「ねえ、そんなにわたしたちが恥ずかしいの?」「ねえ…」はっとして目が覚めた。
かつてわたしが漫画家時代に描いた「愛しのデブリン」という作品の主人公
デブリンがわたしに言うのである。
夢だった…。わたしは寝ぼけを振り払うと、しばし…考え込んだ。
確かにわたしは、かつて漫画家時代に描いた作品のことを持ち出されると、
顔から火が出るほどに、恥ずかしいのである。数十年前の作品なので、
その作意や技量の稚拙さが今はよくわかってしまうのだ。
だから、その話題が出るだけでも、穴があったら入りたい気になってしまうのだった。
まだ、つい最近になるが、会社を辞めることが周知のことになっていたころ、
仕事を終え、ロッカーでみんな着替えをしてるとき、「Kさん愛しのデブリンの単行本
見せてくださいよ」と若手のX君が突然言いだした。彼はパソコンは得意なので、
以前新聞に載った私のことを調べたらしく、いち早くペンネームから作品をを探りだされ、
そのことを、ちらちらとは口にしていたのだ。
「見せて!」「見せて!」と大袈裟に囃し立てはじめたので、調子に合わせて
周りの連中まで面白がって、「見せて!」の大合唱となり、たまらずわたしは
「それだけは勘弁してくれ」と言って苦笑いしつつロッカーを飛び出した。
彼には悪気などないことはわかっていたので、とがめるつもりなどないが、心底
恥ずかしかったのだ。
そのことに対して、我がキャラクターたちが、抗議ともとれるようなことを夢の中で
訴えてきたのである。つらつら考えてみると、漫画家当時必死になってキャラを
考え、ネタを考え、頭を振り絞るようにして作り出したキャラ達なのだ。
言わば、自分の子であり、分身でもある…ということに思い至ったのである。
特に編集からの依頼ではなく、自分から全て考えて作り出したキャラクター達
「愛しのデブリン」「子連れ先生」「無斉&一生の釣れなくしないで」などは、
結局最後まで残った連載作品になったのだ。
そのことを思うと…申し訳なかったなあ、と深く反省させられたのだった。
これからは、もうそんなに恥ずかしがるのはやめようかと思っている。
というより、できれば思い切って紹介しようかとも…ん…でも…やっぱり…。(汗)
かつてわたしが漫画家時代に描いた「愛しのデブリン」という作品の主人公
デブリンがわたしに言うのである。
夢だった…。わたしは寝ぼけを振り払うと、しばし…考え込んだ。
確かにわたしは、かつて漫画家時代に描いた作品のことを持ち出されると、
顔から火が出るほどに、恥ずかしいのである。数十年前の作品なので、
その作意や技量の稚拙さが今はよくわかってしまうのだ。
だから、その話題が出るだけでも、穴があったら入りたい気になってしまうのだった。
まだ、つい最近になるが、会社を辞めることが周知のことになっていたころ、
仕事を終え、ロッカーでみんな着替えをしてるとき、「Kさん愛しのデブリンの単行本
見せてくださいよ」と若手のX君が突然言いだした。彼はパソコンは得意なので、
以前新聞に載った私のことを調べたらしく、いち早くペンネームから作品をを探りだされ、
そのことを、ちらちらとは口にしていたのだ。
「見せて!」「見せて!」と大袈裟に囃し立てはじめたので、調子に合わせて
周りの連中まで面白がって、「見せて!」の大合唱となり、たまらずわたしは
「それだけは勘弁してくれ」と言って苦笑いしつつロッカーを飛び出した。
彼には悪気などないことはわかっていたので、とがめるつもりなどないが、心底
恥ずかしかったのだ。
そのことに対して、我がキャラクターたちが、抗議ともとれるようなことを夢の中で
訴えてきたのである。つらつら考えてみると、漫画家当時必死になってキャラを
考え、ネタを考え、頭を振り絞るようにして作り出したキャラ達なのだ。
言わば、自分の子であり、分身でもある…ということに思い至ったのである。
特に編集からの依頼ではなく、自分から全て考えて作り出したキャラクター達
「愛しのデブリン」「子連れ先生」「無斉&一生の釣れなくしないで」などは、
結局最後まで残った連載作品になったのだ。
そのことを思うと…申し訳なかったなあ、と深く反省させられたのだった。
これからは、もうそんなに恥ずかしがるのはやめようかと思っている。
というより、できれば思い切って紹介しようかとも…ん…でも…やっぱり…。(汗)