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極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

新芽のいづる静脈の道

2018年07月04日 | デジタル革命渦論

 

       
                                              
『尉繚子』
紀元前三世紀、秦の始皇帝に仕えた兵法家・尉繚の説を収録したものといわれる。

4.戦  威(せんい)
戦闘力を左右するものは、兵の戦意である。死を恐れずに戦い抜く精神力は、どこから生まれる
のか。命令の効果を諭し、政治を論じ、要は「人の和」であると断言する。尉組子の面目躍如た
る一章。

三つの勝利法
勝利を収めるには、三つの方法がある。道によって勝つ、これが第一。威によって勝つ、これが
第二。力によって勝つ、これが第三である。

自軍の武力を整備練磨し、敵の力を計量してつねに優位を保つように努め、戦わずして敵の戦意
を阻喪せしめるとともに敵軍の統制を乱し、たとい形体は整っていようとも実質的には戦闘の役
に立たぬようにさせてしまう。これが道による勝ち方である。
次に、法制を確立し、賞罰の規定を明示し、兵器を整備して常時使用できる態勢におき、人民の
戦意を高揚させる、これが威による勝ち方である。
さらに、敵軍を撃破し、敵将を殺し、外城を梁っ取って本陣めがけて弩を打ちかけ、敵軍を潰走
させて領土を奪い、凱歌をあげて帰巡する、これが力による勝ち方である。
君主たる者、この三勝の理を体得できれば、それで十分である。

戦意は勝敗のかなめ
さて、戦闘の最高責任者たる将師も、兵となる人民が存在しなければ戦うことはできない。そし
て人民はまた、戦意がなければ戦うことはできない。戦意旺盛ならば進んで戦うが、戦意阻喪す
れば敗走する。戦意こそは、実に勝敗のかなめなのである。
軍も勤かさず、刃も交えずに、敵の戦意を喪失させるには、どうすればよいか。それには五つの
項目について考慮をめぐらさなければならぬ。第一に、作戦計画である。第二に、司令官の選定
である。第三、進攻態勢である。第四に、防衛態勢である。そして第五に、軍紀の確立である。
 この五項目についての決定は、あらかじめ彼我の優劣を綿密に計量して行なってこそはじめて
生かされる。こうすれば、敵の虚を衝くことになり、ひいては戦わずしてその戦意を奪うことが
できる。
相手の戦意を奪い、こちらの戦意は奪われない。これが有能な軍事指導者というものだ。では、
何によって相手の戦意を奪うか。それには、心の勤きというものをよく老えることだ。




【下の句トレッキング:新芽のいづる静脈の道】


ただならぬ世にありふれど花終へて新芽のいづる静脈の道  

Although it’
s a tough world, sprouts are budding on this road like a vein where cherry blossoms
had scattered.



そのたましひ蝶どなりゐてあをめをど宙のはたてを昇りゆくべし

捜せど蛻(もぬけ)の殼のわが棲処うれひは春のもやもやの霧

雲を食らひ雨を唖下しこの土地にぎりぎりに生きぎりぎりに死ぬ

ゆつくりと人遠ざかる。暮れきらね夕霧をだき一夜ありけり

堕ちきれぬままのくやしみ引力に抗ひてこしは心のみなる

薬師寺に唐招提寺いづこぞど斧ふりかざし霞追ひくる

たはむるる童子のわれの若葉してどこしへに木の梢にそよぐ

ふかきふかき無間の穴より這ひあがり蹴落とされつつ地球春の宵

眠られぬ夜を聴こえくるさりさりど宇宙の塵を掃く清掃車

負けいくさど知りつつ立てるもののふの丈高き素志 どほいなびかり

五寸釘打たるるごどし丑三つに汗をねぐひて醒めたるは誰


喜多弘樹 / 『春の宵』

すべての歌に深い歴史的実存性を含んだ躍動が感じられ目が留まるも、第一首の首尾の対句は見
事。母方の里(吉野)の血がシンクロさせたのかもしれない。だとすると、日本語の奥域に驚嘆
するばかりである。

  

第9章 中国の加エトマト産業の暴走――始まりと発展、強制労働
第1節 
1990年代初めから、中国では、イタリア資本によるトマト加工工場が次々と建設された。加
エトマト産業
はみるみる発展し、2000年代に入ると、中国は濃縮トマトの生産量で世界トッ
プに躍りでた。そして2004年、カルキス(中基)は、濃縮トマトをヨーロッパで
販売する足
がかりとして、フランスの大手トマト加エメーカー、ルーカバノンを買収する。こ
うして、中国
は史上晨速でトマト加工品分野の大国に成長したのだ。


まったく経験がなかった分野で、中国がこれほどスピーディーに成長したことは、確かに大
きな
驚きだった。だがそれ以上に驚かされたのは、工場のあまりにもずさんな管理体制だっ
た。20
00年代、イタリアの機械メーカーによって工場が建設されすぎたため、その一部は
もう使われ
ていなかった。新疆ウイグル自治区では、すでに取り壊されたものもあれば、廃墟のまま放置さ
れているものもあるという。
「信じがたいことだけど、中国人ときたら、多く造りすぎたと思ったら、1000万ユーロ以上
の価値がある工場でも平気で取り壊してしまうんだ」
イタリア《フード・ニュース》誌の元ジャーナリストで、中国の加工トマト業界に詳しいダヴィ
デーギロッティはそう旨った,
それにしても、中国の加エトマト産業は、どうやって短期間にこれほどまでに成長できたのか?
その理由を探る前に、まずはそれ以前の加エトマト業界の状況について知っておきたい。業界は
どういう構造をしていて、誰が権力を握っていたのか。

戦後、世界の加工トマト業界を取りしきっていたのは、イタリアのパルマとナポリだった。
当時、ホールトマト缶やトマトペースト缶などのトマト加工品分野は、少数の企業が市場を支配
する寡占状態だった。イタリアの市場を牛耳っていたのは、三つの分野のトップ企業だ。まずは
バルマ。北イタリアのこの町には、国内外に濃縮トマトの販売ルートを持つ大手商社と、最先端
のトマト加工機械のノウハウを持つ食品機械メーカーがあった。そしてナポリ。この南イタリア
の都市には、パルマの商社にとって最大のクライアント、大手食品メーカーのルッソとベッティ
があった。
当時の加工トマト業界では、商社、食品機械メーカー、食品メーカーの三つが密接な利害関係に
ある、堅固なトライアングルを形成していた。関連企業の数は片手で数えられるほどだった。こ
れらごく少数の企業は、二〇世紀後半にわたって、揺ろぎない関係を維持してきた。イタリアの
加エトマト産業は、まさにカルテルの様相を呈していたのだ。

 Feb. 9, 2014

第2節 イタリア、エミリア・ロマーニャ州パルマ
1930年、アルマンドとウーゴのガンドルフィ兄弟は、パルマで食品の卸売をする会社を設立
した。ウーゴはチーズとハムを、アルマンドは缶詰などの保存食品を担当した。1969
年にア
ルマンドが死去するとすると息子のロランド・ガンドルフィが父の仕事を引き継いだ。以来、同
社は海外へも進出し、膨大な量の濃縮トマトを取りあつかうようになった。数多くのクライアン
トを抱えていたが、そこにハインツも含まれていた。二〇世紀後半、ガンドルフィはトマト加工
品の取引で世界最大の商社に成長し、今もその地位を守りつづけている。
ロランド・ガンドルフィは2002年に他界している。だが、彼には生前からの忠実な右腕、シ
ルヴェストロ・ピエラッチがいた。ピエラッチは、仕入れルートと市場を開拓するため、世界中
を駆けまわった。

「わたしはもともと化学者だったんだ。ところが一九六四年のある日、パルマの保存食品産業試
験場(SSICA)から電話がかかってきた。トマト加工工場が化学分析をしてくれる人間を探
していると言うんだ。それがこの業界に入ったきっかけだった」
2016年7月25日の取材時、ピエラッチはすでに現役を引退していたが、むかしの思い出を
惜しみなく話してくれた。

「1969年、ロランドと仕事を始めた。すぐにふたりで海外へ出かけるようになったよ。当時
は外国へ出かけるのはめずらしかったけどね。最初はギリシャとトルコ、次はポルトガルヘ行っ
た。ギリシャの仕入れルートは、その直後の1970年代初めに確立した。パスクワーレ・ペッ
ティが、ギリシャ産の濃縮トマトを買ってくれるようになったんだ。今、ナポリのペッティ社を
経営しているのは、その息子のアントニオだよ。パスクワーレ・ペッティは、じつにたくさんの
濃縮トマトを買ってくれた。そしてわれわれガンドルフィ社は、いくらでも商品を供給すること
ができた。どうしてだと思う? パルマには優秀なトマト加工機械メーカーがある。うちの会社
のすぐそばで、最先端の機械が作られていた。そこでわれわれは、ギリシャの工場に最先端の加
工機械を設置して、濃縮トマトを大量に生産させた。そうやって作らせた商品を買い上げて、ク
ライアントに売ったのさ。

