2019年3月31日(日)
二日目、
城下町散策の続き。
明治時代に建てられた醤油屋の煙突
レンガ積みはレトロ感あっていいけど、意外に災害に弱くて倒れるそうです
"「日下家住宅」
長屋門。
江戸時代、引田村の庄屋、大内郡の大庄屋でした。
日下家由来。
讃岐高松藩の浦番所や米蔵があり、当時の藩の貴重な史料が残されてる
日下家の石垣と塀。
「旧引田郵便局」
本来は、日下家住宅でした。
風の港館と書いてある。
現在は、カフェ。
まだ開店してなかった。
08時20分、
『讃州井筒屋敷』
ここでも続百名城スタンプ押せるが10時開館なので、
先に引田城に登ることにした。
井筒屋敷の裏門?
ちょっと変わってますね。
赤い建物が登場
『かめびし屋』
醤油さんで、現在も営業されてます。
由来。
生駒家の家臣だった西山丹後の子孫が江戸時代、引田に移り岡田姓に改名、1753年に醤油製造をおこなうようになった。
こんなに国登録有形文化財の建物が残ってるなら、国重伝建地区に指定すべきなのでは?
御幸橋を渡る
08時27分、
『誉田八幡宮』
左こんぴら道の道標。
無事に登山下山できますように、
お祈りしました
誉田八幡宮、本来は引田神社と呼ばれてました。
八幡宮御伝書紀に、「又御宮地を改め則ち誉田の田を称え美しみて号を引田と改む」の記述あり。
これが、引田地名の由来だとか?
ただし、引田地名由来に関しては諸説あり、
干潟の「汐が引いた後地」のことで、引田に。
阿倍氏・阿部氏関連の引田部族が地名に。
などなど…
引田湊(風の港)
08時41分、
引田城の港側登山口。
ここから登ってもいいけど、
ここを下山口にすることにした。
なので、田の浦キャンプ場方面へ向かう。
その12に続く
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
ひこにゃん市役所、
一向に改修が進まなくて、
いまだに
駅前の鳩のマークのスーパーの建物に間借りしてます。
1ヶ月の家賃は、約800万円。
年間にすると、
約1億円!
税金が消えていく😭
ところで、パリのノートルダム大聖堂の復旧寄付金が900億円ほど集まったらしい
ちょこっと、その一部だけでも
我が市に寄付してくれませんか?
バーカ、いってんじゃねぇよ!
と、チコちゃんに叱られるよね😲
馬《●▲●》助ヒヒーン♪