lasing in Quantum Dot Ensembles with Sharp Adjustable Electronic Shells",
  Appl. Phys. Lett. 75, 986 (1999)

 ※ 試作データや実績データに関しては不詳。

doi:10.1038/nnano.2011.50

 
(2)US9082554 Biologically self-assembled nanotubes:生物学的に自己組織化ナノチューブ  

【要約】 

生物学的(ウィルスを使用)なテンプレートで、コンパクトなナノチューブを合成する一
般的な生物学的アプローチの方法。

1.光起電力デバイスを製造する方法であって、ナノチューブに結合親和性を有するウイ
ルスを含む組成物を提供。それによってウイルスナノチューブ複合体を形成し、ウイルス
にナノチューブを接触させる工程;それによってウイルスに沿ってナノチューブを分散さ
せ、所定のpHに組成物のpHを調節。それによってウイルスナノチューブ - ナノ粒子複合
体を形成し、ウイルスナノチューブ複合体に複数のナノ粒子を接触さる。これにより、ナ
ノチューブ - ナノ粒子複合体を形成し、ウイルスナノチューブ - ナノ粒子複合体からウ
イルスを除去する工程とナノチューブは、半導体性カーボンナノチューブを含み、光起電
装置、にナノチューブ - ナノ粒子複合体を組み込む。
2.ウイルスは、遺伝子操作されたM13のウイルスである。
3.複数のナノ粒子は、無機ナノ粒子を含む。
4.光起電力デバイスにナノチューブ - ナノ粒子複合体を組み込むことは、ナノチュー
ブ - ナノ粒子複合体と光アノードを形成することを含む。 5.光起電力素子は、色素増
感太陽電池。
                               

 
※アカデミックな段階から実用化の中間に位置しているようで、商用段階に至るか不明っだが面
 白い。

(3)US909,290 Self-formation of high-density arrays of nanostructures;ナノ構造の高密度ア
  レイの自己形成

【要約】

ナノ構造体を形成するための方法は、可撓性基板の反対側に形成された2次元材料を有す
る結晶性半導体層にフレキシブル基板を接合を含む。 

 結晶性半導体層は、結晶半導体層の最初の亀裂を開始するために第一の方向に強調。
最初のクラックが結晶性半導体層を介して二次元材料を介して伝播。
結晶性半導体層の応力は、結晶性半導体層上の2次元材料を含む平行な構造解放され開放
する。
単結晶半導体基板の提供しナノ構造を形成する方法は、基板上に二次元の材料の少
なくとも二つの単層を形成。エピタキシャル二次元材料上に結晶性半導体層を成長させ、
結晶性半導体層にフレキシブル基板を接合。二次元材料を分割し、フレキシブル基板に接
合された結晶性半導体層から基板を分離する。

 結晶性半導体層の最初の亀裂を開始するために第1の方向に結晶性半導体層を強調し、
この層を介して二次元材料を通る最初のクラックが伝播する。この層上に、二次元材料を
含む平行な構造を提供するために、結晶性半導体層への応力を解放し、半導体装置は、フ
レキシブル基板を含むフレキシブル基板に接合結晶性半導体層は、少なくとも一方向に沿
って平行構造を形成するために割れる。1~10単層の厚さを有する結晶半導体層上に形
成された二次元材料は、ナノ構造体形成のため亀裂分離(破砕)する。

 


※ 炭化ケイ素などの半導体基盤に規則的なクラックパターンを入れておき、厚みがナノ
  サイズのシート状半導体を貼り合わせ帯状加工物に加重を掛け(あるいは極低温-液
  体二酸化炭素や窒素などで急冷することで規則正しく破砕してナノサイズの量子ドッ
  ト半導体など生産するという原理特許で、クラックパターンの製法――ナノプリント
  法――やサイズについては例示されていない。

※ その他特許 

  

● 折々の読書 『法然の編集力』 9  松岡 正剛 著    

 【目次】  

   第一部 法然の選択思想をよむ

    忘れられた仏教者
   六字名号の伴/宗教は「編集」されてきた/法然に吹く風

     専修念仏への道
   父の遺言/浄土思想との出会い/末法を生きる/法然の読暦法/専修念仏の確
   信/山か
ら町へ乱想の凡夫として

     法然のパサージュ
     兼実の「仰せ/「選択」とは何か/法然のブラウザー/トプリテラシーとオラ
   リティ


     「選択」の波紋
      南都北嶺の逆襲/浄土でつながる……多重な相互選択/親鸞と空也


   二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ

    法然誕の地/突然の夜討ちノ時田の遺言/比叡山入山/宝ヶ池越しに比叡山
    を望む/
18歳での遁世/浄土信仰の象徴/一向念仏則に帰す/吉水での説
    法/念仏宛洋の地/善導
との夢中対面/大原問答/大原問答の地/九条兼実
    の帰依ノ朗婉の計画ご弟fの死罪/
遊女教化/法然の臨終/法然の眠る場所



   第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

    大震災を経て/辺境から生まれる希望/仏教の土着化/日本仏教の系譜/仏
    教とイメー
ジ/法然の引き算/仏教を再読/「悪人」とは誰か/仏教におけ
    る死
  

 第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

                                       大震災を経て

 松岡――2011年に法然を語るにあたって、まずは語り直さなければいけないこ
 とがたくさ
んありますね。3月11日、マグニチュード9・0もの大地震が発生し
 て、30メートルを超
えるような大津波が東北の地に壊滅的な被害をもたらしまし
 た。そこへ福島第一原発におきた
連続事故が追い打ちです。生と死というものが、
 たった10センチとか10リベクレルとか
の連いで分かれてしまいました。そうい
 ったことを日本全体がかなり重たく感じたのではない
かと思います。
  しかし、仏僧たちが東北の地に行って何かしているということは、寡聞にしてあ
 まり知りま
せん。日本の仏教界がどんな行動をおこしているのか、何を考えている
 のか、そのあたりがよ
く見えないままに4か月がたちました。
  町田さんは、すでに今回の大賞災をふまえて『ニッポンの底力』(講談社+α新
 書)という本を
上梓されていますね。仏教や法然に後からつなげるためにも、まず
 は今回の震災について町田
さんが考えてらっしやることからお聞かせいただけます
 か。

 
町田――私は、今回の震災は偶然におきたことではなく、歴史の必然性のなかでお
 きたことだ
と考えています。そして、法然さんの没後800年という大きい節目に
 このような未曽有の大
災害がおきたということは、「日本人よ、物質文明の幻影か
 ら目覚めよ」という天からのメッ
セージではないかと思っています。これを機に日
 本本の仏教は脱皮しなければいけないし、日本
の文化そのものも変わらなければな
 りません。


 松
岡――国難ともいえるような、これだけの大災害ですからね。そこから何かのメ
 ッセージを感じる人も多いでしょう。

 町田――とくに今回の3・11は、地震と津波だけでなく福島第一原発の放射線流
 出事故という
じつに深刻な事態を招きました。ここには文明史的な意味があるので
 はないでしょうか。つま
り、地球資源を乱闘発して人間の思いのままに利川するよ
 うなライフスタイルはもう打ち止め
にして、もっと地球そのものを生命と見るよう
 な文明への転換が求められているのではないか
と。地球と人間、あるいは動植物を
 も一体として見るような文明が・必要だというメッセージを
うけたように思えてな
 りません。

  そして私なりの観点に立てば、文明のパラダイム・シフトにも法然の思想がかか
 わってくる
わけですが、まずは目本文化かもつ「型」についての話からさせてくだ
 さい。
震災後の七月に出版した『ニッポンの底力』では、「文化の祖型」というの
 がキーワードに
なっています。それはどんな国にも必ずあるものなんですね。たと
 えばアメリカは、ピューリ
タニズムが「文化の祖型」になっていて、新大陸で宗数
 的なユートピアを作るんだという強い
意志と行動力が文化を成している。しかしそ
 の一方では、かなり原理主義的な傾向の強いピューリタニズムを共有しない人間は
 どんどん疎外していきます。

  中国には、「文化の祖型」として覇権意識がある。漢の時代から玉門閥のような
 ものを設営して、西域に1センチーメートルでも領土を拡大しようとした本能が中
 国人のDNAに入っている。それはもう政治体制が変わろうが何しようが一貫した
 ものなんですね。そして、もうひとつの「文化の祖聖」が一元主義ですが、それは
 皇帝の専制から共産党一党独裁体制にまで時代を超えて貫かれています。

  ヨーロッパの「文化の祖型」にはカトリックがあります。全世界に福音を広げよ
 うという強い使命感が、世界の津々浦々にまで宣教師を派遣させました。けれども
 そこには一神教的な特徴があって、イエスの福音を信じない者は邪教徒だから抹殺
 してもよい、あるいは強引に改信を追ってもよい、と考えてしまった。それが結局
 は植民地主義につながっていくわけです
  このようにどの文化を切り取っても、その祖型というものが必ず存在している
 そこで日本の場合は何かというと、私は「追放と復活」ににちがいないと思います。

 松岡――黄泉の国から帰ってくる。すなわち。よみがえる」ですか。

 町田――そのとおりです。いちばんわかりやすい例はスサノオの神話でしょう。彼
 は高天原から英泉の国、根の国に「追放」されてしまう。しかしその後、出方の国
 に「復活」してきて、ヤマタノオロチを退治して大英雄になる。オオクニヌシノミ
 コトの系譜はそこから生まれてくるわけです。

  あるいは神武東征伝説。九州一帯を洽めた神式は、日本列島の中央をめざして、
 瀬戸内海経由で畿内や近畿に入ろうとしますが、難波に上陸しようとするところで
 ナガスネヒコに負けてしまいます。そこで「追放」される。逃げるように紀伊半島
 を敗走して新宮のあたりまで行って、今度は現在の熊野速玉大社があるところで上
 陸しようとします。しかし、ここでも土着の豪族たちに負けてしまうのですが、ヤ
 クガラスの導きでかろうじて援軍を得て上陸します。ヤタガラスというのは、私は
 山岳民族のことだと思っているのですが――。

 松岡――そうだと思います。おそらくは山川草木に対して鋭敏な人たちなんでしょ
 う。

 町田――その後、神武はナガスネヒコと第二戦をやって、やはり負けている。負け
 戦の天才みたいな人ですね。しかし、そのときたまたまり先に止まった鶏が金色の
 光を放つことによって――これは、新型金属兵器を使ったという意昧だと私は解釈
 しています――ナガスネヒコが目をくらました隙に打ち勝った。それで大和平野に
 出て、橿原宮で最初の朝廷をつくることになるわけです。

  このように、日本の神話にはつねに「追放と復活」というモチーフがある。そし
 て、「追放と復活」といったときには、必ずその折り返し点があります。スサノオ
 にとっての折り返し点は根の国です。「追放」された根の国から、出雲に「復活」
 してくる。かたや神武の場合は熊野ですね。そこで軍を立て直して大和に入ってい
 くわけですから、熊野の山が折り返し点になっている。


ここでは、第二部は省略し第三部の対談に移る。また、「対談の前に」も省いたたのは
対談に反映されているので省略する。著者曰く「変わり種」の経歴の持ち主・町田宗鳳
との対談の序の口から、面白い展開に入るが、町田ワールドを了解するため、最後まで
熟っくり読み進めることにする。

                                この項つづく

  ● 今夜の一品

これらのオーバーイヤーヘッドフォンは50ミリメートルダイナミックドライバ、充電
式電池、アクティブノイズキャンセリング、3.5ミリメートルオーディオ入力、ブルー
トゥース4.0 LE、 とWi-Fi接続を完備したハイエンド使用となっている。ORA-X は、
Android
デバイスのため、ユーザーはGooglePlayストアからダウンロードしたアプリや
ゲームでアウトオブボックスの互換性を期待できるとか。いますぐ手に入れたい?それ
はない。しかしチャンスがあれば使ってみたい。

※ 双方向性のものを開発すると産業の様々なシーンのコントローラーとして大きな市
  場形成が見込まれる。そう、かってのソニーのウォークマンの高性能・高機能化で
  すね。

 

コメント
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最新ナノ電子工学 2016

2016年01月13日 | デジタル革命渦論

 

 

 

     我々は途方もない変化の時代に生きている      オバマ米国大統領

   

 

  31 Dec .2015

【最新ナノ電子工学 2016】

●  ”Automist Smartscan ”ノズル噴射型消火システム

ロンドンのPlumis 社の自動ノズルミスト噴射消火システム。天井設置のスプリンクラー方式
より遙かに少ない水量で消化できる(毎分5.6リットル、スプリンクラー方式より約90%以上少
ない水量)。こういった設計思想は農業・医療・工場・運搬分野などにも応用できそうで、結構大
きな世界市場になるだろう。

 ● 今夜の一品

● HumanEyes社製三次元円盤型カメラ"Vuze"で360度撮影

デジタル革命渦論』はまた1つ、カメラ・ビデオを変えることとなった。



  DOI: 10.1021/jacs.5b08227

● ペロブスカイト結晶構成する原子を視覚化

有機‐無機複合物質であるペロブスカイト材料は、次世代型太陽電池には欠かせない材
料。
このペロブスカイト材料の特性を理解することは、太陽電池の耐用年数を延ばし、
品質を向上に欠かせない。沖縄科学技術大学院大学のヤビン・チー准教授らの研究グル
ープは、有機‐無機ペロブスカイト材料の原子分解能について世界に先駆けて調べ、そ
の成果を米国化学会誌(Journal of the American Chemical Society)に発表(8 Jan. 2016)。
この成果はから、メチルアンモニウム分子が回転すること、およびそれらの分子の回転
によって明らかに異なる特性を持つ2種類の表面構造を生み出すことを発見。また、回
転とは別に、このメチルアンモニウム分子は隣接する臭素イオンの位置に影響を及ぼし
その結果、原子構造にさらなる変化をもたらし。この構造により材料の電子的性質が決
定されることから、原子の幾何学的位置は太陽電池を理解するための不可欠な要素とな
る。

 Scanning Tunneling Microscope

さらに、走査型トンネル顕微鏡の画像により、分子およびイオン(欠落している原子)
の転位により引き起こされた局所的な欠陥もあきらかになると考えられている。これら
の欠陥により、伝導性などの電気特性が変容するなど、機器の性能に影響が及ぼされる
ともあり、ペロブスカイト材料の構造は温度感応性が高く、凍結した結晶を室温下で観
察では、必ずしも完全同一構造が観察されるわけでないが、原子レベルでのペロブスカ
イト結晶を包括説明には、実際的な結晶挙動の理解に役立つ。現時点での発見は、有機
‐無機結晶表面における分子とイオン間の相互作用を解明できるものと期待されている。

   

 

 

  

● 折々の読書 『法然の編集力』 8  松岡 正剛 著    

   第一部 法然の選択思想をよむ 

  「選択」の波紋

                          南都北嶺の逆襲

  さてところで、これはどの一冊ではあっても、この『選択本願念仏集』が世に出
 ると、各方面から徹底的な批判が浴びせられました。いずれも身のすくむほどの批
 判です。それも宗教界の大向こうからの弾劾のような批判でした。いいかえれば、
 法然が説く教えは、それほど革新的だったということです。法然自身も、易行によ
 る往生が可能だとする専修念仏が、危険思想と見なされうることを感じていた節が
 ありました。

  聖道門から離れていった法然の思想と行動を鍛初に批判したのは、当然のことな
 がら「山」としての延暦寺や「寺」としての興福寺でした。とりわけ問題となった
 のは法然その人というよりも、好き勝手な専修念仏論をふりまわす弟子たちだった
 ようです。
 元久元年(1204)、延暦寺の僧たちが集まって専修念仏の停止を計画し、天台
 座主の真性に訴えます。これが「元久の法難」の開始でした。かつて身を寄せた古
 巣からの批判を浴びることになった法然ですが、これに強く抗弁することばしてい
 ません。これまでにものべたように、決然という人は他の宗派宗旨を論難する気が
 まったくないのです。これはもう法然の編集的信念とでも呼びたいほど徹底してい
 ます。

  とはいえ、叡山の声に無視を決めこむわけにもいきません。法然は弟子たちを集
 めて自粛自戒を求め、弟子の法蓮房総信空に「七箇条制誠」を書かせました。これ
 はいま読んでもなかなか考えさせるもので、「智慧がないのに好んで論争するな」
 といったことが七箇条にわたって告げられています。「七箇条制誠」には190人
 もの弟子が著名していて、なかには綽空(のもの親鸞)の名を確認することもでき
 ます。
  また、法然が阿弥陀仏ばかりを選んで神仏諸尊を軽んじている(無視している)
 という非難も火の手にあがります。これまた法然は、比叡を守る神仏に誓約文(『
 送山門起請丈』)を送って対決を避けています。
  一方、興福寺のほうも黙ってはいなかった。元久二年(1205)、各宗の僧と
 結託して「八同心」の訴状をつくり、六点にわたって法然とその一門を批判したの
 です。八宗とは、奈良仏教の南部六宗(法相宗・倶舎宗・三論宗・成実宗・華厳宗・
 律宗)に平安仏教の天台宗と真言宗を加えたちのですから、新興勢力の法然浄土に
 対して危機感を覚えた仏教保守集団が大同団結した、といっていいかもしれません。
 結託して朝廷に訴えたのです。

  解脱房貞慶による起草といわれる九箇条は、批判点としてはよくできている印象
 を受けます。これを読むと法然思想の特色がかえって浮き出すところがあるので、
 現在『興福寺奏状』として
伝わる九箇条を次に掲げておきます。



  ①新宗を立てる失II勝手に浄上京を々りのっているではないか。
  ②新像を図す失上芯仏者のあいだで阿弥陀仏図に光明を描きこんでいるでは
   ないか。
  ③釈尊を軽んじる失――釈尊が阿弥陀仏に名号を与えたのに、その釈尊につい
   てちやんと言及していないではないか。
  ④万善を妨げる失――『法華経』の読誦に敬意を払っていないではないか。
  ⑤霊神に背く失――宗廟大社を憚らずに、ちゃんと呻を拝んでいないのではな
   いか。
  ⑥浄土に暗き失――持戒や読誦によっても浄土に生まれうる可能性を摘んでし
  ⑦念仏を謝る失――観仏の重要性を無視しているのではないのか。
  ⑧釈衆を損じる失――賭博や女犯や肉食などの破戒を勧めているではないか。
  ⑨同士を乱す失――法然の言説では戒・定・慧の三学が廃れ、王法と仏法の衰
   退を招くではないか。 


 
 なかなか当を得た批判です。念のため、すこし説明を加えておきますと、②の「
 新
像」とは「摂取不捨曼陀羅」といわれるもので、いまでは浄土宗や浄土真宗の仏
 壇
のなかでおなじみになっている阿弥陀如来立像の図のことです。
 ⑧で女犯が攻撃対象になっているのは、法然が女人往生の可能性を認めたためでし 
 た。じつは、これもまた法然が「編集」してみせた、日本仏教史上の重大な転換

 でした。

 

  中世以来、日本仏教は女性を臓されたものとして見ていました。それを「五障三
 従」という]語にあらわすことができるのですが、女性は梵天工・帝釈天・魔王・
 転輪聖王・仏の五つになることはできず、劫くは父、嫁しては夫、老いては子、こ
 
の三つに従わなければならないとされたのです。しかし、仏になることができない
 となりますと、女性が成仏することは適わないということです。そこで考えられた
 のが、女性はまずもって男に生まれ変わる必要があるという咎え方です。これを『
 変成男子』といいました。このように、仏教には女性に対してきわめて差別的な側
 面があったのです。
 
  しかし法然は、そんなことは阿弥陀の本願に示されていない、と主張した。法然
 が説いた専修念仏の教えは、陰刻や職業はむろんのこと、件別も問わずに往生でき
 る道だったのです。この「女人往生¨の可能性については、親鸞も同じ態度を引き
 継ぎ、その思想を完成させました。ここでその中身に深く立ち入ることはしません
 が、女性蔑視を脱した入間的仏教観が、汪然の専修念仏に萌芽していたことは強調
 しておきたいと思います。

  そのほかの『興福寺奏状』にあげられている批判点についてはふれませんが、い
 ずれもかえって法然が「多重微妙選択」をしていたことを浮き彫りにします。法然
 の専修念仏はこれらをバウンダリー(境界)すれすれで擦り抜けているのです。も
 っと端的にいうのならば、選択本瀕とは、数多い仏教教説の境い目の真上に成立し
 ていたものだったのです。だから「山」も[寺」もお前はどっちにいるのかと揺さ
 ぶったのでした。

  それでも去然自身はどんな批判にもめげることがないのです。そろそろ法然教団
 としてのかっこうもつき、弟子も増えてきたので、本来ならば組織防衛のために反
 論や反撃に出ても良い時期だったのですが、そういうこともしなかった。ただし、
 
廷は、「山」や「寺」からの要望となると、ある程度は聞き入れざるをえません。
 そういう時代なのです。結局、法然には朝廷から宣旨が出され、厳重注意をうけて
 しまいます。

  それだけではありません。こういうときにはいろいろと不首尾がおこるもの、弟
 子の法本房行空や安楽房遵西にちょっとした勇み足もあり、ついにはそこを突かれ
 て、安楽が六条河原で処刑されるという最悪の事態にまで発展してしまいます。
 弟子の不始末は、むろん法然にも及びます。建水二年(一二〇七)、法然を土佐に
 配流するという宣旨が下りました。これが「建永の法難」です。このとき法然は
 七五歳で、流罪にあたっては還俗させられ、なんと「藤井元彦」という俗名さえつ
 けられてしまいました。まことに屈辱的だったことでしょう。法然の専修念仏はつ
 いに停止されてしまいます。法然の強力な外適者であった九条兼実も、この前後に
 亡くなってしまいます。

  後鳥羽上皇が法然に帰洛を許すのは、やっと四年後のことでした。法然は建暦二
 年(1222)の11月にようやく入洛して、東山大谷に落ち着きます。弟子たち
 はこれでふたたび教団に力がみなぎるだろうと期待するのですが、大谷に入った
 翌々月の1月25目、一段と声を高くして四時間の念仏を称えた法然は、『観無量
 寿経』仏身観の一節をつぶやいて人滅します。八○歳でした。

                             浄上でつながる

  専修念仏批判は、法然の入滅後にもやむことかありませんでした。じつに多くの
 仏教者たちが、法然を論難しています。とりわけ有名なのが、公胤明恵日蓮
 
よる批判です。
  天台宗の公胤は『浄土決疑鈔』を著して、『興福寺奏状』における④と⑦に関連
 する箇所を批判します。『法華経じを転読しても極楽浄土に生まれるはずなのに、
 なぜ法然は大乗読誦を廃したのか、という批判です。

