2013/07/24
ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>自転車と筏と少年(2)少年と自転車
「少年と自転車Le Gamin Au Velo / The Kid With a Bike」
フランス語映画なので、フランス映画と思ったら、ベルギー、フランス、イタリア合作のダルデンヌ兄弟監督作品。2011年カンヌ国際映画祭審査委員特別グランプリ作品。
少年シリル役は、映画初出演という子役、トマス・ドレ。少年に懇願され週末里親になる美容師サマンサをセシル・ドゥ・フランス。
以下、ネタバレを含むあらすじです。白地に白い文字で書かれているので、マウスでドラッグすると文字が出てきます。
児童施設に暮らすシリルは、必ず父親が迎えに来てくれると信じています。サマンサと週末すごすことにしたのも、父親を捜したいからです。サマンサは、よく面倒を見てくれますが、シリルはやっぱり父親が恋しい。
父親が買ってくれた自転車。自転車を乗り回すことだけが、父とのつながりを回復する方法とでもいうように、シリルは町中を自転車で走ります。サマンサは親身になって父親の居所を探し当ててくれたのですが、父親はすっかり子育ての気力を失い、子どもが負担になっていました。育児放棄の状態となっていることを知ると、シリルは自傷行為をおこし、自分の顔をかきむしります。サマンサは、シリルを育てることにばかり夢中になってしまい、ついには恋人から「俺かこの子か、どちらかを選べ」と最後通牒を受けます。サマンサの答えはあっさりと「この子よ」でした。
サマンサが恋人より自分を選んでくれたことを知っても、シリルは再び父と暮らすことをあきらめませんでした。父親にお金をあげさえすれば自分と再び暮らすだろうと、危険な仲間に近づいてしまったシリル、サマンサの警告もきかず、事件に巻き込まれてしまいます。シリルを危険に巻き込むワルだって、家の中では年寄りにやさしい孫なのです。世間での見方と真実はくいちがっています。
シリルは週末だけの里子から、正式なサマンサの里子として迎えられるのですが、サマンサとの心のつながりは、まだまだ細いものでしたが、ふたりして自転車で出かけるピクニックなど、サマンサは懸命にシリルとの絆を綯おうとします。
ある日、サマンサは、近所の家族を招いてバーベキューをしようと思い立ちます。シリルと同じ年頃の男の子が、友だちになってくれそうだからです。バーベキューに使う炭を買いにいった先で、シリルは第2の事件に遭遇します。善良な良き市民としてシリルの前に立ちはだかっていた近所の黄金持ちの父と息子。この父と子の本性が観客にもわかります。自分たちの利益のためなら息子にウソで塗り固めた証言をさせようとする父親。
貧しさや生きる気力の喪失から育児放棄となってしまったシリルの父と、自分たちのためなら真実もねじ曲げ、息子にウソをつかける父親。どちらも父親というもののひとつの姿です。
サマンサにとっては、シリルへ無償の母性愛を注ぐことが生きがいになり、傷ついた少年を救うことが彼女自身の「生きる意味」となっていきます。彼女の心がシリルによりそう情景は、ふたりいっしょのサイクリングで表されています。

親から拒絶されてしまった子どもの心理が、自転車の疾走とともに表現されており、今まで見た「自転車映画」の中でも、その「走り」に独特の雰囲気が出ているように思います。
自転車疾走シーンというと、たいていは元気で明るいシーンに仕上がっていたので、この身につまされるような疾走に、ああ、自転車もこんなふうに画面に登場できるんだ、と感じました。
少年ビルドゥングスの物語であり、人と人が心を結び合わせることのさまざまな局面を見せてくれた映画でした。
<つづく>
ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>自転車と筏と少年(2)少年と自転車
「少年と自転車Le Gamin Au Velo / The Kid With a Bike」
フランス語映画なので、フランス映画と思ったら、ベルギー、フランス、イタリア合作のダルデンヌ兄弟監督作品。2011年カンヌ国際映画祭審査委員特別グランプリ作品。
少年シリル役は、映画初出演という子役、トマス・ドレ。少年に懇願され週末里親になる美容師サマンサをセシル・ドゥ・フランス。
以下、ネタバレを含むあらすじです。白地に白い文字で書かれているので、マウスでドラッグすると文字が出てきます。
児童施設に暮らすシリルは、必ず父親が迎えに来てくれると信じています。サマンサと週末すごすことにしたのも、父親を捜したいからです。サマンサは、よく面倒を見てくれますが、シリルはやっぱり父親が恋しい。
父親が買ってくれた自転車。自転車を乗り回すことだけが、父とのつながりを回復する方法とでもいうように、シリルは町中を自転車で走ります。サマンサは親身になって父親の居所を探し当ててくれたのですが、父親はすっかり子育ての気力を失い、子どもが負担になっていました。育児放棄の状態となっていることを知ると、シリルは自傷行為をおこし、自分の顔をかきむしります。サマンサは、シリルを育てることにばかり夢中になってしまい、ついには恋人から「俺かこの子か、どちらかを選べ」と最後通牒を受けます。サマンサの答えはあっさりと「この子よ」でした。
サマンサが恋人より自分を選んでくれたことを知っても、シリルは再び父と暮らすことをあきらめませんでした。父親にお金をあげさえすれば自分と再び暮らすだろうと、危険な仲間に近づいてしまったシリル、サマンサの警告もきかず、事件に巻き込まれてしまいます。シリルを危険に巻き込むワルだって、家の中では年寄りにやさしい孫なのです。世間での見方と真実はくいちがっています。
シリルは週末だけの里子から、正式なサマンサの里子として迎えられるのですが、サマンサとの心のつながりは、まだまだ細いものでしたが、ふたりして自転車で出かけるピクニックなど、サマンサは懸命にシリルとの絆を綯おうとします。
ある日、サマンサは、近所の家族を招いてバーベキューをしようと思い立ちます。シリルと同じ年頃の男の子が、友だちになってくれそうだからです。バーベキューに使う炭を買いにいった先で、シリルは第2の事件に遭遇します。善良な良き市民としてシリルの前に立ちはだかっていた近所の黄金持ちの父と息子。この父と子の本性が観客にもわかります。自分たちの利益のためなら息子にウソで塗り固めた証言をさせようとする父親。
貧しさや生きる気力の喪失から育児放棄となってしまったシリルの父と、自分たちのためなら真実もねじ曲げ、息子にウソをつかける父親。どちらも父親というもののひとつの姿です。
サマンサにとっては、シリルへ無償の母性愛を注ぐことが生きがいになり、傷ついた少年を救うことが彼女自身の「生きる意味」となっていきます。彼女の心がシリルによりそう情景は、ふたりいっしょのサイクリングで表されています。

親から拒絶されてしまった子どもの心理が、自転車の疾走とともに表現されており、今まで見た「自転車映画」の中でも、その「走り」に独特の雰囲気が出ているように思います。
自転車疾走シーンというと、たいていは元気で明るいシーンに仕上がっていたので、この身につまされるような疾走に、ああ、自転車もこんなふうに画面に登場できるんだ、と感じました。
少年ビルドゥングスの物語であり、人と人が心を結び合わせることのさまざまな局面を見せてくれた映画でした。
<つづく>