2013/07/07
ぽかぽか春庭@アート散歩>織り姫たちの千年(1)たなばたさま、おりひめさま
七月七日には、「字がじょうずになるように、短冊に書く」そして「さまざまな願い事を星に祈る」など、地方地方によっていろいろな行事が行われます。たなばたに「七夕」の漢字をあてる熟字訓は、中国の節句の文字をそのまま当てたためで、古来の日本の行事の意味では、漢字を当てるとしたら「棚機(たなばた)」や「棚幡」でした。
先祖の魂を呼ぶため「機織りによって出来た幡」を飾ってきました。この「ひらひらすることによって魂を呼ぶ」「幡」は、現代でも「盆棚」を座敷にしつらえる地方では、葉のついた枝を飾ったりして、残されています。七夕笹飾りの笹の葉も、もとは魂を呼ぶための依り代(よりしろ)であったのです。
先祖の魂祭のほうは、仏教伝来後は「盆」行事に移行し、「たなばた」は中国の織り姫彦星伝説と日本の「棚機津女(たなばたつめ」の伝説・神話が習合して、現在のたなばた祭りになりました。
牽牛が牛を引いて耕作した野菜などの「種物(たなつもの」と、織り姫が養蚕によって絹を織り上げた産物の「はたつもの」を供えることにより、食と衣の安定供給を願いう行事なのだとも。
織り姫の伝説から、織物に関する行事も多くの地方で行われてきました。
奈良平安時代の宮中や貴族の館では、中国唐時代に盛んであった「乞巧奠(きっこうてん)」の行事がとりいれられ、庭に針や糸を飾って、針仕事ほかの手仕事技芸の上達を願ったそうです。
機織り仕事をする者にとっては、1年1度のたいせつな行事でした。
糸をあつめて布を織る、編む。布をあつめて糸と針で身にまとう衣服を縫う。糸や布をさまざまな方法で色鮮やかに染める。
布仕事は、人類が手によって成し遂げてきた仕事の中でも、「食べ物を手に入れる」という生存に直接関わる作業のほかの仕事では、もっとも古くから延々と続けてきた仕事と思います。
日本には古来より、大陸からまた南方から、さまざまな染織方法が取り入れられ、友禅染など日本独自に発達を遂げたにすばらしい染め物や織物が生まれました。
最近の織物情報、糸情報で一番興味深かったのは、「くもの糸」を蚕に作らせる方法が開発された、という記事。遺伝子操作であることはちょっとひっかかりますが、蜘蛛の遺伝子を蚕に移し、蚕の吐く糸が蜘蛛の糸と同じに強くしなやかな糸になるよう、遺伝子組み換えが成功したというニュースでした。お釈迦様がたらした一本のくもの糸に何万もの地獄の人々がつかまった、というのは「おはなし」であるとして、蜘蛛の繊維は、鉄鋼とおなじくらいの強度をもっているそうです。
古い染織技法の復活もときおり話題になります。染織技法に興味があるので、吉岡幸雄らの「古代の染織技術復活」などのニュースに目をみはってきました、
さまざまな「幻の技術復活」が試みられた中、「本当の復活ではない」と、染織の研究者が言うこともあります。「辻が花」のことです。
近年になった復活されたのは、昔のものとはまったく異なる染法なのに、さまざまな染色法を各自が独自に「辻が花」と名乗っていて、混乱している、と、研究者が指摘しています。
室町時代に大流行した「辻が花」は、麻の染め物を指しました。しかし、江戸時代の友禅染の大流行に押されてその技法が廃れてしまったのです。
明治時代になって、室町時代の高度な縫い締め絞りのうち、染織技法がわからないものを「辻が花」と呼ぶようになり、「辻が花」といえば「幻の染め物」として関心が深まりました。
今では、染織作家がそれぞれの独自の「辻が花」という名を名乗っています。
研究者の中には「昔の染織方法にネーミング権がないからといって、勝手に辻が花を名乗るのは許し難い」と怒っている人もいます。私など素人は、「辻が花復活」ときくと、昔ながらの方法が復元されたのだと思い込んでいましたから、たとえば「一竹辻が花」は、染織家久保田一竹独自の方法であって、本来の「辻が花」とは別物、という話をきくと、なんだかだまされたように思うのです。
絵や建物を見るのと同じくらい、染め物や刺繍など、糸と針の手仕事を見るのが好きで、東京国立博物館に行ったときは「着物のコーナー」を、近代美術館工芸館でも、近代作家の新しい染めや織りを楽しみに見てきました。新宿にある文化大学の服飾博物館もときどき見に行きます。
以下、コプト織、「ミルフール(千の花)織のタペストリー」、「貴婦人と一角獣」などを紹介します。