  承安三年(1173)に生まれた明恵は、みずからが見た夢を記録した『夢記』

 でも知られる華厳宗数個です。私は大フアンでした。ところが、その一方で明恵は
 厳格な戒律を守りぬく理想主義的な修行僧でもあったため、釈迦への回帰こそをモ
 ットーとしていましたから、どうにも曲がったことが許せないところがありました。
 明恵にとっては、阿弥陀の絶対他力を拒じてて心に念仏をするなどという法然の「
 易」を、そのまま看過
することはできなかったのです。
  法然の死語になりますが明恵は『催邪輪』を著して専修念仏を避難します。主だ
 った論点は、法然は菩提心を忘れているのではないか、聖道門の僧たちを群賊に特
 えるようなことはしてはいけない、そういうことをするのは邪心があるからだとい
 うものです。

  これはこれで、まともなクリテfックだと思います。しかし、法然がそのように
 既存仏教の教義を批判してきたわけではないことは、これまで何度も確認してきた
 とおりです。この両者の対婉は、彼岸に生きようとする法然、現匪に生きようとす
 る明恵、といった対比に置き換えることができますが、両者の主張を比較検証した
 いのならば、町田宗鳳さんの「法然対明恵――鎌倉仏教の宗教対決』(講談社選書
 メチユ)を読むといいでしょう。
  一方、「法華経』に帰依した日蓮の場合は、なにも法然のみを批判したわけでは
 ありません。当時の浄土宗も禅宗も真言布教も律宗も、すべてを痛烈に非難したの
 です。それが「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」という、たいへんユニーク
 な弾劾キャッチフレーズにあらわれています。それにしても、これほど巧みな比喩
 はなかなか思いつきません。日蓮の独創が、天下のの宗派に向かって咆吼している
 という感じがします。

  念のため、その日蓮が法然のどこを問題にしたのかというと、大きいところでい
 えば二点です。まずは、もっと「法華経しを学習しなさい、国を教うのは念仏なん
 かではなくて『法華経』である、ということです。もうひとつは、浄土は穢土と地
 続きの娑婆から寂光土に移るプロセスそのものにあるのだから、ピカピカの阿弥陀
 さんが君臨する極楽浄土なんてものは幻想だというものでした。いささか意地悪に
 みれば、これもまたある程度は当たっているところがあります。

  しかし何度も言うようですが、法外はその上うなクリティック・リアルなところ
 にはいないのです。目本の匡救は古代以来、現世主流あるいは現伊利益王族にその
 特色を広げていきましたが、法然は鎌倉時代の発端にいながらも、そういうリアリ
 ズムの地平には立たなかったのです。法外にリアリズムがあったとすれば、それは
 当初からハイバーリアルなもので、いわけ政庁のリアリズムです。

  ですから、初期の法外の念仏集団も、心ずしもリアルな数回ではなかったと見る
 べきだと思います。法然の弟了たちは届犬を一人ひとりのネヅトワーカーとする
 上うな結衆、すなわち念仏聖や念仏衆によっているのであり、集団にとって何か紐
 帯だったのかといえば、そこにある阿弥陀一仏信仰だけなのです。法然の集団に「
 つながり」があるとすれば、それは彼岸の浄土においてこそアクチムアルにつなが
 っているのです。

  それゆえ念仏衆たちはたんに地域ごとに区分けされて、白河門徒、紫野門徒、嵯
 弥陀の「阿」の字がつけられることはありました。藤原定家は、その日記『明月記』
 のなかで「近年天下に空阿弥陀仏と称する者あり。件の僧、党類を結び、多くの檀
 越を集か。天下の貴賤争って結縁す」などと記しています。
  でも、こういう法然の選択感覚と紐帯感覚こそが、生前は重源・九条兼実・慈円・
 熊谷直実らの理解を坪び、証空・弁長・親鸞・長雨・湛空らをその門下に輩出させ
 たのです。のちのことになりますが、一遍の「踊念仏」が派生したのも、ここから
 でした。

                         多重な相互選択

  ただ一心に「南無阿弥陀仏」と弥えれば、往生が約束される――。
  私が本橋の冒頭で掲げたこの一文は、法然かたどり着いた教えをあらわすのに必
 要十分な∵又であると思います。しかしそれほどまでにシンプルに姥える教義が成
 立した背景には、混沌に満ちた末法の世があり、父の時国の死があり、膨大な読書
 経験があり、法然の編集力があったわけです。その編集力のことを、法然は「選択」
 という二百に代表させたのです。
 それについては、『選択本願念仏集じの第よハ砂において、三つの経典からのだい
 へん興味ぶかい「選択」が引かれています。よくよく私の説明文を読んでいただ
 くとわかるように、これらは『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』からの鏡像
 的な選抜になっているのです。

  『無量寿経』

  ①選択本願――法蔵比丘がかつて選択していた選択
  ②選択讃嘆――釈尊が念仏を讃じたという選択
  ③選択留教――その選択を削めておくという選択

  『観無量寿経』

  ①選択摂取――阿弥陀仏が衆生を選んでいるという選択

  ②選択化讃――その選んだ衆生を阿弥陀仏が選ぶという選択
  ③選択付属――それを後世にまで選択をのこすという選択

  『阿弥陀仏教』

  ①選択証誠――選択されたものが証明されるという選択
  ②選択我名――阿弥陀仏が「わたしを選択したのですね」と言っているという選択

 
  八つにわたる選択です。まことにもって複雑絶妙な選択の相互作用です。とくに
 阿弥陀仏をめぐっての「選択するもの」と「選択されるもの」の相互鏡像関係が絶
 妙です。阿弥陀仏が衆生を選び、その衆生が阿弥陀仏を選んでいるというその関係
 そのものが、未来的に選択されているわけですが、その阿弥陀仏をして「私を選択
 したのですね」と言わしめている無数の凡夫としての「南無阿弥陀仏」が、そこに
 またまた全対応しているという、多重相互選択作用なのです。

  この阿弥陀をめぐる多重相互選択作用をあれこれ感じていると、従来の法然研究
 に、法然の専修念仏は日本古来の多神多仏を排しているのはなぜか、阿弥陀一仏信
 仰にしたのはなぜかという指摘があるのですが、そういう問題の立て方が挟すぎる
 とも思えてきます。
  というのもこの問題は、多神多仏の目本に阿弥陀数ともいうべき一神教が生まれ
 たのはなぜなのかということになるのですが、法然の阿弥陀信仰は、宗教学にいう
 一神数的信仰ではなくて、そもそもがずっと多様で多重な相互選択的なものだった
 と思えるからでした。それは一神数的なるものを日本で宛生させたということを意
 味するのではないのです。
  私は法然に、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教に比肩するようか一神教性を見
 
いだせないのです。法然は、複合的で複写的な選択インターフェースの多重性にお
 いて、何かの多様性をしきりに見ようとしてきたと考えたい。きっと、法然は「そ
 れ」を選択した人ではなく、「そこ」へ選択していくパサージュ(通路)を用意し
 た人だっ
たのです。

                               親鸞と空也

  最後に、語りのこした二つのことに少々よれておきたいと思います。ひとつは法
 然のあとの親鸞のことですが、親鸞の「悪大正機説」はすでに法然に発していたと
 
いうことです。

 
 もともと『選択本願念仏集』の第一言縦は、「極悪最下の人のために極善最上の
 法を説く」という内容になっています。そればかりか「三心料簡および御法語』に
 は、次のようにありました。「参入なおもて往生す、況や恋人をやの事。私にいう。
 弥陀本願は自力を以て生死を離るべくに方便あり、舌人のためにおこし給わず。極
 重悪人無他方便の輩を哀んでおこし給えり」と。
  これらを見ると、法然の仏教は早くか「悪人成仏」を唱えていたといえますし、
 私は親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」も、おそらく法然が発
 していたした言葉を親鸞が書きとめたか、憶えていたのだろうと思うのです。
  もうひとつは法然の前の空也のことです。空也は「市聖」とも「阿弥陀聖」とも
 呼ばれた日本最初の念仏ネットワーカ一です。それだけではなく、まだわからない
 ことがたくさんあるのですが、容行の実践、阿弥陀一仏仁仰の先駆、「南無阿弥陀
 仏」の唱導、他力の提唱など、法然のプレモデルとしての活働かさまざまに特色さ
 れるのです。空也は法然より230年も前の聖ですから、空也のことがもっとあき
 らかになってくれば、その後の源信から法然に及んだ念仏重視の浄土信仰の実態が
 見えてくるとも予想されるのです。

  いずれにしても、法然の前の空也のこと、法然の後の親鸞のこと、私もさらに追
 慕して「編集」しなければならないと思っています。

                                                この項つづく 

 

 

 

 

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沙々貴神社と西洋七草

2016年01月12日 | 近江歴史回廊

 

 

 

   パンクこそ、非常に価値のある変化なんだ。古い殻を壊していくっていう
                 状況は面白い。それは、僕自身も常に心掛けてきたことだ。

                                              デヴィッド・ボウイ


                                        Rebel Rebel

                                                                                             David Robert Jones  8 Jan 1947 – 10 Jan 2016

 

 Wikipedia

● 西洋七草をつくちゃおう

石山寺のロウバイ(蝋梅)は満開でそれはそれで良いのだが沙沙貴神社のロウバイ(蝋
梅)の圧倒される残像が忘れられなくて翌日作業につまり、彼女を起こし、そばと鉄火
巻のランチをすませ鑑賞に出かけた。ここはその話は後述するとして、石山寺で七草粥
とその名前を尋ねると彼女があっさり正解してしまったことが頭に残っていた。ところ
で、高効率・高品質の太陽電池の調査作業で、たまたまネット上で、”7 Cancer Fighting
Culinary Spices and Herbs
”というヘッドラインが目にとまり中断し、閲覧することに。
ヘッドラインを直訳すれば「抗ガン料理の7つの香草」ということになり、「ターメリ
ック」「唐辛子(チリペッパー)」「ガーリック」「ミント」「カモミール」「ローズ
マリー」「ショウガ(ジンジャ)」が紹介されている。

曰く、スパイスやハーブは長い間消化不良、他の消化器系の医療目的のために使用さ
れてきた
科学はにはがんやその副作用との戦いに関して、特定のスパイスとハーブ
摂取する
直接的な効能には不明だが、間接的なメリット容易に認識できる。その効果
は、全く新しい味覚を開拓に必要な最小軽度から強度の範囲で、その独特の風味
プロファイルときに味覚芽を刺激し、食欲を再活性化し料理ハーブやスパイスを追
加し
、最適な体重を維持でき、ガン罹患の不安から解放する処方箋の提案というわけだ。
 

1)ターメリック:ウコンエキスのサプリメントは、現在大腸癌、前立腺癌、乳癌
 皮膚癌を含むいくつかの癌を治療役割が研究されている
2)唐辛子:神経因性疼痛、癌の手術後の痛みの治療に関して良好な結果を示している
 いる
。また、カイエン少量摂取で消化不良を低減することが確認されている
3)ガーリック:研究成果では、最適なニンニク摂取量は、胃結腸食道膵臓
 よび乳房
癌のリスクを減少させることを示唆していますこれは、ニンニク
 菌感染症と
癌を抑制する遺伝子修復を促進し、解毒作用免疫作用、高血圧抑制作
 用を助ける働きがある。
4)ペパーミント:消化不良腹痛下痢緩和に、消化補助に使用過敏性腸症候群
 
食中毒を抑制に役立つ筋肉を落ち着かせ、健胃させ消化を助ける
5)カモミール:快眠作用、口内炎、筋肉の収縮平滑筋の弛緩に役立つ。
6)ローズマリー:抗酸化物質が含まれ解毒、消化不良鼓腸食欲不振に役立つ
7)生姜:風邪、便秘など民間療法で使用されている吐き気がん治療中の健胃
 薬として役立つ



とは言え、西洋七草粥にするには、葉茎のどの部位を使って調理するのか、現時点では
皆目見当がつかない。仕方がない残件扱いだ。

   For Dummies

  睦月に薫る蝋梅

● 沙沙貴神社の蝋梅と源氏

 Wikipedia

その日もお暖かく風もない穏やかな冬日となった。ケアーセンタ関係の観覧者や若いカ
ップルなど沢山の人たちがめいめい楽しんでいた。ところで、社頭整備事業〔総額第一
期・壱億円以上〕を計画中で写真のように社頭の修復工事中の参拝・鑑賞となった。
境内には大きな池があり立派な鯉が元気に泳いで、手をたたくと寄ってくる。

● 佐々木源氏発祥の地:沙沙責神社

佐々木氏は、宇多天皇(869~931)の皇子、敦実親王(892~966)の玄孫
である、源成頼
が近江國・佐々木庄に下り、成頼の孫の、経方が佐々木姓を名乗ったこ
とに始まる。
佐々木氏は、佐々木氏の氏神である沙沙貴神社が建つ近江ハ幡市安土町常
楽寺周辺から、佐々木氏
の館があった小脇(現在の束近江市小脇町)辺りまで広範な候
補地があるが定かでない(
ただ、蒲生郡内であったことは間違いないという)。佐々木
氏が近江に確固たる基盤を得るきっかけとなったのは源平の合戦。
経方の孫の秀義(~
1184)は、平治の乱(平治元年1159)で源義朝にくみして敗れたため近江を

われ、相模國(現在の神奈川県)まで逃れ、
1180年、源頼朝が平氏打倒へ挙兵した
時、長男の定綱ら息子たちを引き連れて参戦し、
目覚しい功績をあげる。

秀義自身はこの戦いで戦死するが、定綱は戦功により近江國惣追捕使(後の近江守護職
)に
任じられ、守護職に就いた定綱は、頼朝の自筆と伝えられる「佐佐木大明神」の神
号額面を
文治二年(1186)七月二十八日に物部清貞氏の調整で、表参道大鳥居に掲
額する
(現在も古額を保存して、その同じ形式の写を表参道大鳥居に掲げてあるJ。
弟たちも多くの恩賞を与えられ、一族全体で述べ十七カ國の守護職を得ていた時期もあ
ったが、
鎌倉幕府と後鳥羽h皇が争った承久の乱(1221)で一族の多くが上皇方に
付いて破れ
守護職のほとんどを失う。

定綱の跡を継いだ信綱の息子の代に佐々木氏は四家に分かれ、長男重綱-大原氏、次男
高信-高鳴氏、四男氏信-京極氏、そして三男の泰綱に始まる六角が惣領家(本家)と
して近江守護職を継承する。鎌倉時代初めに活躍した佐々木定綱以来、織田信長(安土
城は、天正四年~・1576・僅か六ケ年によって追われるまでの約四百年間、守護と
して近江國を支配し続けた一族である。滋賀県を象徴する六角紋章を受け継ぐものに、
近江ハ幡市章一や、滋賀県立ハ幡商業高等学校章などがある。

  源氏とは Wikipedia

六角氏による支配は、戦国大名のように上から強力に統制するのではなく、在地勢力の
自立性の
上に成立した穏やかなもので、この結果、近江には惣村や寺内町といった自治
を行う村や町が多く生まれた。六角氏がもたらし
た地域社会の自治の伝統は、佐佐木源
氏発祥の地の近江國、滋賀県には今も根強く生き続けているという。この神社では「近
江源氏祭」は佐佐木源氏一族の人たちが全国より参集しこれま
での感謝とこれからの平
和と繁栄をお祈りする。

「沙沙貴十二座の神事」は近江の守護を務めた佐佐木源氏一族が武家を中心に祭祀の集
団をつくり表四座・襄四座・若宮四座の沙沙貴十ニ
座は四月・五月~十月の年三回祭礼
を斎行する。
この祭礼は中世の武家の「苗」(姓名)を継承した馬乗り(各家の後継者・
の神事。特殊な神饌をお供えして饗応の酒席が設けられ子孫の繁栄をお祈りするさら
に、この沙沙貴まつりでは、琵琶湖岸の殴で「大松明」を作製して水
辺の町より沙沙貴
神社まで少彦名神さまをお迎えした勇壮な姿を継承
また、『延喜式』の古式に習い、「
夏越の大祓」琵琶湖岸で刈り取った茅
で大きな輪を造り「茅の輪くぐりの神事」を水無
月(六月)に行い隻病
息哭をお祈りする。

尚、素菱鳴尊(すさのうのみこと)が旅の途中で、蘇民将来にもてなされたお礼に「蘇
民将来の
子孫と言えば疫病から逃れられる」と約束した故事にちなむ「蘇民将来子孫家
」の神符を授与している。

 

日本において皇族が臣下の籍に降りる(臣籍降下)際に名乗る氏の1つ、一般に有名な
清和源氏のほかにも
多数の流派がある。姓の代表的なものの一つとして、平氏・藤原氏
・橘氏とともに「源平藤橘」(四姓)と
総称される。嵯峨天皇から分かれた嵯峨源氏や
清和天皇からの清和源氏を含め、二十一の流派(二十一流)があるとされる。中でも家
格が最も高いのは村上源氏とされ、室町幕府の成立まで源氏長者を有した。また、平安
以降臣籍降下が頻発すると源・平の二姓ばかりになるが、最近の研究で「一世王、二世
王が源、三世以降が平」だった事が判明している。源姓(本姓が源氏)の家系はそれぞ
れ別の苗字を号し、現在「源」を今日的な意味の姓として名乗る例は多くなく、推定人
口は4千人程である。代表的な家紋である「笹竜胆」は日本最古の家紋である。

 

  竜胆

 

  

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石山寺と瀬田川

2016年01月10日 | 近江歴史回廊

 

 

 

 

    寺は壺坂。笠置。法輪。霊山は、釈迦仏の御すみかなるが
                 あはれなるなり。石山。粉河。志賀

                                 清少納言  『枕草子』  

                                                                                    966-1025

 

 

    めぐりあいて 見しやそれとも わかぬまに雲がくれにし夜半の月かげ  

           さして行く 山の端もみな かき曇り 心の空に 消えし月影
 
           曇りなく 千歳にすめる 水の面(おも)に 宿れる月の 影ものどけし 

           西へ行く 月のたよりに たまづさの かきたえめやは 雲のかよひぢ       

                                                                                      紫式部 

 


 

予定通り蝋梅鑑賞。好天気で風もなく透き通って琵琶湖の対岸がみえる。「つれづれも
なぐさめむとて、二人で石山に詣でて」と和泉式部日記をもじって石山寺へ。折しも大
津は市長選挙戦が始まっている。東門前の瀬田川ではボートの練習が盛んに行われてい
る。

因みに石山寺は、滋賀県大津市にある東寺真言宗の寺。本尊は如意輪観音、開基は良辨。
当寺は京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三
十三所観音霊場第13番札所。また当寺は『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの
文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得た
とする伝承がある。「近江八景」の1つ「石山秋月」でも知られている。

また、紅葉の名所としても知られ、秋にはライトアップが行われ、15年に日本夜景遺
産に認定される。石山寺は、琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田
川の右岸にあり、本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩
盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている(石山寺珪灰石は日本の地質百選にも
選定)。

『石山寺縁起絵巻』には、聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良辨が聖
徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりで、聖武天皇は東大
寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金を施すために大量の黄金が必要で良弁に命じ、
黄金が得られるよう、吉野の金峰山に祈らせた。金峯山はその名の通り、「金の山」と
信じられていた。

良辨の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、「金峯山の黄金は、弥勒菩薩がこの
世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである。近江国志賀郡の湖水の南に
観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」とのお告げにしたがい
石山の地を訪れた良辨は、比良明神の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太
子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建て程なく、陸奥国から黄金が産
出され、元号を天平勝宝と改める。如意輪観音像がどうしたことか岩山から離れなくな
って、やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創である。

 

● 蝋梅、少なっ ?! それでも見頃 

東門をくぐり入園参拝すると、梅苑は三つほどある。ところで、月見亭の下にあり、南
北に長い第一梅苑の梅林「薫の苑」は、国宝『薫の聖教』を著述した淳祐内供(菅原の
道真公の孫)ゆかりの地。藤牡丹・白滝などの梅が気高く咲きほこることで有名となる
。石山寺中興の祖であり、朝廷・貴族の信仰を集めた三代座主淳祐(890-953)は92
1年、醍醐天皇の命により師の観賢僧正が、高野山の弘法大師廟へ参入する際に随伴す
ることになり、入定した大師の膝に偶然触れた淳祐内供の手に、その芳香が移り、いつ
までも消えることなく、その手で書写された聖教にもその香気が移ったと伝承されてい
る。この淳祐筆の聖教が「薫聖教」と呼ばれ、石山寺でも座主以外は見ることが許され
なかった――平安女流作家たちは石山寺に参籠するほどにこの寺は、室の信頼が厚い上
学問の寺として名高かった――が、このほか、第二梅苑の「東風の苑」、第三梅苑があ
り、梅園は約3300平方メートル、40種約400本の梅が植えられ、蝋梅は、半透
明でロウのようなつやのある花が特徴で今年は例年より半月ほど早く満開となり、2月
上旬まで見頃が続くという見通しだが、香りが強く周辺に近づくだけでそれとわかる。

元々、中国中部原産の落葉低木で17世紀、江戸時代のはじめに中国から渡来。木の高
さは、2~4メ
ートルの木。陰暦の12月(臘月:ろうげつ)頃(現在の1月頃)に咲
く梅に似た花であると云う説がある一方、花が蝋細工のような光沢と質感をもち、梅に
似た花を咲かせるからという説の2つがある。また、梅に似た香りと花の形、中国から
伝わったことなどから「おうないか(黄梅花)」「からうめ(唐梅)」「なんきんうめ
(南京梅)」とも呼ばれます。多くの呼び名、別名があるものです。また、英名は「wi-
nter sweet
」と言う。

  紫式部ゆかりの花の寺

※ 梅の種類例

(1)原生系:白加賀・一重冬至・満月・竜眠 ・寒衣・二重冬至・花香実・月宮殿・
  見鷹玉垣・思いのまま・八重海堂・紅筆・八重紅筆 ・玉拳・白難波・月の桂・月
  影・緑
2)豊後系:真鶴・揚羽の蝶・海棠梅・藤牡丹・白獅子・八重揚羽・呉服・
  武蔵野・
一の谷・江南無所・三国一 
(3)紅梅系:紅千鶴・玉光・唐梅・鹿児島・緋の司・黒雲
(4)枝垂性:月影枝垂・大阪しだれ
(5)実成り・果梅:白加賀・長束

現場に到着してびっくり、蝋梅が余りにも少ない。一本だけが満開。それでも気を取り
直しデジカメする(近接撮影することを忘れて全景に近いフレームで撮り、結果は惨敗。
最近ぼけているのかと反省する(デジカメが悪くなっていることはその通りなのだが)。
紅梅は申し分ないのだが少々落胆した次第。約2時間ほど境内を散策し、帰りに名物の
「瀬田のしじみおこわ」を買う。

ところで、この瀬田蜆、漁獲量は衰退の一途をたどる(下表)。このため昭和59年(
1984)に、生協理事役の関係で参加した琵琶湖で「第1回世界湖沼会議」が開催
当時、絶滅の危機にあったセタシジミを取り戻そうと、4月23日を“シジミの日”と
定め、セタシジミ祭が始められている。
第1回世界湖沼会議が開催された昭和50年代
は、琵琶湖の環境変化、シジミの乱獲など、様々な要因により、瀬田川では絶滅の危機
にあり、
このシジミ祭は瀬田川、琵琶湖のシジミ復活・再生を目指し、瀬田川・琵琶湖
のシジミ再生機運を高め、環境保全を啓蒙を目的始められている。

 

セタシジミは琵琶湖湖岸で1960年までは大量に獲れたのだがこのシジミ、結構身体に良い。
まず、アラニンとグルタミンにはアルコールを代謝する酵素の活性を高める、メチオニ
ンが肝臓の働きを助けてくれ、タウリンが胆汁の排出を促、肝臓の解毒作用を活発にす
る。またビタミンB12は肝機能を高める。
しじみ汁にすると味噌に含まれるコリンが
レシチンという物質になり、肝臓の中に入ったアルコールが脂肪になり蓄積されるのを
防ぐ働きもある。
 さらに、しじみ汁と一緒に梅干を食べれば、梅干に含まれるピクリン
酸が肝臓の機能を高め、アルコールの体外排出を促進させてくれる。
アサリよりも小さ
いがシジミのパワーを丸ごと摂取できるからお勧めだ。
  

   瀬田川ラフティング

 

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有人ドローン出現

2016年01月09日 | デジタル革命渦論

 

 

 

    もし犬がしゃべることができれば、おそらくわれわれ人間は、人
         間同士つき合いにくいのと同じくらい、犬ともつき合いにくくな
             るであろう。

                                       チェコスアヴァキアの劇作家
                         カレル・チャペック  
 

       lf dogs could talk, pcrhaps wc'd find it just as hard to get 
         along with them l as we do with People.

