2013/07/23
ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>自転車と筏と少年(1)北京の自転車
日本は、1960年代から1990年ごろまでの30年に大きく変化しました。農業中心の生活から工業中心の国に変わり、国民は1950年には人口の80%が農民だった社会が、2010年には農民は3%にも満たない、という社会に大きく変貌しました。
中国は、日本が30年40年かかって達成した変化を1990年代以後の10年間で一気に追いつけ追い越せと走り続けました。ことに沿海部は急速な変化を遂げています。
私は、1994年にはじめて中国に赴任しました。
1994年にはじめて赴任したときの中国は、まだ都市部にも貧しさは残されていましたが、農村との格差がどんどん広がっていた時代でした。
1994年の北京の道路には、自動車より自転車大部隊のほうが目立っていました。
21世紀になって2度、北京オリンピックの1年前の2007年とオリンピック1年後の2009年に、中国で暮らしました。2009年の北京では、自転車で通勤する人より自動車族のほうがずっと多くなっていました。
王小帥(ワン・シャオシュァイ)監督作品『北京の自転車(十七歳的単車/(十七岁的单车、Beijing Bicycle)』は、2001年、第51回ベルリン国際映画祭で審査員特別賞を受賞しました。日本での公開は2007年。私は飯田橋ギンレイホールで2010年12月に見ました。制作されてから10年後の鑑賞でしたが、描かれている内容は、ちっとも古びておらず、中国の階層格差とそれでも希望を持って生きて行こうとする少年たちの姿に涙しました。
貧しい山西省から出稼ぎにきた17歳の少年、小貴シャオグイ(ツイ・リン)は、自転車配達の仕事にありつきました。元手が何もないグイには、「既定の配達回数をこなせば、貸与の自転車が自分のものになる」という仕事はとても割のいい仕事に思えたのです。
しかし、今日で規定の配達回数になるという日、配達に使っていたマウンテンバイクは盗まれてしまいます。北京の自転車事情から考えて、「そんなところに止めておくと、盗まれるだろう」と予測した通りなので、なんともはやの展開ですが、しかたありません。首にされた小貴は、自分の自転車を取り返せば再雇用してもよいという店長のことばを信じて、北京中を探して歩きます。
北京の高校生、小堅シャオジェン(リー・ピン)は、自分専用の自転車を持っていません。名門校に入学できたら買ってくれるはずの自転車。クラスメートはみな高級自転車を乗り回しています。しかし、シャオジェンの父親は仕事がうまくいっておらず、約束の自転車は買ってもらえませんでした。
小堅は、格安の中古マウンテンバイクの購入を持ちかけられ、父のへそくりを持ち出して内緒で購入します。気になるクラスメートの女子も、自転車を手に入れた小堅を認めてくれて、小堅の高校生活は一気に明るくなりました。小貴がようやく自分の自転車を見つけ出し、盗まれたものであることを証明するまでは。
17歳の少年ふたりに一台の自転車。どちらのものになるのか、、、、
私が1994年に初めて中国に赴任したころ、農村は取り残され、多くの貧しい農民たちが北京や上海に出稼ぎにやってきた時代でした。急速な現代化都市化が進む中国社会。
現在、貧しい人々は、「自分たちが貧しいままなのはどうしてか」を理解するようになり、各地で暴動が起きたり、貧しい若者の自殺事件が起きたりしています。
『北京自転車』は、力ずくの解決ではなく、ふたりの少年の和解がなされました。妥協点は見いだしても、すっきりとはしません。なにしろ自転車は一台しかないので。
一台の自転車と17歳のふたり
中国社会は、まだまだ1台の自転車に何人もが群がるような状態です。
このまま中国社会で14億人のうち5%の人間だけが豊かに暮らし、あとは貧しいままで打ち捨てられていくようなら、13億人は、いつか物申すようになるでしょう。変化のきざしは見て取れると思います。
北京名物だった道路いっぱいの「自転車大行進」光景を見ることはマレになりました。これからいよいよモータリゼーション。一般の勤め人も車に乗る時代になっていきます。しかし、田舎では、まだまだ馬車やロバの荷車も現役の中国。
民衆の不満のはけ口が日本へ向けられるってのはなくなりますように。そんなに急激な変化でなくていいから、ゆっくりとよい方向へ進んでいってほしいです。北京自転車、慢慢走!
