阪神淡路大震災から11年が過ぎました。
あの日、生後4ヶ月の娘にミルクを飲ませながらTVをつけると、目に飛び込んできたのは
「ここは日本?」と思うような凄惨な光景。
高速道路がドミノ倒しのように根こそぎ倒れ、あちこちから火が登る。
滋賀でも震度5あったので、急いで電話したが、回線がパンク状態で全くつながらず。
「公衆電話からかけたほうがいいよ!」近所の方のアドバイスで、娘を抱えて
寒空の中、公衆電話に走ったことが思い出されます。
当時、私の父は大阪に単身赴任していました。
大阪でも震度6ほどあったみたいで、当時マンションの13階に住んでいた父は
倒れてくる電化製品を押さえるのに必死だったそうです。
下から押し上げてくるような力の地震・・・「あんな感じ方は初めてだった」
父は、その時のことをそう話していました。
神戸には、父の会社の同僚がたくさん住んでいました。
幸い、皆さん無事だったのですが、なんせこんな状況。
会社になんて出られません。
父は、大阪から神戸までその会社で仲のよい友人を見舞いに、歩いて行きました。
道路は寸断されて西宮より西は電車は前面STOP。
みんな、線路歩いて神戸に入ったそうです。
「なんだか戦争の頃を思い出した。神戸の風景も空襲でやられたような光景だった・・」
ぽつんと一言そう話したのが、今でも強く印象に残ります。
あれから、11年。
月日が経つにつれ、薄れていく防災意識。
だけど今一度、防災意識を再認識しなくては!
・・・今日はそんな1日にしたい・・・・