「遊ぼう」ていうと「遊ぼう」っていう
「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう
こだまでしょうか。
いいえ誰でも。
大震災の時のACのCMで流され、あまりにも有名になった金子みすずの詩の一節である。
先日NHKの番組で、その金子みすずの詩を紹介していた。
26歳で一人娘を残して自殺してしまった金子みすずが何を思い
何を綴ったのかを、再現ドラマとナレーションで構成していたのだ。
その中で、冒頭の「こだまでしょうか…」を始めとして、数編の
詩を文字と朗読で紹介していたのである。
それを見ていて、とある詩が読まれると、急に胸がこみ上げてきて
涙があふれ出したのだ。思わず眼の下あたりを両手で押さえたのだが、
とめどなくあふれ出てくるのだった。それは、このような詩だった。
夜がくるまで沈んでる
昼のお星は目に見えぬ
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ
確かに、それまでの詩で気持ちが高ぶっていたとは思うが、
割合地味な詩の様でもあるのに、突然のごとく起こった現象
に自分でも驚いてしまったのである。
しかし、その詩を改めて読んでみると、自分が目指す絵の核心に
触れているのだ。わたしは、昆虫やら鳥、猫、草木などの命の
営みの、声なき声を描きとめたいとして、描いているつもりなのだが、
ともすればこのことを見失いがちになるのである。
いま、それが薄らいでいたに違いない。そこへ、グサリと「見えぬものでも
あるんだよ」という言葉が胸に突き刺さってきたのである。
そして。「ハッ」とした思いに目を覚まされたのだ。あふれた涙は、悔恨の思いが
募ったものに違いない。
襟を正して初心に帰るつもりです。
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