今回の作品展示において、数点の作品に値段を付けてみた。
もともと本気で売ろうという気持ちが固まってない中、
値段も相場だとかこのぐらいだと買っていただけるだとか
考えず、付けた値段である。
作品も値段を付けて展示するに恥ずかしくないような作品を
選んだつもりである。
基本的には「はいまん彩」ではなく、俳句の入ってない「まん彩」
がほとんどだ。
その中で1つだけ買い手が付いた。それは何の変哲もないと思える
ような「カブトムシ」の絵で、サイズもわたしの作品ではもっとも
小さなものである。
しかしこのカブトムシ実は「絵」だけでいえば我が作品ではもっとも
不満のなかった作品で、自分の中では密かなる名品と自負していたのである。
「これ売っていいの」とカミさんが言うほどのお気に入りでもあったのだ。
しかしそんな作品こそ値段を付けて展示できるのである。
それにしても驚いたのは、みんなよく見ているなあということだった。
このカブトムシみんなが目を留めてくれて、結局一番評価が高かった
のである。
以前も書いたのだが、作品というのは描き手にとって自分の子供のような
ものなので、買い手の方もいい方に嫁いでもらいたいというのが
親心というものである。
幸い買い手の方はいつも来ていただく知人なので、作品の嫁ぎ先
としては申し分のない方なので、その点ではよかったと思っている。
しかし現実に手放すとなると、花嫁の父のような心境になることを
しみじみ感じるこのごろなのだ。
もともと本気で売ろうという気持ちが固まってない中、
値段も相場だとかこのぐらいだと買っていただけるだとか
考えず、付けた値段である。
作品も値段を付けて展示するに恥ずかしくないような作品を
選んだつもりである。
基本的には「はいまん彩」ではなく、俳句の入ってない「まん彩」
がほとんどだ。
その中で1つだけ買い手が付いた。それは何の変哲もないと思える
ような「カブトムシ」の絵で、サイズもわたしの作品ではもっとも
小さなものである。
しかしこのカブトムシ実は「絵」だけでいえば我が作品ではもっとも
不満のなかった作品で、自分の中では密かなる名品と自負していたのである。
「これ売っていいの」とカミさんが言うほどのお気に入りでもあったのだ。
しかしそんな作品こそ値段を付けて展示できるのである。
それにしても驚いたのは、みんなよく見ているなあということだった。
このカブトムシみんなが目を留めてくれて、結局一番評価が高かった
のである。
以前も書いたのだが、作品というのは描き手にとって自分の子供のような
ものなので、買い手の方もいい方に嫁いでもらいたいというのが
親心というものである。
幸い買い手の方はいつも来ていただく知人なので、作品の嫁ぎ先
としては申し分のない方なので、その点ではよかったと思っている。
しかし現実に手放すとなると、花嫁の父のような心境になることを
しみじみ感じるこのごろなのだ。