2013/07/02
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(10)中ザワヒデキ展in吉祥寺美術館
現代ゲージツ、う~んワカラン。
で、済ませてきました。好きになる機会もなかったので、敬して之を遠ざけて。
私が好きだと言えるのは、印象派以後は、キュビズム、シュルレアリズムくらいまでがせいぜいです。抽象画というと、ミロ、カンディンスキー、ドローネー、モンドリアンあたりまで。
デュシャンの「泉」も、話には面白いけれど、便器を見てゲージツだと思ったかというと、まあ、それならばどっかの学校に忍び込んで学校中の便器に「R. Mutt」とサインしてまわり、「芸術作品を汚すな」と叫んで、学校トイレを使用不能に追い込むとかした方が、学校中の窓ガラス割って回るよりずっとゲージツ的でよろしい、なんぞと思うだけ。
現在は失われてしまった現物の「泉」が、実は保管されていたので、あなたに特別にゆずってあげようと言われたとして、本物かどうかは定かではない、ってところが、デュシャンの狙いなのだろう。ほんとに本物なら、むろん、美術館に寄付します。オークションにかけて、高値で売り抜こうなんて、かけらも思ったりしま、、、、、、
TOTOのウォシュレットにサインして美術展に出したゲージツ家いるかしら。アンデパンダン展なら無審査で、出品料を1万円くらい払えば展示してもらえるのに。
さて、現代芸術です。何度か木場の東京都現代美術館に行きました。ぐるっとパスの「タダで常設展みられます館」になっていて、タダが大好きな私、見ておかないとタダがソンした気になるので、見ました。何度か見ているうち、おなじみの作品も出てくるし、それなりに愛着がわいたりして、最近は、けっこう現代美術に抵抗がありません。 以前は、見ると水玉に酔って気分がクラクラしていた草間彌生も、近代美術館で「冥界への道標」を見て、あらためて、「いいな、草間彌生」と思えました。
東京都現代美術館のリポートは、こちらに。
http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/09/post_fdd0.html
中ザワヒデキ(1963~)は、美術家としては変わった経歴の持ち主です。東京ゲーダイとかタマビ、ムサビなんぞの出身者が多い中、中ザワは、千葉大学医学部出身の元眼科医です。新潟県生まれ、神奈川育ち。小学生時代に「平塚市風景画展神奈川県教育長賞(1974年」を受賞したということで、絵心は幼い頃からもっていた。医学部在学中も個展を開催し、眼科勤務医として仕事と平行してアート活動を続けてきました。
吉祥寺美術館は、入館料100円なので、中ザワヒデキ展、2度見ました。2度みても、200円。
http://www.musashino-culture.or.jp/a_museum/exhibitioninfo/2012/10/post-104.html
1月に見て、2月の会期が終わるとき「あ、今日で最後だから、もう一度見ておこう」と思う何かを、中ザワの作品に感じました。
入り口のすぐ前に、碁盤上に白と黒の石を敷き詰めた作品が展示されていました。
『三五目三五路の盤上布石絵画第一番』1999
「盤上布石絵画」制作中
新聞に碁の名人戦などの投了図が載っていることがあります。その白と黒の図を見て、碁がわからない私は、「模様がきれいだなあ、現代アートみたいだなあ」と思ったことがあります。二人の人が脳力を尽くして戦ったあとの布石が、きれいな模様になっていて、モダンアートに見えました。でも、最初からアートとして碁盤を扱った作品、1999年に中ザワヒデキが公開するまで、だれもアート作品にはしていなかったのではないでしょうか。
碁盤の白黒を美しいと思って見て来た私も、視力検査表をアートと思って眺めたことはありませんでした。健康診断でだれでも一度は目にしたことのある視力検査表、眼科医中ザワヒデキにとっては、これもアートでした。視力表をアートモチーフとして使ったのも、おそらく中ザワが最初です。
視力表をじっと見つめ(たいてい片目で)Cの字の開いている部分が上か左かと目をこらす。「見ること」を強烈に意識させる哲学的な作品でもあるのに、ポップで笑える絵。
視力表シリーズは3点が展示されていました。ポスターになっているのは、「オヨヨカセイジンオヨヨ」とカタカナが書かれているもの。
「脳内で混ぜ合わせると灰色になるように」と、色彩が並べられた作品など、常に新しい表現方法をさがす中ザワの代表作が、展示数は少ないけれど見ることができました。
脳波によって描かれた「脳波計絵画」とか、「目で見ること」をつきつめていく眼科医としての経験がどのように美術に反映しているのかも、とても興味深かったです。
音楽分野やインスタレーションなど幅広く「現代芸術」にかかわっている中ザワヒデキ。うん、これから先、どんな奇想天外が飛び出すのか、たのしみです。