外国の仕入れルートはギリシャが初めてだった。当時はうち以外にもたくさんの会社がトマ
ト加工品の卸売をしていたよ。でもうちには、独自のノウハウ、高い供給能力、クーフイアント
との厚い信頼関係があったからね。一九セ○年代の終わりには、トマト加工品取引で世界一の
シェアを誇るようになった。ハインツ、ネスレ、クーフフトフーズ、パンツァーニなど、たくさ
んの企業と素晴らしいパートナーシップを築いてきた。この業界の大手メーカーとはたいてい
取引してきたよ」

現役時代のピエラッチは、トマト加工工場がひとつでもあるとわかれば、必ずその国を訪れたと
いう。そうやって、大量の濃縮トマトを人手し、あちこちに売りさばいたのだ。追随できる同業
他社はどこにもなかった。
「電話一本で契約が決まって、3万トンの濃縮トマトを売ったこともあったよ。貨物船が数隻分
だ」
1980年代、ガンドルフィ社は主にナポリ方面で取引をしていた。南イタリアのナポリ近郊、
アグロ・サルネーゼ・ノチェリーノ地域は保存食品産業が盛んで、そこにあるいくつかの食品メ
ーカーがクライアントたった。
「ナポリの会社は大量に商品を買ってくれたよ。アントニーノ・ルッソとは1979年に知り合
った。初めて会ったとき、エ場の倉庫で、たくさんの木箱に囲まれて話をしたのを覚えている。
何時間も話しこんだ末、とうとう木箱の上に座りこんだりしてね。南イタリアの人間と仕事をす
るには、最初に信頼関係を築いておくことが大切なんだ。どれくらいの濃縮トマトが売れたか、
数えきれないくらいさ。とにかく当時は、ルッソとペッティが二大企業だった。ジャグアーロは
まだそれほどでもなかった」

「かつて南イタリアの会社は、トマト加工後に残った屑でトマトペーストを作って、超激安価で
アフリカで売っていたんだ。南ではそうやって加エトマト産業が発展した。トマト缶だけじゃな
い、モモ、サクランボ、イングン豆などの缶詰もそうやって作られていた。当時、アグロ・サル
ネーゼ・ノチェリーノでは、野菜とフルーツの市場のほとんどがカモッラ、つまり地元のマフィ
アの手中に握られていたんだ」

ルッソとペッティが巨大な加工トマト市場を二分するようになると、シェア争いが激しくなり、
互いに相手の取引先を横取りしようとするようになった。そしてさまざまな出来事があって、両
社は真っ向から対立しはじめた。アルジェリアやリビアなど北アフリカの国での入札のときもそ
うだった.、
「そういう入札で決まるのは、コンテナ数台レベルの話じゃない。数万トンだ。だからルッソも
ペッティも、アフリカの市場を喉から手が出るほど欲しがった。そこでルッソは、ペッティを出
しぬくためにダンピングをやった。いくつかの商品を不当な低価格で売りけじめたんだ。
年に一度、アルジェリアとリビアで入札が行なわれるときは、それはもう大変な騒ぎだったよ。
今だから言うけれど、そういうときに一番効き目があるのは賄賂さ。その点に関して、リビア入
は最悪だった。際限なく要求してくるからね。アルジェリア入にはなんとか我慢できたが、リビ
ア入は本当にひどかった。まあ、今では状況が一変してしまったけどね。アルジェリア入は中国
から仕入れた濃縮トマトを、自分たちで缶に詰めて売るようになったから」

だが、ルッソとペッティの値下げ競争は、両社に原材料を供給しているガンドルフィ社にとって
は都合がよくない。そこでガンドルフィ社は、折りに触れて両社の仲を収りもとうとした。ロラ
ンド・ガンドルフィは、ルッソとペッティの和解交渉の場を設けるよう、右腕のピエラッチに命
じたという。ある日肢らは、ローフの高級ホテル、エデン・デ・ラ・ヴィア・ルドヴィージの客
室で、秘密裏に築まった。

「ロランドとわたしは、ルッソとペッティを何度も説得しようとした。争いの末、殺し§いにな
ってもしかたがないからね。市場が100買うと言ったら、それは100なんだ。それ以上にも
以下にもならない。だったら、互いに妥協できる線でルールを決めておくほうがずっといい。激
安で売って損をして、共倒れになるのはバカげてる。正当な値段で売ると互いに約束しておかな
いと、いずれはどちらも行き詰まってしまう。大損をして、大赤字になって、税金を収めること
も、仕入れの支払いをすることもできなくなる。

トマトペースト缶だけじゃない、ホールトマト缶だってそうさ。だが、ホールトマト缶について
は、とうとうルッソとベッティを同意させることができなかった。二、三度、戦略を練って、市
場獲得と販売に関するルールを取り決めようとしたが、結局失敗に終わった。その一方で、トマ
トペースト缶についてはどうにか同意させることができたよ。とくにアルジェリアとリビアの入
札に関してはね。ルッソとペッティのどちらかが注文を受けたら、それを二社で折半するのさ。
しばらくはそれでうまくいっていた。どちらがどういう注文を取ってもね。ごく簡単なことさ」

ガンドルフィ、ルッソ、ペッティ……のイタリア三社の《濃縮トマトカルテル》は、1980年
代以来、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカの加エトマト産業を支配している。豊かな国だけでな
く賄しい国にも、大手食品メーカーやスーパーチェーンだけでなく独裁国の町の食品市場にも濃
縮トマトを供給しているのだ。
「中国と仕事を始めたきっかけは、1990
年代のある日、食品機械メーカーのインジェニェー
レ・ロッシからかかってきた電話だった。中国にトマト加工工場を売ることになったから、そこ
で生産される濃縮トマトを売るのに手を貸してくれないか、と頼まれたんだ。ハインツが中国に
参入したのも同じころだった」



第3節 中国、北京
2016年8月21日、カルキス(中基)の創案者で元経営者、リウ将官は北京の自宅でこう言
った,「中国の加エトマト産業の歴史において、イタリアはマルコ・ポーロと同じ役割を果たし
てくれた。中国にトマト加工設備を最初に設置したのは、イタリアの会社だったんだ。北イタリ
アのパルマの機械メーカーが工場を建設して、いろいろなことを教えてくれた。機械の操作方法、
さまざまな技術とノウハウ、人材育成のしかた………何もかも向こうで手はずを整えてくれた。
工場設能のほとんどが、ロッシ&カテッリとインジェニェーレーロッシの製品だった。

完成した工場で生産された濃縮トマトは、南イタリアのナポリの食品メーカー、ルッソとペッテ
ィが買いとってくれた。イタリアは工場を提供してくれたうえ、商品まで買ってくれたんだ。最
初から全部ね。アントニーノ・ルッソと初めて会ったのは、1999年か、2000年だったか
な。わたしが濃縮トマトの商品サンブルを持ってナポリを訪れたんだ。そのサンプルを分析した
結果を見て、ルッソはとても驚いていた。うちの商品のコストパフォーマンスの高さにびっくり
し、信じられないという顔をしていたよ。そして、もっと詳しいテストをしたいからコンテナー
台分送ってほしい、と頼まれたんだ。言われたとおりにすると、いきなり最初から5000トン
の濃縮トマトを発注してくれたよ。

商品が到着すると、ルッソは自社のために3000トンをキープし、残りはナポリのほかの会社
に分けてやったらしい。イタリアでは、カルキスの濃縮トマトの品質の高さに誰もが驚いたんだ。
うちの商品は本当に優れていたからね。カルキスの名前はたちまち知れわたった。その後、新疆
生産建設兵団の副代表をナポリヘ連れていき、アントニーノールッソに紹介した。そのとき、取
引金額の白意が取れて、わたしたちのパートナーシップはよりいっそう強固になった。2003
年には、感謝のしるしにと、ルッソがもうひとつ工場を造ってくれた。わたしたちは長年にわた
って協力関係にあったんだ」



第4節 イタリア、エミリア・ロマーニャ州パルマ
濃縮トマトの世界最大の商社、ガンドルフィ社のオフィスは、シンプルで洗練された内装で、広
々として落ち着いた雰囲気だった。まさにこの場所で、かつて加工トマト業界の「マルコ・ボー
ロ」たちが中国へ出発し、業界のグローバル化の一大ドラマの幕が聞かれたのだ。現在は、ガン
ドルフィー族の三世代目に当たる三兄弟が共同経営し、匪界中を駆けまわって濃縮トマトの売買
を行なっている。毎年、トマト収穫期の夏になると、三兄弟は代わる代わる中国へ出張に行く。
生産現場の監督をしに行くのだ。

わたしの取材の申し出に、長男のアルマンド・ガンドルフィが快く応じてくれた。2016年7
月26日のことだ。
「中国に仕入れルートを確立したのは、うちの会社が初めてです。イタリアから専門家を派遣し
て技術指導を行なうなどして、われわれはずっと中国をサポートしてきました。そのおかげで、
現在うちの会社は、中国製品を輸入する世界最大の商社のひとつになっています」
「1990年代初頭、アルマンド・ガンドルフィは、新規仕入れルートの視察のために初めて中
国を訪れた。その旅をきっかけにして、中国の加エトマト産業が築きあげられたのだ。だが最初
にそう開いたとき、にわかには信じがたかった。そのころのアルマンドは、まだ30歳そこそこ
だったはずなのだから。