<つづく>
ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>自転車と筏と少年(1)北京の自転車
日本は、1960年代から1990年ごろまでの30年に大きく変化しました。農業中心の生活から工業中心の国に変わり、国民は1950年には人口の80%が農民だった社会が、2010年には農民は3%にも満たない、という社会に大きく変貌しました。
中国は、日本が30年40年かかって達成した変化を1990年代以後の10年間で一気に追いつけ追い越せと走り続けました。ことに沿海部は急速な変化を遂げています。
私は、1994年にはじめて中国に赴任しました。
1994年にはじめて赴任したときの中国は、まだ都市部にも貧しさは残されていましたが、農村との格差がどんどん広がっていた時代でした。
1994年の北京の道路には、自動車より自転車大部隊のほうが目立っていました。
21世紀になって2度、北京オリンピックの1年前の2007年とオリンピック1年後の2009年に、中国で暮らしました。2009年の北京では、自転車で通勤する人より自動車族のほうがずっと多くなっていました。
王小帥(ワン・シャオシュァイ)監督作品『北京の自転車(十七歳的単車/(十七岁的单车、Beijing Bicycle)』は、2001年、第51回ベルリン国際映画祭で審査員特別賞を受賞しました。日本での公開は2007年。私は飯田橋ギンレイホールで2010年12月に見ました。制作されてから10年後の鑑賞でしたが、描かれている内容は、ちっとも古びておらず、中国の階層格差とそれでも希望を持って生きて行こうとする少年たちの姿に涙しました。
貧しい山西省から出稼ぎにきた17歳の少年、小貴シャオグイ(ツイ・リン)は、自転車配達の仕事にありつきました。元手が何もないグイには、「既定の配達回数をこなせば、貸与の自転車が自分のものになる」という仕事はとても割のいい仕事に思えたのです。
しかし、今日で規定の配達回数になるという日、配達に使っていたマウンテンバイクは盗まれてしまいます。北京の自転車事情から考えて、「そんなところに止めておくと、盗まれるだろう」と予測した通りなので、なんともはやの展開ですが、しかたありません。首にされた小貴は、自分の自転車を取り返せば再雇用してもよいという店長のことばを信じて、北京中を探して歩きます。
北京の高校生、小堅シャオジェン(リー・ピン)は、自分専用の自転車を持っていません。名門校に入学できたら買ってくれるはずの自転車。クラスメートはみな高級自転車を乗り回しています。しかし、シャオジェンの父親は仕事がうまくいっておらず、約束の自転車は買ってもらえませんでした。
小堅は、格安の中古マウンテンバイクの購入を持ちかけられ、父のへそくりを持ち出して内緒で購入します。気になるクラスメートの女子も、自転車を手に入れた小堅を認めてくれて、小堅の高校生活は一気に明るくなりました。小貴がようやく自分の自転車を見つけ出し、盗まれたものであることを証明するまでは。
17歳の少年ふたりに一台の自転車。どちらのものになるのか、、、、
私が1994年に初めて中国に赴任したころ、農村は取り残され、多くの貧しい農民たちが北京や上海に出稼ぎにやってきた時代でした。急速な現代化都市化が進む中国社会。
現在、貧しい人々は、「自分たちが貧しいままなのはどうしてか」を理解するようになり、各地で暴動が起きたり、貧しい若者の自殺事件が起きたりしています。
『北京自転車』は、力ずくの解決ではなく、ふたりの少年の和解がなされました。妥協点は見いだしても、すっきりとはしません。なにしろ自転車は一台しかないので。
一台の自転車と17歳のふたり
中国社会は、まだまだ1台の自転車に何人もが群がるような状態です。
このまま中国社会で14億人のうち5%の人間だけが豊かに暮らし、あとは貧しいままで打ち捨てられていくようなら、13億人は、いつか物申すようになるでしょう。変化のきざしは見て取れると思います。
北京名物だった道路いっぱいの「自転車大行進」光景を見ることはマレになりました。これからいよいよモータリゼーション。一般の勤め人も車に乗る時代になっていきます。しかし、田舎では、まだまだ馬車やロバの荷車も現役の中国。
民衆の不満のはけ口が日本へ向けられるってのはなくなりますように。そんなに急激な変化でなくていいから、ゆっくりとよい方向へ進んでいってほしいです。北京自転車、慢慢走!
<つづく>