叔母の訃報を身内から知らされたのは、丁度会社に到着したときだった。
急きょ上司に連絡を入れ、その日のうちに一路長崎へ…。
叔母には、東京での漫画家予備軍のころ、栄養不足に陥ると、のこのこ訪ねて行ってはおいしい
ものを御馳走になって、英気を養ってがんばれたのだった。その他にも色々とお世話になった
人だったのだ。
雨男の本領発揮で、高速バスが長崎に着いたときは雨だった。享年84歳。長患いの末だったので、
覚悟はできていたのだが、看病に立ち会っていた妹から、「生命維持の点滴が入らなくなって、
全て外された」という報告を2週間前に受けていたのだ。
叔母はまん丸い顔をして、いつもニコやかだったイメージが強かったので、「栄養を断たれ、痩せて
骨と皮になっている」と妹に聞いたときは、顔を見るのは止めようと思っていた。しかし、せっかく
この通夜に出席したのだしなあ…と思い直し、焼香のとき恐る恐る拝顔した。すると、痩せては
いたが何十歳も若返ったような、綺麗で可愛い顔をしていたのだ。わたしは再度拝顔して、
ああ…見てよかった。つくづくそう思い、死者の顔の大切さを痛感させられたのだった。
いつの間にか雨は止み、漆黒の長崎の海を眺めつつ宿泊先のケアハウスに到着した。このケアハウス
には義母が居て、客室に泊まれるのだった。このケアハウスは、すぐ前に海が見える素敵なところ
で、我が終の住み家にもいかがなものか…と思えるほどだった。
翌日告別式に出席して、焼き場まで行き、長崎を後にした。坂が多く、山あいまで家が立ち並ぶ
長崎は帰りもだった。
急きょ上司に連絡を入れ、その日のうちに一路長崎へ…。
叔母には、東京での漫画家予備軍のころ、栄養不足に陥ると、のこのこ訪ねて行ってはおいしい
ものを御馳走になって、英気を養ってがんばれたのだった。その他にも色々とお世話になった
人だったのだ。
雨男の本領発揮で、高速バスが長崎に着いたときは雨だった。享年84歳。長患いの末だったので、
覚悟はできていたのだが、看病に立ち会っていた妹から、「生命維持の点滴が入らなくなって、
全て外された」という報告を2週間前に受けていたのだ。
叔母はまん丸い顔をして、いつもニコやかだったイメージが強かったので、「栄養を断たれ、痩せて
骨と皮になっている」と妹に聞いたときは、顔を見るのは止めようと思っていた。しかし、せっかく
この通夜に出席したのだしなあ…と思い直し、焼香のとき恐る恐る拝顔した。すると、痩せては
いたが何十歳も若返ったような、綺麗で可愛い顔をしていたのだ。わたしは再度拝顔して、
ああ…見てよかった。つくづくそう思い、死者の顔の大切さを痛感させられたのだった。
いつの間にか雨は止み、漆黒の長崎の海を眺めつつ宿泊先のケアハウスに到着した。このケアハウス
には義母が居て、客室に泊まれるのだった。このケアハウスは、すぐ前に海が見える素敵なところ
で、我が終の住み家にもいかがなものか…と思えるほどだった。
翌日告別式に出席して、焼き場まで行き、長崎を後にした。坂が多く、山あいまで家が立ち並ぶ
長崎は帰りもだった。