「当時の中国は、今とはまったくちがいました。人々はまだ人説服を看ていました。通りには車
はほとんど走っておらず、自転車で溢れかえっていました。発展前のむかしの中国です。あれか
らあの国はずいぶん変わりました。当時の中国を旅するのは、わたしにとってまさに大冒険でし
た。都市から遠く離れた田舎をはるばる訪れました。寝台車で旅をしたときのことを、今もよく
覚えています。丸一日、ひどく不衛生な列車に閉じこめられたのがつらくて、果てしなく長い時
間に思われました。新疆ウイグル自治区では、橋のない川を車で渡ったこともあります。まるで
未開の地を開拓に来た気分でした。そういう地域も、今ではトマトの重要な生産地になっていま
すけどね」

当時、中国政府は新疆ウイグル自治区を開発したいと考えていた。この地域にはすでに新疆生産
建設兵団が駐屯し、農地開拓と産業化を推し進めていた。だが、ウイグル人による独立運動を弾
圧し、中国政府による支配を強化するには、さらなる開発が必要だと考えたのだ。

「当時、濃縮トマトを輸出して海外市場を間発しようとまでは、中国政府は考えていなかったん
じやないでしょうか。すくなくとも、具体的な戦略はなかったはずです。わたしが思うに、当時
の中国政府の主な目的は、農民に仕事を与えること、雇用を剔出すること、そして経済を発展さ
せることだった。そのために投資を行なったのです。ところが最初から、生産された濃縮トマト
はほとんどすべて輸出されました。中国には市場がないからです。中国人はあまりトマト加工品
を食べません。多く見積もっても生産量の10パーセント程度しか国内消費されません。あとは
すべて輸出するしかないのです。生のトマトはたくさん食べられていますが、加工品は売れない
んです。これは文化的な要因でしょう。国民の消費の嗜好が、生トマトからトマト加工品に移る
には時間がかかります。簡単ではありません、国によって食べかたがまったくちがいますからね。
でも最近の若い人たちは、加工品も食べるようになってきました。ただし、時間はかかりますね」

アルマンド・ガンドルフィは、父ロランドと父の右腕のシルヅェストロ・ピエラッチが現役だっ
た時代の、1975年に経営に関わりはじめた。当時、ガンドルフィ社はハインツに濃縮トマト
を供給していた。ハインツにとって重要な卸売業者だったのだ。そのため、ロランド・ガンドル
フィは、ハインツの本社工場があるピッツバーグをしばしば訪れていた。



第5節
1990年代半ば、中国に工場を建設するためのイタリアの資金は、スイスを拠点に流通してい
た[1]。初期のころの工場の建設は、バーター貿易協定によって行なわれていた。
バーター貿易とはいったいどういうものか。シルヴェストロ・ビエラッチがわかりやすく説明し
てくれた。
「まず、わたしがきみに機械を与えるだろう?きみはその機械を使って商品を生産する。商品が
完成したら、きみはわたしにそれをくれる。わたしはその商品をよそに売ることで、きみに与え
た機械にかかった金を回収する……どうだ、わかったかい?むかしはそういうシステムをよく使
ったものだ。それでうまくいっていた」
 つまり、初期のころの工場建設にかかった費用は、通貨によっては支払われていなかった。
その翌年にトマトが収穫され、加工されたあと、完成した濃縮トマトによって後払いされていた
のだ。一言で言えば、物々交換だ。

アメリカ農務省の2002年の報告書に、こうしたバーター貿易協定についての記録が残されて
いる[2]。実際、わたしがこの協定について尋ねると、イタリアや中国の業界有力者の多くは 確
かにがってはこの手の協定があったと証言してくれた。この協定のおかげてイタリアの資金はイ
タリア国内で、そしてイタリアからスイスヘ、税金を免れて流れていったのだ。



だが、世界の加工トマト業界の有力者は誰ひとりとして、自分が協定の当事者だったとは言わな
い。そして、誰が当事者だったか覚えていないと主張する。それはなぜか?もしかしたらこうし
た資金の流通が、資金洗浄を可能にしたのだろうか? マフィアが経営する食品メーカー、つま
りアグロマフィアのためか、あるいは、何かほかにうしろ暗い資金があったのか………だが、そ
の笞えは決してわからないだろう。中国でも、イタリアと同じように、この協定に関しては誰も
が知らぬ存ぜぬの一点張りだった。汚れた金であろうがなかろうが、中国にとっては、この新し
いビジネスで得られる利益は魅力的なものだったのだ。
  
[1] Bill Pritchard et David Burch, Agri-food Globalisation in Perspective, International restructuring in
the processing tomato industry, Farnham, Ashgate, 2003.

[2]  United States Department of Agriculture Foreign Agricultural Service 2002b, p. 4.

                                     この項つづく

 


【5G関連市場・エッジ機器は23年に26兆円超】

● 5G対応基地局は23年に4兆円、5G化率80%へ
6月21日、富士キメラ総研は2018年6月、5G(第5世代移動通信)システムの関連市場を調査し
、その結果を発表した。これによると、2023年の市場規模は、5G対応基地局が4兆1880億円、5G対
応エッジ機器が26兆1400億円になると予測。
今回は、5Gに関連する通信インフラ関連機器/デバ
イス、サーバ/サーバ関連デバイス、エッジデバイス/機器/サービス、その他関連機器/部材
などの市場について調査、分析。

5G対応基地局市場は、マクロセル基地局、スモールセル基地局、C-RAN(Centralized-Radio Access
Network
)基地局を対象とした。2023年の市場規模は、マクロセル基地局で1兆180億円が見込ま
れる。これに対して、スモールセル基地局は2兆9500億円と予測され、市場の拡大をけん引する。
5G対応基地局合計では4兆1880億円となる。この時点で5G化率は80.1%になると推定。



また、5G対応エッジ機器市場は、スマートフォンやスマートウォッチ、監視カメラ、スマートグ
ラス、ドローン、スマートスピーカーを調査対象とした。エッジ機器全体の市場規模は2019年に
3兆5165億円を見込み、2023年に26兆1400億円と予測した。この時点で5G対応比率は60%を超える
見通し。こうしたエッジ機器では、高性能CPUコアの実装などにより、これまで以上に放熱対策
やノイズ対策が重要だと指摘。調査レポートでは、5G導入に連動してバックホールの高速化と大
容量化が進むことから、「100G/200G/400G光トランシーバー」を注目市場として挙げた。対象
とした光トランシーバーは、伝送速度が100Gビット/秒(bps)以上、伝送距離は数百m~40kmの領
域である。市場全体では2023年に6200億円と予測する。このうち、400G光トランシーバーが3000
億円に拡大し、2020年をピークに縮小が想定されている100G光トランシーバーと同等規模になる
見通し。 今回は、専門調査員によるヒアリングなどを2018年3~5月に実施した。調査、分析結
果の詳細は、「2018 5G/高速・大容量通信を実現するコアテクノロジーの将来展望」にまとめた。

【五坐踏破計画 2017】

  ● 焼岳へGO!

少し焦りがある。時間ばかり過ぎ、目標が達成できない。精神的にも日々の作業で限界にある。
心を開放
しなければ。悪天候をさけた今月の土曜に焦点当て単独、あるいは二人で警戒をたてる
ことに。

 ● あの日の一曲

Joanie Sommers  " One Boy "

ジョニー・ソマーズ:Joanie Sommers(1941年02月24日、ニューヨーク州バッファロー、Joan D
rost 
生まれ、現在77歳)は、米国歌手で、ジャズ、スタンダード、ポプスをこなす。「The Voice
of the Sixties
」と呼称され、ヒット曲「Johnny Get Angry」――ビルボード・ホット100で7位を獲
得――で名を馳る。彼女の1960年のデビューシングル「One Boy」(Bye Bye Birdie)はビルボー
ド・ホット100で第54位を獲得、3ヶ月間チャートイン。「One Boy」と「I'll Never Be Be Free
はビルボードの
スポットライト賞を獲得。その後のツアースケジュールには、ニューヨークのレ
フト・バンク・クラブ、ハリウッドのクレッシェンド、ミネアポリスのフレディ、シカゴのザ・
クロスターなどの会場や、ジャック・パール・ショーやボビー・ダーリン・スペシャルの出演な
どに出演を果たす。

  

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明日に向かって

2018年07月03日 | 時事書評

 

       
                                              
『尉繚子』
紀元前三世紀、秦の始皇帝に仕えた兵法家・尉繚の説を収録したものといわれる。

3.制  談(せいだん)
軍は進むも退くも一体であってこそ、戦力を発揮できる。雑多な人間か二体にまとめるには、法
制を確立しなければならぬ。しかしその法制も、運用する人材を得なくては生きない、と説く。

