芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

読むのも聞くのも正確さに欠けて来ているわい

2013年04月19日 | Weblog
中国大使館のヴィザセンターから来たメールをもう一度見たら、日本と、シンガポ-ル、ブルネイの国民で通常旅券を持っている人は、観光や親類と会う目的であれば、15日を超えない期間ヴィザなしで中国に入国できると記してあった。小牧さんの言われる通り、14日迄という事である。小牧さんからの情報ですでに知っていたので、15日というのと、日本というのを見ただけで、よく読まなかったから、時間が出来て、よく読んで初めて、正確に把握できた。我ながら、反省である。
昨夕、女医ジョーティさんが来たので、こないだ教えてもらったリライアンスでパンを買って来たと行ったら、そうではなく、リライアンスの近くのバンとかいう店だと言われた。道理で、近くで買うパンと変わりなかった訳だ。どうも、読むのも聞くのもいい加減になっている。歳のせいか、このごろ、毎日5キロほど歩いて疲れているせいか。

『登米物語』ヒンディー語版の最終稿を、デリーの印刷所に速達で

2013年04月18日 | Weblog
昨日、パンデイ氏にメールで問い合わせたら、私が送った在日インド大使館の雇用ヴィザ申請に必要な書類の目録は、すでに、学長秘書に送っていると返事が来た。雇用ヴィザを取るのに必要な色々な事務は、パンデイ氏が、学長秘書に振ったらしい。前の大学では、学長秘書は、関与せず、契約者は、事務方の理事長だった。余計な仕事は、他の部署に回すのが普通らしい。
今日、昼前に、『登米物語』ヒンディー語版の最終稿を、デリーのゴンダルスプレスに速達で送った。ジャバルプルから1000キロ以上あるからか、4日かかるという。ゴンダルスプレスに印刷の指示をするため、電話したが、誰も出ない。やむを得ず、宿舎に戻ってからメールしたら、「届いたら、見る」という簡単ではあるが返事がきたのでホッとした。
写真は、サダルバーザールの端にある郵便局のさらに先にある道で、サトウキビのジュースを売っている。
デリーの国際交流基金の日本語担当の田中さんにメールしたが、これも戻って来た。当初、『竹取物語ウルドゥー語訳』を数百部買ってくれそうなことを言われたが、そのようなスキームがないことが分かったから、図書館用に5部だけ買う、現金で払いたいと言われ、デリーに行く三ヵ月後に支払いをお願いする旨、メールしていたが、なんどメールしても、戻るし、デリー国際交流基金のおといあわせにメールしてもなしのつぶてである。官の日本人迄、インド的なっている。

インド的事の進め方

2013年04月17日 | Weblog
15日(月)に東京のインド大使館の雇用ヴィザの必要書類をネットで入手して印字したのを、係のパンデイ氏に運転手に持って行ってもらい、渡した。メールで、その書類を用意するように言っているのだが、何の反応もない。前の大学と違って、ここではきちんと仕事が進むから、進めてはいるのであろうが、これがインドでは普通である。
今日、いつものオートで、サダルバーザールから帰って来たが、帰りがけにリライアンスというスーパーに寄るが、いつもと同じ50ルピーで良いかと聞いたのに、そのリライアンスで女医のジョーティさんお勧めのパンを買って来たら、元の道に戻らず、わざわざ遠回りして、80ルピーと言われた。警備員やこの大学の運転手の前で、駅にも行ったなどと主張するので、仕方なく、70ルピー払った。ここインドのやり方は、大衆に向かって、主張して、その同意を求め、大衆は、あまり極端ではない、ほどほどの決定を下す。であるから、主張する人間におおかた利する。これもインド的である。

インドにしては早い反応の中国ヴィザセンター

2013年04月16日 | Weblog
中国に行くにあたって、2週間以内なら、ヴィザの必要がないことを小牧邦男さんから、このブログのコメントに情報を提供していただき、ひと安心した。そうでないと、一人5000ルピー以上払って、中国東方航空に乗るため、デリーに行った時、通常4日掛かるヴィザの取得を2日の至急で取ることになると思われたからだ。中国ヴィザセンターに問い合わせていたが、その返事が昨日の午後に来て、やはり、日本人は、15日以内の旅行なら、ヴィザがいらないと言って来た。これは、インドでは驚きである。こんなに早くしかも、正確に連絡が来るとは期待していなかったからである。ワルダの国立大学の仕事の遅さが身に付いていたせいか、全てに諦める癖がついてしまっている。この早さ、正確さは、中国だからであろうか。

グディパドワという休日から肉断ちのお祈り

2013年04月15日 | Weblog
小牧邦男さんが、コメントで、中国には、日本人なら、15日迄ヴィザなしで入れる事を教えて下さった。
助かった。デリーに行くのが29日で、5月2日深夜出発までの短期間に至急でヴィザを取らなければならないと思いこみ、一人当たり、15万ルピー以上の銀行残高証明書を入手する方法をどうしたら良いかなど考えて、中国大使館にメールで問い合わせていたが、返事もないので、気が重かった。その心配がなくなったので、気楽になった。
それに加えて、今日は、サダルバーザールのチキンセンターに昼前に行って鶏肉を買えたのも嬉しかった。
先週の木曜日はグディパドワという休日で、その日から、2週間の祭りが始まり、夫の長寿を願って、奥さん達がそのあいだ断食しているのだと言う。断食の代わりに、菜食をする人が多く、肉を食べないヒンドゥー教徒が多いので、肉屋が閉まっているかもしれないと思っていたが、回教徒の肉屋には、ヒンドゥー教徒の肉断ちは関係ないと見え、肉屋は、朝から、晩迄開いていることが分かった。