  
                                     Karel Čapek

                          ※ 仮定法過去は現在の事実の反対の仮定である。just as hard
                             as ・・・ 「・・・とちょうどおなじぐらいむずかしい」。
           get along with・・・「・・・とつき合う」

                                                                                        

 

 

 

 ● 折々の読書 『法然の編集力』 7 松岡 正剛 著   

 【目次】  

   第一部 法然の選択思想をよむ

    忘れられた仏教者
   六字名号の伴/宗教は「編集」されてきた/法然に吹く風

     専修念仏への道
   父の遺言/浄土思想との出会い/末法を生きる/法然の読暦法ノ専修念仏の確
   信/山か
ら町へ乱想の凡夫として

     法然のパサージュ
     兼実の「仰せ/「選択」とは何か法然のブラウザートプリテラシーとオラ
   リティ


     「選択」の波紋
      南都北嶺の逆襲/浄土でつながる……多重な相互選択/親鸞と空也


   第二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ

    法然誕の地ノ突然の夜討ちノ時田の遺言/比叡山入山∠宝ヶ池越しに比叡山
    を望む/
18歳での遁世/浄土信仰の象徴/一向念仏則に帰す/吉水での説
    法/念仏宛洋の地/善導
との夢中対面/大原問答/大原問答の地/九条兼実
    の帰依ノ朗婉の計画ご弟fの死罪/
遊女教化/法然の臨終/法然の眠る場所


   第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

    大震災を経て/辺境から生まれる希望/仏教の土着化/日本仏教の系譜/仏
    教とイメー
ジ/法然の引き算/仏教を再読/「悪人」とは誰か/仏教におけ
    る死
  

  第一部 法然の選択思想をよむ 

  ● 法然のブラウザー

  法然が『選択本願念仏集』のなかでおこなっているのは、一方を選び、他方を捨
 てるという「選択」ではありません。すでにのべたように、さまざまな価値を導き
 出すための仏教的な方法を少しずつ多重に選び取りながら重ね合わせてこれを絞り、
 その絞った視点をもって他の価値観を読み替え、そこに思い切った断章取義を加え
 ながらぐいぐいと前に進んでいくという「選択」なのです。

  それにしても多重に取捨選択するとはどういうことなのか。すこし話が逸れるよ
 うですが、パソコンの話を例に出してみます。
  今日のウェブ社会の隆盛は、一九七〇年代にパロアルトの研究所に所属したアラ
 ン・ケイが、マルチウィンドウの概念を具現化したパソコンを提唱したことに端を
 発しています。九〇年代にはWWWの技術が登場し、私たちはインターネット上の
 ウェブサイトを自在に閲覧できるようになりました。その際、私たちが用いるのは
 ウェブブラウザーです。古くはモザイクやネットスケープといったブラウザーを使
 って、眼前に次々と現れるウィンドウをどんどん消化していくのです。

  法然には、このマルチウィンドウ型の情報処理能力やウェブブラウザーに似た情
 報選択能力が、生きた状態ではたらいていたのではないかと思います。法然は一冊
 ずつの経典や解釈書を読んだのではなく、マルチウィンドウ的に読んだのです。ま
 た、みずからがブラウザーのようになって、数多の経典や注釈書を通過しながら情
 報スクリーニングして、そのブラウザー動向のヒストリーをレジストレーションで
 きたのです。

  パソコンでは、気になる情報にタグをつけて、これらを複合的にリンキング(リ
 ンクを張ること)することが可能です。場合によってはそのリンキングの順番を明
 示
することもできるようになっている。法然にもそのようなタグ・リンキングの手
 法
があったように思います。けれども、やたらにタグをつけたり、リンクを張った
 り
はしなかった。もっとも重要なタグやリンクの線は、必ず束ねられて弥陀の第十
 八
 願と共鳴しあえるようにしたはずです。

  一方、法然はこれらの動作をすべて信仰に結びつけるために、法然独自のカーソ
 ルをことごとくぷ心仏カーソル〃にしていったのです。いわば法然はこういうパソ
 コン的な多重選択術を開発できたのではないかと思うのです。私はそれを、あえて
 法然のブラウザーと呼びたいときがあります。

  ともかくも法然の選択は、「多重微妙選択」という言葉であらわすことができる
 ように思います。『選択本願念仏集』は、その構成の全体がいわば多重選択的な分
 岐構造になっていて、法然のブラウザーは、相互にたいへん酷似し、近接しあうも
 ののなかからスラロームするがごとく選択をすすめていくのです。あるいは、次々
 にあらわれる夥しい隣接情報や界面情報のあいだを高速で擦り抜けていくようにも
 なっているのです。ですからたいへん多くの情報を通過していきながらも、何かを
 デリートすることはないみです。それでいて革新的な部分の縮約が確実にすすんで
 いくのです。

  それでは、そういったコンピュータっぽいメタファーを借りながら、あらためて
 『選択本願念仏集』に使われている言葉を眺めてみたいと思います。今度は文中の
 用語に注意してみます。
  冒頭では、聖道門と浄土門とを比較して後者を「選択」していますが、法然は聖
 道門をまるきり否定するようなことはしていません。往生を重視するならば浄土門
 を選ぶといいと言っているのであって、県道門については「閣いて」という言葉を
 つかっています。法然のブラウザーは、あきらかに県道門を通過しているのですが、
 それは「閣」という情報処理の扱いを受けるのです。

  それは、正行と雑行の対比でも同じです。ここではブラウザーは正行を「選択」
 していますが、やはり雑行を排除することはせずに、投げ捨てるようにするのです。
 はなから手にもたないのではなく、いったんは手に取ったうえで選ぶことを避ける。
 ですから、ここでつかわれているのは「巣」という漢字です。

  さらに「正行」には、読誦・観察・礼拝・供養といったさまざまな方法があるの
 ですが、それらはあくまで「助業」として「傍ら」におき、とりわけ称名念仏を「
 正
定業」としなさいと続けます。この「傍らにおくにというのがすこぶる法然らし
 い
ところです。正視はしないが脇目では見るというところです。法然のパサージュ
 と
でもいうべきで、まことにユニークです。

  このように、法然のブラウザーを動かして文章を読んでいくと、ここに綴られる
 浄土に往生するプロセスそのものが、多重微妙選択状態になっていることが如実に
 なってくるのです。数ある教義を次々に擦り抜けて、つまりは大半のインタラクテ
 ィブなインターフェースを通過して、そのうえでそれらすべてを共鳴させうる称名
 念仏を選択するという方法です。これはやはりパサージュです。

  ですから『選択本願念仏集』には批判や否定の言葉がほとんど出てきません。と
 いうよりも、法然にとって捨てるものなどないのです。デリートがないのです。そ
 れなのに法然のブラウザーは界面を次々に擦り抜けていき、そのたびに「選択」が
 進んでいくという構造になっている。弁証法もなければ、否定の神学もない。とこ
 ろが気がつくと、専修念仏と阿弥陀仏だけがすべてを擬き、共振させ、共含有させ
 ていたということになっていくのです。

  法然はざっと八万四千の法門からこのような選択をしたといわれていますが、こ
 の数はウェブサイトの質量としてもちょっとしたものです。法然はコンビニやスー
 パーの商品を無視したのではないのです。そこに「生と死のあいだの出来事」のた
 めの選択を惜しみなく作動させていったのでした。

  かつて『選択本願念仏集』を読んでいたとき、私はとても懐かしいものが思い出
 されるような気がしたものでした。それは少年のころにとりくんだ鉱石ラジオや無
 線でした。チューニングがとても難しく、周辺の周波数に乗っていた情報をちょっ
 とずつとりこんでいくのが不思議だったのです。私が法然のブラウザーに感じるの
 は、この感覚にも近いのです。
  こういった感覚は、同じ鎌倉新仏教でも栄西・日蓮・道元・親鸞ではめったに味
 わえません。文章としての味や思想書としての深みは道元に及ぶものはなく、過激
 なラディカリズムでは日蓮が圧倒し、その含意の奥行きからすれば親鸞こそが上と
 いうべきなのですが、けれども、法然にはそれらすべての端緒を決定するための、
 全プロセスを踏査した相互参照性のようなものが高速度に動いているのです。ただ
 一人、法然だけが見せてくれる驚くべき編集力であり、驚くべきテキストです。

   ● リテラシーとオラリティ

   もうひとつ、私が注目しておきたいのは、『選択本願念仏集』が口述によって
  成立しているということです。
  すでに紹介しておいたように、法然が『選択本順念仏集』を自筆で書かなかった
 のは、文章が苦手だったからだとか、文字があまり上手くなかったからだといわれ
 ます。なるほど法然がのこした消息(手紙)などを見ると、たしかに達箪ではあり
 ません。しかし、とても昧わいのある字をしたためている。『選択本願念仏集』だ
 って書こうと思えば書けたはずです。にもかかわらず、あえて口述という方法を選
 択したのは、法然が’オラリティの可能性に賭けていたからです。

  私たちの言語文化は、もともと話し言葉のオラリティと書き言葉のリテラシーに
 よって成り立っています。前者は口語、後者は文語ともいわれます。しかし、その
 中間の領域もあるのです。オラル・リテラシーあるいはリテラル・オラリティとい
 うものです。
  法然は、自分か筆をもって文章を書くというリテラシーを省くことで『選択本願
 念仏集』を成立させました。しかし、読めばすぐわかるように、それは目語で書か
 れているのではありません。ちゃんとした文語的文体をもっている。とすると、法
 然は口述時にはオラル・リテラシーやリテラル・オラリティのあいだをすばやく往
 復していたということです。

  なぜ、このような方法をとったのか。おそらくはオラリティを先行させるという
 ことが、念仏を称えるということと方法的に一致することに気がついたためだと思
 います。というわけで、この本は法然によって書かれたものではなく、話されたも
 のですから、後世に『選択本願念仏集』を手にした人たちは、眼前のテキストから
 法然の声が聞こえてくるかのように感じることになりました。これもまた、専修念
 仏を発見した人物がよくよく考えて行き着いた方法なのだと思います。

  とはいえ、『選択本願念仏集』には、法然みずからが箪をとった箇所もありまし
 た。劈頭に掲げられている、次の部分です。

   選択本願念仏集

     南無阿弥陀仏   往生の業には念仏を先とする

  引用は書き下し文ですから、原文にしてたったの一二字です。ここだけが親筆で
 記されているのはなぜなのかということは、研究者たちによっていろいろ取り沙汰
 されてきたことです。
  しかし私の見方ははっきりしています。それは、法然の専修念仏にとってほんと
 うに必要だったのがこのフレーズだけだったからなのです。いうなれば、法然の編
 集力が善導以下をここまで縮約させたのです。それぞれ題号・六字名号・宗義をあ
 らわしています。ですから、これらがもっとも重要なタイトルやサブタイトルであ
 るということになります。しかし私としては、ちょっと変わった読み方をしたくな
 ります。

  先頭の「選択本願念仏集」は、もちろん書名です。タイトル(表題)です。しか
 しこれは、この本の統合的な文意構造そのものであって、同時に法然の信仰方程式
 でもあるのです。念仏は阿弥陀が選択なさった本願であるということが、そのまま
 あらわれているのです。
  その次の「南無阿弥陀仏」も、たんなる六字名号ではありません。これは著者名
 です。「自分も阿弥陀仏によって選択されたにすぎない」という思いがあった法然
 にとって、この本を口述させたのは六字名号である阿弥陀仏そのものだったという
 思いがあったはずです。

  そして「往生の業には念仏を先とす」とは、書籍のオビについたキャッチコピー
 のようですが、これはそれ以上のテーゼであり、発仏教思想史のコンデンスなので
 す。ブッダから法然がこれを撰述した1198年までの全思想を八文字に集結させ
 たものなのです。「篇目を見て大意をとるなり」という読書法をした法然は、この
 八字にすべてを集約させる意図があったはずでした。
  言い忘れましたが、『選択本願念仏集』はとても薄い撰述書です。岩波文原版の
 本文はたったの190ページほど、しかも下段に脚註があるので三分の二ほどの文
 字組にすぎません。大部の仏教書が多いなかで、ほんとうに小さな一冊です。『枕
 草子』『花伝書』に近い薄さです。

  そんな薄い一冊であるのに、法然は不要なものを切り捨てるような「選択」をお
 こないませんでした。もちろん、たんなるセグメンテーションをしたわけでもあり
 ません。法然の立体的なブラウザーは、「多重微妙選択」という方法をもって、八
 万四千もの法門を駆け抜け、最後には称名念仏ひとつに集約させ、それをもって
 すべてを震わせたのでした。『選択本願念仏集』は、「法然の編集力」が遺憾なく
 発揮されたテキストだったのです。

 

    

 

 【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか
 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
  

 

   親士 - 『墨子』   

● 親士 ――人材尊重――

  強弓はひきしぼることがむずかしい。しかし強弓であってこそ矢が高い所にとど
 く。
駿馬はのりこなすことがむずかしい。しかし、駿馬であってこそ、重荷に耐え
 て遠くまで駆けるのだ。

 「国に入りてその士を存せざるは、すなわち亡国なり。賢を見て急にせざるは、す
 なわち緩君な
り」
 「偪臣は君を傷い、諮下は上を傷う。君必ず弗弗の臣あり、上必ず諸諸の下あり」
 「国宝を帰くるは、賢を献じて士を進ひるにしかず」
 「良弓は張り難し。然れどももって高きに及び、深きに入るべし。良馬は乗り難し。
 然れどもも
って重きを任せ遠きに致すべし」


● 失敗を成功に変えるカギ

  むかし晋の文公は、難を逃れて他国に亡命したが、のちに諸侯の盟主となった。
 斉の桓公も一度は母国を棄てたが、のちに諸侯に覇を称えた。越王勾践も呉王には
 ずかしめを受けたが、のちに中原諸国の賢君たちをおそれさせる存在となった。こ
 の三人の君主はいずれも自分の国で屈辱をこうむったが、のちに天下に功名をとど
 ろかした。
 
  むろんいちばんすぐれているのは、失敗のない人であるが、それに次ぐのは、失
 敗があってもその失敗を成功に変える人である。かれらが、失敗を成功に変えるこ
 とができたのは、人材をうまく用い
たからである。

 〈晋の文公〉紀元前ハ世紀の人、春秋時代の覇者。名は重耳。晋の献公の子で、献
 公の愛妾朧姫の讒言にあい、暗殺者の手を逃れて独に出奔した。十七歳のとき、す
 でに趙衰・狐催・貿佗・先斡・魏武子ら五人の賢人を集めていたといわれる。
 〈斉の桓公〉 紀元前七世紀の人。春秋五和の筆頭である。兄の襄公が魯の桓公を
 殺し、その夫人(実の妹)と密通しだのをはじめ、むやみに人を殺し、女色に淫し
 たので、禍いをこうむることを恐れ、菖に出奔した。のちに管仲とならんで名宰相
 とうたわれた鯨飲牙が、亡命中桓公の補佐
に当り、春秋五覇の筆頭にのしあがる下
 地をつくった。

 〈越王勾践〉 呉王夫差と会枯山で戦って敗れた越王勾践は、妻子を殺し、宝器を
 焼き、敵中に突
入して果てようとしたが、臣下の伯恙と文和に止められて思い返し
 呉王に屈辱的な講和を申し
入れて、ようやく許された。その後、国に帰った越王が、
 「会枯の恥を忘れたか」といって「臥
薪嘗胆」した話は有名である。

  入国商不存其士則亡国矣。見賢面急則緩君矣。非費無急、非士無与盧国。緩
  賢忘士、而能以其国存者、
未曽有也。昔者文公出而走商正天下、桓公去国而覇
  諸侯、越王勾践遇呉王之醜、而上懾中国之賢君。三千之能達名成功於天下也、
  皆於其国、抑而人醜也。太上無敗、其次肺而有以成、此之謂用民。

 

  

【ジャジーな風に吹かれて Ⅷ: ロードスターで恋に落ちたら

Jazz Vocal Version

 

 

午後3時になると、ひどいもので、横文字を縦に変換する作業の疲労がピークになり
オーバーヒート。休憩していると、明日は父親の年命日だと彼女が言うので
平成10
年だったからえぇ~っつと、今年が28年だから18年か?時がたつも
のはやいもの
で、あれ間違いかな?とごたごた言っていると、蝋梅を観にでかけ
たいというので、
沙沙貴神社に行きたいと、昨年(2月4日;下写真)と同じ場
所なので、石山寺にし
てみてはと逆提案。長い時間になるからいいよと部屋越し
の返事に、エンヤの『ダー
ク・スカイ・アイランド』を聴ききながら、”あの素
晴らしい愛をもう一度”を体験
しようと応じると、キモイという答えが返ってき
た。それなら、初志貫徹で「恋に落
ちる」ことに。





● 有人ドローン出現

12インチのタッチスクリーンタブレットディスプレイで目的地を選択し「離陸」ボ
タンを押すだけで、ドローンの自動飛行システム非行開始する。メガフロートと上陸
目的地を結ぶシャトルドローンの構想はすでブログ掲載済みだが(『縄すてまじ』)、
中国のEhang社が世界家電展 CES で公開。 ただし一人乗り。安全性設計には自信があると
のことだが、安全性はさておき、中国人の対応は早い。これは素直に感心する。

   January 6, 2016

 

 

 

 

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エコーズ・イン・レイン

2016年01月08日 | 現代歌謡

 

 

 

 

      問題を持ち込まないこと。スイッチ・オフできる習慣を身につける
              こと。私にとってそれは本を読むことなの。

                                                               エンヤ

                                                                                       

                                                        17 May 1961- 

 

 

 

   Wait for the sun
   Watching the sky
   Black as a crow
   Night passes by
   Taking the stars
   So far away
   Everything flows
   Here comes another new day
   Ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah

   
   Into the wind
   I throw the night
   Silver and gold
   Turn into light
   I'm on the road
   I know the way
   Everything flows
   Here comes another new day

  
 ※ Chorus
   Alleluia, alle-alle alleluia
   Alleluia, alleluia
   Alleluia, alle-alle alleluia
   Alleluia, alleluia
   Ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah

                                             ”  Echoes in Rain "
                                                                                                                                                        Music & Word 
                                                                         Enya( compser ), Roma Ryan ( ly
ricist )

彼女がエンヤの新曲が話題で聴きたいと、急に車の中で話す。どんな曲?と応えると、
わからないという。それじゃ買ったら? と問うと、そこまでしなくてもいいよと応え
る。そな会話の2日後の今夜、ネット検索して確認。レンタルで可能かを確認。なんど
も、
「オリノコ・フロウ」「オンリー・タイム」などの大ヒット曲で知られる、アイル
ランド出身・世界最高峰の歌姫エンヤが、全世界待望の新作『ダーク・スカイ・アイラ
ンド』が昨年11月20日に全世界同時リリースを決定。06年『雪と氷の旋律』以来、
7年ぶり7枚枚目となるオリジナル・アルバムだという。ユーチューブなど検索し明日、
サンミュージックで手に入れることにする。

ところで、上の「エコーズ・イン・レイン」は、行進曲リズムのオスティナート(執拗
反復)とピッチカート(擦弦)楽器の弦を指ではじいて音を出す技法)で軽快な曲に仕上
がっている。ベースは嬰ヘ短調とし、E5とB2ノートの2オクターブのエンヤのヴォ
ーカルで、自宅での長い感情の旅路を歌う。
 

  

 ● 折々の読書 『法然の編集力』 6  松岡 正剛 著   

 【目次】  

   第一部 法然の選択思想をよむ

    忘れられた仏教者
   六字名号の伴/宗教は「編集」されてきた/法然に吹く風

     専修念仏への道
   父の遺言/浄土思想との出会い/末法を生きる/法然の読暦法ノ専修念仏の確
   信/山か
ら町へ乱想の凡夫として

     法然のパサージュ
     兼実の「仰せ/「選択」とは何か/法然のブラウザー/トプリテラシーとオラ
   リティ


     「選択」の波紋
      南都北嶺の逆襲/浄土でつながる……多重な相互選択/親鸞と空也


   第二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ

    法然誕の地ノ突然の夜討ちノ時田の遺言/比叡山入山∠宝ヶ池越しに比叡山
    を望む/
18歳での遁世/浄土信仰の象徴/一向念仏則に帰す/吉水での説
    法/念仏宛洋の地/善導
との夢中対面/大原問答/大原問答の地/九条兼実
    の帰依ノ朗婉の計画ご弟fの死罪/
遊女教化/法然の臨終/法然の眠る場所