頼るべきは自力のみ
いま、天下の諸国は、侵略の脅威に怯えては、重宝を貢ぎ物とし、愛児を人質に差し出し、領土
を割譲してまで他国の援助を求めるに汲々たるありさまである。だが、援助とはそもそも何であ
ろうか。その実態を考えるがよい。かりに援軍十万と称しても、その実は数万人に過ぎぬではな
いか。しかも、かれらの戦意はどうか。目先だけは勇ましく、「先陣は引き受けた。人後に落ち
ずに戦い抜くぞ」などと吉言壮語するが、実際はがれらほど頼み甲斐のない連中もないのである。
さて、他国からの援軍はさておき、わが国状について考えよう。そもそも軍隊は、法制が確立し
ていなければ掌握することは不可能である。十万の兵を統率する地位にありながら、王はただか
れらに衣食を与えるのみで、軍は戦っても勝てず、守っても支えられない。

これは兵士たちの責任ではなく、管理を忘れた結果なのであって、いねば白票自得である。自国
の軍がこんなていたらくでは、たとい諸国の精鋭の来援を得て戦おうとも、駄馬が駿馬と顛うよ
うなもの、とても呼吸が合わないであろう。
勝敗を決する要因は、あくまでみずからの内にある。天下の経済を支配するに足る経済計画を持
ち天下の法制とするに足る法制を整備し、指揮系統を確立し、賞罰の規定を明瞭にし、生産にい
そしまぬ者は生活できず、戦争に協力せぬ者は栄誉を得られぬようにする。民心を作興して、平
時にあっては生産に、有事の際には戦闘に、おのおのが全力をあげて取り組むようしむける。こ
うなれば、まさしく天下無敵である。
以上、わたくしが法制を整備せよと力説してきたのは、つまり、上下の関係を信によって結べと
いうことなのだ。したがって、人民に対しても、空言を許してはならない。「敵を破ってみせる」
という者には、かならず言葉どおりに戦うかどうかを確かめなければならぬ。

法制の維持は人材による
さて、戦に勝って他国の領土を併合し、他国の人民を支配するには、自国に有能な人材がいなけ
ばならぬ。人材も持たぬままに天下を支配しようと望んだなら、かならずや戦いには敗れ、将
を失う
に至るであろう。かりにコ肢は勝つことがあるうとも、一度は領土を拡張できようとも、
武力は衰え
経済は窮迫の一途をたどるだろう。それはなぜか。人材を持たぬ国においては、かな
らずや法制も乱
れるからなのである。

 Jul. 3, 2018

【ワールドサッカーロシア杯: 明日に繋がるベルギー戦惜敗】

日本サッカーにとって収穫多い名勝負となった。パス回し、ボールさばきはベルギーを上回る。
先制点を奪ったカウンター攻撃、つなぎと速攻を融合させた”日本サッカー”は欧州の強豪にも
通用――日本待望の追加点は52分。相手クリアボールを拾った香川からパスを受けた乾の衝撃
の無回転ミドル弾を名手ティボー・クルトワが守るゴール右隅に突き刺さり、日本2-0ベルギ
――する技能の高さ見せつける。これには世界のサッカーファンも絶賛、「今大会で最も偉大な
ゴール/なんてヒットだ/我が目が信じられない。これは今大会で最も偉大なゴールだ/イヌイ
のゴラッソ(Golazo)だ/イヌイはバロンドール(Ballon d'Or)だ/イヌイ、なんて事だ!なん
て一撃なんだ/イヌイの荘厳なゴール!/なんてショットだ。イヌイ、あなたは美しい/イヌイ
は、天才だ/イヌイとカガワだよ」と。

 Wikipedia

対戦前、鉄壁の守護神ティボー・クルトワを擁するディフェンス陣も容易に得点はさせてくれな
いだろ
うから香川と乾の連動でベルギーの守護神クルトワを攻略せよ――日本の攻撃で最も劇的
的なのは、例えば香川と乾の素早いコンビネーションからペナルティエリア内のワイドに侵入し、
クルトワをニアに釣り出してファーサイドに原口元気が飛び込んでくるような形だ。あるいはシ
ュートをクルトワではなく、DFにブロックされたこぼれ球をノートラップで打つなど突発性の高
いシュートならば、さすがのクルトワも対応しきれないことが多い――と河治良幸AERA dot.:
アエラドット、2018.07.01)は解説していったことを実現させる。

 Jul, 3, 2018
World Cup 2018: Belgium stun Japan to reach quarters - BBC Sport

後半、試合は2得点後、ベルギーは長身を活かした選手たちを揃え空中戦で反撃をしかけ、試合
をイーブンに戻し、日本はオープンな積極的な総攻撃をしかけ本田を投入するも、ベルギーがカ
ウンター攻撃で、残り2分間はで、手薄となったバックを責め立て、あっさりと決勝の3点目を
獲得するが、94分には、選手が疲れ、延長戦などへの予断を生んだかもしれない(ドイツの元
国際大使だったユルゲン・クリンスマン談)。確かに、長友の捨て身の防御があればベルギーの
3列の攻撃伴走者の流れを乱すことに成功し得点を阻止でき、延長戦まで持ち込めたかもしれな
い(疲労困憊は両チーム同じとみて)。思うに、「静」(個人技の連携)の野球に馴染んできた
旧世代のわたしには、「動」(密集戦)のサッカーの集団の流れを阻止する「臨機応変な攪乱策
のパターンは無数にあるように思える。例えばベルギーの”空中戦”という”撹乱戦術”などは、
今風の次世代の「ビック・データ解析」と「仮想図画像/数値計算化」で、平均身長が小さい(
フィジカルな劣性)日本チームがいかなる対抗戦術を編みだすかの「オリジン」がこの試合のス
ポーツ総合科学として含まれていると考える。さて、次回に向け、「より高き」をめざそうでは
ないか。

【今夜も科学と工学がてんこ盛り】

掲載漏れ、積み残しを今夜一挙整理整頓の棚卸しするが1回でおわりそうもない(とほほのほ)。

 No. 12

連載が終了した『エネルギー革命元年』を最新事業開発の考察を継続しながら、新しい事業開発
の考察として『再生医療』の事業開発を掲載していくことにする。ところで、再生医療こと、再
生医学( Regenerative medicine)とは、人体の組織が欠損した場合に体が持っている自己修復力を
上手く引き出し、その機能回復の医学分野である。


● 人間の脳は脅威の頻度と強度を誇張している すべては相対の霧の中に

6月29日、ハーバード大学らの研究グループは、人間が自らの知覚によっていかに欺かれてい
るかを明らかにした。人間の知覚は、脅威や害をもたらす刺激に対して、実際は数が減りつつあ
っても、大量に残っていると知覚している。知覚バイアスというものが、幅広く重要な決定、例
えば警官や研究倫理委員会メンバーが行うような決定に影響を及ぼし得る力を持つことを明らか
にする。心理学者の間では、人間が高度に相対的な文脈の中で判断を行うことは以前から知られ
ていた。

例えば、理由のない攻撃や侵略を受けた場合に、その頻度が減っていても、以前にはそれほど攻
撃的と見なされなかった行動がより敵意を含んだものと知覚される。この現象の解明に、ボラン
ティア参加者に対して、深い紫色から深い青色へと色彩が連続的に変化する千個の点を見せ、そ
れぞれの点が青色かどうかを尋ねた。何度も実験を繰り返した後、一方のグループでは青色の点
の数が減らされ、他方のグループでは減らされなかった。しかし、青色の点の数が減っても、そ
のグループの参加者は同じ数の青色の点があると知覚した。

図1 
Results for Study 1
.

DOI: 10.1126/science.aap8731

重要なことは、数回の追加の実験で、参加者は青色の点が最終的に減ると告げられていても、急
に点の数が減らされた場合、また減ったと報告するよう金銭的なインセンティブが提供された場
合でも、点の数が変らないという誤認が依然として続くことが示された。しかし、これは微細な
バイアスなのか、それとも複雑な状況にも幅広く生じ得るバイアスなのだろうか?著者らは同様
の実験を、「脅すような(threatening)」または「表情がない(neutral)」と知覚された顔を用い
て行ったところ、「脅かすような」顔が少なくなると、参加者は「表情がない」顔をより「脅か
すような」顔であると報告した。最後に著者らが「非倫理的」な研究提案の数と判定について実
験を行っても、同様の現象が認められたという。


● 盛りを過ぎた」はるか向こうでヒトの死亡率は頭打ちになる

6月29日、欧米の研究グループは、非常に高齢では死亡速度が遅くなり、さらには頭打ちにな
ることを明らかにした。それによると、ヒトの加齢に関する最も基本的な疑問の1つに対する貴
重な見識が得られた。ヒトの長寿に生物学的限界はあるのか?ヒトには固定された最高寿命はあ
るのか?、もしあるとしてもまだ寿命の限界には達していないことを示唆している。加齢の人口
統計学は異論の多い話題であり、死亡率は高齢になっても指数関数的に上昇し続けるのかどうか、
横ばいとなって高い値で安定するのかに関して、多くの議論が行われている。