<つづく>
ぽかぽか春庭@アート散歩>織り姫たちの千年(1)たなばたさま、おりひめさま
七月七日には、「字がじょうずになるように、短冊に書く」そして「さまざまな願い事を星に祈る」など、地方地方によっていろいろな行事が行われます。たなばたに「七夕」の漢字をあてる熟字訓は、中国の節句の文字をそのまま当てたためで、古来の日本の行事の意味では、漢字を当てるとしたら「棚機(たなばた)」や「棚幡」でした。
先祖の魂を呼ぶため「機織りによって出来た幡」を飾ってきました。この「ひらひらすることによって魂を呼ぶ」「幡」は、現代でも「盆棚」を座敷にしつらえる地方では、葉のついた枝を飾ったりして、残されています。七夕笹飾りの笹の葉も、もとは魂を呼ぶための依り代(よりしろ)であったのです。
先祖の魂祭のほうは、仏教伝来後は「盆」行事に移行し、「たなばた」は中国の織り姫彦星伝説と日本の「棚機津女(たなばたつめ」の伝説・神話が習合して、現在のたなばた祭りになりました。
牽牛が牛を引いて耕作した野菜などの「種物(たなつもの」と、織り姫が養蚕によって絹を織り上げた産物の「はたつもの」を供えることにより、食と衣の安定供給を願いう行事なのだとも。
織り姫の伝説から、織物に関する行事も多くの地方で行われてきました。
奈良平安時代の宮中や貴族の館では、中国唐時代に盛んであった「乞巧奠(きっこうてん)」の行事がとりいれられ、庭に針や糸を飾って、針仕事ほかの手仕事技芸の上達を願ったそうです。
機織り仕事をする者にとっては、1年1度のたいせつな行事でした。
糸をあつめて布を織る、編む。布をあつめて糸と針で身にまとう衣服を縫う。糸や布をさまざまな方法で色鮮やかに染める。
布仕事は、人類が手によって成し遂げてきた仕事の中でも、「食べ物を手に入れる」という生存に直接関わる作業のほかの仕事では、もっとも古くから延々と続けてきた仕事と思います。
日本には古来より、大陸からまた南方から、さまざまな染織方法が取り入れられ、友禅染など日本独自に発達を遂げたにすばらしい染め物や織物が生まれました。
最近の織物情報、糸情報で一番興味深かったのは、「くもの糸」を蚕に作らせる方法が開発された、という記事。遺伝子操作であることはちょっとひっかかりますが、蜘蛛の遺伝子を蚕に移し、蚕の吐く糸が蜘蛛の糸と同じに強くしなやかな糸になるよう、遺伝子組み換えが成功したというニュースでした。お釈迦様がたらした一本のくもの糸に何万もの地獄の人々がつかまった、というのは「おはなし」であるとして、蜘蛛の繊維は、鉄鋼とおなじくらいの強度をもっているそうです。
古い染織技法の復活もときおり話題になります。染織技法に興味があるので、吉岡幸雄らの「古代の染織技術復活」などのニュースに目をみはってきました、
さまざまな「幻の技術復活」が試みられた中、「本当の復活ではない」と、染織の研究者が言うこともあります。「辻が花」のことです。
近年になった復活されたのは、昔のものとはまったく異なる染法なのに、さまざまな染色法を各自が独自に「辻が花」と名乗っていて、混乱している、と、研究者が指摘しています。
室町時代に大流行した「辻が花」は、麻の染め物を指しました。しかし、江戸時代の友禅染の大流行に押されてその技法が廃れてしまったのです。
明治時代になって、室町時代の高度な縫い締め絞りのうち、染織技法がわからないものを「辻が花」と呼ぶようになり、「辻が花」といえば「幻の染め物」として関心が深まりました。
今では、染織作家がそれぞれの独自の「辻が花」という名を名乗っています。
研究者の中には「昔の染織方法にネーミング権がないからといって、勝手に辻が花を名乗るのは許し難い」と怒っている人もいます。私など素人は、「辻が花復活」ときくと、昔ながらの方法が復元されたのだと思い込んでいましたから、たとえば「一竹辻が花」は、染織家久保田一竹独自の方法であって、本来の「辻が花」とは別物、という話をきくと、なんだかだまされたように思うのです。
絵や建物を見るのと同じくらい、染め物や刺繍など、糸と針の手仕事を見るのが好きで、東京国立博物館に行ったときは「着物のコーナー」を、近代美術館工芸館でも、近代作家の新しい染めや織りを楽しみに見てきました。新宿にある文化大学の服飾博物館もときどき見に行きます。
以下、コプト織、「ミルフール(千の花)織のタペストリー」、「貴婦人と一角獣」などを紹介します。
<つづく>