<つづく>
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(10)中ザワヒデキ展in吉祥寺美術館
現代ゲージツ、う~んワカラン。
で、済ませてきました。好きになる機会もなかったので、敬して之を遠ざけて。
私が好きだと言えるのは、印象派以後は、キュビズム、シュルレアリズムくらいまでがせいぜいです。抽象画というと、ミロ、カンディンスキー、ドローネー、モンドリアンあたりまで。
デュシャンの「泉」も、話には面白いけれど、便器を見てゲージツだと思ったかというと、まあ、それならばどっかの学校に忍び込んで学校中の便器に「R. Mutt」とサインしてまわり、「芸術作品を汚すな」と叫んで、学校トイレを使用不能に追い込むとかした方が、学校中の窓ガラス割って回るよりずっとゲージツ的でよろしい、なんぞと思うだけ。
現在は失われてしまった現物の「泉」が、実は保管されていたので、あなたに特別にゆずってあげようと言われたとして、本物かどうかは定かではない、ってところが、デュシャンの狙いなのだろう。ほんとに本物なら、むろん、美術館に寄付します。オークションにかけて、高値で売り抜こうなんて、かけらも思ったりしま、、、、、、
TOTOのウォシュレットにサインして美術展に出したゲージツ家いるかしら。アンデパンダン展なら無審査で、出品料を1万円くらい払えば展示してもらえるのに。
さて、現代芸術です。何度か木場の東京都現代美術館に行きました。ぐるっとパスの「タダで常設展みられます館」になっていて、タダが大好きな私、見ておかないとタダがソンした気になるので、見ました。何度か見ているうち、おなじみの作品も出てくるし、それなりに愛着がわいたりして、最近は、けっこう現代美術に抵抗がありません。 以前は、見ると水玉に酔って気分がクラクラしていた草間彌生も、近代美術館で「冥界への道標」を見て、あらためて、「いいな、草間彌生」と思えました。
東京都現代美術館のリポートは、こちらに。
http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/09/post_fdd0.html
中ザワヒデキ(1963~)は、美術家としては変わった経歴の持ち主です。東京ゲーダイとかタマビ、ムサビなんぞの出身者が多い中、中ザワは、千葉大学医学部出身の元眼科医です。新潟県生まれ、神奈川育ち。小学生時代に「平塚市風景画展神奈川県教育長賞(1974年」を受賞したということで、絵心は幼い頃からもっていた。医学部在学中も個展を開催し、眼科勤務医として仕事と平行してアート活動を続けてきました。
吉祥寺美術館は、入館料100円なので、中ザワヒデキ展、2度見ました。2度みても、200円。
http://www.musashino-culture.or.jp/a_museum/exhibitioninfo/2012/10/post-104.html
1月に見て、2月の会期が終わるとき「あ、今日で最後だから、もう一度見ておこう」と思う何かを、中ザワの作品に感じました。
入り口のすぐ前に、碁盤上に白と黒の石を敷き詰めた作品が展示されていました。
『三五目三五路の盤上布石絵画第一番』1999
「盤上布石絵画」制作中
新聞に碁の名人戦などの投了図が載っていることがあります。その白と黒の図を見て、碁がわからない私は、「模様がきれいだなあ、現代アートみたいだなあ」と思ったことがあります。二人の人が脳力を尽くして戦ったあとの布石が、きれいな模様になっていて、モダンアートに見えました。でも、最初からアートとして碁盤を扱った作品、1999年に中ザワヒデキが公開するまで、だれもアート作品にはしていなかったのではないでしょうか。
碁盤の白黒を美しいと思って見て来た私も、視力検査表をアートと思って眺めたことはありませんでした。健康診断でだれでも一度は目にしたことのある視力検査表、眼科医中ザワヒデキにとっては、これもアートでした。視力表をアートモチーフとして使ったのも、おそらく中ザワが最初です。
視力表をじっと見つめ(たいてい片目で)Cの字の開いている部分が上か左かと目をこらす。「見ること」を強烈に意識させる哲学的な作品でもあるのに、ポップで笑える絵。
視力表シリーズは3点が展示されていました。ポスターになっているのは、「オヨヨカセイジンオヨヨ」とカタカナが書かれているもの。
「脳内で混ぜ合わせると灰色になるように」と、色彩が並べられた作品など、常に新しい表現方法をさがす中ザワの代表作が、展示数は少ないけれど見ることができました。
脳波によって描かれた「脳波計絵画」とか、「目で見ること」をつきつめていく眼科医としての経験がどのように美術に反映しているのかも、とても興味深かったです。
音楽分野やインスタレーションなど幅広く「現代芸術」にかかわっている中ザワヒデキ。うん、これから先、どんな奇想天外が飛び出すのか、たのしみです。
<つづく>