   第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

    大震災を経て/辺境から生まれる希望/仏教の土着化/日本仏教の系譜/仏
    教とイメー
ジ/法然の引き算/仏教を再読/「悪人」とは誰か/仏教におけ
    る死
  

  第一部 法然の選択思想をよむ 

 ● 法然のパサージュ

                         兼実の「仰せ」

  すでに名前だけはあげておきましたが、大原の勝林院に集った憎の一人に重源が
 いました。重源の名は、治承四年(1180)の南部焼き打ちによって焼失した東
 大寺の再建のための勧進職に就いたことでよく知られています。ところが事実は、
 当初、その依頼は法然にあったと伝えられていまり。しかし、比叡山から下りてま
 もない法然はこれを断り、代わりに重源が任じられたのです。
   
重源はプロデューサーとしての資質にとても長けていた人で、人仏殿の再建を宋
 出身の建築家・陳和卿に任せたりしています。「天竺様」という新しい建築様式が
 日本にもたらされたのは、重源による功績でした。よた、勧進のために六台の一輔
 車を作って、都の中央から伸びる街道を走らせたのですが、なんと重源みずからも
 それに乗ってい南無阿弥陀仏」を祢えていたといいます。重源は全体の構想を見抜
 く力に長けつつも奇抜な発想もできるというような、日本には稀有なタイプの人で
 した。

  その重源が、まだ再建プロジェクトが進行中の東大寺に法然を招いて、浄土三部
 経の講話をさせました。このとき法然は「私は善導和尚の書かれた書物を通して、
 
善導の意志を継ぐことを決めたのであって、私には相承血脈の法もなければ、面授
 によって口訣された証拠もないのだ」と訪ったということになっています。
  こういうことを南都仏教の大センターである収入寺でしゃべったのは、またまた
 そうとう大胆なことでした。これは、「書物がわが師だ」と言っているようなもの
 ですし、あなたがたは善導の『観経疏』にをちゃんと読んでないんですねという挑
 戦にもなっています。とくに自分の信仰には相承血脈がないと公言したのは、大胆
 ききわまりないもので、のちに南都の僧だちからこの点について逆襲を受けること
 になります。

 

  重源とともに、いやそれ以ヒにつ山ぃをドりた法然を詰るうえで欠かすことので
 きない人物は、日記『玉葉』の著者で知られる九条兼実です。兼実は関白藤原忠通
 の三男で、鎌倉開府以降も摂政や関白を務めた権力者でしたが、建七年(1196)
 に失脚してしまいます。ちなみに『愚管抄』の天台座主慈円は兼実の弟です。
  その失脚前の兼実が、文治五年(}一八九)に五七歳の法然を私邸に招きました。
 黒衣無位の念仏僧をトップクラスの貴族が私邸に招いたのですから、これはたいへ
 ん異例なことで、宮中でも画期的なことでした。おそらく大原問答の評判を聞いた
 のだと思われます。

  しかも兼実は、このあと法然から複数回にわたって授戒を受けているのです。加
 えて、
兼実の娘さんで後鳥羽天皇中宮の任子も受戒しました。これによって法然は
 宮中に参内することになるのですが、周囲では法然のような身分の低い僧侶が宮中
 に入るのはゆゆしきことだと非難する向きもあったようです。けれども兼実は平気
 の平左のようで、『玉葉』にそのことを記して、「受戒は決して軽はずみなことで
  は
ないし、身分の高い名僧だからといって近代の僧は戒律のことをまったくわかっ
  て
いない」とのべています。たいしたものです。 

  そのうち法然との縁を深めた兼実は、ぜひとも専修念仏の教えを著作にまとめて
 ほしいと要請します。法然も最初はいささか渋ったようですが、結局は引き受けた。
 そこで撰述されたのが『選択本願念仏集』です。つまり、この本は自主的に書かれ
 たものではなく、九条兼実の「仰せ」がなければ目の目を見なかったのです。この
 ようなかたちでの執筆は、栄西・目蓮・道九・親鸞などがそれぞれ自信のある著作
 をのこしていった動機とは一線を両しています。
  それに法然は、この本を自分で書いたわけではなかったのです。『法然上人行状
 
絵図』などによると、法然が話したものを弟子の安楽房遵西や真観房感西らが執筆
 したとされています。むろん法然自身の口述が何日にもわたって続いたと思われま
 すが、それなら自分で書けばよいものを、それをしなかったというのは、じつのと
 ころは文章が苦手だったようなのです。これについては、のちに法然を痛烈に批判
 した華厳密教僧の明恵も指摘しています。

  もちろん生前の法然が書きものを何ひとつのこさなかった、というわけではあり
 ません。法然が交わしたいくつかの手紙(当時はこれを『消自タとょんだ)もあり
 ますし、
法然が入滅の二日前にしたためた有名な「一枚起請文」もある。けれども、
  本とい
うかたちで法然が執筆したと確認できるようなものは、一点も残されていな
  いので
す。これはどういうことなのでしょうか。文章が苦手たったとも書がヘタだ
  ったと
も考えられますが、私は別な才能に艮けていたと想像しています。

  第一には、きっと類いまれな読書フェティッシュだったのです。少年時代からあ
 まりに読書が好きなため、本の中にこそアクチュアリティを感じとれるようになっ
 たのだと思います。私はこういう人物を何人も知っています。第二には、話すこと
 の天才だったのではないか。おしゃべりだというのではなくて、話すうちに集中力
 が高まり、話せば話すほどに構想が浮かんでくるのです。むろん、こういう人物も
 けっこういます。
  
しかし第三には、ここからが大事なことですが、本で読んだことと話していくこ
 ととが、独特に重なりあい、その組み合わせのなかから新たな「読み替え」が生ま
 れてくることを知っていたのだと思うのです。ということは第四に、そのことを文
 章で綴るのがまどろっこしくて、むしろ次々に組み替えられていく新たな構想を、
 自身で観照することに夢中になれるということなのです。これはきわめてヒューリ
 スティック(仮説形成力)な異能性が高かったということでしょう。

  ということだとすると、法然は大半のことがアクマの中で編集できただけではな

 く、いくつかのキーコンセプトやキーフレーズによって、信仰的情報を組み立てな
 おしていたということなのです。そのことは、永観の「往生拾因』に善導の『観経
 疏』についての一心専念を発見すると、そこから善導のテキストに入ってこれを読
 み替え、さらに弥陀の四八願のうちの第十八願との逢着をもって、一気に全体を組
 み立てなおすということに、如実に見えてくることでした。

  ひるがえって、『選択本願念仏集』では、法然は口述という方法をとって弟子た
 ちに聞き書きをさせたわけですが、そこには、以上のような法然の思想編集力が躍
 如したのであって、よくよく『選択本順念仏集』を私たちが読めば、その思考の組
 み立ての跡が見えてくるはずなのです。少なくとも私には、そうした編集の飛躍と
 交合が、そこかしこにあらわれているように感じます。このことについては、また 
 あとで論じます。
  
  いずれにせよ、法然は兼実の願いを聞き入れました。それでも法然は『選択本願
 念仏集』の末尾部分で、「このたび思いがけず仰せをいただいたが、お断りするこ
 ともできず、未熟な私ではあるが念仏を説いた肝要な文を集め、それに解説を加え、
 念仏の大切さを説き明かした。思えば恥知らずもはなはだしい」とちょっと謙遜し
 ています。ここからも推測できるように、この撰述は法然と一門とによる乾坤一擲
 の共同編集となりました。法然、六六歳のときのことでした。

                        「選択」とは何か

  さて、あらためて強調しておきますが、『選択本願念仏集』は日本有数の編集的
 仏教諭とでもいうべき書物です。法然が恩着せがましく教義を説くというよりも、
 その「選択」と「編集」が、読む者を導いて「専修念仏」を照らし出すような構成
 をとっています。そのみごとな手法を見るために、そもそも『選択本願念仏集』に
 は何か書かれているのか、まずはその中身をざっと確認したいと思います。
  法然は、まず最初に中国の道棹が書いた『安楽集』にもとづいて、仏教を「聖道
 門」と「浄土門」とに分けています。そして、聖道門とは深遠難解な哲理による自
 力修行をもって悟りをめざすものですから、末法の世に往生することを重視するの
 ならば、浄土門に帰入すべきであると主張します。法然の議論の出発点がここにあ
 ったことは、すでに大原問答のところでのべたとおりです。

  道棹は七世紀初頭に曇鸞にインスパイアされて中国浄上教の門に入った傑僧で、
 『観無量寿経』を二〇〇回講じ、一日に七万遍の念仏を称えたといわれます。小豆
 で数をかぞえる「小豆念仏」も思いついた。ちなみに中国の浄土教は五世紀の慧遠
 が白蓮社という念仏結社をつくったことから本格化して、曇鸞、道棹、善導、慧目
 というふうに発展継承されました。
  ついで、善導が著した『観経疏』には大いに注目すべきだということを何度も強
 調します。このあたりから、だんだん引用も多くなってくる。そして、往生するた
 めに必要な行を「正行」と「雑行」とに分類し、称名念仏の重要性をあきらかにし
 ていきます。善導を引きながら「専ら往生経に依って行を行ずる者」を正行、「已
 外の自余の諸善」を雑行と位置づけるのですが、正行のなかでも、とりわけ弥陀の
 名号を称える念仏こそが「正定業」であるとします。この行に徹することで往生が
 約束されるのは、「かの仏の願に順ずるが故」である、つまり阿弥陀の本願なのだ
 という根拠でした。

  さらに続けます。称名念仏による往生は、阿弥陀仏のいらっしやる極楽浄土に往
 生したいという気持ちのもち方によっていて、それは「至誠心」「深心」「廻向発
 願心」の三心であらわすことができるのだから、念仏行に徹するものは、その心を
 もったうえでぃ恭敬修」「無余修」「無間修」「長時修」といった四修の法に臨む
 べきであると解説します。そしてクライマックスでは、阿弥陀仏がどのような存在
 であるかを存分に論じて、ついに「敬善」の可能性を説いていくのです。
  ざっといえば『選択本願念仏集』の流れはこのようになっているのですが、その
 流れはフラットではなく、法然は八万四千の法門からスタートして、往生の方法を
 荒縄をなうように専修念仏へと収斂させていくのです。まことにもってみごとな選
 択、卓抜な編集だと思います。

  ではここで、『選択本願念仏集』に、いったいなぜ「選択」という言葉が冠せら
 れているかという核心的な問題を考えてみようと思います。それは法然が気がつい
 た「選択の相互作用」とはどういうものだったのか、ということです。そもそも専
 修念仏が法然による革新的な選択だったのですが、その思想的根拠は「念仏こそが
 阿弥陀仏の選択本願である」というものでした。ここでははやくも「選択」が二重
 化あるいは三重化しているのです。

  まず法蔵が四八頭をたて、その第十八順において阿弥陀仏がその名を称える者を
 選択しています。ついでこの「弥陀の本願」を善導が『観無量寿経』の解釈で選択
 しなおし、そこにフォーカスされた散善義としての念仏を、さらに法然がもともと
 の「弥陀の本願」への照射をもって選択しているのです。これでもけっこうシンプ
 ルに説明したのですが、じつはこれらのプロセスのなかだけでも「選択」は相互に
 動きあっています。なかなかややこしい。ややこしいのではありますが、そこに法
 然の真骨頂があるので、そこに分け入りたいと思います。

  が、その前に法然のいう「選択」はどういう意昧なのか、それはどのような行為
 ととらえればいいのか、そこを知ってもらいます。『無量寿経釈』にはこうありま
 す。「選択とは、すなわちこれ取捨の義なり。いわく210億の諸仏の中において、
 人天の悪を捨て人天の善を取り、国土の醜を捨て国土の好を取るなり」。きわめて
 単純明快に定義づけられています。これを『選択本願念仏集』では次のように説明
 します。

   選択とは、すなわちこれ取捨の義なり。
   いわく210億の諸仏の中において、人大の悪を捨て人大の善を取り、国土の
  
醜を捨て国土の好を取るなり。大阿弥陀経の選択の義かくのごとし。双巻経の意、
  また選択の義あり。いわく210億の諸仏の妙土の清浄の行を摂取す。と云うこ
  れなり。選択と摂取と、その言異なりといえども、その意これ同じ。しかれば不
  清浄の行を捨てて清浄の行を取るなり。
                          (『選択本願念仏集』)

  法然は『大阿弥陀経』や『双巻経』を引きあいに出しながら、みかけの言葉こそ
 ちがって見えるけれど「選択」と「摂取」は同じ意味だと説明しています。これが
 とりあえずの「選択」の意味です。ちなみに『大阿弥陀経』とは『無量寿経』の編
 集異訳のことで、『双巻経』はその大衆バージョンの『無量寿経』であると考えて
 
ください。
  法然が引用したいずれの文献でも、ほとんど同じ定義がされています。ありてい
 にいえば、っ選択」とは「善」や「好」といった必要なものを選び取って「悪」や
「醜」といった不要なものを捨てることです。
  しかしそんな程度のことが「選択」なら、あまりたいした意味ではないように思
 われます。私たちが常日ごろおこなっている「選択」と何ひとつ変わらない。そう
 計しがりたくなります。膨大な情報に取り囲まれている現代人にとって、何かを選
 び取って、それと並立する何かを捨てるなどという選択は、日常茶飯です。パソコ
 ンやケータイではそんな選択ばかりしています。

  では、ほんとうにそうなのか。われわれはつねに適切な選択をしてきているので
 しょうか。レストランで食事のメニューを選び、高校や大学や会社を選び、選挙で
 は候補者を選んでいるけれど、それはどの程度の選択なのでしょうか。われわれは
 そのつど何かを選び取っているようでいて、ひょっとすると根源的でクリティカル
 な「選択」をしていないのかもしれないのです。

  いや、選択していないことのほうがずっと多いともいうべきです。コンビニやス
 ーパーの商品、書店に温れる書籍たち、ケータイで消したり点けたりしている情報、
 数秒間に数百万も流れるツイッター情報……。われわれはこれらを総じて点検した
 ことなど、一度もないのです。のみならず沖縄の基地や原発設置を選択したわけで
 もないのです。そうだとすると、ほとんどの情報はすえおきのものであり、多くの
 社会用品はデッドストックなのかもしれません。

  では、このようなことを、いったいどのように考えればいいのでしょうか。法然
 はどうしたかというと、目の前で父を殺されたのを目撃して以来、生と死のあいだ
 にある出来事をどのように考えればいいかということを、仏教の教義のなかで選択
 したかったのでした。

  けれどもそれに向かってみると、生と死のあいだの出来事を徹底して考究したは
 ずの経典や解釈書はあまりに膨大であり、しかも読んでいくうちに法然にひらめい
 た直観や思索が、経文や解釈文のなかで変形させられてしまいます。もっとも大事
 なところをつかまえて、その支点や視軸によって全体を読もうとしても、いつも何
 かが歪んだり、逃げていってしまうのです。しかしながら法然は、そうした読書を
 通してなんとか自分の思考が結着していく編集方法を模索します。そして、それに
 は「選択すること」と「選択されること」の相互関係を発見することこそが必要だ
 ということに気がつくのです。

  これは選択作用を雲散霧消させないための「鍵と鍵穴」を思いだす作業に似てい
 ました。こうしてあるとき、聖道門ではなくて浄土門の鍵や、定善ではなくて散善
 の鍵が、阿弥陀の第Tハ願という鍵穴によって、ぴたりと選択的相互作用の関係を
 維持してくれるだろうことを発見したのです。

  法然の「選択」とは、さまざまな価値観をスクリーニングしながらエッセンシャ
 ルにしていく過程であり、ひとつひとつがよりクリティカルになっていく方法のこ
 となのです。こうして法然は何度も「選択的相互性」を重ねていくことで、また引
 き算をしていくことで専修念仏に絞っていったのでした。それをあえて横文字で説
 明するとすれば、コンデンセーションやダイジェストやコンプレッションであり、
 またペネトレーションやパティキュラリゼーションだということになるかもしれま
 せん。法然にはきっと「情報」の足し算と「本質」の引き算が同時にできる才能が
  あったのだと思います。それが法然のという人の「編集力」なのです。

                                                            この項つづき


 

 【ジャジーな風に吹かれてⅦ:カウント・ベイシー 】

 

 

『ベイシー・イン・ロンドン』は、後者の最高傑作の一枚。ベイシーのピアノが最小
の音符を使ってバンドをフル・スイン
グさせ、名だたるメンバーが次々に快調にソロ
展開。ジョー・ウィリアムスのダイナ
ミックなボーカルを交えて饗宴はクライマック
スヘ。そこから「 Corner Pocket 」を今夜の一曲に選ぶ。

 

 

 

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進化するドローン

2016年01月07日 | 時事書評

 

 

 

 

    すべての欲望を
       捨て去ることなどできない。
       また、そこまでする必要もない。

       ただ、あまりにも
       不必要なものに囲まれていると、
        自分とは何者なのかが
       見えにくくなってくる。

                   加島 祥造

 

【日本最古の「ため池」のまち:再生エネで化石燃料ゼロへ】

大阪府の南部に位置する大阪狭山市は、再生可能エネルギーと水素を活用する新たなま
ちづくりプロジェクトを開始した。産学連携組織である「グリーン水素シティ事業推進
研究会」が主体となり、再生可能エネルギーで製造した二酸化炭素フリーな水素の供給
インフラを整備するなど、化石燃料を使用しない「グリーン水素シティ」の実現を目指
すという(スマートジャパン 2016.01.06)。下図がその計画骨子の概説である。

(1)水素発電と電力貯蔵事業、(2)再生可能エネルギー事業、(3)市内全域を対
象としたエネルギーマネージメントシステムの構築およびWi-Fi事業、(4)水素自動車・
水素バス事業、(5)公共公益施設の省エネルギー改修事業などの5つモデル事業を中
心に展開していく。この事業の後背に、約140カ所、市面積全体の約1割を占めるほど
多くのため池がある。中でも最大の「狭山池」は現存する日本最古のダム式ため池で、
16年で築造から1400周年を迎え、これを機に水素を活用した発電と電力供給事業
を手掛ける「メルシーfor SAYAMA」を同市の百%出資で設立、同社は恩恵を受けてきた
「水」をキーワードに、「水素」と「ため池」を結び付け、「活用(地産地消)」「利
益(財源)」「自立」を目的にグリーン水素シティの実現を目指す。

 

 

  

【燃料電池ドローンが登場、水素が飛行時間を数時間レベル】

● 進化するドローン

英国Intelligent Energy(インテリジェントエナジー)は、燃料電池の開発や研究を進めるエネル
ギー技術企業だ。燃料電池自動車(FCV)や民生機器向けや分散型電源システム用のなどの燃
料電池について研究開発を進めている。同社グループでは、25年以上にも及ぶ研究開発により、
燃料電池についての多くのノウハウや特許を持ち、千以上の特許と四百以上上の特許ファミリ
を保有。これらの燃料電池のノウハウを生かして開発したのが今回の米国ラスベガスで開催さ
れる民生機器の展示会「CES2016」に試作機を出典する。参考:燃料電池搭載ドローン(下図)。 

 

今回の同社の開発した燃料電池搭載ドローンでは、燃料電池をメインのモーターの駆動
用に使うのではなく、航続距離を伸ばす「レンジエクステンダー」(航続距離延長装)
置の役割で搭載。現在のドローンは市場が急成長する一方で、電池の問題で航続距離が
短かったり、電池の充電時間が長すぎたりして、利用範囲の制限を受けている状況。同
社が開発したドローンではバッテリーと軽量の燃料電池スタックを組み合わせることで

大幅に航続時間を伸ばし充電時間を短縮することに成功したとしている。現状では20
分程度の航続時間を、数時間程度に伸ばすことに成功した他、1~2時間かかっていた
充電時間をわずか2分に短縮することができたという。これらによりドローンの非稼働
時間を大幅に削減することが可能になる。

同社ではこの10年間、ボーイング社の研究部門であるBoeing Phantom Worksと共同で、
商業ベースでの燃料電池飛行機を使った有人飛行の実現に向けた研究開発を進めてきた。
また、エアバスと共同で燃料電池を補助動力装置についても研究開発を進めてきた。
14カ月前には、燃料電池とバッテリーのハイブリッドシステムでドローンを飛ばす試
験飛行も行っている。テストは2つのパターンで行っており、1つは燃料電池のみの動
力で飛ばす形、もう1つは燃料電池と通常バッテリーを組み合わせたものだ。またカメラに
ついても安定した映像で途切れなく撮影できる。

【関連特許】  US 9174843B2  Valve having concentric fluid paths

 

図1 液体反応物を受信し水素ガスを出力するための同心のバルブアセンブリを有する
   水素発生器を含む燃料電池システムの概略図
図2 図2に示す弁アセンブリを有する水素発生器の斜視図
図3 図2の水素発生器の断面図

【要約】

バルブアセンブリは、同心の流体経路を備え、水素発生器と水素ガスと液体反応物を輸
送する水素発生器で使用できる。バルブアセンブリは、ハウジングと、第2の流体路、
第1流体経路に配置された第1弁部材、および第2流体経路内に配置された第2弁部材
を含む。また、第2の細長い部材を含む第1の流体が第1流体経路を通って流すことが
できるように、第1弁部材を開くために、第1バルブ部材と係合構成(つなぎ合わせ)
した第1の細長い部材、第2流体ポート、コネクタを含む第2の流体経路を通って流れ
る。さらに、第2の流体経路は、少なくとも第1の流体経路の一部を同心で囲む。

※ 参考特許

・US9,231,351  Smart plugs, smart sockets and smart adaptors 
・US9,056,768  Hydrogen generator and fuel cartridge 
・US9
,029,040  Fuel cell stack and compression system therefor 
・US9,051,183 Hydrogen generator having reactant pellet with concentration gradient 
・US9,051,183  Hydrogen generator having reactant pellet with concentration gradient 
・US9,111,124  Key verification of replaceable fuel cartridges 
・US9,142,849  Pump assembly for a fuel cell system 
・US9,162,201  Hydrogen generator having liquid delivery member 
・US9,174,843  Valve having concentric fluid paths 

 

    

 

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか
 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
  

 

  ※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。

   非儒 - 『墨子』   

● 偽善者、孔子


孔子はまた、魯国の司寇(司法長官)となったとき、魯の宗室のことはかえりみず、権

臣の季孫にばがり奉仕した。季孫が、魯の君主の宰相であったとき、国外逃亡を企てた
ことがある。それが露見して関守と争ったときには、孔子は力まかせに関所の門柱を引
き抜いて、季孫を逃がしてやったりしている。