中国のヴィザ

2013年04月14日 | Weblog
家族全員が、食中りに遭っていて、同じ物を食している私だけが、何でもないというのは、私が余程鈍いか、丈夫なのか、或は、歳のせいか。あまり感心できることでもない。そのうちに、突然、反応があるかもしれない。その時こそ笑いものということだ。
帰国途中で、上海で降りて、西安に見物に行くが、今日、観光ヴィザがいることが分かった。前回、広州経由で、降機して、見物できたので、気楽に考えていたが、1日以上空港外に出るとなると、30日の観光ヴィザが必要で、デリーのヴィザセンターで、通常4日掛かるヴィザ受取りに、至急なので、追加料金もかかりなんだかんだで、一人5000ルピーくらい掛かることが分かった。おまけに、鳥インフルの上海経由であるから、成田の検疫でうるさいかもしれない。放射能については、頬かむりなのに。


クッキーで食中毒

2013年04月14日 | Weblog
火木土の夕方に宿舎に来て1時間往診しているジョーティさんという女医が、先週、私の上げたテキストで日本語を学び始め、昨日、挨拶の仕方を一通り覚えて来た。自動詞の主語述語の構文も覚え始めた。7時から、8時迄宿舎で具合の悪い人を診るのだが、実際には、殆ど患者がいないから、日本語教室と化している。
木曜日と昨土曜日に私の家族が診てもらい、薬を貰った。下痢と嘔吐にやられているからだ。何か外で食べたかというので、先日、サダルバーザールのRose Bakeryとう店で買ってきたクッキーの底が、油が焦げて黒かったのと古かったのが原因ではないかという結論になった。それを食べた直後に嘔吐に見舞われたのだ。私自身は今のところなんでもないが、ほかの家族全員が嘔吐に見舞われた。
ジョーティさんは、サダルバーザールには良いパン屋はない、駅に行く途中に良いパン屋があると地図を書いて教えてくれた。

淡路の地震に思う

2013年04月13日 | Weblog
淡路島でやや大きな地震があったようだ。
一昨年の東日本地震では、三日前ほどにやや大きな地震があり、そのあとで、巨大な地震が来た。この淡路の地震が、どうなのか分からないが、日本中、地震が活発化しているから、いつどこで地震が起こってもおかしくはない。引っ越して来たこのジャバルプルでも大きな地震が起こった事があり、ここで2年間教えることになったので、その間に巨大地震がなければ良いが、宮城県沖地震、宮城、岩手内陸地震、東日本地震と三回続けて経験しているだけに、また、ここでも経験するのではないかという思いがある。

IIITDM-JABALPUR から雇用通知を受ける

2013年04月12日 | Weblog
今日、サダルバーザールにいた時、11時迄に来るようにと、急に学長に呼び出され、いつものオートを呼び、宿舎に戻り、暑くて汗をかいていたのでシャワーを浴びたところに、迎えの車が来たので、それに乗り、15分ほど遅れて、学長室に着いた。書類が溜まっているらしく、それを決済しながら、私たちの書類をその場で作ったのを見せられたら、1月25日にここに来た時に、面接された結果、ここで教えるのに適していると判断したので、所轄省庁に認可を申請し、反対がなかったので、客員教授として、給与6万ルピーで2年間雇用するのに同意するかというものであった。
勿論同意するが、その仕方が分からないので、定形の同意書を作ってくれるように、学長秘書に頼んで、取りあえず、昼食をとりに宿舎に戻った。3時に来るという車が、2時45分に迎えにきたので、あわてて用意してまた学長秘書のところに行き、出来た書類に署名したが、ヴィザが取れてからであるから、大学に勤める日にちを空欄にしたら、それでは、受け付けられないというので、また、書類を作り直してもらい、勤めるのは、雇用ヴィザが取れてからと、但し書きをいれてもらい、署名した。これで、ここに勤める事に同意したことになる。後は、日本に帰ってから、ヴィザがちゃんと貰えれば良いのだが、この前の例から、多少不安がある。そのための書類を作ってくれるパンデイ氏が外出中なので、後は来週以降に進めることにして、今日のところは、そこ迄にして宿舎に戻った。
これは、日本流に言えば、内定という事であろう。

アラハーバード銀行のATMが出来た祝賀式典

2013年04月11日 | Weblog
今日、久しぶりで、宿舎からIIITDM大学に行ったら、大学の入口にアラハーバード銀行のATMが出来た祝賀式典をするというので、それに誘われて出席した。
学長達の一連の挨拶があり、それによって、この大学が、あまりに辺鄙なところにあるので、大学内に銀行を開設するのに、募集しても、どこも応募せず、アラハーバード銀行だけが応募して、今日に至って、ATMがやっと出来たということがわかった。
ワルダのマハートマー・ガーンディー国際ヒンディー語大学でもATMは、去年やっと大学正門前に出来た。
このIIITDM-Jabalpur 校は、空港に行く道沿いにあり、空港を利用する人が、あまりいないため、空港には、ATMも銀行もなく、ここにATMが出きたので、空港の利用者もこのATMを使えるようになるという説明であった。大学の周りを見わたす限り、森しか見えず、近所に人家がないから、おもな利用者は学生と大学職員だけであろう。
祝賀品にラッドゥーという菓子2個と、軽食のパンにリンゴジュースが配られた。
大学に行った本来の目的は、外国人の私を雇う許可を所轄省庁から貰ったかどうか確かめに行ったのだが、反対する手紙はもらっていないというだけで、よく分からないまま、帰りの車が出るのでそれに乗って帰った。
パンデイ氏に、『登米物語』のヒンディー語訳の扉惹き文句やあとがき風の文章のヒンディー語を見せて、直してもらった。
大学に来た所轄官庁からの手紙について聞きに、明日でも、また出直さねばならない。