私は俳句を始めてもう10年以上になる。
上達のほうはキャリアに伴わない体たらくだが、
好きなのは変わらず、今でも毎日句帳を枕元に置いて
一句ひねりつつ夢路へ旅立っている。
最初の句会は地元の公民館だった。「俳句会に入会したいんですけど」
と電話を入れると、ちょうど明日句会があるので5句作って来てくれという。
俳句なんて初めてなのに「無茶な…」と思ったのだが、なんとか
5句無理にひねりだして出席した。
私は当時漫画家だったので、漫画家仲間と漫画論なんかを
かんかんがくがくとやりあうのは慣れていたのだが、
この句会のシステムには緊張した。
まず自分の作ってきた5句を一句づつ短冊に書き、裏返しにして他の
人の句と一緒に重ねて置く。これを一緒にシャッフルするのである。
こうするとまったく誰の句かわからなくなる。
この短冊を一枚づつ出席者に回して自分の気に入った句を5句なら
5句選び出して(各句会によって異なる)それぞれが発表するのである。
(自分の句以外)
作者が誰かわからないので、詠まれた句の人は、「○×です」と
自分の名前を言わなければならない。
当時10数人の出席者がいたから、50句以上の中から、自分の5句
が選ばれるかどうかということになる。
この時の句会のメンバーは先生ともう一人の男性を除いて
すべて女性だった。そしてなんと初めて作って初めて発表した我が拙句が
1句詠まれたのである。一瞬どっかで聞いたような…と思っていると
「これは作者はどなたですか?」とうながされて、やっと自分の句
だと気づいて、「あ…あの…わ、私のようです」としどろもどろになって
答えたのだった。
そのとき我が句を採ってくれたのが、たった一人の男性会員のBさんだった。
「春の朝 眠れる森の妻 起こす」
という句だったのだが、今にして思うと、句会の男性は先生とBさんと二人だけ。
しかも二人ともすでに奥さんを亡くされているので、これは誰の句であるか
容易にわかるのである。
つまり白一点であるBさんは私に御祝儀の一票を投じてくれたのだ。
これが恥ずかしながらこのブログを書きながら気づいたのだった。
今更ながらですが、「ありがとうBさん」。
このBさんとは、その後よく呑みに行ったりして、
ごく親しくさせていただいている。
句会をお互いに離れた今でも時折会って呑んだり、私の作品展示のときも
必ず来てくれるのである。
仕事の都合でこの句会を離れてもう10年が経とうとしているのだが、
今でもこのときのメンバーが私の展示会に来てくれるのだ。
その度私は同窓会のようななつかしさと、大いなる歓びをもらっている。
現在は皆と違う俳句結社に所属しているのだが、こちらも
休みが合わなくなってしまって、なかなか行けないのと、
やや遠いのとで句会を遠ざかっている。
しかし一人での俳句作りは、気楽ではあるがもう一つ物足りなさがある。
そのせいか、このところ無性に句会に行ってみたくなってきた。
7月の休みが丁度合うので、久々に句会の空気を吸いに行こうかと思っている。
さすがに、ちょっと緊張するかも…。しかしこれがいいんだなあ…ウン
上達のほうはキャリアに伴わない体たらくだが、
好きなのは変わらず、今でも毎日句帳を枕元に置いて
一句ひねりつつ夢路へ旅立っている。
最初の句会は地元の公民館だった。「俳句会に入会したいんですけど」
と電話を入れると、ちょうど明日句会があるので5句作って来てくれという。
俳句なんて初めてなのに「無茶な…」と思ったのだが、なんとか
5句無理にひねりだして出席した。
私は当時漫画家だったので、漫画家仲間と漫画論なんかを
かんかんがくがくとやりあうのは慣れていたのだが、
この句会のシステムには緊張した。
まず自分の作ってきた5句を一句づつ短冊に書き、裏返しにして他の
人の句と一緒に重ねて置く。これを一緒にシャッフルするのである。
こうするとまったく誰の句かわからなくなる。
この短冊を一枚づつ出席者に回して自分の気に入った句を5句なら
5句選び出して(各句会によって異なる)それぞれが発表するのである。
(自分の句以外)
作者が誰かわからないので、詠まれた句の人は、「○×です」と
自分の名前を言わなければならない。
当時10数人の出席者がいたから、50句以上の中から、自分の5句
が選ばれるかどうかということになる。
この時の句会のメンバーは先生ともう一人の男性を除いて
すべて女性だった。そしてなんと初めて作って初めて発表した我が拙句が
1句詠まれたのである。一瞬どっかで聞いたような…と思っていると
「これは作者はどなたですか?」とうながされて、やっと自分の句
だと気づいて、「あ…あの…わ、私のようです」としどろもどろになって
答えたのだった。
そのとき我が句を採ってくれたのが、たった一人の男性会員のBさんだった。
「春の朝 眠れる森の妻 起こす」
という句だったのだが、今にして思うと、句会の男性は先生とBさんと二人だけ。
しかも二人ともすでに奥さんを亡くされているので、これは誰の句であるか
容易にわかるのである。
つまり白一点であるBさんは私に御祝儀の一票を投じてくれたのだ。
これが恥ずかしながらこのブログを書きながら気づいたのだった。
今更ながらですが、「ありがとうBさん」。
このBさんとは、その後よく呑みに行ったりして、
ごく親しくさせていただいている。
句会をお互いに離れた今でも時折会って呑んだり、私の作品展示のときも
必ず来てくれるのである。
仕事の都合でこの句会を離れてもう10年が経とうとしているのだが、
今でもこのときのメンバーが私の展示会に来てくれるのだ。
その度私は同窓会のようななつかしさと、大いなる歓びをもらっている。
現在は皆と違う俳句結社に所属しているのだが、こちらも
休みが合わなくなってしまって、なかなか行けないのと、
やや遠いのとで句会を遠ざかっている。
しかし一人での俳句作りは、気楽ではあるがもう一つ物足りなさがある。
そのせいか、このところ無性に句会に行ってみたくなってきた。
7月の休みが丁度合うので、久々に句会の空気を吸いに行こうかと思っている。
さすがに、ちょっと緊張するかも…。しかしこれがいいんだなあ…ウン