 孔子はまた、陣と蔡との国境で進退きわまり、十日間あかざの汁だけで、穀物は一粒も


口にできなかったことがある。そのとき子路(孔子の弟子)が豚の肉を煮てすすめたと
ころ、かれは、どうして手傷 に入れたかききもしないで食った。また、子路が追剥を
動き、その金で酒を買ってすすめると、どうして手に入れたかききもしないで、飲んで
しまった。それなのに、その後、哀公に迎えられたときには、席順がまちがっていると
いって坐らず、食事を出されると、料理の仕方がわるいといって食べなかった。

 子路が進み出て、
「陣、蔡のときは、こんなことはおっしゃらなかったではありませんか」
 とたずねると、孔子は、
「こちらへこい。説明してやろう。あれはあれ、これはこれだ。あのときはどんなこと
をしても生命さえ保てばよかった。だがいまはちがう。少しは義らしいものをみせなけ
ればいけない」とこたえている。
 食物がなければ、どうやって手に入れたものであろうがおかまいなしに食うくせに、
たらふく食えるときには、人目をごまかして自分を飾ろうというのだ。世の中にはずい
ぶん憩い奴がいるが、これほど陰険な奴はいない。
 また、孔子は、その門弟だちとくつろいでいたときに、
 「舜は、天子として軒叟(舜の父)に会うと、子の自分が父を臣下にしているため、
聖入らしくもなく気おくれし、不安の色が顔にまで現われたものだ。子が父を臣下とす
る有様だったから、天下は危機に瀕した。
 また、周公示は仁者ではない。自分勝手に家族を棄てて東国に寄寓したものが、どう
して仁者であろうか」と放言したものだ。

孔子の言行は、その心ざまの現われである。弟子たちはみな、孔子をみならった。子貢
と墨跡は乱作を助けて衛国で乱を起こしたし、陽貨は斉で乱を起こした。魯の仏肸は中
牟の地で謀叛し、漆雛は処刑の憂き目にあっている。これほど門下から乱賊が出た例も
珍しい。 弟子や後輩は、みな師の言葉を学び、その行ないを模範にして、せいいっぱ
い努力するものだ。孔子の言行が以上のようなものであるからには、その流れを汲む現
在の儒者なるものは、信用しないほうが賢明である。

 


〈関所の門柱を引き抜く〉原文は決植(狛を決す)。この部分は脱文が多く、定説はな
い。『呂氏春秋』慎大幅には、「孔子の勁き、よく国門の関を挙げしも、力をもって聞
ゆるを肯んぜざりき」とあり、また『淮南子』道応訓には、「孔子の勁き、国門の関を
杓く」とある。おそらく、季孫が逃げる時に、城門がしまってしまい、逃げ出せなかっ
たので、孔子が城門をこじあけてやったのであろう。事実だとすると、孔子はよほどの
力持であったらしい。

〈予言と季路〉季路が叛乱を起こしたのは、魯の哀公十丑年のことで、孔子の死ぬ一年
前である。当時、かれは衛の大夫孔佃の家臣であった。衛の霊公は、太子の副順が気に
食わず、国外に追放してしまった。霊公の死後、剔順は国に戻ってきて、孔憚をおびや
かし、王位をうばいとった。そのとき、季路は剔順に反抗したため、斬り殺され、死体
はしおからにされたという。子貢が当時、季路といっしょにいたかどうか確かではない。

 



        

 孔某人做了魯國的司寇、放棄公家利益而去侍奉季孫氏。季孫氏為魯君之相而逃亡。
 季孫和邑人爭門關、孔某把國門托起,放季孫逃走。
孔某被困在陳蔡之間,用藜葉做
 的羹中不見米粒。第十天、子路蒸了一只小豬、孔某不問肉的來源就吃了。
又剝下別
 人的衣服去沽酒、孔某也不問酒的來源就喝。后來魯哀公迎接孔子、席擺得不正他不
 坐、肉割得不正他不吃。子路進來請示曰。為何與陳蔡時的相反呢。孔某說。來我告
 訴你、當時我和你急于求生、現在和你急于求義。在饑餓困逼時就不惜妄取以求生、
 飽食有余時就用虛偽的行為來粉飾自己。污邪詐偽之行、還有比這大的嗎。

 孔某和他的弟子閑坐、曰。舜見了瞽叟、蹙躇不安。這時天下真危險呀。周公旦不是
 仁義之人吧、否則為何舍棄他的家室而寄居在外呢。孔某的所行、都出于他的心術。
 他的朋輩和弟子都效法孔某。子貢、季路輔佐孔悝在衛國作亂。陽貨在齊作亂。佛肸
 以中牟反叛;漆雕開刑殺。殘暴沒有比這更大的了。凡是弟子對于老師、必定學習他
 的言語、效法他的行為、直到力量不足、智力不及才作罷。現在孔某的行為如此,那
 么一般儒士就可以懷疑了。



《解説》孔子の国、魯に生まれた墨子は、はじめ儒家に学んだ。しかもこれに叛旗をひ
るがえし、思想的な一大敵国を形成するに至ったのは、かれが庶民の出身だったという
ことと無縁ではない。儒家の支特別である。”君子”とは、まったく立場が異なるばか
りでなく、体質的にも反撥するものがあったにちがいない。しかも孔子が没して後の儒
家の末流は、形式のとりことなり、「非儒編」のことばをかりていえば、”とむらい屋”
になり下っていた。

墨子にとって、王侯覇者の権力に奉仕している儒家の徒は、まさに唾棄すべき存在であ
った。……かれらは、他人に寄生して飲み食いし、他人の畑をあてにして威張りかえっ
ているのだ、と。「君子は作らず。述ぶるのみ」という儒家のエリート意識jインテリ
の思い上りを、墨子は鋭く衝く。「われおもえらく、古の善きものはすなわちこれを述
べ、いまの善きものはすなわちこれを作るべしと。善のますます多からんことを欲する
なり」(耕柱編)。

わたしたちは、この墨子のことばに、いわゆる。先王之道〃にとらわれぬ、柔軟な庶民
の思考をみる。実践を理論の優位において、日常不断の運動の中から明日の倫理を築い
ていこうとする行動入墨子の面目躍如たるものがある。もっとも、「非儒編」は、後代
の墨徒が私説(私憤?)を大いにまじえて書いたものともいわれ、儒者に対するいささ
か非論理的な悪口がならべたててあって、かんじんの墨子の思想は影がうすくなってい
る感なきにしもあらずである

尚、次回は「親士――人材尊重」。

 

 

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混沌ゆえ鮮明に

2016年01月06日 | 時事書評

 

 

 

       タオは天と地のできる前からある。
               その状態は
               あらゆるものの混ざり合った混沌だ。
               そこには
               ほんとうの孤独と静寂に
               満ちていて、すべてが
               混ざり合い変化し続ける。
               あらゆるところに行き渡り
               すべてのものを産むのだから
               大自然の母といっても良いかも知れぬ。

               こんな混沌は名づけようもないから、
               私は仮に”道・タオ"と呼ぶんだが、もし
               この働きの特色はなにかと、訊かれれば
               「おおいなるもの」と応えよう。
               それは大きなものだから
               遠くまで行く。
               遠くまで行くから
               帰ってくる。

               このタオの偉大さを
               受けついだ天は偉大なのだ。
               その大地にいる人間だって
               タオにつながる時は偉大なんだよ。
               だってそのひとは
               大地に従っていきるからだ。
               大地は天に従っているし
               天は道(タオ)に従い
               道(タオはそれ自体。自らの動きであり、それこそ
               最も大いなる自然といえるんだ
                                  

                                                                       加島祥造 『タオ――老子』第25章

 

 【混沌の2016年】 

    

安定性を脅かす政治的、地政学的動向のユーラシアグループの年次リストが話題となっ
ている。それは昨年度のリスク・トップ10の予測の的中率があまりにも高かったから
だ。今年はどうか?予測のナンバーワンに「大西洋同盟(パートナーシップ)の空洞化」
を挙げている。世界有数の外交政策の専門家の一人によると、大西洋同盟の空洞化は、
2016年は世界が直面する最大のリスクであり、前例のない世界的な不安定性に直面
するとする。ここでいう「「大西洋同盟(パートナーシップ)」は、欧米(コア:英米)
で、パックスアメリカーナの衰退をコアとした欧州共同体の分裂連鎖を意味する。具体
的事例として、米国の中東政策――アフガニスタン、イラク、リビア、マリ、シリア、
イエメンでの失敗、英国の急速な中国の融和政策、中国経済成長の失速懸念などである。

1)大西洋同盟の空洞化:過去70年間で最も弱体化→ロシアのウクライナ介入、シリ
 アの紛争
2)欧州共同体の弱体化:格差拡大、難民、テロ、草の根民主主義の政治的圧力増大
3)中国の台頭:政治経済に与える影響が唯一ゆえもたらされる政治経済・環境問題な
 ど不確実性
4)イスラム国と同調者:フィリピンからナイジェリアの信者や同調者集めることがで
 きる世界で最も強力なテロ組織でそのターゲットは、スンニ派イスラム教徒(イラク、
 レバノン、ヨルダン、エジプト)、フランス、ロシア、トルコ、サウジアラビア、米
 国、イスラエル、全欧州諸国
5)サウジアラビア:今年王室内の不和と不安定な経済成長、イランとの国交断絶以降
 の二国間紛争の拡大懸念
6)技術者の台頭:技術世界――シリコンバレー企業からのハッカーグループとハイテ
 ク慈善家など多数かつ多様で非国家主体の前例のない政治要求の影響
7)予測不可能なリーダー:ロシアのプーチン大統領、トルコのレジェップ・タイップ・
 エルドアン、サウジアラビアの副皇太子モハメッドビンサルマン、ウクライナのペト
 ロ・ポロシェンコの指導者の予測不可能な影響
8)ブラジル:ジルマ・ルセフ大統領の政治手腕の脆弱性
9)未成熟な選挙:新興市場は、14年から15年に国政選挙の歴史的転換期に当たっ
 たが経済成長の停滞とともに民衆の不満が高まる
10)トルコ:タイップエルドアン大統領の権力集中にともなう経済不振とイスラム国と
 シリア(米国とロシアの代理戦争状態)への関与の不確実性

以上、「リスクトップ10」の概要だが、北朝鮮の水爆実験成功?などは当然入ってい
ないが、ロシア、中国リスクは評価不足のであろう。 

 

 ● アベノミクスの失敗と改憲

翻って、日本はどうだろうか?親ポスト・ケイジアン、リフレ派、創憲派のわたし(た
ち)からみれば、山田厚史 の『「分配」を言い始めた首相の焦りに透けるアベノミクス
の失敗』(ダイヤモンド・オンライン)で経産省内閣とも言われる安倍政権は、財界や
強い産業の要望に沿った政策を採用する。法人税減税、労働者の非正規化、TPP推進
、原発再稼働、円安の推進。経産省が推進する大企業寄りの政策がてんこ盛りだと指摘
した上で、日本を代表する企業が儲ければ、国民経済が豊かになる、という構図は前世
紀で終わった。競争と市場原理だけでは貧富の差が拡大するのは世界で実証済みだ。成
長がすべての人を底上げする経済ではない。一人当たりのGDPで日本は世界ランキン
グで後退するばかりだが、394万円(15年)は、決して低い額ではない。皆で分け
合えばその半額でも十分な暮らしができるとして、アベノミクスが失敗だと結んでいる
が異論なく、「デフレ脱却できず失敗」だ。問題は、同じ『山田厚史の「世界かわら版」
』の前回の「財務省完敗で消費再増税に暗雲、国債暴落危機が始まる」(2015.12.24)
で、「安倍政権・官邸、恐るべしの政治。これが政治か。軽減税率でここまで妥協する
とは。これで完全に憲法改正のプロセスは詰んだ。来夏の参議院選挙で参院33分の2を
達成すればいよいよ憲法改正。目標達成のための妥協。凄すぎる」と前橋元徹大阪市長
のツイッターを引用し改憲批判を述べ、「昨年末の総選挙で安倍政権は、公約した増税
を延期した。その直後、米国の格付け機関ムーディースは日本国債を「格下げ」した。
延期となれば、国債信用は更に低下するだろう。その時、市場で何が起こるのか」と
結んでいる。「改憲」と「積極的平和主義」との関係はこのブログで記載しているがら、
ここでは割愛するとして、「消費税増税再延期疑念」と「国際下落」は連動するから反
対とする考え方に不同意であることもブログ掲載してきているからわたし(たち)の立
ち位置は明確で、反財務省派である。

 Click here !
 

これに関しは同じ、ダイヤモンドオンラインで「高橋洋一の俗論を撃つ!」の『「お札
を刷って国の借金帳消し」ははたして可能か』(2015.12.17)で明確に、インフレ目標
論――2013年度末の国のB/Sで見ると、資産は総計6533兆円。そのうち、現
金19兆円、有価証券129兆円、貸付金138兆円、出資66兆円、計352兆円
比較的換金可能な金融資産である。そのほかに、有形固定資産178兆円、運用寄託
金10
5兆円、その他18兆円。負債は1143兆円。その内訳は、公債856兆円、
政府短
期証券102兆円、借入金28兆円、これらがいわゆる国の借金で計976兆円。
運用寄
託金の見合い負債である公的年金預り金112兆円、その他445兆円。先進国
と比較し
て、日本政府のB/Sの特徴を言えば、政府資産が巨額なことだ。政府資産額
としては
世界一である。政府資産の中身についても、比較的換金可能な金融資産の割合
がきわめて
大きいのが特徴的だ。アバウトに言えば、しばしば政府の借金1千兆円とさ
れるが、こ
れはグロスの数字であり、ネットの純債務は500兆円である。しかも、こ
れは政府の
単体B/Sの話であり、日銀との連結B/Sで考えれば、純債務はさらに減
少する。直
近の日銀の営業毎旬報告(上表)を見ると、資産として国債326兆円、負
債として日
銀券94兆円、当座預金239兆円となっている。ここもアバウトに国債3
00兆円
日銀券300兆円と見れば、政府と日銀の連結B/Sでの純債務は200兆円
になる―
―と述べ、弊害の大きい1千兆円の政府紙幣の1枚の印刷で借金を解消するよ
りイン
フレ目標(2~3%)の着実な達成の方が現実的※だと述べている。

※ シニョレッジ(通貨発行益)とはそれはシニョレッジを大きくすればするほど、イ
  ンフレになるということ。だから、デフレの時にはシニョレッジを増やせるが、イ
  ンフレの時には限界がある。その限界を決めるのがインフレ目標である。インフレ
  目標の範囲になるように、お札を刷ってシニョレッジを稼げという論理。

それではどうするのか?その解答もこのブログで掲載済みだ(成長戦略『双頭の狗鷲』)。

 

【植物を丸ごと透明化し観察する技術】

昨年10月28日に公表された、名古屋大学の研究グループの植物を解剖せずに、丸ご
と透明化して観察できる試薬が紹介されていた。内部の観察の際には蛍光色素で染めた
後、特殊な顕微鏡で見るが、植物の場合、葉緑体の色素クロロフィルが邪魔をして、葉
の表面しか見えなかったのを、「ClearSee(クリアシー)」という試薬で、マ
ウスの脳細胞の脂質除去技術を応用し、アルコールや界面活性剤など24種類の化合物
を組み合わせた。植物をホルマリン固定した後、この試薬に4日間浸すと、クロロフィ
ルが除去できるという技術で、ClearSee技術は植物を蛍光観察するための基本
的な技術となり、細胞レベルの現象と個体全体をつなぐシステムの解明など、世界中で
植物科学研究が加速していくことが期待されるというから、「新弥生時代」さらに進化
発展していくのだろう。これは新年早々の「メリットトップ10」の話かもしれない。

   doi:10.1242/dev.127613

【抗癌最終戦観戦記 Ⅴ】

● がん細胞だけを狙い撃ち、放射線治療が最終治験

これはちょっと物騒な装置システムだが、国立がん研究センター中央病院と総合南東北
病院(福島県)、大阪医科大(大阪府)の3病院が今月から、がん細胞だけを狙い撃ち
する放射線治療「ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)」の実用化に向けた最終段階の臨
床試験(治験)を始めるという話題。悪性脳腫瘍を再発した患者を対象に、生存率など
から治療効果を検証し、早ければ5年後に入院費などの一部保険がきく先進医療の認定
を目指す。BNCTは、がん細胞に取り込まれやすいホウ素薬剤を患者に点滴し、体へ
の影響が少ない中性子線を照射する。ホウ素は、中性子線を吸収して核分裂した際に放
射線を出し、がん細胞を内部からたたく。放射線の射程は細胞1個分ほどで、周囲の正
常な細胞を傷つけにくいとされる。

妙な気持ちになるのは、たとえば、福島原発事故で脳腫瘍の罹患者をこの装置システム
を治療するというケースも考えられるわけだから、再生医療もそうだが、何となく気持
ちが悪いがまあここは前向きに考えよう。

※ 関連特許

特開2015-217207  中性子捕捉療法装置及び核変換装置 住友重機械工業株式会社
特開2013-208257  中性子捕捉療法用コリメータ及び中性子捕捉療法装置 住友重機械工
         業株式会社 他 
特開2004-233168  中性子捕捉療法に用いる中性子遮蔽板、およびヒト以外の哺乳動物
         に対して行なう中性子捕捉療法、ならびに治療用中性子照射装置 独
                 立行政法人 科学技術振興機構

 ● 




またたくまに一日が過ぎた。何かを求めてやっているのだが、何も生み出せずに、無駄

な一日を過ごしたようで、自分が哀れで、悲しく思うことがある。またたくまに一日が
過ぎようとしている。長くて短い命だ。軽くてやりきれない一日が過ぎる。鮎川も、吉
本も、加島も見事な詩を、作品を残したというのに。自分はというと相も変わらず、求
め、比べ疲れ、一日が過すぎる。   

 

 

 

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認知症とデジタル革命

2016年01月05日 | 時事書評

 

 

 

 

      求めない すると 比べなくなる      /        加島 祥造   『求めない』

 

                                                                                                             荒地派
                                                1923.01.12 - 2015.12.25 
                                                ※ 左から 鮎川信夫、加島祥造、吉本孝明

 

  2016.01.06

【治療と再生の革命 Ⅱ】 

● 認知症対策

16年2月27日、国立循環器病研究センタが、脳梗塞再発予防薬として広く用いられて
いる抗血小板薬「シロスタゾール」が認知症の進行予防にも有効であることを公表し
ている。もし、自分が認知症ではないか?と考えると不安に陥る経験は誰にでも起き
る(と推測)。迷惑をかけたくない!と思うことで連鎖するのだ(と推測)。いま大
丈夫だと思っていてもいつ発症するかもわからない不安がときまとう。他人事ではな
いと、認知症対策の最前線をにわか学習する。

○ アルツハイマー型認知症:シロスタゾールに効果

認知症は現在日本で既に4百万人を超え、8百万人に――世界中で2千万人以上の人
々が認知症に苦しみ、40年までに8千
万人を超える――までに膨れあがるというの
だ。(上写真クリック)この共同研究の成果は、
アルツハイマー型認知症の認知症症
状の進行抑制に用いられるドネペジル塩酸塩という薬剤を内服している洲本伊月病院
の患者を対象に、シロスタゾール内服者と非内服者年間の認知機能低下率をミニメン
タルステート検査(MMSE
)により比較したところ、シロスタゾールを内服していた
患者では年間の認知機能低下が有意に抑制されていることが分かっている。シロスタ
ゾールを内服していた患者では、特に記憶の再生や自分の置かれている状況を正確に
把握する能力の低下が阻止され、これらの機能は特にアルツハイマー病の早期で障害
されやすい認知領域であることから、研究グループは、シロスタゾールがアルツハイ
マー病のような神経変性症にも有効だとする。



シロスタゾールは、脳梗塞の予防に広く用いられる抗血小板薬(「血液サラサラ薬」。
シロスタゾールは、血栓形成を抑制すると共に、血管を拡張させ脳血流を上昇させる
作用がアミロイドβの沈着堆積を妨げていると考えられている。

※ アルツハイマー病の初期症状のためにドネペジル塩酸塩を内服している患者のう
  ち、12か月以上の間隔で2回以上ミニメンタルステート検査(MMSE)と呼ばれる
  質問形式による認知機能評価を受けた患者を、シロスタゾールを6カ月以上追加
  投与された患者34例と追加投与されなかった患者36例に分類し、認知機能の変化
  を解析。すると、シロスタゾール投与群では認知機能の年間低下率は非投与群と
  比較して約80%抑制されており、また認知機能検査の評価項目の中でもアルツハ
  イマー型認知症の初期に機能低下が起こりやすい「時間の見当識」「場所の見当
  識」「遅延再生」の3項目での認知機能低下が有意に抑制された。 

   プレタール[シロスタゾール]作用機序

○ 歩行速度で認知症のリスクがわかる!

