つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

ギャラリー喫茶「奈邪」へ(Ⅱ)

2007-03-19 22:39:53 | ちょっとした出来事
「奈邪」での展示が5月だと思っていたので、
まだ少し時間はあるかな…と思っていたら「奈邪」
のマスターからメールが届いて、4月を予定しているとのこと。

「エッ」と驚いてしまった。もともと土曜日に
行こうと思っていたので、早速カミさんをナビに出かけた。

やっぱり前回同様2時間近くかかってしまった。
「奈邪」へ入るとマスターが展示の絵を丁寧に拭いているとこだった。

絵の汚れを気にしての気遣いなのだ。
展示する者にとってはありがたいことである。
絵の配置も時々入れ替えるそうである。

腹ペコだった私たちは、早速コーヒーと、お勧めの
カツカレーとリゾットを頼んだ。

その間に現在展示中(3月31日まで)の榊原康範小品展(テンペラ・油彩画)を見せていただく。
榊原氏は多摩美大出身の方だけあってさすがにすごい描写力である。
氏はいま多摩美をめざす生徒を連れてヨーロッパ旅行中だとか。
すごいなあとうらやましく思ってしまった。

そうこうしているうちにカレーとリゾットが出来てきた。
カミさんとお互いのカレーとリゾットを
つまみ食いしつつ、いただいてしまった。
いやあどちらも大変おいしかったです。ごちそうさまでした。

食べた後、マスターと展示のことで打合せしたのだが、この
「奈邪」では、展示料無料のうえに、なんと案内状を500通
これまた無料で出してくれるのである。

この案内状というのが、きれいに絵が印刷されたポストカード
で使えそうなものなのだ。

友人が「Mデパート」のギャラリーで展示会をやった時に1000枚
の案内状を出すそうだが、「Mデパート」側が500枚、作者が500枚
受け持つそうで、これはもうMデパート並みではないか。

私など、パソコンで印刷したやつを案内状として送るので、
あんなきれいな印刷のものだったら是非とも私がほしいと
思ってしまった。自分の作品をあんなにきれいに印刷したことが
ないのだ。

展示の前に案内状が楽しみになってきた。

はいまん彩展
2007.4/1(日)~4/30(月)

平日7:00~19:00 土祭7:00~17:00
日曜7:00~12:00


ギャラリー喫茶「奈邪」ナジャ
〒442-0027 愛知県豊川市桜木通り5-5
電話 0533-86-9480






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団塊ちゃん

2007-03-17 07:32:44 | ちょっとした出来事
俳優の鈴木ひろみつが亡くなった。
60歳、団塊世代で元モップスというGSグループのボーカルだったのだ。

モップスの曲でたくろうのカバー曲、「たどりついたらいつも雨降り」
という曲は、恥ずかしながら私の数少ないカラオケナンバーの一曲なのだ。

近頃、団塊世代のいっせい定年退職のことが世間でかまびすしい。
かく言う私もその世代の末っ子である。
我が会社にも、その世代を共有するYさんという同僚がいる。

しかも同時期の入社で、同期の桜である。
彼はスーパーで店長を勤めたキャリアの持ち主で、
ペンしか持ったことのない私にとって、勤め人としての心得を
しっかりと持っている頼もしい人なのだ。

私は彼の背中を見て、勤め人としてのノウハウを学んだ。
彼は度量のひろい人で、こちらが相談すると快くのってくれ
二人で協力して仕事にあたることも度々なのだ。

最近週末などに、気のおけない同僚たちと飲み会に行く。
その流れでカラオケへ行ったりするのだが、その時
歌うのが、モップスの「たどりついたらいつも雨降り」なのである。

当然Yさんも一緒なので「Kさん!たどりついたらいつも雨降り、
いこうよ!」とリクエストがくる。

私はひとしきり歌った後、歌詞ノートをめくって、ワイルドワンズ
の「思い出の渚」を勝手に入力。

イントロが流れ出すと「ホイYさん!」と一声掛ければ
彼は嬉々として歌いだす。そして間奏の合間に
「ほれ!掘って、掘って、」と両手で穴を掘るような
踊りのアクションをくりだす。

彼はGSファンなのだ。
こうして彼とのカラオケは大いに盛り上がるのである。

同じ世代というのは、その共有するものが同じ、あるいは
似通っているので、波動も共通するのかもしれない。
なんともいえない幸福感が感じられるのだ。

それだけに、団塊を共有する鈴木ひろみつの死は、
世代的な受け止め方として、のしかかってきた。
他人事ではないのである。

それぞれ世代を共有する人々には
どこかに同級生意識が潜在していて、お互いの
奮闘を願っているのかもしれない。



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負けたかな…

2007-03-15 02:24:47 | ちょっとした出来事
我が家では、一家3人それぞれ持ち回りでカレーを作る
ことになっているのだが、今回は娘の作る番だった。

ナス・豚ひき肉・たまねぎ・ルーは「こくまる甘口」である。
ナス・たまねぎとも、なんと細切れだ。

カミさんも手伝って無事作り終え、朝に炊いたごはん(うちでは
夕食のカレーのとき、必ずこのタイミングで炊く)にカレー
を乗っけて、食べた。

正直これといって食べ応えのある具がないので、
物足りないんじゃないかなあ…と思っていたが、「うまい!」
一口食べた瞬間に声が出た。

ぜんぜん物足りなくなく、お代わりしてペロリと2杯
食べてしまったのだ。思わず娘の顔に目をやった。

いやあ前回の我が“ためしてガッテン”カレーは負けちゃったかなあ…
そう思えるほどの味だった。

どうしてくれるんだい「カレー番長!」。(ためしてガッテンで
作ったレシピ主)