今回の報告で、超高齢者では死亡率が横ばい状態となることを支持する強力なエビデンスを示し
た。今回の研究で、2009~2015年の105歳を超えるイタリアの高齢者3836名の慎重に記録され確認
された生存記録のデータから、死亡率を推定した。今回使用した質の高いデータにより、これま
での超高齢者の人口統計学的研究を制限していた典型的な問題が生じず、これまでにない精度と
真度で超高齢者の死亡率の推定を行うえ、死亡率は年齢と共に指数関数的に増加するが、80歳以
降は減速し、その後105歳以降は横ばいとなることを明らかにした。また、105歳以上の高齢者の
死亡率は、さまざまなコホートで生誕年に基づいて低下しており、ヒトの寿命が経時的に長くな
っていることが強く示唆された。超高齢者の同様な死亡率の横ばい状態は他の種でも認められて
おり、共通した構造的・進化的理由があることが暗示されるという。

 Jun. 29, 2018




● スポーツイベントの正確検査に貢献/「ドーピング検査標準研究ラボ」設立

7月2日、産業技術総合研究所らの研究グループは「ドーピング検査標準研究ラボ」を立ち上げ、
ドーピング検査における分析値の信頼性向上の研究を行うことを公表。それによると、
国際競技
大会に出場する選手などが対象となるドーピング検査は、世界アンチ・ドーピング機構(WADA
が公示するドーピング禁止物質のリストに基づいて行われている。近年、ドーピングの多様化に
より禁止物質は増え続けている(?)。現在は数百種類にも及び、ドーピング検査に用いる分析
装置の目盛付けには禁止物質と同じ種類の標準物質が必要ですが、禁止物質には大量合成が難し
い代謝物なども多く、必要となる標準物質を常備できない。このため信頼性の高いドーピング検
査結果を得るには、計量学的に高品質な標準物質の拡充が不可欠であり、2020東京オリンピック・
パラリンピックなどでの検査基盤強化の一環に、WADAから産総研に計量学的な支援の要請があ
った。


そこで本研究ラボでは、産総研が世界に先駆けて実用化した定量核磁気共鳴分光法(qNMR)な
どの校正技術をさらに高度化させて、迅速さと正確さを兼ね備えたドーピング禁止物質の分析技
術を開発し、国際単位系(SI)にトレーサブルな分析基盤を構築する。本研究ラボで構築した技
術は、NMIJから認証標準物質や校正サービスとして、また、試薬メーカーなどを通じてNMIJ
レーサブル標準物質として、検査分析機関に供給する予定であり、オリンピックなどの国際競技
大会でのドーピング検査基盤強化への貢献を目指す。


●  医療費増大は高齢者増よりも技術進歩による影響が大きい

 May 11, 2018

17年4月に新しい将来推計人口が発表。そこで、年齢階層別、男女別の1人当たり医療費と介
護費を使い医療費・介護費が15年起点として何倍になるかを計算。
日本の人口は15年から6
06まで平均年率0.7%ずつ減少する。下図のA線は、この人口動態のみを反映した医療費であり、
人口減少による医療費減少が高齢化による医療費増加を上回り、医療費が減少し始めるのが30
年頃であることを示している。一方、新しく登場する医薬品や医療機器は高価であり、医療費増
加要因となっている。その医療費押し上げ効果は、他の先進諸国においても年率1%超と言われ
ている。B線は、A線にこの1%の影響を加えた。

人口減少の下でも、医学の進歩とともに医療に対する国民のニーズは増え続ける。

線は人口動態を反映した介護費の将来推移である。40年頃まで介護費は医療費の増加を大き
く上回るペースで増え続ける。これは、80歳以上人口が急増するから。したがって、介護費増
加が財政赤字に与える影響は非常に大きい。
一方、厚生労働省の医療費・介護費の将来推計には"
過大"との批判がよく聞かれる。同省は、12年に作成した将来推計において、15年度における
患者等負担を除く医療の給付費を39.5兆円、利用者負担を除く介護の給付費を10.5兆円と
予測していた。医療費の患者等負担割合は12.3%(115年実績)、介護費の利用者負担割合
は9.6%(同)であるから、同省は155年度の医療費を45.0兆円、介護費を11.6兆円と
予測していたことになる。これに対して、実績値は医療費42.4兆円、介護費は9.8兆円(キ
ヤノングローバル戦略研究所)。

● 常圧より3倍程度高い圧力下で酸化物の短時間焼成に成功

6月22日、豊橋技術科学大学の研究グループは、小型・軽量の加圧ガス雰囲気炉を企業との共
同研究により開発、常圧の3倍程度高い加圧下で、Li2O-Nb2O5-TiO2系(LNT)固
溶体材料の周期
構造が短時間で均質に合成できることを見出しました。またそのメカニズ
ムを詳細な組織・構造
解析により解明し。それにると、汎用型電気炉に比べて焼成工程が
1/4以下になるため、他の
材料系への応用も期待できる。今回開発した加圧ガス雰囲気
炉は通常のAC100Vコンセントを使
用でき、最大800Wで省エネルギータイプの焼成炉。加
圧ガスはコンプレッサーまたは、ガスフロ
ーにより供給・制御し、材料を1100℃まで
加熱できる(図1)。現在、加圧ガス雰囲気炉を
使って、今まで焼成に時間がかかってい
た他の材料系への応用を検討している。また、今回の材
料は、光通信デバイス
や各種センサー、LED等様々な分野の材料として使用可能。

 Jun. 22, 2018

● 河川の地球表面に占める割合は考えられていたよりはるかに大きい

6月28日、北カルフォルニア大学の研究グループは、衛星データを用いて新たに作成された地
球規模の河川地図により、水域の地球上の表面積がこれまで考えられていたよりも約44%大き
いことを公表。地球上の河川の表面積を定量化しようと試みた研究はこれまで2件、2件とも限
られたデータに基づいていたが、河川の水-大気境界面では、大気や生物圏との重要で複雑な化
学交換が起こっている。たとえば、河川が放出する二酸化炭素量は、化石燃料燃焼とセメント生
産で排出される量の約5分の1に相当する。衛星データを用いて、これまでになく詳細な河川のデ
ータベースを作成「Global River Widths fromLandsat(GRWL)Database」と名付ける。これは幅90
キロメートルを超える河川の表面積を定量化するが、データの少ない小さな河川についても一連
の計算を行って合計面積を求めると、こうした河川は氷河で覆われていない地表のうち約77万
3千平方キロメートルを占めると推定。これは以前の推定値より数万平方キロメートル大きいと
いう。

   Jun. 28, 2018


● 日本の日射量予測が大幅に外れる場合を検出する指標を考案

  Jun. 29, 2018

6月29日、産総研らの研究グループは、日射量予測が大幅に外れる事態を検出する「大外し検
出指標」を考案した。日射量予測は、太陽光発電の発電電力量を予測して電力の需給運用するた
めに必要であり、予測が大幅に外れると電力の余剰や不足につながる。今回考案した検出指標は、
世界の4つの気象予報機関(日・欧・英・米)が提供する地球全体を予測する全球アンサンブル
予測情報を併用して評価した指標で、例えば年数回から十数回しか発生しないような、予測が極
端に大きく外れる事態を事前に予測する指標である。この指標は、今後さらに加速していく太陽
光発電システムの大量導入時代の電力の安定供給や、効率的な運用への貢献が期待されるとのこ
と。

・日・欧・英・米の気象予測情報を用いて、年5 %のまれな事象を90 %検出できる指標
・太陽光発電の発電電力量の予測外れによる極端な電力余剰・不足の回避につながる指標
・太陽光発電の大量導入時代における安定的な電力運用への貢献に期待

A diagnostic for advance detection of forecast busts of regional surface solar radiation using multi-center
grand ensemble forecasts

● 危ないコンクリートブロック塀の見分け方

以下の点検項目のいずれかに該当するコンクリートブロック塀については地震時に倒壊の危険が
あるため、緊急に専門家に調査を依頼し耐震診断を行ってください。なお、以下の各点検項目に
当てはまらない場合でも、安全性が確保されない場合がありますので、早期に専門家に相談する
ことをお薦めします(下図、2018.6.29 日本建築学会)。





● 住宅の地中熱利用、導入コスト40%削減の新技術

6月29日、日本大学は新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の事業で、日商テクノ
および住環境設計室(福島県郡山市)とともに、一般住宅向けの浅層地中熱利用システムの低コ
スト化技術を開発。低コスト化を図るため、システムの地中熱交換器で使用する鋼管を回転させ
ながら地中に貫入させていく新たな施工法と、地中熱交換器群と冷暖房用室内機群を連携制御す
るヒートポンプシステム制御技術を開発。プロジェクトの最終目標である導入コスト40%減と
運用コスト10%減を達成を見込む。