認知症の予防のカギとして注目されているのは、“MCI”(軽度認知障害)。認知
症の一歩手前の段階で、MCIの人は、必ず認知症になるわけではないことも判明し
たとし、認知症の段階ではなく、MCIの段階で見つけられれば“予防の道”へ進む
ことができると放送されている(「NHKスペシャル シリーズ認知症革命」2015.11.
14)。MCI、認知症にすすんでいくと意外なことに歩く速度が遅くなる。ある速度
よりも遅くなると、MCIや認知症のリスクが高くなり、
その歩行速度は 秒速80
センチメートル(時速 2.9キロメートル)かどうか 見定める方法は (1)横断
歩道は秒速百センチメートルで渡れるようになっているものが多い。信号を以前は渡
りきれていたのが、渡りきれなくなると要注意の歩行速度。 (2)駅まで歩く時間が
以前よりも遅くなったなど。



それでは、対策は?というと、(1)早歩きなどの有酸素運動と筋肉トレーニングを
行う→ 「ちょい足しウオーキング」。歩幅を5センチ広げると体にかかる負荷が増え
心拍数の目安は120程度をめどとする。 (2)塩分の摂取量を控える。(3)フィ
ンランドで
は神経衰弱のようなゲームなどを行い(囲碁や将棋など))認知トレーニ
ングを行うことで改善予防に実績を上げている。(4)血圧
などの管理や生活習慣病
予防。

尚、「NHKスペシャル シリーズ認知症革命」の第二回では、「認知症になっても、
その人らし
く穏やかな人生を生きていく」ためのヒントを探っている。“ユマニチュ
ード”と呼ばれるフラン
ス生まれのケアを導入する動きが広がっている。「見つめる
」「話しかける」「触れる」「立つ」を
基本に、“病人”ではなく、あくまで“人間”
として接することで認知症の人との間に信頼関係が
生まれ、周辺症状が劇的に改善す
ると事例が紹介されていた。

   NHK認知症キャンペーン「ユマニチュードって何?」

この他、13年5月7日に報告された「アルツハイマー病脳における糖尿病関連遺伝
子の発現異常」(九州大学・生体防御医学研究所教授中別府雄作ら)、つまり、糖尿
病がアルツハイマー病の危険因子となるメカニズム――記憶を司ると言われる海馬で、
エネルギー源である「糖」をうまく使えなくなる、糖を使うときに欠かせないホルモ
ン・インスリンに関わる遺伝子が変化し、脳内インスリンの働きが低下――が
明らか
にされているが、米国で鼻からインスリンを噴霧し、脳へインスリンを送り込み、イ
ンスリンの働きを改善させること臨床試験が進められている。

   doi:10.1038/nrendo.2015.173

【治療と再生の革命 Ⅰ】 の慢性腰痛対策(『ナショナルトレッキング』2016.01.04
で書き足らなかったことで、DLPFC――背外側前頭前皮質(前頭前野背外側部;複雑
な認知行動、人格の発現、適切な社会的行動の調節に関わっているとされていて脳の
中で最も進化した部位、一つの仕事に集中する能力の源泉である)――が萎縮(衰え
る)すると、うつ患者の場合、機能が正常に働いていないことが判ってきている。予
防は痛みへの強い恐怖心脳の中で生まれるとDLPFCにストレスがかかり、次第に活動
が衰えていく。その対策として、腰を反らせる姿勢を3秒/回繰り返えすだけで克服
できるという方法がある(※ http://www.nhk.or.jp/kenko/nspyotsu/a02.html)。

 

 

 

 

 ● 折々の読書 『法然の編集力』 6  松岡 正剛 著  

 【目次】 

   第一部 法然の選択思想をよむ

    忘れられた仏教者
   六字名号の伴/宗教は「編集」されてきた/法然に吹く風

    専修念仏への道
   父の遺言/浄土思想との出会い/末法を生きる/法然の読暦法ノ専修念仏の確
   信/山か
ら町へ乱想の凡夫として

    法然のパサージュ
    兼実の「仰せ/「選択」とは何か/法然のブラウザトプリテラシーとオラリティ

    「選択」の波紋
    南都北嶺の逆襲/浄土でつながる……多重な相互選択/親鸞と空也


   第二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ

    法然誕の地ノ突然の夜討ちノ時田の遺言/比叡山入山∠宝ヶ池越しに比叡山
    を望む/
18歳での遁世/浄土信仰の象徴/一向念仏則に帰す/吉水での説
    法/念仏宛洋の地/善導
との夢中対面/大原問答/大原問答の地/九条兼実
    の帰依ノ朗婉の計画ご弟fの死罪/
遊女教化/法然の臨終/法然の眠る場所


   第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

    大震災を経て/辺境から生まれる希望/仏教の土着化/日本仏教の系譜/仏
    教とイメー
ジ/法然の引き算/仏教を再読/「悪人」とは誰か/仏教におけ
    る死
 

 

 ● 専修念仏への道

                           山から町へ

   専修念仏を選びきろうと決意した法然は、いよいよ比叡山を後にします。山に
 とどまること
に限界を感じたとともに、なんとしてでも民衆に「救い」の道を示す
 
ためにはじっとしていられなかったからでしょうし、さらには、膨大な経典にい
 までも縛られているより、自身が結果的に発見した『観経疏』散華義の極光をもと
 とに
新たな言動を試みてみたくて町へと下りたのでしょう。
  かといって、「山にを離れた法然が突如として反体制的になって、延暦寺を揶揄
 
したり批判したというわけではありません。しがらみから自由になった憎が好き勝
 手やりたいことをして、たとえば破戒憎などとよばれるなんてことはよくあること
 で、また法然がそういうことだったのならばある意味でわかりやすいのですが、そ
 うではなかったのです。法然は一貫して既存の仏教勢力や念仏以外のけを毀損する
 意図をもちまったせんでした。あくまで、「救い」の方法を深化させるために山を
 下りた
のであって、必ずしもドロッブアウトしかわけではないのです。

  こうして法然は東山の吉水に庵をかまえて説法をはじめます。説法の噂はすこし
 ずつ広まります。「念仏さえ称えれば誰でも往生できる」という、かつての仏教史
 ではありえなかった教えを民衆たちが耳にしはじめたのです。その舞台が吉水であ
 ったこと、すなわち「山」ではなくて「町」のなかであったことはとてもシンボリ
 ックでした。法然の厚修念仏がすでに「学問」の領城を脱出していたことを示して
 いるからです。

  そもそも仏教における「声」の世界は、一般の民衆たちとはかなり隔絶されたも
 のでした。このあたりのことについては、清水眞澄さんの『読教の世界』(吉川弘
 文館)
などを読まれるとよくわかると思いますが、説経、唱導、講式、披講、問答、
 声明などは、一から十まで仏教の「プロ」がおこなうことだったのです。
  
しかし法然は、そういう幾多の仏教の「声」をも編集して、最終的には「南無阿
 弥陀仏」という六欠字の名号に集約していった。とても簡単なようなことですが、
 私はこれはたいへんな「声の編集」であったと思います。みんなが、南無阿弥陀仏
 を口にして称えられるようになったということは、誰もが口ずさめる仏教ボーカル
 サウンドができたということで、それなら民粟たちはまるでヒット曲のさわりが歌
 えるような気分になったということなのです。こういうことも手伝って、専修念仏
 の輪はしだいに民殷たちの間に広まっていきました。

  都では法然の専修念仏の噂が飛び交うようになりました。のちに親鸞と名を改め
 る綽空が法然に帰依するのも、この時期です、しかし地方では、法然が説く念仏の
 教えにいまひとつ納得できない人物や疑問ををもった者たちも少なくはない。顕真
 もその一人でした。顕真はもともと比叡山で顕密両教を修めた僧都でしたが、仏法
 に自信がもてなくなったのか、京都洛北の大原の勝林院に引っ込んでしまいます。
 こういう引っ込み方を当時は「遁世」(とんぜ)といったのですが、遁世するとい
 うことは、すなわち「希って往生する」ことでもあるはずなのに、近ごろはいかに
 して往生できるのかもはっきりしません。道長の時代のように、常行三昧や観音堂
 や阿弥陀仏像を麗々しく安置してこれを観仏するだけでは、もはや心が穏やかにな
 らなかったようなのです。

  大原といえば、現住でも市井の塵をよばない静寂に包まれている地域ですが、平
 安後期では格別な隠棲の地と目されるようになっています。十二世紀にば、すでに
 寂念・寂超・寂然の三兄弟が遁世して、巷間で「大原三寂」などとよばれていたも
 のです。ちなみに、三寂のご人の寂超はもとの名を藤原為経といって、三〇歳をす
 ぎると穢土の現世にさっさと見切りをつけて遁世しています。その寂超の子は、ア
 ンドレ・マルローをして仰天させた、「似絵」で有名な藤原隆信です。知恵院にあ
 る法然の肖像画「披講の御影」を描いたのも、この隆信でした。ついでにいえば、
 寂超の妻の美福門院加賀は夫が家出まがいのことをしてしまりたものだから、しか
 たなく――いや、しかたなくかどうかはわかりませんが、藤原竣成と大恋愛をする。
 そこで生まれたのが、かの藤原定家です。

  それはともかく、顕真はこうした大原三寂らの生き方に憧れて遁世をしてみたの
 だっただろうと思います。ところが「山」を下りてみると、「都」からは法然が専
 修念仏を祢えているという噂が聞こえてきます。まだ遁世というものにどっぶりつ
 かっていない顕真は、法然という男に興味をもちました。そこで顕真は、大原辞林
 院の丈六堂に何人もの知識人を集めて、噂の法黙にその真意を尋ねることにしたの
 です。いわば今後の仏教のありかたをめぐるカンファレンスを主宰したのです。文
 治二年(1186)の秋のこと、後白河法皇が寂光院を訪れる、『平家物語』に有
 名な「大原御幸」から半年後です。



  このカンファレンスは法然の名を世に知らしめる決定的なターニングボイント
 なりました。カンファレンスに招かれた人物には、延暦寺の永弁や智海や証真、三
 論宗の僧で光明山寺にいた明遍、笠置上人といわれた法相宗の貞慶、東大寺の勧進
 職をつとめた重源、嵯峨往生院の念仏房、大原来迎院の蓮契ら、当代きってのトッ
 プ・データベーターたちが揃っています。いずれもがここはひとつ、巷間をにぎわ
 す法然の話を聞こうじやないかという面々です。三○○人近いオーディエンスも集
 まったようです。

  浄土宗では、このカンファレンスのことを『大原談義』ともいいます。歴史学で
 はあまりとりあげられることかありませんが、日本宗教史上きわめて注目すべきタ
 ーニングポイントでした。法然は五四歳になっていました。

                                      乱想の凡夫として

  いったい、「大原問答」では、とのような議論か交わされたのでしょうか。私の
 想
像ではありますが、法然の主張は、およそ次のようなことにまとめられるのでは
 な
いかと思います。

  仏教の法門は、自力の修行による悟りを重視する「聖道門」と、阿弥陀の本願を

 信じる他力の「浄土門」とに人別できると思います、また、教法にはじっくり悟る
 「漸教」と速やかに悟る「頓教]とがあることも、よく知られています。あなたが
 たの主張するように、仏教修行の立揚からすれば、聖道門や漸教がすばらしいこと
 は言うまでもないでしょう。しかしながら、私のような愚かな「乱想の凡夫」や民
 衆たちが、その理論、その修行、その勤行に耐えて悟りをひらくのには、とうてい
 無理があるのです。私が聖道門を選んだら、さっさと成仏することも適わぬことだ
 ろ
うと思います。

  私はあえて「浄土門」を選びます。そして阿弥陀仏を選び、ひたすら念仏を称え

 ることを大事にしたい。そこでこの場におられる聡明なあなたたちには、このよう
 な「乱想の凡夫]が報土に生まれうることに思いを致してほしいのです。その報土
 とは、阿弥陀がかつて法蔵比丘だったころに誓った本願にもとづいているのだから、
 そこはそのまま極楽浄土であるはずです。
  そして、この浄土に行くためには、「いま、たただいま」というこの身のすべて
 を弥陀に託し、凡夫たちは念仏に専心するしかないのです。阿弥陀仏はそれこそを
 本願として、この世にわれわれを導かれたのではありますまいか。弥陀の本願にこ
 の身を託すことの、どこが間違いだと思われますか。私は凡夫の立場にたって、あ
 えて他力にこの身を託すことを選択するのです、みなさん、ぜひともそのように考
 えていただきたい。

  おおよそこんなメッセージたったらうと思います。称名念仏による往生が凡夫に
 とっても可能である理由は、法蔵菩薩が悟りをひらくにあたって誓願した四八願の
 うちの第十八願にもとづいているからだ、という主張です。といってもこれだけで
 はわかりにくいでしょうから、少々説明をしておきます。



  数ある経典のなかで阿弥陀仏の誕生とその特色を綴っているのは「無量寿教」と
 いうテキストです、そのなかで、阿弥陀仏はもともとは法蔵という名前の国土であ
 ったと期されています。

  法蔵は国王の時代にブッダに出会って出家すると、一切の生きとし生けるものを
 仏にしたいという根本的な願いをたてまます。その願いはじつに四八種にのぼった
 ので、これを「四八願」というのですが、その願い(本願)の大きさもあって、法
 蔵はたいへんな修行や苦行をすることにより、それでもついにすべての願いを実現 
 します。おかけで法蔵はその後は「阿弥陀仏」という仏になって、いまも「西方極
 楽浄土」で説法と救済の日々をおくっていらっしやる……、、
  これが法蔵が阿弥陀仏になったというストーリーですか、この法蔵がたてた四十
 八の願いのなかに、じつは「阿弥陀仏はわが名を称える者ならどんな者でも浄土に
 迎えて必ずや仏とする」という趣旨の第十八願があったのです。法然が注目したの
 はここでした。

  仏教では、過去あるいは以前にたてられた願いのことを「誓願」といいます。な
 かでも仏が菩薩として修行中の身にあったときにたてた誓願は、「仏の誓願」とい
 う。法蔵はまだ阿弥陀仏になる前に誓願をたてたのだから、それは法蔵菩薩がやが
 て技自分が仏になったら誓いますというアジェンダです。その未来形のアジェンダ
 が四十八願あったわけです。
  では、「弥陀の本願」つまり「阿弥陀仏の本願」とは何かというと、法蔵菩薩が
 阿弥陀仏になれたときにはたすべき実行プランのことなのです。それが四十八にも
 及ぶのですが、そこには恐怖を取りのぞくこと、生まれてきた者の平等性、衣食の
 自由な入
手、美醜にとらわれない価値観など、じつにいろいろなことが約束されて
 い
ます。そして、そのなかの第十八願が「阿弥陀仏というわが名を祢える者」なら、
 その者たちは浄土に導かれるだろうという約束なのです。阿弥陀仏というわが名を
 はその約束をは
たすことを本願としてもっているということなのです。
 
  実際の『無量寿経』にどう書いているのか、引用しておきます。ちなみに無量寿

 も阿弥陀仏も同じ意味で、アミターユースあるいはアミターバというサンスクリッ
 ト
を片写した漢訳名です。


   たとい、われ仏となるを得んとき、十方の衆生、至心に真楽して、わが国に
  生まれんと欲して、乃至十念せん。もし生まれずんば、政党を取らじ。ただ五
  逆と正法を誹謗するものを除かん。


  衆
生は、わたし(=阿弥陀仏)の住む国(極楽浄土)と願って念仏を称えれば、
 必ず往生することができるだろう。もしそうでなければ私は悟りをひらかなかった、
 
と言っているのです。専修念仏の根拠はここに求められます。
  これでだいたいのことが見えてくるくるだろうと思いますが、法然はどんな凡夫
 でも
「弥陀の本願」にもとづけば、自力の聖道門に入らずとも、他力の浄土門に入
 れるはずだということを 「大原問答」で説いたのです。聞いていた者たちはそん
 なことは初めて聞くような大胆な内容ではあったろうものの、誠実きわまりない説
 得力に驚いたにちがいありません。
  このカンソァレンスをとりしきった顕真は、じつはのちに天台座主にまでなる人
 物なのですが、その顕真ですら法然の話に深く聞き入ってしまったといいます、

  法然はこうして、当時の知的エリートのトップたちに認められました。第一関門
 の突破てした。おそらくは法然が自身がをまごうかたなき『乱想の凡夫』と泣置づ
 けたうえで、当時の碩学や知識人にストレートにぷつかっていったことが功を奏し
 たのだと思います。

  叡山時代から「智慧第一の法然坊」と呼ばれ、その生涯において「たった一日だ
 け聖教を見なかった」というほどに読書家だった法然が自分のことを「乱想の凡夫」
 と位置づけたのです,これは現代的な思想の見方からすると、痛哭の自己限定とい
 うところになるでしょうが、法然にあってはそこを「他力」に託して、自己限定
 一般他者に拡けてみせたのです,

    
  法然は謙ったのではないのです。嫌みを発したわけでもありません。もちろん時
 の仏教権力に追い込まれてぽったわけでもありません。幾重にも条件づけられた浄
 土への扉を他力に閉放するための、念仏こそが浄土のバスボートになりうることを
 説くための凡夫の設定だったのです。
  法然という人は、さんざん自分流のエディティングを重ねたうえで称名念仏の光
 を見たわけですが、それを自分の功績にしたいなどとは微塵も思っていません。念
 仏こそが弥陀の本願、弥陀の選択であるように、たまさか自分も選ばれたにすぎな
 いと考えていたのです。法然にはそういう気負いのなさがありましたし、いわんや
 栄達を望むような人ではありませんでした。

  法然が一心にさぐっていたのは、自力行によって悟りをひらくことができない

 々に、「凡夫」と「他力」と「浄土」をつなげる方法を提供することだったのです。

 それもそのそのことが、阿弥陀の慈悲による贈りものであるように感じてもらえる
 よう
にしたい。そんなように思っていたのだろうと想像します。

  元来、浄土に往生を遂げるとか悟りをひらくといったことは、一般の市井に生き
 る人々にはなかなか適わぬことでした。すでに説明したように、仏教経典は弟子
 ち
がブッダの討葉を編集して成なしたものです。サンスクリットやバーリ語で書

 れています。これをシルクロードを渡ってきた訳経僧たちは、中国僧とともに漢

 していったわけですが、そのうち雑然と訳出されてきた仏典を体糸づけて解釈する
 必要
が生じました。そのようにバラバラに漢訳してきた経典を一貫した解釈によっ
 て再編成する
ことを「教相判釈」といいます。いろいろの判釈があったのですが、
 とりわけ天台智が説い
た「五時八教」という判釈が主流になると、その見方が日
 本に入ってきて、最澄以下の叡山
の学僧たちによって受けとめられ、そこで修行か
 ら成仏までのプロセスが細かに組みに立
てられたのです。
 
  法然は一人の「乱想の凡犬}として、それほどまでに休糸づけられた修行を続け
 ることはできないと主張します。大台の教えは正しいかもしれないが、その体糸に
 もとづいて往生するためには自らを律する修行をずっと続けることになる。それな
 らば、父の時国のように一瞬にして死んでいくような悲劇を前にして、人々が仏性
 を感じることなんてできないではないか仏教には、もっと思想的な瞬間や想念と
 しての瞬間にまにあうような方法がなくてはならないのではないか。法然はそうい
 うことを訴えたのです。そこには、つねに父の死が大きく影響していたと思います。

  法然の強みとなったのは、仏教を代表するような論客を前にして、私には「乱

 の凡夫」としての境界性しか語ることができないという立場にたったことだと思

 ます。こうなると、誰も聞きながすことはできません。

  こうして、大原問答は法然の私声を大きく高めることになりました。このとき、
 日本仏教史はまったく新たな転換を見たのです。


                               この項つづく

 

  詩人・ 墨彩画家・翻訳家の加島祥造が他界した。享年九十二  

                                     合唱


  

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ナショナルトレッキング

2016年01月04日 | びわこ環境

 

 

 

    あきらめないこと。どんな事態に直面してもあきらめないこと。
                  結局、私のしたことは、それだけのことだったのかもしれない。

                                         冒険家 植村直己

 

                                                                                 
                                                                             1941.02.12 - 1984.02.13?

 

【治療と再生の革命 Ⅰ】 


● 慢性腰痛対策

治療しても効果がなく、一度治ってもぶり返すなど長引く「慢性腰痛」に苦しむ人は14
00万人と推定されている。
最先端の治療現場では、「脳」のある働きを改善し、慢性腰
痛を克服する対策が、大きな成果をあげているという。
例えば腰痛への不安を解消する映
像を見たり、恐怖心を克服する運動をするなどの対策を取るだけで、改善する
人たちもい
る。専門的な心理療法で、極めて重い症状の患者の腰痛が改善するケースも出始めている
というのだ。
わたしの場合は、デスクワーク中心のため、一旦沈静していたものが、長時
間ドライブや山登りなどトレッキング、
あるいは、室内トレーニングなどで、それがトリ
ガーとなり再発することがしばしばあるので、そこに、精神的なスト
レス蓄積も加わり再
発するとは考えにくい――その寄与割合は低い――と思っている。だから、この今、コル
セットをしながら入力しているが、数日、あるいは一週間後には治っているだろう、しか
し、突然再発することになることも覚悟している。

 

● ミニ肝臓の衝撃

 iPS細胞から大きさが数ミリの“ミニ肝臓”を大量に作り出す装置を、横浜市立大学な
どの研究グループが2年前に開発した。重い肝臓病の子どもにこの「ミニ肝臓」を移植す
る臨床研究を19年にも始める。アイソレーターと呼ばれる滅菌された作業台にベルトコ
ンベアが設置され、iPS細胞から作った肝臓の細胞が入ったシャーレや培養液などが次
々と手元に送られてきて、研究者が効率的に作業をできるようになっている。1か月ほど
で最大数ミリの“ミニ肝臓”を作り出すことができるということで、研究者の手作業を一
部自動化し作製効率を100倍以上に高めることができる。自動車の工場のように、ロボ
ットの手助けで大量にミニ肝臓を作り出すことができるとしてた。2年前は直径5ミリで
あったが、昨年にはこの”ミニ肝臓”は25分の1の直径2百マイクロメートルまでダウ
ンサイジング(『デジタル革命渦論』でいうところの第2則)され、注射などで体内に挿
入できるまでになっているため、「細胞シート」(下図参照)のように切開する必要がなく
なる。

 

「山中伸弥教授が語るiPS細胞研究の今」(NHK)によるとこの細胞を作るには、(1)細
胞同士を接着する細胞、(2)血管のもとになる細胞、(3)肝臓にもとになるの3つを
合わせ3日培養すると自己組織化が作動きできあがる工程を必要とし、さらに、その前段
で正常なiPS細胞から未分化細胞を除去する工程も必要でありこれらをクリアしてできあが
るというもの。特に後者において悪性リンパ種治療薬「プレンツキシマブ ベトチン」(「
CD30を標的とした腫瘍原性未分化iPS細胞の除去効果についての検討」寒川 延子 大阪大
学 心臓血管外科)による除去の成功などの上で達成されている。

 

● 腸内フローラの衝撃

これも2年前の「腸内フローラ 解明!驚異の細菌パワー! 」(NHK)で放送されたも
のだが、肥満になるとがんのリスクが高くなる、と言われていた。それがなぜなのか、わ
かっていなかった。普通体型のひとと、肥満体型のひととでは“腸内細菌”に違いがある
ということがわかってきた。普通体型のひとにはない「クロストリジウム・アリアケ」と
いう菌(日本の有明にある病院で発見)が肥満体型になると全腸内細菌の10%以上を占め
ていた。アリアケ菌は、「デオキシコール酸」(DCA)というものを作り出す。これが、活
性酸素を作り、細胞の老化を促し、老化した細胞がガン化を促進なるというメカニズム。
また、このデオキシコール酸は大量に脂質を摂ることで作られ、低脂肪食を心がけること
も重要。
 



ところで「腸内フローラ」といは、腸内細菌類のことを意味するが、わたした
ちの腸には
約3万種類、千兆個に及ぶ細菌類がすみ。重さにすると1.5から2キログラムにもなり、
体を構成している細胞が60兆個ですから、実にその16倍近くの生き物がわたしたちの
おなかの中にすんでいることになる。
腸の長さは約110メートル。それを広げるとテニス
コート1面分にもなるという。そこに、まるでお花畑のように腸内細菌が生息する。
腸内
細菌類のことを「腸内フローラ」と言うが、「フローラ」とは元々はお花畑を意味する。
細菌類が作る集落が色鮮やかで、形がとてもきれいだからそう呼ばれる。