しかしまあ…“負けてうれしやはないちもんめ”ってとこかな。

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恐るべき旨さの秘密

2007-03-10 08:00:08 | ちょっとした出来事
恥ずかしながら小料理屋で、まっとうなフグ刺しを
初めて食べた。

いや正確には若かりし頃、忘年会で食べた
記憶がおぼろげにあるだけである。

後はスーパーで売っているフグ刺しを気まぐれに
買ってきて食べるぐらいなのだ。

これは正直フグ刺しといえる代物ではない。
何フグだかわからないが、おいしいと思ったことはないのが
現状だ。

刺身・鍋・皮・それから頭の皮のなますみたいなもの
などが出てきた。

刺身は3センチ大に切ったあさつきを、
フグ刺し2~3切れにクルリと巻いてピリカラのたれで食べる。

さぞや旨かろうと食べたのだが、あさつきの刺激と
ピリカラの刺激で、フグそのものの味は正直よくわからなかった。

ただ貧乏性な食いっぷりで、ガツガツといってしまったのだ。

まあ…そいつはいいとして、刺身を食べてる間に
店主が「一人3切れづつね」と言って皿に並べたものを
持って来た。なんとフグの肝である。

どう見ても生に見える。「こ、こんなの食べて大丈夫なの?」
当然ながらの疑問をぶつける。時折り食通の有名人などが、
フグの肝を食べて亡くなったというニュースを耳にするではないか。

すると「これおいしいよ」と隣の常連がパクリ。
「めったに食べれないんだから」と催促され、
ゴクリと生唾を飲み込んだが、パクリといってしまった。

もうこうなれば3切れをパクリ、パクリ。
確かに口の中にとろけるような肝特有の旨みがひろがる。

一番のおいしさだったのだが、しばらくは体に変調がこないか
不安なままほかのものに手をだしていた。

すると「みんな3切れ食べたの?」と声がかかり
「食べたよ」とみんなからの返事である。

「余ってるよだれか食べて」と肝の乗った皿がまわってきた。
確か店主は一人3切れと言ったはずである。

当然ながら私は手でさえぎって拒否したのだが、「4切れ
食べても大丈夫でしょう?」と常連が店主に掛け合う。

店主はコックリとうなずく。うなずき終わるか終わらないうちに
私のたれの中へ4切れ目の肝が入れられてしまったのだ。

もうこうなったら覚悟するしかないなあ…と4切れ目を
苦笑いの口にパクリ。食べてしまったのだった。
このまま逝ってしまったら…なんだかなあ…と思いつつ帰宅した。

一夜明けた今、なんの変調もなくパソコンに向かっている。
そこで思い出したのだが、実は一度ものすごく旨いフグ
を食べたことがあったのだ。

もう10年以上前になるが、千葉の大原というところに
フグ釣りに出かけたことがあって、そこで釣れたショウサイフグ
を食べたのである。

船長が船の上で私が釣ったばかりのショウサイフグを
無造作にさばいてくれ、「ほれ!」と皿にのせて差し出したのである。

当然ながら恐る恐る食べたのだが、その美味しかったこと。
その記憶がまざまざとよみがえったのである。

しかし後で聞いた話によると、なんとその船長の縁戚の人がフグの
肝を食べて亡くなっていたそうである。
それは知らずに食べてしまった事故らしいのだが、
げにフグの恐ろしさをあらわしているではないか。

こうして考えてみると、フグの旨さの恐るべき調味料は
あの毒の恐怖ではないかとさえ思えるようになった。

もしもフグに毒がなかったなら、ただのおいしい
魚だったに違いない。
関西で“てっぽう”と呼ばれるほどの恐るべき旨さの
存在感はなかったに違いない。

旨さを味わうということの奥深さを思ったゆうべだった。




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にがおえはニガテ

2007-03-09 04:47:44 | ちょっとした出来事
ゆえあって娘の小さい頃(1~2歳)の
絵を描くことになった。

元々一度は描いてやらねば…と思っていたので、
いいチャンスとばかりにアルバムを引っ張り出して、
良さそうなのを選んで描き始めた。

はばかりながら、私の根拠のない自信のうちで、
かろうじて写真など見て描けば、なんでも描けるという
自信だけは根拠らしきものがあったつもりである。

ところがどっこい、しげしげと見て描いているにも
かかわらず、似ても似つかない顔になるのである。

「こ、これはなんなんだ」何度書き直しても
同じなのだ。「このヘタクソ!」自分をなじりつつ
それでもしつっこく描いてみるが、娘じゃない。

小さい頃あんなにかわいいと思っていた娘を
私は愛していないのか…とさえ思わしめたのである。

ま…あまり似てはいなかったが、5~6枚目にそれなりの絵が
できたのでホッとしたが、やっぱり似てはいない。

もともと似顔絵は得意ではなかったが、これで
不得手ということがハッキリしたわけである。

特に子供の絵はむずかしいなあ…とあらためて思った。

考えてみると、あの天才といわれるレオナルド・ダビンチにしろ
女性を描かせたら天下一品といわれるラファエルでさえ
幼子イエスの描写を見ると、ぎごちなく描いているではないか。

そう思って自分を慰めるのだった。
娘よ愛してるよ!。

いやほんとムズイ。

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