2019年3月30日(土)
遍路道を下る。
1585年、豊臣秀吉の四国攻めが開始された。
秀吉は岸和田城に本陣を敷き、
秀長は4万の兵で一宮城を囲んだ。
長曽我部軍は一万ほどの兵で籠城。
阿波最大の山城なので、20日間あるいは2ヶ月持ちこたえたとか?
しかし、さすがに多勢に無勢で結局降伏しました。
14時09分、『貯水池』
山城にとって水源は貴重。
籠城するには絶対に欠かせない必須条件です。
これより、岩場となり、滑りやすい。
鎖があるので、これを支えに下る。
岩盤が、本丸の石垣とそっくりですね。
この付近で切り取った石を石垣に使ってたのでは?
というか、採石場だったかも?
『蔭滝』
先ほどの貯水池が水源。
画像ではわかりにくいが、ちゃんと水が滝となり落下してましたよ。
紅葉の時期がいいかも?
14時17分、無事に麓に降りることができた。
見事な枝垂れ桜がお出迎え!
いやぁ!これは何よりのご褒美。
頑張ったかいがあったというもんですわ。
正直言って桜の時期にはちょっと早すぎと思ってただけに
これは嬉しかった。
来週だったら、散ってるのでは?
桜を独り占めですわ。
山桜?
菜の花も咲いてます。
14時22分、登山口に戻りました。
一宮神社。
約二時間でした。
"これより、遍路道を歩く。
我が輩もにわかお遍路さんになる。
信心深くないので、いい加減なものですが…
おへんろ道の道標
民家の中の道を抜けると
広い農地、荒れ地?
一宮城を仰ぎ見る。
あんな高い所を登ったのだ。
14時32分、
『寄神社』
神社周辺の農地は、「御殿居(おどい)」とよばれる麓の居館があったらしい。
あくまでも推定ですが。
日常は、こちらで生活してたのだと思われる。
一旦やんだ雨が降りだした。
ついに傘を出した。
山の中じゃなくて良かったと思うべな。
その7に続く
馬《●▲●》助ヒヒーン♪"