このように、がんや糖尿病などの病気から、肥満やお肌のシワなどの体質、さらには、そ
の影響は脳にまで及び、うつ病とも関係しているのではないかと考えられきている。腸は
第二の脳、いや脳こそが腸機能が分化して脳ができたとも言えるかもしれない。

 

今夜は、NHKBSの新春で刺激され、「治療と再生の医療の現状」を考えてみた。これはシリーズ
として掲載し不定期掲載する。尚、バイオマスインダストリー協会を脱会している。

 

  

【ナショナルトレッキング】 

母の他界と喪に服すこともあり百名山の登山は控えていたが、今年から再開させようと考
えている。ところで、琵琶湖を囲む滋賀県の山を一周ルートを開発しよう考えていた。そ
のトレッキングをコアとしてパラグライダーとカヤックをいれ、それを競技(スポーツ)
や遊覧(野外観察や娯楽)としてルールを決め「ナショナルトレッキング」アプリとして
開発するというもので、「先ず隗より始めよ」と。そなんなことことを考えていたら、毎
日新聞オンラインの元旦の記事で「なるドリ ナショナルサイクルルートってなあに?」が
昨夜目にとまった。偶然だ。それによると、国土交通省が検討している、周辺の風景や名
所を楽しみながら、安全かつ快適に自転車で走れる魅力的なルートを認定する新制度が検
討しているという。自転車は自転車。まずは仲間づくりからだ。

 


彼女が、急に多賀大社にお参りしたいと言い出した。理由を聞くと、素朴な味の糸切り餅
を食べ
たいからだというので、昼のうどんを平らげ出かけることに。少し味が変わったみた
いという(思い
出の方が美味しいみたいだ)。わたしは夕食時、「水餃子と豚白菜豆腐一人
鍋」と一緒にたべたが、いつものと変わらないのだがと、そう
 話した。

  

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最新光水分解工学

2016年01月03日 | デジタル革命渦論

 

 

 

 

    分を越えぬ生活ほど感動的な威厳のあるものはなく、
        また、これほどりっぱな独立もない。

                    アメリカ30代大統領 カルビン・クーリッジ (『自叙伝』)

        
         Therc is no dignity quite so impressive,and no
        independence quite so important, as living within
                     your means.

        no・・・so・・・as・・・・・・ほどそんなに・・・・・・・はない」

                                                   
                                         John Calvin Coolidge, Jr                                                                               
                                        July 4, 1872 – January 5, 1933
                                    

    ハーディング大統領の下で副大統領を勤めた が、清廉をもって知られ、ハーディング
   の急死後、大統領に昇任、再選。自由放任主義を貫き、アメリカ繁栄の最盛期を作った。

 

 

  
【最新光水分解工学】

  

「量子ドット・ナノサイズを制すれば世界の産業を制す」(『2015年から未来を見
つめる Ⅱ』)で紹介したオランダのアイントホーフェン工科大学らの研究グループが
開発したガリウムリンナノワイヤ太陽燃料電池水電解デバイスのレポートを元に米国と
日本の関連特許を調べった。欧米での「太陽光燃料電池(Solar fuel cell)」の呼称を日
本で用いられている「水分解用光触媒電極」「水分解用光電極」を考慮して「光水分解
工学」と仮称することとした。アイントホーフェン工科大学らの研究は、太陽光エネル
ギーで光電気化学水素製造し、クリーンで持続可能な燃料ができ、高価な平坦なⅢ /Ⅴ
族材料系は最高の効率をもつことがわかっているが、ウルツ鉱型ガリウムリンをナノワ
イヤ化させることで少ない材料で代用できる。これは理想的なバンドエッジをもち、太
陽光吸収を最大化させ完全な水分解できる。p型のウルツ鉱リン化ガリウムナノワイヤー
の光電面で水電解を行い、電気抵抗を低減させ、光吸収を高め、表面を多段的白金堆積
させ、高電流密度で、開回路電位が達成できることを実証したが、下図の本田技研工業
の米国特許では、プロトン伝導隔膜を通して対極側に炭素含有溶液――アルコール、ア
ルデヒド、アルカン、アルケン、アルキン――を供給し、貴金属、卑金属、またはカル
コゲナイド含有する材料触媒などで有機化合物を合成する特許である。つまり水素、酸
素ガスを製造するものでは方法である。

 
これに対し下記のような関連特許が日本でも公開されている。

・特開2015-179768  水分解用光触媒電極
・特開2015-200016  水分解用光電極
・特許5456785    ガス生成装置およびガス生成方法
・特許5517805    可視光応答型光触媒、水分解光触媒、水素生成デバイス及び水分
          解方法
・特許5540554     光触媒装置及びガス発生装置
・特許5490042    水分解用光触媒及びそれを含む水分解用光電極

特許の大半は電極の組成――照射光の吸収帯を広げるなどで効率向上など――であり、構造・構成に
関するものは下図の本田技研工業の「特許5540554  光触媒装置及びガス発生装置」の1件である。
実用化から普及(市場形成)に移行にあともう少しかかるだろうか(残件扱い)。

 
特許5540554  光触媒装置及びガス発生装置

 

 

 

 ● 折々の読書 『法然の編集力』 5  松岡 正剛 著  

 

【目次】 

   第一部 法然の選択思想をよむ

    忘れられた仏教者
   六字名号の伴/宗教は「編集」されてきた/法然に吹く風

    専修念仏への道
   父の遺言/浄土思想との出会い/末法を生きる/法然の読暦法ノ専修念仏の確
   信/山か
ら町へ/乱想の凡夫として

    法然のパサージュ
    兼実の「仰せ/「選択」とは何か/法然のブラウザトプリテラシーとオラリティ

    「選択」の波紋
    南都北嶺の逆襲/浄土でつながる……多重な相互選択/親鸞と空也


   第二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ

    法然誕の地ノ突然の夜討ちノ時田の遺言/比叡山入山∠宝ヶ池越しに比叡山
    を望む/
18歳での遁世/浄土信仰の象徴/一向念仏則に帰す/吉水での説
    法/念仏宛洋の地/善導
との夢中対面/大原問答/大原問答の地/九条兼実
    の帰依ノ朗婉の計画ご弟fの死罪/
遊女教化/法然の臨終/法然の眠る場所


   第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

    大震災を経て/辺境から生まれる希望/仏教の土着化/日本仏教の系譜/仏
    教とイメー
ジ/法然の引き算/仏教を再読/「悪人」とは誰か/仏教におけ
    る死
 

 

 ● 専修念仏への道

                         専修念仏の確信

  では、話を法然の生涯に戻しますが、叡山を下りた二十四歳のが年法然は求法の
 ために都の各所をまわり、嵯峨清涼寺の釈迦堂に参拝したり、南都に学匠たちを訪
 れます。
  この時期、救いの答えを求めて多くの未見のテキストにあたった法然ですが、な
 かでも永観の『往生拾因』に強く惹かれました。国宝の「山越阿弥陀図」にでも有
 名な京都の永観堂は、この僧の名にちなんでいます。私も子どものころにしばしば
 永観堂で遊んだものです。永観堂は通称で正しくは禅林寺というのですが、ここは
 浄土宗西山脈西谷流のセンターとなった寺院でした。

  永観という人は文章博士の源国経の子で、十一歳のときにその禅林寺の深観の弟
 子になって修行して、のちには東大寺の別当職にまでなっています。私も著作を読
 んでみましたが、なかなかの編集力の持ち主でした。とくに中国の浄土教を発展さ
 せた善導や道綽の教えを拾っているポイントがたいへんに鋭い。法然もそこにイン
 スパイアされたのでしょう。
  ことに法然が永続の『往生拾因』のなかで気にかけたのぱ「一心専念」という一
 節でした。そこには善導が著した『観経疏』についての要点が説明されていたので
 す。『観経疏』というのは、浄土三部経のひとつ『観無量寿経』の注釈書で、正式
 には「観無量寿経疏」という著作です。永観の解説によれば一心に阿弥陀仏の名を
 念ずれば必ず往生できる、そしてその念仏方法は「もし口称せば即ち一心に専らか
 の仏を称し、もし讃歎供養せば即ち一心に専ら讃歎し供養す」というものでした。
  
  法然が目を聞かれたのは、ここで解説されている念仏の捉え方が、それまで読ん
 だテキストとはずいぶん異なるものだったということでした。たとえば源信の『往
 生要集』が強調していた「観勝称劣」とはちがって、口称念仏の重要性を阿弥陀仏
 の願いとダイレクトにつなげていた。その点が画期的だったのです。
  法然はかなりはっとしたはずです。けれども、永観の孫引きだけではまだ納得で
 きません。南都の学匠たちへのインタヴューから戻った法然は、善導の原本テキス
 トをさがし求め、ついに宇治平等院の経蔵(あるいは黒谷青龍寺の経蔵か)で『観
 経疏』に出逢います。
 こうして『観経疏』を初読・二読した法然は、しだいに胸中で何かが嘉くのを感じ
 たようです。そして所伝によれば、ついに三読目に忽然とします。次に引用する箇
 所が決定的でした。

   一心に専ら弥陀の名号を念じて、行住坐臥に時節の久近を問わず、念念に捨
  てざる者、これを正定の業と名づく。かの仏の願に順ずるが故に。

                         (『観経疏』「散善義」)

  ここには、いかなるときでも念仏を昨えることが、往生への正しい道であり、そ
 れは阿弥陀仏の本願に準じていることだ、とμいてあるのです。
  法然は狂喜し、いよいよ決断します。『選択本願念仏集』には、このときの様子
 が次のように書かれています。

   静かに以んばかれば、善導の観経疏は、これ西方の指南、行者の目足なり。
  しかればすなわち西方の行人、必ずすべからく珍敬すべし。(中略}
   ここにおいて貧道、昔この典を披閲して、ほぼ素意を識る。たちどころに余
  行を舎めて、ここに念仏に帰す,

                          (『選択本願念仏集』)

  この「たちどころに余行を舎めて、ここに念仏に帰す」という決断こそが、日本
 の仏教史を大きく変えた法然の「選択」でした。
  先に引用した『観経疏』の記述はごくごく短いものですが、法然がここまでたど
 り着いたのはむろん偶然ではありません。一貫して「救い」の方法を求めていた法
 然は、どんな経典にもその根拠となるロジックやフレーズを探っていました。法然
 は、浄土三部経・一切経・天台三人部から源信・永観・善導にいたるまで、大半の
 テキストを同じ”注意のカーソル”で読みこんでいたのです。かくして膨大な読書
 経験は法然の編集的縮約力によって網目の結び目のように残され、逆にその結び目
 を重ねあわせながら眼前のテキストを読むことをくりかえすことによって、核心へ
 と近づいていきました。いわば、これまでの全読書が篇目のような役目をはたして、
 多重に読みこむことかできたのだと思います。

  散善義   観経正宗分散善義 巻第四

  法然にとって『観経疏』のわずか数行は数行ではなかったのです。その数行はそ
 れまでの全読激‥過程の集約であり、それゆえ極光のように光を放つ思想結晶だっ
 たのです。気の遠くなるような読書も、「篇目を見て大意をとる」という読書法の
 開発も、それに裏付けられた縮約力も、すべてはいまや「南無阿弥陀仏」と称える
 ためにあった。そのように思いたくなる、法然の決着でした。

  称名念仏による往生を法然に確信させた『観経疏』の文は、「散改善義」のなか
 に収められていました。この「散善」という言葉にも法然の革新性を見ることがで
 きますから、すこし補足したいと思います。
  もともと『観無量寿経』は、古代インドのマガダ国の王子の阿闍世が提婆達多(
 ディーヴアゲッタ)にそそのかされて父玉を段害したという悲劇を描いた経典とし
 て行名で、ここから古澤平作の「阿闍世コンプレックス」という概念がとられて、
 フロイトのエディプス・コンプレックスの東洋版あるいは日本版として話題になっ
 たくらいに、そのドラマ性が強い経典なので、私はその注釈書もそういう延長だと
 思っていたのです。

  ところが善導の『観経疏』は、ポストモダン思想のテキスト解釈に匹敵するほど
 徹底したもので、善導以前にどのように「観無縫寿経」が説明されていたかという
 ことを、次々に論破しているのです。四部構成で、とくに定善義と散善義の章が圧
 巻です。
  
どういうことを言っているか。結論だけ紹介しますと、われわれには、静まった
 心で善をつむ「定善」と、乱れた心のままで善をつむ「定善」とがあるというので
 す。もちろん天台などは「定善」を是とするわけですが、法然が着目したのは「敗
 善」のほうでした。現実に乱れた社会に生きる民衆、とるにたりない自分のような
 凡夫にとっては、「散善」である念仏のほうがいい、いや、それこそが重要だと見
 たのです。これもまた法然の決定的な着眼点でした。

  こういった見方は、それまでの日本仏教にはまったくなかったものです。ごくご
 く簡単に仏教史を追えば、日本の仏教はまず氏族仏教として、次には鎮護国家のた
 めの護国仏教として確立します。「律令のような仏教」です。一方、平安初期の最
 澄や空海の仏教はニューシステムとしての仏教、いわば「王法に対応する仏法」で
 す。世界の複雑さを包尽した独特の宗教的総合性をもっているという意味において
 たいそうシステム的でした。緻密で圧倒的なものです。

  しかし、日本仏教はそこからさらに移り変わっていった。それが時代の要請だっ
 たのです。これまでもくりかえしてきたように、永承七年(一〇五二)を初年とし
 て末法の時代が始まったことに加えて、源平争乱と飢餓の拡大が社会に乱逆と混沌
 をもたらしていた。これでは王法にも仏法にも、むろんのこと社会のオーダーを決
 める律令にも、一挙に総合システムをかぶせるわけにはいかなくなったのです。平
 安末期の社会には「類の死」とともに「個の死」か迫リていましたから、国家や貴
 族、ましてやいま勃興しつつある武士たちには、律令も玉法も仏法も知ったことで
 はない。そんなこと、いっさい関係がないのです。

  かくてここに期待されたのが「自分で選んだ仏教」あるいは「みんなで選べる仏
 教」というものでした。けれども誰もが僧侶のように修行できるわけではないし、
 学僧のように仏教の教義が理解できるはずもありません。多くの民衆はえ字も読め
 ないし、往生の意義もわからない。でも、法然白身はその面倒な経輿の大饗に目を
 通し、厳しい修行もやってきたわけです。それならその法然が選んであげればいい
 のではないか。法然の「選択」がみんなのヒントになればいいのではないか。

  おそらくはこんなふうな判断にちとづいて、選べる仏教にとしての専修念仏によ
 る仏教を断固として「選択‘したのではないかと思います。それでどうなったのか
 といえば、法然に始まった選択型仏教の潮流はとどまることを知らず、のちの道元
 や日蓮もそのことに気がつくわけですから、これはまさにニューウェーブでした。
 一人の念仏が、一人の座禅が、一人の題目がそれぞれ「選んだ仏教」になるという
 ことの、スタートだったのです。

  法然が「観経疏」から「散善」としての念仏を選ぴとったことには、おそらくは
 以上のような背景があったにちがいありません。とはいえ、法然は短絡的に念仏に
 走ったわけではありません。考えに考えたすえに、阿弥陀仏の本願を信じる称名念
 仏を選んだのです。

                               この項つづく
 

    ● 今夜の一品

世界初、エプソンは「PaperLab」、古紙を新品にして再利用するオフィス製紙システム
を発表。キャッチコピーは「紙の未来を変える」。 

 

 

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現代の錬金術士達

2016年01月02日 | 時事書評

 

 

 

 

   わたしたちの最大の弱点はあきらめることにある。   トーマス・エジソン

 

                                                                                                   

 
                                                                                                                                Thomas Alva Edison
                                                                                                                    February 11, 1847 – October 18, 1931

 

● 現代の錬金術:新元素発見

新しい元素を発見したということで昨年末の27日話題となっている。それによる
と、理研仁科加速器研究センタの森田准主任研究員らの研究グループが、8月12
日、3個目の113番元素の同位体「278113(質量数278)」の合成を確認――04
年、05年に続く発見――したとのこと、前の2個とは異なる新しい崩壊経路をた
どったことが大きな意味をもっという。これまで観測してきた2個の113番元素
は、連続4回のアルファ崩壊を起こし、その後2つの原子核に分裂(自発核分裂)。
ところが、今回はさらに2回、合計6回の連続したアルファ崩壊を起こしたというの
だが、もう少し詳しく説明することによると、今回、3個目の113番元素の確認に成
功しただけでなく、6回のアルファ崩壊により既知の原子核であるボーリウム、ド
ブニウム、ローレンシウム、メンデレビウムに時系列的に到達し、ドブニウムがア
ルファ崩壊する様子も観測している――うぅ~ん、脳が疲れているときにこんなこ
と理解しようとしても、完全にギブアップ状態――というのだが、先に進もう。

  元素の起源を探る

それで、新元素の合成を証明するためには、その元素が崩壊した後、既知の原子核
に到達することが証明条件となるため、多くの観測数が求められ、研究グループは、
2個目の合成を確認した時、国際機関に113番元素発見の優先権(日本の)を主
張したが認められなかった。また、4回目のアルファ崩壊でできた原子番号105
のドブニウム(262Db)は、自発核分裂かアルファ崩壊することが分かっていました
が、2個とも自発核分裂しか観測できなかった経緯や、今回の合成にたどり着くた
めに、実に7年もかかっていて、実験開始からこれまで、元素合成のために原子を
衝突させた回数は百兆回を超えていたというから、そちらの方が話題となりそうだ
が、元素の存在限界を見極めるため、各国が周期表の拡大を目指して超重元素の探
索研究競争が展開されているという。そして、理化学研究所では、未知の核種の崩
壊の解析が、超重元素の構造の理解に貴重な知見をもたらため、未報告である11
9番以上の原子番号を持った新元素の探索に挑戦し、超重元素探索の研究分野をリ
ードしていきたいという。

   原子番号113が合成される様子

 


原子番号が大きいほど陽子同士の電気的な反発が大きくなり、不安定になって核分
裂を起こしやすくなります。自然界にウランより重い原子が存在しないのは、それ
以上の原子番号の原子核は地球の寿命より短い時間で崩壊し、安定な別の原子核に
変化していくため、ウランより重い超重元素の合成は、原子番号が大きくなるほど
困難だという理屈だ。80年代後半から超重元素合成の準備研究を始め、03年、
原子番号30の亜鉛(70Zn)のビームを原子番号83のビスマス(209Bi)に照射し、
新元素である113番元素を合成する実験を開始。ここでは、優先権の認定は省略。

知りたいのは、どのようにして「錬金」したか?だ。研究グループは、理研仁科加
速器研究センタの重イオン線形加速器(RILAC:ライラック(下図))で亜鉛(70
Zn)ビームを光速の10%に加速し、平均すると毎秒2.8×1012個もの亜鉛原子
を、標的とする厚さ約0
.5μmのビスマス(209Bi)に照射して融合反応を引き起こ
した
が、この照射では、亜鉛とビスマスの衝突で発生する熱がビスマスを溶かして
しまうため、直径30cmの円板にビスマスを取り付けて(上写真)、毎分3,000 ~
4,000 
回転。融合反応でできる超重元素核はビームと同じ方向に放出されるため、
ビームと目的核(278113)をいかに効率よく分離するかが実験の成否を決める。研
究グループが開発した気体充填型反跳分離器(GARIS:ガリス(下図))は、ビーム


そのもの(70Zn)や、ビームによって弾き出される標的核(209Bi)、目的としな
い核反応生成物などを除去し、278113を含む超重元素核のイオンだけをGARISの下流
に設置した位置感応型半導体検出器(PSD: Position Sensitive Semiconductor Detector
に導く(下図)。 

 

12年8月12日、3個目の278113の合成に成功し、これまでの4回のアルファ崩
壊に続き2回のアルファ崩壊を観測、最後は原子番号101のメンデレビウム(質
量数254の254Md)になったことを確認。
ここで、とくに4回目のアルファ崩壊でで
きる262Dbは、約33%の確率で自発核分裂し、約67%の確率でアルファ崩壊する
ことが知られている。これまでの2個の278113は262Dbの自発核分裂で、今回確認し
た3個目の278113はアルファ崩壊し、どちらの現象も確認できた(下図)。さらに、
5回目と6回目のアルファ崩壊では、崩壊を始める時間とそのとき放出される崩壊
エネルギーが、89年~99年に報告された262Dbと258Lrの崩壊にそれぞれよく一
致した。これらは、理研が合成してきた3個の原子核が、確かに278113であったと
いう証拠を与える。また、3個の278113の崩壊の様子から、113番元素の平均寿命は
2ミリ秒であることも分かった。




● 113番元素合成の立役者たち

まず、世界最高のビーム強度を誇る線形加速器ライラック(RILAC)。1秒間に2.
4兆個もの亜鉛原子を光速の10%まで加速、ビスマスの標的に照射する。もしビー
ム量が10分の1だったら?113番元素を3つ作るのに百年を要し発見は出来な
い。このビームは、強力過ぎて、厚さ1万分の5mmのビスマス標的に穴を開ける。
そこで、同じ場所にビームを当て続けないよう、標的を円盤上に並べ毎分3千回転
以上で回すことで解決する(下図クリック)。113番元素が合成できるのはも稀で、
折角出来ても、大量の亜鉛ビームに混じってしまう。その中から113番元素だけを
選り分けるのが気体充填型反跳分離器(GARIS)。あたかも浜辺の砂の中から一粒の
ダイヤモンドを探し出すようなもの。あれっ!このフレーズ仏教の「一握の砂」に
似ている。

さて、GARISは電磁石で粒子の進路を曲げて選り分ける。粒子の質量と電荷によっ
て曲がり方が決まるので、標的で作られた113番元素の質量は一種類、電荷はバラバ
ラなので、曲がり方もバラバラ。これでは貴重な113番元素を集められない――電子
が113個付いてれば電荷0価、電子が110個(3個取れている)なら+3価―――
そこで
重要なのが ARIS 詰めてあるヘリウムガス。113番元素がガス中を進む際、ヘリウ
ムと衝突を繰り返しながら電子のやり取りをし続ける。この変化し続ける電荷の平
均値が一定の値に定まる(平均平衡電荷:この実験では+11.9価)。113番元素
はこの値で決められる一定の軌道上を生成当初の電荷とは関係なく進み、もれなく
検出器に集めることに成功する。

ここまできて、すごいことが理解できた。鍵語は「量子ビーム」、。量子ビームは
原子や分
子のようなナノレベルでモノを観る・創る・治すことができる先端技術。
現代の錬金士とは「量子を操る技」をもつ匠たちのこと、それじゃわたし(たち)
「ネオコンバーテック」の仲間ではないかと腑に落とす。

 

 

 

コメント
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謹賀新年

2016年01月01日 | 日々草々

 

 

 

     老齢と老化とをいっしょくたにすることは避けなくてはならない。
                老化はほとんどどんな年齢でもわれわれに襲ってくる感情である,

                                                           イギリスの小説家 E・M・フォースター

 

                The identincation of old age with growing old must be avoided. Growing
                       old is an emotion which comes over us at any age.