日本における再生可能エネルギー利用の一層の拡大に向け、住宅基礎杭などを活用できる浅層地
中熱利用(主に地表から20メートルより浅い土壌中に設置した熱交換器からの熱エネルギーを冷
暖房へ利用する方式)は有力な熱エネルギー候補とされている。
地中熱利用システムは、地中熱
交換器、ヒートポンプ、室内機などで構成されており、地中に埋設させた熱交換器を通じて地中
の熱を取り出し、ヒートポンプで冷熱・温熱を作り出して、室内機で冷房・暖房を行う。冬は外
気より高い温度の地中熱を熱源に利用できるため効率良く暖房運転が行える。また、夏は外気
低い温度の地中熱を熱源に利用できるため効率良く冷房運転できる。

しかし、従来のシステムでは熱交換器の埋設孔を深く掘る必要があるため掘削コストが大きく、
また地中熱交換器とヒートポンプ、ヒートポンプと室内機の制御が最適化されていないため、運
用コストが高いなどが課題だった。このため、既築住宅を含む一般の住宅への普及には従来と比
較し大幅なコストダウンが不可欠であり、新たな要素技術およびシステム技術の開発が急務となっ
ていた。

まず、浅層熱利用システムの導入コスト低減に寄与する技術として、地中熱交換器で使用する鋼
管を回転させながら地中に貫入させていく回転埋設工法を開発した。同施工法は、埋設機能およ
び熱交換機能を保有する2重管方式熱交換器を利用するため、排出残土もなく、埋設作業と熱交
換器設置作業を同時に実施する低コスト型の手法となっている。これを実現するため、深さ20
メートル以浅の地中熱利用であることを生かし、幅、奥行き1メートル程度の小型軽量埋設機構
を開発するとともに、短い鋼管を順次接続しながら地中に回転埋設するねじ式接続法、周囲土壌
を圧密しながら貫入する2重管方式地中熱交換器、鋼管の先端錐(ビット)の設計法を採用。



Burt Bacharach - Alfie Amazing version

                                             
  

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鯖街道まっしぐら

2018年07月02日 | 近江歴史回廊

 

       
                                              
『尉繚子』
紀元前三世紀、秦の始皇帝に仕えた兵法家・尉繚の説を収録したものといわれる。

3.制  談(せいだん)
軍は進むも退くも一体であってこそ、戦力を発揮できる。雑多な人間か二体にまとめるには、法
制を確立しなければならぬ。しかしその法制も、運用する人材を得なくては生きない、と説く。

統御の基本
そもそも、人間誰が死を喜び、生を厭うわけがあろうか。
にもかかわらず、生命の危険を冒して突き進むのは、命令が徹底してゆきわたり、法制が確立し
ているからである。賞罰の規定は明確、その適用は厳正、軍はこのようであってこそ、戦えばか
ならず目的を達成し、成果を収めることができるのである。 士卒百人にひとりの卒長を置き、
士卒千人にひとりの司馬を置き、士卒万人にひとりの将をおくのが、通例の定めである。この少
数の幹部でどのように多数の士卒を統御するか、つまり弱い者がどのように強い者を統御するか、
これこそ法制のかなめなのだ。

もしも、わたくしの考えている統御術を採用するなら、いかなる大軍であろうとも、わずか万人
を処罰するだけで、軍律の厳しさを周知徹底させることができよう。たとい父といえども子を例
外的に扱うことを許さず、子といえども父を例外的に抜うことを許さず、いかなる人間をも厳し
い統制のもとに服従させる、これがわたくしのいう術である。

刃物を振りかぎして町中を諾れまわる男がいれば、ひとは誰しも近づこうとはしない。だからと
いって、この男にだけ勇気があり、他の人間はみな腰抜け揃いだと断定するわけにはゆかない。
これはただ、死を覚悟した人間と、生に執着する芳との相違を示すだけのことだ。ところで、も
しもわたくしの統御術を採用するなら、いかなる大軍をも必死の一諾漢に変貌させ、進めばあえ
て立ち向かう芳もなく、退くにもあえて迫う芳もなく、さながら無人の境を行くがごとくになし
うるであろう。向うところ敵のない軍勢、これこそ、王芳たり和芳たるべき芳の軍なのである。

昔、十万の兵を率いて戦えば、天下に敵なしという人物がいた。斉の桓公がそれである。また、
七万の兵を率いて戦えば、天下に敵なしという人物がいた。呉起がそれである。さらにまた、わ
ずか三万の兵を率いて戦えば、天下に敵なしという人物さえあった。ほかならぬ孫武がそれであ
る。
だが、現在ではどうだろう。諸国の将は、だれにせよ二十万からの手勢をもっている。にもかか
らず、ひとりとしてみるべき完結もあげられずにいるのは、何故であろうか。ひっきょう、かれ
ら兵を統御する術を心将ていないからである。

統御の術を体得せよ。これによって一人を統御することができるなら、十人であろうと統御でき
る。
十人を統御できるなら、たとい百人、千人、万人であろうと、統御できぬはずがない。さて
その上で
兵器の整備に努め、怠らず戦闘訓練に励抒ことだ。こうしてわが軍は、一朝戦端を開く
ときは、さな
がら小雀を盛う漕のごとくI撃のもとに敵を粉砕し、千帽の谷に流れ落ちる急流の
ごとく遮りようの
ない猛威を発揮できるのである。

〈桓公〉 在位紀元前六八五~六四三年。名宰相管仲を用いて春秋五和の一に数えられた。

〈呉起〉 呉子。
〈孫武〉 春秋時代末期の名将。呉王開聞に仕えて大功があった。『孫子』の著者ともいわれて
     いる。


 Wikipedia

 Jun. 29, 2018

【日産リーフ蓄電池 アムステルダム・アレナエネルギー貯蔵システム】

  Mar. 22, 2018

電気自動車の蓄電池は、定置型エネルギー貯蔵事業で注目を浴びている。最新の日産リーフの蓄
電池、アムステルダ・アレンスタジアムに大型エネルギー貯蔵システムに導入されている。
これ
は、スタジアム、来場者、近隣住民の電力網に、信頼/効率的なエネルギー供給と利用を提供す
る。
このエネルギー貯蔵システムは、スタジアの自立型の持続可能なエネルギーとして貢献する。
スタジアム外の一時的な停電状態であってもオランダの電力網の安定化に貢献する。スタジアム
には42000のソーラーパネルのソーラー設備を所有する。 



この事業は、日産、イートン、BAM、モビリティハウス、ヨハンクライフアリーナの協力で実現
し、アムステルダムの気候とエネルギー基金(AKEF)とインターレッグの支援を受けている。
日産は、商用ビル用リサイクル蓄電池と新型電気自動車蓄電池を使用する欧州最大の蓄電システ
ムだと説明している。148
台の日産リーフ蓄電池相当で構成された3メガワット /2.8メガワ
ット蓄電システムを設置(出典:上写真参照)

【特許事例研究篇:最新全固体型蓄電池技術】

デジタル革命渦論下でバッテリ革命が信仰している。この趨勢なら30年までにコンパクトで低
コストで安全/信頼/高エネルギー密度の全固体型蓄電池に置き換わっているだろう。今回は、
最新技術動向として下記の3件の特許事例を掲載する。

❏ 特開2018-088306 固体電解質組成物、固体電解質含有シートおよび全固体二次電池、なら
びに
固体電解質含有シートおよび全固体二次電池の製造方法  富士フイルム株式会社

【概要】
固体電解質を含む層を用いる固体電池において正極と負極との短絡を防ぐ層を提供。
正極と負極
の間に配置する固体電解質として、グラフェン化合物を含む層を用いる(下図参照)。グラフェ
ン化合物を含む層はリチウムイオンを通すことができる。また、グラフェン化合物を含む層には
予めリチウムイオンを含ませておく。具体的には、修飾剤を用い、層間距離が広がるエーテル、
エステルなどの官能基を化学修飾させたグラフェン化合物を用いることで、電気的特性の経時的
安定性に優れ、電池電圧の経時的な低下を効果的に抑制でき、また、固体電解質含有シートは、
全固体二次電池に用いることで、電圧の経時的な低下を効果的に抑制する。また、電池電圧が経
時的に低下しにくく、電池性能の経時的安定性に優れる。さらに、電解質含有シートの製造方法
/全固体二次電池の製造方法には、優れた性能を有する固体電解質含有シート/全固体二次電池
が製造できる。

 
JP 2018-88306 A 2018.6.7

❏ 特開
2018-098200  二次電池およびその作製方法 株式会社半導体エネルギー研究所

【概要】
固体電解質を含む層を用いる固体電池において正極と負極との短絡を防ぐ層の提供。
正極と負極
の間に配置する固体電解質として、グラフェン化合物を含む層を用いる。グラフェン化合物を含
む層はリチウムイオンを通すことができる。また、グラフェン化合物を含む層には予めリチウム
イオンを含ませておく。具体的には、修飾剤を用い、層間距離が広がるエーテル、エステルなど
の官能基を化学修飾させたグラフェン化合物を用いることで、固体電解質に炭素系材料を用いた
リチウムイオン二次電池を提供でき、酸化グラフェンを用いることで、両極の直接的な接触を防
ぎつつ、所望のイオン伝導性/機械的強度を、リチウムイオン二次電池の長期信頼性確保を実現。
また、一個/複数個の蓄電装置に一個/複数個の保護回路を設けることで携帯用電子機器に限ら
ず、医療機器、ハイブリッド車(HEV)などの次世代クリーンエネルギー自動車向け使用でき
る。


