つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

テキトーの行方

2012-05-09 09:20:59 | ちょっとした出来事

どうも、わたしの本質はテキとー人間のようである。

「毎日、ラジオ体操するぞっと」「毎日、一句作るぞっと」
「毎日散歩するぞっと」「毎日腹筋30顔腕立て30回っやるぞっと」
と、思ってやりだすが、毎日続けた試しがない。

だから今では、“毎日”を取っ払っている。これだと案外無理なく
続けていけるのである。つまり、テキトーにやると続くのである。
以前TVで、90歳を超えて運動をやり続けている人に、秘訣を
聞くと、「サボりながらやる」と答えたのだ。つまり、テキト^にやればいいんだ…。
と、意を強くしたものである。

緑地公園の散歩にしても、早足で、大きく手を振って何かに
憑かれたように歩いている人をよくお見かけするが、テキトー人間の
わたしは、テレンコテレンコ歩いて、俳句をひねったり、猫に話しかけたり、
あるいは、カメラでシャッターを切ったりしているのである。

もちろん、健康のために散歩しているというのが第一なのだが、
人間、二本足で、普通に歩けるというのが、健康の基本だと
思っているので、普通に歩くようにしているだけなのである。

それより、せっかく緑地のいい空気を吸っているし、太陽光を
浴びているので、それ自体の幸せを満喫したいのだ。だから
鼻歌など歌って、のんびり歩きたいのである。

お陰なのか何なのかよくわからないが、けっこう何でも
続いてはいるので、テキトー人間も悪くは無いと思っている。
しかし悲しいかな、お勧めするとまではいけないところがあるのだ。
というのは、密かに自分にはないオタッキーな人への
憧れをいだいているからである。

わたしは、モノへの猛烈な執着心が足りないようなのだ。
例えば、フィギュアを集めるとか、車や電車のミニチュアを
集めるとか、AKB48の全員の名前が言えるとか…(笑)

これらに類する嗜好がはなはだ弱いのである。一番
こだわりを持っている絵においてさえ、何でも描きたいと
思ったものを描いてしまうので、例えば、「魚の絵ならこの人」
といった代名詞のような存在になれそうにないのである。

今やオタクの時代でもある。「この絵ならアイツに任せとけば…」
というような存在に憧れたりもしているのだが…テキトー人間の
悲しさで、実現できそうもない。

ま、いいか…と、これも、テキトーに思ったりしているところが…。ウ~ン



コメント
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