                                                                                                                       
                                                                                                                        Edwarrd M. Forster
                                                                                                                 1. Jan. 1879 -7. Jun. 1970     
                              

                        「私自身は二十五歳と三十歳の間に老化現象が始まった‘一と現に彼は
                      言っている。どうやら老化とは生理年齢とは別の精神的なものと考えてよ
                      さそうである(岩田一男)。
 

 

 

 ● 折々の読書 『法然の編集力』 4  松岡 正剛 著  

 【目次】 

   第一部 法然の選択思想をよむ

    忘れられた仏教者
   六字名号の伴/宗教は「編集」されてきた/法然に吹く風

    専修念仏への道
   父の遺言/浄土思想との出会い末法を生きる法然の読暦法ノ専修念仏の確
   信/山か
ら町へ/乱想の凡夫として

    法然のパサージュ
    兼実の「仰せ/「選択」とは何か/法然のブラウザトプリテラシーとオラリティ

    「選択」の波紋
    南都北嶺の逆襲/浄土でつながる……多重な相互選択/親鸞と空也


   第二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ

    法然誕の地ノ突然の夜討ちノ時田の遺言/比叡山入山∠宝ヶ池越しに比叡山
    を望む/
18歳での遁世/浄土信仰の象徴/一向念仏則に帰す/吉水での説
    法/念仏宛洋の地/善導
との夢中対面/大原問答/大原問答の地/九条兼実
    の帰依ノ朗婉の計画ご弟fの死罪/
遊女教化/法然の臨終/法然の眠る場所


   第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

    大震災を経て/辺境から生まれる希望/仏教の土着化/日本仏教の系譜/仏
    教とイメー
ジ/法然の引き算/仏教を再読/「悪人」とは誰か/仏教におけ
    る死
 

 ● 専修念仏への道

                      浄土思想との出会い

  広大な敷地を誇る比叡山は、山内を西塔・東塔・横川というパつの地城に分けて
 いました。法然が移った黒谷の地はさきほども.言ったように、「別所」と呼ばれ
 るところで、とりわけ奥深い地域でした。
  黒谷は長らく「二十五三昧会」が聞かれていた土地でもありました。二十五三昧
 会というのは、恵心僧都源信らが寛和二年(九八六)に横川の首榜厳院で始めた根
 不断念仏をするのです。不断念仏とは、読んで字のごとく、昼夜分かたず念仏を称
 えることで、慈覚大師こと円仁が奨励した行なのですが、それを敢行した。そこに
 は貴族の慶滋保胤なども加わっています。保胤という人物は私が好きな『池亭記』
 や『日本往生極楽記』なども書いた文人で、が田寡作がコ理環記』の主人公として
 描きました。

  しかし、二十五三昧会に参加する人々はそもそも往生を求めて集まっているわけ
 ですから、一種の「死のマニュアル”に従叫するサロン的な結集でもあります。だ
 からその思想テキストはもっぱら源信の「往生要集」に求められました。
  青年法然も「往生要集」を耽読します。これがじつにうまく執筆編集されたテキ
 ストで、私も本当に感心してしまいます。なにより興味ぶかいのは、往生の方法と
 システムを「十門」によって心的パノラミックに、かつ劇的に説明しているところ
 です。

  十門とは何か。次に掲げてみます。
 

    ①厭離穢土  ②欣求浄土  ③極楽証拠  ④正修念仏  ⑤助念方法
    ⑥別時念仏  ⑦念仏利益  ⑧念仏証拠  ⑨往生諸行  ⑩問答料簡  

  それぞれ何か書いてあるか、簡潔に紹介しますと、現世は穢れていて厭うもので
 あり(厭離穢土)、浄土は願うものである(欣求浄土)。その浄土のなかでは阿弥
 陀仏
が君臨している西方極楽浄土がいちばんすぐれている(極楽証拠)。そのよう
 な浄土
に往生する念仏方法としては身・口・意の三つをそなえた礼拝が必要である
 (正修
念仏)。前半はこのようなアウトラインです。

  後半部では念仏方法を詳しく説明しています。たとえば、仏を観想するには、仏
 の相好を上から下に三二相に別々に観想する別相観、三二相をひとつのものとして
 見る総相観、額の白毫に意識を集中する白毫観がある。そのうえで、念仏は心に念
 ずるのがよくて口に称えるのはその補助だとか(助念方法)、ときどきは特定の日
 時
に念仏をするべきだとか(別時念仏)、臨終のときには五色の糸を病人に握らせ
 ると
よいとか、いろいろと実践的に書かれているのです。

  これらからもあきらかなように、「往生要集」は[往生の方法」としての念仏行
 をかなり重視したわけです。しかし、さきほどものべたように[念仏」とは広く「
 仏
を念ずる」ことであって、『往生要集」で源但が勧めているのも、やはり心で仏
 を
観想することなのです。これは「観仏」というものです。したがって、口に名号
 を
称える称名念仏は、あくまで念仏一般の補助手段であって、当時の念仏行の中心
 に
あるのはあくまで「観仏」でした。つまり源信が説いたのは心に念ずる観想を基
 本においた「観勝称劣」なのです。観仏が勝って称名は劣るというものなのです。

 仏教において念仏そのものはめずらしい勤行ではありません。比叡山の天台法華門
 においても、『摩詞止観』に説かれる四種三昧のうち、常行三昧の規則から導き出
 された念仏行がおこなわれていました。常行三昧堂が都の各所に作られ、多くの仏
 師たちによって阿弥陀仏や観音像がたくさん造仏されたのも、京都に定朝様式の阿
 弥陀さんが多いのも、そのためです。かなり}般的なものだった。しかし源信は、
 天台法華門の念仏行にはいささか浄土観が欠けていると考えて、中国浄土教の道紳
 や善導の『往生礼讃』とよばれる経文を参照して、浄土的な「念仏為本」の思想を
 打ち出したわけです。

  結果的に、『往生要集』は時ならぬ極楽往生ブームと地獄についての多様な妄想
 を生みだしました。「時ならぬ」というのは、折から末法到来の噂が広まっていた
 からです。


                                         末法を生きる

  すでにのべたように、永承七年(一〇五二)からすでに末法の世が始まっていま
 した。ちょうど藤原文化が絶頂を迎えた直後のことです。この末法元年にあたる年
  について、藤原資房は日記『春記』のなかで「長谷寺已に以て焼亡し了んぬ。(中
 略)末法の最年此の事あり」と記していますし、慈円も『愚管抄』で「末代悪世、
 武士ガ世ニナリハテゝ末法ニモイリニタレバ」と書いています。 
  
  ようするに、往生思想の流行も、念仏思想の地獄妄想の流行も、すべては末法到
 来の噂が広まったことに端を発しているというのです。これはあきらかに終末論で
 す。ただ、末法思想はキリスト教の終末論とはかなりちがっていて、一種の衰退史
 観なっていた。それが「三時説」と呼ばれるものです。 

  さきほども紹介しましたが、もう一度説明しておくと、ブッダの入滅から100
 0年は「正法」の時代で、ここには「教・行・証」のすべてが揃っているとされま
 す。その後、ブツダの教えを学ぶ修行者が続出する[像法」の時代が1000年続
 くのですが、なかなか『証」が得られない。さらに「末法」となると、もとの教え
 は残っているものの、本気で修行する者はしだいに少なくなり、仏教そのものの力
 も衰えて社会が千々に乱れるというのです。

  末法も一万年続くとされますから、べつだん焦らなくともよさそうですが、終末
 論というのはそれが提示されたとたんに不安が蔓延っていくものです。しかも、終
 末論がもたらすのは「個の死」ではなく[類の死」ですから、人々の意識の内奥を
 打撃します。さらに、社会は仏教の本来を失ってしだいに衰退していくという。こ
 れでは聞き捨てなりません。

  おりしも天災や飢饉が続いた時期のことでした。京都の五条橋の付近には、飢え
 に堪えかねて、あさましくも捨てられた子どもの生肉を食べる者がいたと伝えられ
 ていますし、鴨良明の『方丈記』には、「世の人、皆飢え死にければ、日を経つつ
 極まりゆくさま、少水の魚のたとえに叶えり」とまで書かれているほどです。まさ
 に「類の死」の拡張であり、タナトス(ギリシャ神話の死神)の氾濫でした。

  これでは、一切の苦しみと無縁だという浄土世界への憧れが暮っていくのも頷け
 ます。ちなみに、「浄土]というと阿弥陀如末がおわす西方極楽浄土を示すことが
 多いのですが、本来ならば、薬師如来、弥勒菩薩、釈迦如来も含めて、東西南北い
 ずれにも浄土が想定されていました。薬師如来の浄土は東方にあって、瑠瑞光浄土
 とよばれます。いずれにせよ、末法が到来するこの時期にはとりわけ西方極楽浄土
 が好まれました。阿弥陀仏の役割に注目が集まったからです。それゆえ阿弥陀来迎
 図が頻繁に描かれ、さまざまに阿弥陀堂が造立され、阿弥陀像が多く作られるよう
 になるのも、この時期のことなのです。
 

  往生を希求してやまなかった藤原道長などは、自身が建てた阿弥陀堂の本尊と自
 分の
体を五色の糸で結び、そのまま浄土に往生できるように願いながら没していっ
 たと言われま
す。まさに『往生要集』に書かれた方法と一致しています。道長の長
 男の頼通は、この世に浄土を再現するかの上うな豪華絢爛な堂宇を建立したくなり、
 それが宇治の平等院鳳凰堂として完成します。
  このように、多くの貴族が末法の到来に不安をおぼえ、極楽往生を祈念するよう
 になっていたのですが、その上うな時代背景もあって、源信の『往生要集』がさか
 んに読まれたわけでした。

  恵心院 (比叡山延暦寺横川兜率谷)

  それでは、法然はその『往生要集』を読んで何を学んだのか。むろんのことそこ
 から基本的な往生論と念仏論のすべてを会得したはずですが、どうもこれだけでは
 足りないと感じたようです。なぜならば『往生涯集』が書かれてから一五〇年以上、
 末法元年からすでに100年がたっているにもかかわらず、世の中はいっこうに変
 わらずに乱れていたからです。いや、それどころかますますひどくなっていた。日
 本列島を東へ西へ、陸奥へ西海へと騒擾させた源平争乱のさなか、社会状況はます
 ます悪化していたのです。

  まもなく平清盛が太政大臣として権勢をほしいままにして、後白河法皇すらもが
 幽閉されてしまいます。頼朝の鎌倉開府はまだ先のことですから、いったい武士や
 武門なるものがどういうものかもさっぱりわからない、奇怪で混沌たる時代だった
 のです。日本における武士の登場は、たとえるならば、一九九〇年代にイスラム過
 激派がニュースに登場してきたころに、その一団やその思想が何を意味するのか、
 
欧米諸国がまったく見当つかなかったようなものです。そして見当がつかないまま
 に、保元の乱、養和の飢饉、さらには平家滅亡というふうに、案の定、予測できな
 いような大混乱が連続し、そこかしこに飢餓が広がっていったのです。

  法然が望んでいたのは、そんな末法の世に生きる戸惑う民衆を救済することでし
 た。けれども、南都や叡山が管轄する仏教の教説はあまりにも難解で、どこに「救
 い」があるのか見えにくい。多くの経典は「仏が自分のなかに見えるまで待て、そ
 れが悟りである」というのですが、それではもう間に合わないのです。「死」のブ
 ームがおこるような社会では人は何かにすがるしかないのではないか。はやくどこ
 かにある解決方法を探らなくてはならないのではないか。
 きっと経典のどこかに、この世を救う方法が書いてある箇所があるのではないか。
 もしそうならば自分がそれを見つけだしてみたい。そう、心を決めた法然は、一時
 的に比叡山を下りて、それまで以上にさまざまなテキストにあたるようになりまし
 た。

                                        法然の読書法

  ところで、口述した『選択本願念仏集」をのぞいて著作がほとんどなかったにも
 かかわらず、法然はたいへんな読書家であったことがわかっています。
  仏道に身をおく僧として経典を読むのは当然至極と言えばそれまでですが、どう
 もそれだけではない。私はそこに注日して、ひょっとすると専修念仏を確信したの
 は、膨大な読書のなかから最も重要なロジックやフレーズを抽出する読書法をもっ
 ていたからなのではないかと思うようになりました。法然の読書法には何か特別な
 方法があって、それが専修念仏に至った「法然の編集力」を読み解くうえでヒント
 になるのではないか。そう、思ったのです。

  法然の人滅後に成立した「法然上人行状絵図』では、上人が経典をひろげている
 面や、それをもとに問答したり説法したりする場面がよく目につきます。この絵
 巻は法然という仏教者の一代を編む目的で描かれたわけですから、上人にクローズ
 アップするのは当然なのですが、ふつうならもっと阿弥陀仏の姿を描いてもよさそ
 うなものです。ところが、周辺の人物か亡くなる場面や、のちに説明する「大原問
 答」の場面などの例外をのぞけば、阿弥陀仏が来迎したり、荘厳な阿弥陀如来像が
 安置されていたりする描写はそう多くない。「法然上人行状絵図』の作者たちには、
 法然がつねに経典を読んできた人物であることを印象付ける狙いがあったのだと思
 われます。

  いろいろ調べてみると、法然が子どものころから読書が大好きだったことがはっ
 きりしてきました。本人も読書量の多さにはけっこう自信があったらしく、次のよ
 うにのべています。

  われ、聖教を見ざる日なし、木怜の冠者花洛に乱入の時、ただ一日聖教を見ざ
  りき

                       (「法然上人行状絵図』巻五) 
             

  これは絵伝の詞書にある言葉ですが、法然が実際に語ったとされています。「木
 曾の冠者」とは木曾義仲のこと、「花洛」とは京都のことです。寿永二年(一一八
 三)に義仲が都に攻め込んできたその日一日だけをのぞいて、私は必ず聖教(経典)
 を読んでいたのだと述懐しているのです。一一八三年というと、すでに法然は比叡
 山を下りていましたから、読書に励んでいたのは修行時代にかぎった話ではありま
 せん。法然の人生はつねに読書とともにあったのです。

  すでにお話ししてきたように、知の最高峰である比叡山には、たくさんの経典が
 揃っていました。読書好きの法然は、根本経典である天台三大部や『無量寿経』『
 観無量寿経』「阿弥陀経」の浄土三部経をはじめとして、ありとあらゆる経典を読
 んだようです。弟子たちは法然が三年ほどで「三大部をわたハソたまいぬ」と記し
 ます。そうだとすると、驚くべきスピードです。

  また、先に紹介した『往生要集』などの比較的新しい文献にもしっかり目を通し
 ていましたし、黒谷に遁世していたころには一切経(大蔵経)を五回も読んだと伝
 えられています。一切経は、三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)とその注釈書までを含めた
 も のですから、それはもう気の遠くなるようなヴオリュームで、一度読むだけで
  もそうとう難儀します。そんなものを本当に五回も読んだのかを確かめる術はあり
 ませんが、法然がそこまで言うからには、きっと自分なりの読書法を開発して、実
 際に読んでいたと見るきでしょう。
  このように法然の読書歴とその量とそのスピードをたどってみると、次の言葉は
 まことに重要であるように思います。
 

  当世にひろく書を披見したることは、たれも覚えず。書を見るに、これはその
  事を詮にはいうよと、みることのありがたきことにて侍るに、われは書をとり
  て、一見をくわうるに、その事を釈したる書よなとみる徳の侍る也。詮はまず
  篇目を見て大意をとるなり。
                       (『法然上人行状絵図』巻五)

  自分のようにここまで本を読んでいる人を最近は聞いたことはない、しかも、自
 分には本をちょっと読むだけでその解釈ができるだけの徳があるのだ、とすこし誇
 らしげです。なぜそんなことが可能なのかというと、篇目を見るだけで全体がわか
 るからだと言っている。篇目とはすなわち章の題目のことですから、いまふうにい
 えば目次です。つまり法然は「目次だけでだいたいのことが理解できる」と言って
 いるのです。そんなことは可能でしょうか。

  可能です。じつは私もいくつもの読書法や読書術を自分なりに体得して、その一
 部を『多読術』(ちくまプリマー新書)やウエブ公開している「千夜千冊」に紹介
 して
います。そのひとつに「目次読書法」というものがありまして、法然が「篇目
 を見
て大意をとるなり」と言っているのは、ほぼこれにあたるのだと思います。目
 次と
いうのは著者や編集者によって一冊のコンテンツを要約再構成したもので、そ
 の本
のエキスが並んでいます。「目次読書法」はその目次をじっくり眺め、いろい
 ろの
ことを想像し、そのうえで本文に一気に入っていくという方法です。

  もし法然がそのように経典群を読んでいたのだとしたら、法然の時代での本の読
 み方として、とりわけ経典の読み方としては、たいへん画期的です。
  比叡山における経典読みの流儀は「点検型」の読書でした。テキストの一宇一句
 すべてを解釈・解義して、その内容について問答を重ねていました。経典を読むと
 いう行為に求められるのは、深く深くテキストに没入していくことであって、これ
 はこれで大切な読み方です。それゆえこれに対して「篇目を見て大意をとる」など
 という態度で読書しようものなら、場合によっては破門されかねません。

  もちろん天台の修行憎が篇目を弛なかったというわけではありません。しかし比
 叡山で重視されるのは、言うなればもっとべたな解釈であって、それにくらべると
 篇目というクリティカルかつエヅセンシヤルなボイントをあらかじめ拾い上げて進
 んでいこうとする法然の読み方は、本流ではなかったのです。叡山の伝続からいっ
 て、それは「易行」に等しいものでした。

  しかし、「目次読書法」を実践している私の立場から見ると、この読み方にはき
 わめて大きな二つのメリットがあります。まずもって読書スピードを格段に加速さ
 せるということ、そして、テキストを多重に読めるということです。
  すこしだけ解説しますと、そもそも目次というものにはニつの特別な編集的機能
 があります。

  まず第一に、その本に登場するキーワードを相互に関係させてマッピングする見
 取り図としての機能です。読書においては、一ページずつ読みすすめて次々と遭遇
 する情報が発するメッセージを受けとめることはむろん人嘔ですが、それに加えて
 「その情報がどのように位置づけられているか」あるいは「その情報にどんな編集
 意図が加えられているか」を察知することがもっと重要なのです。あらかじめ目次
 を読むことは、そうした情報編集の痕跡をホログラフィックに概観することでもあ
 るのです。

  第二に、目次にはその本の意味内容を縮約する機能があります。いささか穿った
 見方をすれば、小説をのぞいてその本に目次以上の内容が書いてあることはありま
 せん。ですから、本を読む前にはまず目次をト分に精読して、そこに書かれている
 キーワードを吹き出しのようなイメージで 頭の中に浮かべておく。そのうえで本
 文を読みすすめると、目の前のテキストと目次にあったキーワードを立体的に重ね
 あわせながら読むことができるのです。

  法然はたんなる多読の読書家ではなく、自分のなかに多重な網目をおこしながら
  本を読む人でした。その出発点は、必ず篇目にありました。のちに法然は膨大な教
  義や修行のなかから「念仏」ひとつを選び取るわけですが、それは「篇目を見て大
  意をとるなり」の読書法で鍛えられた、法然の縮約力やスクリーニングカによって
  いるところが大きかったのだと思います。こうした法然のきわだった編集力に「編
  集的縮約」という方法が躍如していたことは、のちに「選択本願念仏集」を論じる
  ときにふたたびふれることにします。

                                                            この項つづく  

 

 

【無線型ストリング計測システムとは】

固定価格買い取り制度(FIT)のプレミアム期間が終了し、太陽光発電所を20年間
安定して稼働させるためのO&M(運転保守管理)の必要性に、発電事業者の関心は移
っている。
パナソニックシステムネットワークスは、この課題に対し、NTTファシリテ
ィーズとの実証実験
を通し、「無線型ストリング計測システム」を開発。パナソニックシ
ステムネットワー
クスが開発。「太陽光発電向け無線型ストリング計測システム」とは、
O&Mの発電所監視においてストリング単位の計測を無線で行うもの。従来、監視にと
どまっていたが、メガソーラーなどの大規模な発電所では、管理する太陽電池モジュー
ル数が多くなり、不具合箇所発見の遅れや、現場での点検工数の負荷増大などが課題と
っていまる(下の「不具合事例写真例参照)。このシステムでは、ストリング単位に
りこんで監視するため故障」した太陽電池モジュールの早期特定、影や雑草など外的
響のスピーディな異常発見を可能にするもの。

● 発電効率の最大化に貢献

これまでのパワーコンディショナは発電診断の機能を持っており、「それで十分」と思い
がちだが、モジュール1枚の故障が起きた場合、その影響を発見することは難しい。
れに対しストリング単位であれば、その様な故障でも異常を感知することができる。
のために、コスト面――イニシャルコストを抑えながら早期回収でき、さらに  機器
コストだけでなく、現場施工や運用面も含めたトータルコストを抑えメリットを出す
とが重要となる(下図参照)。その点、本システムは、各ストリング単位のデータ計
測子機から無線によりデータ収集するので、(1)太陽光発電所内へのケーブル敷設
も必要なく、(2)また、②計測子機には太陽電池モジュールから電源を供給するため
接続箱への収納や電源工事が省ける。(3)新設導入はもとより、既設への後付けに特
に施工性に威力を発揮し、コストダウンにもつながる。例えば、2MWの発電所で子機
設置台数300台強の現場なら、2~3人の作業で1~2日で取り付けを完了できる想
定している。 |


無線方式は、DECT(DigitalEnhanced Cordless Telecommu-nications)という、欧州電気通信標
化機構(ETSI)が策定したグローバルスタンダードの無線通信方式を採用。通信飛距離が見通しで
約150メートル
と広範囲をカバーでき、1.9GHz帯で、電波干渉を受けにくいことが特長。



(1)異常検知、(2)ストリング監視データ保存、(3)CSVデータ出力、(4)メー
ル送信。

 

 

   

 

元旦は晴天ということで、北野神社→彦根博物館→日牟禮八幡宮→水が浜→白山神社
氏社)と参拝巡りに出かけた。井伊直政の甲冑とひこにゃんとの対面は参拝とは関
係ないが帰宅して、一息入れ飲んだスーパードライの缶ビールは、妙に爽やかにして
これど世界一のビールと感動は参拝日帰りツアーのおかげか。

井伊の赤備え
 

 

 

コメント
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