JP 2018-98200 A 2018.6.21

❏ 特開2018-101560 半導体固体電池 株式会社東芝 他

【課題】 
エネルギー密度および出力密度の高い半導体固体電池を提供。
N型半導体単層、P型半導体単層
またはPN接合型半導体層のいずれか1種からなる半導体層と、半導体層に絶縁層を介して設け
られた電極を具備することを特徴とする半導体固体電池。また、絶縁層は、厚さが30nm以下、
比誘電率が10以下であることが好ましい。また、絶縁層は膜密度60%以上であることが好ま
しい。これにより電解液を使用しない電池を提供できる。

JP 2018-101560 A 2018.6.28

【符号の説明】

1…半導体固体電池(第一の半導体固体電池)2…N型半導体 3…P型半導体 4…第一の絶
縁層 
5…第二の絶縁層 6…電極(N型側電極) 7…電極(P型側電極) 8…半導体固体
電池(第二の半導体固体電池) 
9…半導体 10…電子 11…正孔 12…電源

   
  

RE100%篇:バーチャルパワープラント実証事業】

 Jun. 27, 2018

6月27日、ソフトバンクグループのSBエナジー株式会社(SBエナジー)は、2018年05月29日に
経済産業省からVPPアグリゲーター事業(B-1事業)の間接補助事業者として採択された、18年
度「需要家側エネルギーリソースを活用したバーチャルパワープラント構築実証事業」の実施す
る(出典:上/下図)。バーチャルパワープラント(VPP)は、高度なエネルギーマネジメントで
自然エネルギーの発電設備と電気自動車(EV)を含む電力需要家側の蓄電設備を統合制御し、仮
想発電所のように電力の創出と調整する技術。実証エリアを拡大し、従来の九州電力エリアに東
京電力エリアと関西電力エリアを追加しVPP実証事業の間接補助事業受託申請。さらに、需給調
整市場の開設を見据えた調整力の提供(下図2)を本日から2019年02月28 日の期間中に東京電力、
関西電力および九州電力エリアで行う。
     
また、VPP基盤整備事業者からのデマンドレスポンス指令を受領して解析し、アグリゲーショ
ンコーディ
ネーターからの充放電指示対象となる各リソースアグリゲーターの保有蓄電リソー
スデータと照らし合わ
せ、独自のアルゴリズムに基づいてリソースアグリゲーターの選定を自
動的に行う機械学習を用いたアグ
リゲーションコーディネーターシステムを構築する。さらに、
SB エナジーは、アグリゲーションコーディネーターの下で連携するリソースアグリゲーター
の1
社としても、下記の技術を活用した実証事業連携を行う。

【鯖街道まっしぐら】

近江の「鯖ずし」や大和の「柿の葉ずし」に欠かせない鯖(福井の「へしこ」、長浜の「鯖そう
めん」もある)だが、季節(旬)や保存期間の関係で脂の変質などで食感を損ねることが多数(
あまた)経験。そこで、世界で広がりを見せている日本製の「鯖の水煮缶」あるいは「鯖とトマ
トの水煮缶」は癖がなく、レパートリーがひろく重宝されている。滋賀の湖西には鯖街道あり有
名であるが、焼き鯖、鯖ずしと限定され工夫に乏しいように見受けられる。ならばレパートリー
を広げてみようとイタリアンのパスタをネットサーフ(以前「へし」でも同じように調べたこと
があった(下写真)。



水煮、締め鯖(昆布締めなど)、焼き鯖、糠発酵には、燻製、塩漬け、味噌漬け、酢付け、醤油漬け、ハー
ブ漬け、オイル漬け、鯖節、天日干し、フレークなどあるだろうが、焼きにも、高周波、近赤、遠赤などの工
夫で脂抜きや液体二酸化炭素などで加圧処理などもある。トマトや野菜のスープ、、パスタ、カレー、鯖フ
レーと豆腐のソーセージ/ハムなど、工夫次第で、「鯖街道」は「グルメ街道」にやがて変わるだろう。



第8章 トマト加工工場の奇妙な光景
第2節 中国、北京

「今日はある本を持ってきました。2004年、カルキスの創立10周年に刊行された記念誌で
す。ここに掲載されている写真についてお話ししていただけますか?」
2016年8月21日、北京の自宅でわたしがそう問いかけると、同社の元経営者、リウ将官は
笑顔でIもちろん」と応じた。
「まず、これは1996年、イギリスでハインツと輸出契約を交わしたときの写真だ。この男は
中国政府の対外経済貿易部の元部長。カルキスの工場を視察に来たんだ。そしてこっちは全国人
民代表大会常務委員長の呉報国。それからこれは2001年のイタリア。アントニーノールッソ
と初めて大きな提携契約で合意したときだ」 
呉報国は、中国共産党中央政治局常務委員会の実質ナンバーツーだった人物だ。国の最高権力者
のひとりとされている。
「イタリアヘはよく行かれていたんですか?」
「ああ。ナポリはわたしにとって第二の故郷のようなものだった。カルキスの発展にとって、イ
タリアはなくてはならない存在だったからね。ナポリ、そしてパルマには本当によく行っていた。
アントニオ・ペッティ、アントニーノ・ルッソとも親しくしていたんだ」
「ルッソはあなたのクライアントだったんですか?」
「クライアント以上の存在だったよ。アントニーノ・ルッソは、わたしの最初のビジネスパート
ナーだ。協力者であり、もっとも大事なクライアントでもあった。この業界のことをいろいろ教
えてくれたんだ。本当にいい人間だった。ルッソはどれだけの濃縮トマトをカルキスから買って
くれたと思う?すごい量だったよ。最初の大口の顧客がルッソたった。2001年から2006
年の間に、カルキスが生産した濃縮トマトの35パーセントから40パーセントを買ってくれた
んだ。わたしがカルキスを経営していた時代は、ナポリにあるルッソの工場に大量の濃縮トマト
を送っていた。わたしたちは真の友人だった。2001一年には、ルッソに工場をひとつ追って
もらったんだ」
「なぜ工場を追ってもうらうことになったんですか?」
「友だちだったからさ。友情の証に工場をくれたんだよ」

第9章 中国の加エトマト産業の暴走――始まりと発展、強制労働
第1節
1990代初めから、中国では、イタリア資本によるトマト加工工場が次々と建設された。加エ
トマト産業はみるみる発展し、2000年代に入ると、中国は濃縮トマトの生産量で世界トップ
に躍りでた。そして2004年、カルキス(中基)は、濃縮トマトをヨーロッパで販売する足が
かりとして、フランスの大手トマト加エメーカー、ルーカバノンを買収する。こうして、中国は
史上晨速でトマト加工品分野の大国に成長したのだ。

まったく経験がなかった分野で、中国がこれほどスピーディーに成長したことは、確かに大きな
驚きだった。だがそれ以上に驚かされたのは、工場のあまりにもずさんな管理体制だった。20
00年代、イタリアの機械メーカーによって工場が建設されすぎたため、その一部はもう使われ
ていなかった。新疆ウイグル自治区では、すでに取り壊されたものもあれば、廃墟のまま放置さ
れているものもあるという。

「信じがたいことだけど、中国人ときたら、多く造りすぎたと思ったら、1000万ユーロ以上
の価値がある工場でも平気で取り壊してしまうんだ」
イタリア《フード・ニュース》誌の元ジャーナリストで、中国の加エトマト栗界に詳しいダヴィ
デーギロッティはそう言った,それにしても、中国の加エトマト産業は、どうやって短期間にこ
れほどまでに成長できたのか?その理由を探る前に、まずはそれ以前の加エトマト業界の状況に
ついて知っておきたい。業界はどういう構造をしていて、誰が権力を握っていたのか。

戦後、匪界の加工トマト業界を取りしきっていたのは、イタリアのパルマとナポリだった。
当時、ホールトマト缶やトマトベースト缶などのトマト加工品分野は、少数の企業が市場を支配
する寡占状態だった。イタリアの市場を牛耳っていたのは、三つの分野のトップ企業だ。まずは
バルマ。北イタリアのこの町には、国内外に濃縮トマトの販売ルートを持つ大手商社と、最先端
のトマト加工機械のノウハウを持つ食品機械メーカーがあった。そしてナポリ。この南イタリア
の都一巾には、パルマの商社にとって最大のクライアント、大手食品メーカーのルッソとベッテ
ィがあった。

当時の加エトマト業界では、商社、食品機械メーカー、食品メーカーの3つが密接な利害関係に
ある、堅固なトライアングルを形成していた。関連企業の数は片手で数えられるほどだった。こ
れらごく少数の企業は、20世紀後半にわたって、揺るぎない関係を維持してきた。イタリアの
加エトマト産業は、まさにカルテルの様相を呈していたのだ。

第2節 イタリア、エミリア・ロマーニャ州パルマ
1930年、アルマンドとウーゴのガンドルフィ兄弟は、パルマで食品の卸売をする会社を設立
した。ウーゴはチーズとムを、アルマンドは缶詰などの保存食品を担当した。1969年にアル
マンドが死去すると息子のロランド・ガンドルフィが父の仕事を引き継いだ。以来、同社は海外
へも進出し、膨大な量の濃縮トマトを取りあつかうようになった。数多くのクライアントを抱え
ていたが、そこにハインツも含まれていた。20世紀後半、ガンドルフィはトマト加工品の取引
で世界観大の商社に成長し、今もその地位を守りつづけている。

1980年代、ガンドルフィ社は主にナポリ方面で取引をしていた。南イタリアのナポリ近郊、
アグロ・サルネーゼ・ノチェリーノ地域は保存食品産業が盛んで、そこにあるいくつかの食品メ
ーカーがクライアントだった。
「ナポリの会社は大量に商品を買ってくれたよ。アントニーノ・ルッソとは1979年に知り合
った。初めて会ったとき、工場の倉庫で、たくさんの木箱に囲まれて話をしたのを覚えている。
何時間も話しこんだ末、とうとう木箱の上に座りこんだりしてね。南イタリアの人間と仕事をす
るには、最初に信頼関係を築いておくことが大切なんだ。どれくらいの濃縮トマトが売れたか、
数えきれないくらいさ。とにかく当時は、ルッソとペッティが二大企業だった。ジグアーロはま
だそれほどでもなかった」

「かつて南イタリアの会社は、トマト加工後に残った屑でトマトペーストを作って、超激安価格
でアフリカで売っていたんだ。南ではそうやって加エトマト産業が発展した。トマト缶だけじゃ
ない、モモ、サクランボ、イングン豆などの缶詰もそうやって作られていた。当時、アグロ・サ
ルネーゼ・ノチェリーノでは、野菜とフルーツの市場のほとんどがカモッラ、つまり地元のマフ
ィアの手中に樫られていたんだ」
ルッソとペッティが巨大な加エトマ上巾場を二分するようになると、シェア争いが激しくなり、
互いに相手の取引先を横取りしようとするようになった。そしてさまざまな出来事があって、両
社は真っ向から対立しはじめた。アルジェリアやリビアなど北アフリカの国での入札のときもそ
うだった.「そういう入札で決まるのは、コンテナ数台レベルの話じゃない。数トンだ。だから
ルッソもペッティも、アフリカの市場を喉から手が出るほど欲しがった。そこでルッソは、ペッ
ティを出しぬくためにダンピングをやった。いくつかの商品を不当な低価格で売りけじめたんだ。
年に一度、アルジェリアとリビアで入札が行なわれるときは、それはもう大変な騒ぎだったよ。
今だから言うけれど、そういうときに一番効き目があるのは賄賂さ。その点に関して、リビア入
は最悪だった。際限なく要求してくるからね。アルジェリア入にはなんとか我慢できたが、リビ
ア入は本当にひどかった。まあ、今では状況が一変してしまったけどね。アルジェリア入は中国
から仕入れた濃縮トマトを、自分たちで缶に詰めて売るようになったから」

だが、ルッソとペッティの値下げ競争は、両社に原材料を供給しているガンドルフィ社にとって
は都合がよくない。そこでガンドルフィ社は、折りに触れて両社の仲を取りもとうとした。ロラ
ンド・ガンドルフィは、ルッソとペッティの和解交渉の場を設けるよう、右腕のピエラッチに命
じたという。ある日彼らは、ローマの高級ホテル、エデン・デ・ラ・ヅィア・ルドヴィージの客
室で、秘密裏に集まった。
「ロランドとわたしは、ルッソとベッティを何度も説得しようとした。争いの末、殺し合いにな
ってもしかたがないからね。市場がI〇〇買うと言ったら、それは100なんだ。それ以上にも
以下にもならない。だったら、互いに妥協できる線でルールを決めておくほうがずっといい。激
安で売って損をして、共倒れになるのはバカげてる。正当な値段で売ると互いに約束しておかな
いと、いずれはどちらも行き詰まってしまう。大損をして、大赤字になって、税金を収めるこ
とも、仕入れの支払いをすることもできなくなる。
 
トマトペースト缶だけじゃない、ホールトマト缶だってそうさ。だが、ホールトマト缶について
は、とうとうルッソとペッティを白意させることができなかった。二、三度、戦略を練って、市
場獲得と販売に関するルールを取り決めようとしたが、結局失敗に終わった。その一方で、トマ
トベースト缶についてはどうにか白意させることができたよ。とくにアルジェリアとリビアの入
札に関してはね。ルッソとペッティのどちらかが注文を受けたら、それを2社で折半するのさ。
しばらくはそれでうまくいっていた。どちらがどういう注文を取ってもね。ごく簡単なことさ」

ガンドルフィ、ルッソ、ペッティ……y』のイタリア三社の《濃縮トマトカルテル》は、198
0年代以来、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカの加エトマト産業を支配している。豊かな国だけ
でなく貧しい国にも、大手食品メーカーやスーパーチェーンだけでなく独裁国の町の食品市場に
も、濃縮トマトを供給しているのだ。
「中国と仕事を始めたきっかけは、1990年代のある日、食品機械メーカーのインジェニェー
レ・ロッシからかかってきた電話だった。中国にトマト加工工場を売ることになったから、そこ
で生産される濃縮トマトを売るのに手を貸してくれないか、と頼まれたんだ。ハインツが中国に
参入したのも同じころだった」

第2節 中国、北京
2016年8月21日、カルキス(中基)の創案者で元経営者、リウ将官は北京の自宅でこう言
った,.
「中国の加エトマト産業の歴史において、イタリアはマルコ・ポーロと同じ役割を果たしてくた。
中国にトマト加工設備を最初に設置したのは、イタリアの会社だったんだ。北イタリアのパルマ
の機械メーカーが工場を建設して、いろいろなことを教えてくれた。機械の操作方法、さまざま
な技術とノウハウ、人材育成のしかた………何もかも向こうで手はずを整えてくれた。工場設備
のほとんどが、ロッシ&カテッリとインジェニェーレーロッシの製品だった。完成した工場で生
産された濃縮トマトは、南イタリアのナポリの食品メーカー、ルッソとベッティが買いとってく
れた。イタリアは工場を提供してくれたうえ、商品まで買ってくれたんだ。最初から全部ね。ア
ントニーノ・ルッソと初めて会ったのは、一丸九九年か、2000年だったかな。わたしが濃縮
トマトの商品サンプルを持ってナポリを訪れたんだ。そのサンブルを分析した結果を見て、ルッ
ソはとても驚いていた。うちの商品のコストパフォーマンスの高さにびっくりし、信じられない
という顔をしていたよ。そして、もっと詳しいテストをしたいからコンテナ1台分送ってほしい、
と頼まれたんだ。言われたとおりにすると、いきなり最初から5000トンの濃縮トマトを発注
してくれたよ。

商品が到着すると、ルッソは自社のために3000トンをキープし、残りはナポリのほかの会社
に分けてやったらしい。イタリアでは、カルキスの濃縮トマトの品質の高さに誰もが驚いたんだ。
うちの商品は本当に優れていたからね。カルキスの名前はたちまち知れわたった。その後、新疆
生産建設兵団の副代表をナポリヘ連れていき、アントニーノールッソに紹介した。
そのとき、取引金額の白意が取れて、わたしたちのパートナーシップはよりいっそう強固になっ
た。2003年には、感謝のしるしにと、ルッソがもうひとつ工場を造ってくれた。わたしたち
は長年にわたって協力関係にあったんだ」。
                                     この項つづく

  ● 今宵の一曲

Sarah Vaughan ft Quincy Jones & His Orchestra - Misty

ソプラノからコントラルトまで幅広く、美しいヴィブラートを聴かせる、オペラ歌手にも匹敵す
る声域と豊かな声量をもちつ。大胆なフェイクやスキャットを取り入れた歌唱力をも持ち味を特
徴とする。ジャズ・ボーカル史上ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルドと並ぶ、女性ジ
ャズ・ヴォーカリスト御三家の一人。


あたしだけ見て
まるで高い木の上に登り降りれなくなった子猫みたいに
そして雲にでもしがみついているような感じ
理解できないの
あなたの手をにぎっただけで霧に包まれたようにばるわたし
あたしはこのまま歩きたいの
すると一千ものバイオリンが奏ではじめ
それって、あなたが声を掛けてくれたようにも聴こえるの
あなたのそばにいると霧に包まれる
あなたに「ついておいで」といって欲しい
でもそれはあたしの想いだけかも
どんなふうにとまどっているのかわかる?
だからあなたについて行ってしまうの
独りで不思議な世界をさまよっているの
もう右足なのか、左足なのか
帽子なのか手袋なのか、
なにが何なのか
わたしはあなたに夢中なの

 

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